半地下に住む家族と高台の豪邸に住む家族
ポン・ジュノ監督と名優ソン・ガンホが4度目のタッグを組み、2019年の第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となるパルムドールを受賞した映画『パラサイト 半地下の家族』。
2020年の第92回アカデミー賞では作品賞・監督賞を始め6部門にノミネートされました。
韓国国内で観客動員数が1000万人を突破したのを始め、フランスやアメリカなど世界各国で外国映画の動員記録を塗り替えるほどのヒットを連発しています。
何がそれほど人々を惹きつけるのか? 本稿では映画の構成や語りのキーワードを読み解くことでその魅力に迫ります。
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CONTENTS
映画『パラサイト 半地下の家族』の作品情報
【日本公開】
2020年公開(韓国映画)
【原題】
기생충 (英題:Parasite)
【監督】
ポン・ジュノ
【キャスト】
ソン・ガンホ、チャン・ヘジン、チェ・ウシク、パク・ソダム、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、イ・ジョンウン、チョン・ジソ、パク・ソジュン、パク・ミョンフン
【作品概要】
『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』『スノーピアサー』などで知られる韓国の名匠ポン・ジュノ監督と名優ソン・ガンホが4度目のタッグを組んだ作品。
裕福な家庭に貧しい家族が仕事人として入り込んだことで思わぬ悲喜劇が起こる様を、コメディ・ホラー・社会派とジャンルを横断して描く。
2019年には第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となるパルムドールを受賞し、2020年の第92回アカデミー賞では作品賞・監督賞を始め6部門にノミネートされた。
映画『パラサイト 半地下の家族』のあらすじ
過去に度々事業に失敗し、今は無職の父キム・ギテク。若い頃は砲丸投げの選手だったが、実生活にはなんの役にも立たないことを痛感している母チュンスク。兵役の前後に4回も大学受験に失敗し、職にもつけない息子ギウ。美術の才能があるにもかかわらず美大に進学できず、予備校に通うお金もない娘ギジョンのキム一家は、貧困層の多い区域の“半地下住宅”で暮らしています。
上の階の住人が新しいパスワードを設定したために、Wi‐Fiが使えなくなったと文句を言うギウ。
父に言われてスマホをかざしながら電波を探していると、やっとトイレ付近で電波をキャッチすることができました。水圧が低いのでトイレが家の一番高い位置に鎮座しているのです。ギウが窓から外を眺めていると、家の壁に通行人が立ち小便を始めました。
ピザ屋の箱を組み立てるアルバイトを家族全員で行っていると、道路に消毒剤が散布されているのが見えました。消毒剤は開けっ放しの窓から家の中に入ってきて、部屋の中は真っ白。家族は咳き込みます。そんな中でも父は淡々と箱を組み立て続けます。
ピザ屋には手抜きだと叱られ取り分を減らされますが、ようやく食事にありつけた一家のもとに、ギウの友人のエリート大学生が訪ねてきました。
コンビニの脇でギウと友人は酒を酌み交わしました。友人はギウに頼みがあると切り出しました。留学することになったので、今教えている高校2年生の女子生徒の家庭教師を代わりにやってほしいと言うのです。
彼はその女子生徒に惚れていて、彼女が大学生になったら正式に付き合うつもりなのだそうです。「なぜ他の大学生に頼まず無職の俺に頼むのか」とギウが尋ねると、「お前なら信用できるからだ」と彼は言うのです。
「それに、お前は四回も受験しているんだからそこいらの遊び呆けている大学生より教えられるだろう」「俺が推薦するから大丈夫だ」と言われたギウはその気になります。
ギウは技術のあるギジョンに書類を捏造させ、家庭教師先へ面接に向かいました。教えられた住所に到着すると、そこはIT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸でした。
パク一家の心を掴んだギウは、妹のギジョンを「イリノイ大学に留学経験のある美術教師のジェシカ先生だ」と紹介。ギジョンはまんまと一家の幼い長男の家庭教師におさまります。更に、ギジョンはパク社長のお抱え運転手に駅まで送ってもらう際、あることを思いつき実行します。
本来なら出会うはずのなかった“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“高台の豪邸”で暮らすパク一家。2つの家族の間で何かが起ころうとしていました……。
映画『パラサイト 半地下の家族』の感想と評価
ワンショットが映画の風景を一変させる
家族全員が職業につきたくてもつけず半地下で貧しい暮らしをしているキム一家は、あるきっかけで、ひとり、またひとりと互いに他人のふりをして高台の豪邸で暮らす裕福なパク家に侵入することに成功します。
こうした展開は深田晃司監督の『歓待』(2010)や『淵に立つ』(2016)といった作品を想起させます。『歓待』ではひとりの“侵入者”が次々と部外者を家に引き込みますし、『淵に立つ』では“侵入者“である男が起こした突発的な暴力が、家族の人生を一変させてしまいます。
『パラサイト 半地下の家族』もまた、そういう危うさを予感させ、観るものに緊張感を強いますが、このキム一家はいたってのんびりしていて、お得な仕事にありつけたことに単純に喜んでいます。パク一家がキャンプで家を空けた際、家族で豪邸に集まり酒を飲んで羽目をはずすというささやかな事柄で満足している気のいい人たちなのです。
金持ちに取って代わろうとか、金持ちの人間をものにしてやろうなどという狡猾な野心など微塵もありません。チェ・ウシク扮する息子がパク家の長女に恋をするのは初恋にも似た甘酸っぱいものにすぎません。
このように映画の前半は、「それぞれ個性が強く時には激しく反発し合うが根っこでは固く厚い愛情で結ばれてる」という韓国映画では馴染みの”家族の絆“を踏襲したシチュエーション・コメディとして進行します。
ところが誰もが想像だにしていなかった展開により、彼らのお楽しみは台無しになり、それどころが絶対絶命の危機に陥りさえします。彼らの立場は二転三転します。
ですが、映画における本当の転換地点はもう少しあとになります。地下の階段を上がってきた女性をチャン・ヘジン扮するキム一家の母親が蹴り飛ばすシーンまで待たなくてはなりません。このシーンで映画館は毎回爆笑に包まれるのですが、次の瞬間誰もが凍りつくことになるのです。
このわずか数秒が映画の佇まいを一変させます。もはやシチュエーション・コメディではなく、バイオレンスの匂いが漂い始めます。一瞬で映画の姿を変えてしまうワンショットの鮮やかさに唸らずにはいられません。
「臭い」と「計画」というキーワード
『パラサイト 半地下の家族』を分析するのに重要なキーワードが2つあります。ひとつは「臭い」。もう一つは「計画」です。
貧困や格差を描くのに「臭い」を取り上げた映画はこれまでもありました。例えば是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004)は、家に来なくなった友だちを誘うために柳楽優弥扮する少年が学校の正門で待っているシーンがあります。誘われた少年たちは理由をつけて断ったあとに「あいつの家、臭いんだよ」「生ゴミの臭い」とささやいています。
『パラサイト 半地下の家族』の臭いはさらに深刻です。それはもはや洗って落とせるものではないのです。
いくら外見を整え、上品な所作を真似してみせたとしても、長年、半地下で暮らしてきた臭い(“煮洗いした布巾のような臭い”、“地下鉄の臭い”とパク家の父親は表現します)は体にしみついていてそれが決定的にキム家とパク家を断絶しているという事実は衝撃的です。
さらに“半地下”ではなく、“地下”に長年暮らしていたらどうでしょう? その臭いが終盤の衝撃的なシーンに直結しますが、それまでの臭いに関するエピソードの積み重ねがあったからこそ、それは起こったのです。
また「計画」に関しては、キム一家はたびたびその言葉を口にしています。「計画はあるのか」がソン・ガンホ扮する父の口癖で、息子はそれに呼応するように「計画を立てる」としばしば口にしています。彼らにとって「計画を立てる」ということは必然のことでした。
しかし、父は、物語の中盤に変化を見せます。「計画がある」と語ることで子どもたちをいったん納得させますが、しばらくして「どんな計画なのか」と息子に問われた際、彼は「無計画なほうがいい。計画を立てても人生そうはいかない。最初から計画がなければ関係ない」と呟きます。
絶望というよりは、むしろ思考停止といったほうがよいかもしれません。辛い思いをした人ほど考えることをやめてしまいがちであり、とりわけ「修復不可能な事態」に陥ってしまえばなおさらなのでしょう。
そうした父親の心理がこの2つのキーワードに敏感に反応し、静かなさざなみとなって終盤へとつながっていく描写は圧巻です。
一方、パク一家はというと、雨で恒例のキャンプがダメになると、思いつきで誕生パーティーを急遽催すことにします。「計画」という言葉とはまったく無縁であり、不意の連絡を受けた人々は、おそらく立てていたであろう「計画」を反故して、パーティーに駆けつけるのです。
彼らの本音を聞けば、裕福な友人同士のホームパーティーを題材にした『完璧な他人』(2018/イ・ジェギュ監督)のような修羅場が展開するのではと想像されますが、この世界の付き合いもなかなか大変なものがあります。
「計画」よりも「臨機応変」であることが彼らの世界では求められるのでしょう。キム家の息子がその光景に見入られたように佇むシーンは実に示唆的です。
二組の家族の正体
パク一家は、鼻持ちならない金持ちとして描かれるのではなく、金銭に余裕があるからこそ、誰にでもおおらかに優しく振る舞える感じのいい人たちとして登場します。
とりわけチョ・ヨジョン扮する妻のヨンギュは、人を疑うことを知らない純粋さを持ち、茶目っ気もある人当たりの良い善人として描かれています。
夫のドンイクに扮するのは、ホン・サンス映画の出演が多いイ・ソンギュンで、彼の素敵な声の響きもあいまって、まさに2人は理想のカップルで、理想の家族を構成しています。映画を観ていて、彼らに心惹かれる人も少なくないでしょう。
ところが、ひとたび、自身のふところに誰かが身分をわきまえず入り込もうとすれば、この夫は、態度を豹変させます。
彼らにとって大切なのは自分と自分の立場だけ。他人のことはどうでもよく、損得抜きの奉仕の精神など一切持ち合わせていないのです。現代の富裕層たるものの実態を実によく観察しているといえるでしょう。
さて、一方のキム一家は、固い家族の絆で結ばれているように見えます。それゆえにラストに息子が立てる計画に、格差社会の現実を思い、得も言われぬ悲哀を感じさせられるわけですが、果たしてあのラストはその解釈で正しいのでしょうか?
今の時代、その「計画」が「実現不可能で無謀なもの」であることを知らぬほど息子は無知ではないはず。つまり家族愛とは真逆に、父を助ける気も、再び会う気もないという決別の現れだったのではないか!?
家族を守らず手も貸さず、罪だけを犯した父を彼は許せなかったのか、あるいは、そのままにしておくほうが幸せだろうと感じたのか、それとも自分自身に激しい怒りを感じていたのか、いずれにしてももう二度と会うことはないという決意表明が見てとれないでしょうか?
悲しみや怒りの中にあっても笑っている息子の表情からは何も読み取ることはできません。ですが、本作は、ひとつの家族の絆の崩壊を描いているのです。韓国映画が背負い、韓国社会で深く浸透し拠り所となっていた「それぞれ個性が強く時には激しく反発し合うが根っこでは固く厚い愛情で結ばれてる」“家族”というものが、もはや神話に過ぎないというかのように。
まとめ
『パラサイト 半地下の人々』を、“格差社会”や“現代を移す鏡”といった社会派的な側面ばかりで観ていると、本当の面白さに気づけないという気がいたします。
観れば観るほど、その重層な作りに感嘆させられる作品なのです。セットであることが発表された高台の豪邸の空間の面白さなど、まだまだ語るべきことがたっぷり残されています。
次回のコリアンムービーおすすめ指南は…
絶好調の韓国映画。2020年度も続々と話題作の公開が予定されています。次回もお楽しみに。
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