こんにちは、映画ライターの金田まこちゃです。
このコラムでは、毎回サスペンス映画を1本取り上げて、作品の面白さや手法について考察していきます。
今回ご紹介する作品は、爆弾テロから多くの命を救った「英雄」が、FBIとマスコミにより「テロの首謀者」にされてしまう、クライムサスペンス映画『リチャード・ジュエル』です。
1996年のアトランタ五輪で、実際に起きた爆弾テロ事件の真相を、近年、実話を基にした作品を多く手掛ける巨匠、クリント・イーストウッドが描いた、監督40本目となる作品。
今回は、英雄だったはずの男が、何故、爆弾テロの首謀者にされてしまったのか?という、サスペンス的な部分に注目してご紹介します。
CONTENTS
映画『リチャード・ジュエル』のあらすじ
1986年、中小企業局のアトランタ事務所に勤める、リチャード・ジュエル。
彼は、弁護士のワトソン・ブライアントと知り合い、不足している物を察知する性格から、「レイダー」という、あだ名を付けられます。
リチャードは、法執行官に憧れを抱いており、警備員の職に就く為、ワトソンに退職の挨拶をします。
その際、ワトソンから「警察官になれ、クソ野郎になるな」と、言葉を送られます。
1996年、リチャードは、一時的に群の副保安官の職に就きましたが、退職後に、大学の警備員になります。
ですが、正義感の強さから、過剰な取り締まりをしてしまい、学長に問題視された事で、大学をクビにされてしまいます。
職を失ったリチャードですが、この年は、アトランタ五輪が開催されており、リチャードは、記念公園で連日開催される、コンサートの警備員となります。
ある日、腹痛を感じながらも公園の警備を続けていたリチャードは、酔っ払って騒いでいる若者たちを注意します。
若間たちが去った後に、リチャードは、ベンチの下に不審なバッグが置かれている事に気付きます。
警官たちは「ただの忘れ物」と気にしませんが、リチャードはマニュアルに乗っ取り、不審物を処理しようとします。
同じ頃、警察に「記念公園を爆破する」という、2度に渡る犯行予告があった事で、記念公園に爆発物処理班が派遣されます。
爆発物処理班が、バッグの中身を確認すると、そこには、3本のパイプ爆弾が入っていました。
リチャードは警官たちと、公園内の人々を避難させようとしますが、その間に爆弾が爆発します。
しかし、いち早く爆弾に気付いたリチャードの活躍で、被害は最小限となり、リチャードは「多くの人を救った英雄」として、マスコミの取材を受けるようになります。
記念公園で警備を担当していた、FBI捜査官のショウ捜査官。
彼は、爆破事件を防げなかった事を悔み、次の被害者を出さない為、爆破テロの真犯人を、捕まえる捜査を開始していました。
そんな中、過去にリチャードが警備員として勤めていた大学の学長から、「リチャードは問題のある男だった。英雄じゃない」と証言されます。
学長の証言と、過去の爆破事件の犯人の傾向から「英雄=真犯人」の仮説を立てたショウ捜査官は、リチャードを容疑者とします。
記念公園の爆破事件に居合わせた、女性新聞記者のキャシーは、特ダネを掴み、自分が名声を得る事しか頭にありません。
記念公園の爆破事件を「自分が一番に特ダネを掴み、犯人が興味深い人物である事」を祈り、取材を開始します。
キャシーは、知人であるショウ捜査官にすり寄り、FBIが「リチャードを容疑者として考えている」事を掴みます。
「母親と暮らす醜いデブが、英雄な訳がない」と考えたキャシーは、翌日の朝刊の一面で、リチャードが「FBIの捜査対象になっている」という内容の記事を掲載します。
極秘情報が漏れた事に焦ったFBIは、非公式にリチャードをFBIに連行し「FBIの訓練ビデオの撮影」として、リチャードに書類へのサインや、容疑者に聞かせる「ミランダ警告」を読み上げて、その様子をビデオ撮影しようとします。
不信感を抱いたリチャードは、本の出版を持ち掛けられた際に、契約内容の確認を依頼していた、かつての同僚である弁護士、ワトソンに連絡をします。
電話から、FBIの強引な操作である事を感じたワトソンは、すぐにその場を立ち去る事を助言します。
その夜、リチャードが母親と住む住宅を訪ねたワトソンは、住宅に多くのマスコミが押しかけている、異常な光景を目にします。
容疑をかけられながらも「自分はやっていない」と言う、リチャードの主張を信じて、ワトソンはリチャードの弁護を引き受けます。
サスペンスを構築する要素①「暴走するプロファイリング」
爆破物を発見し、多数の命を救った男が、一転して容疑者にされてしまう恐怖を描いた、クライムサスペンス『リチャード・ジュエル』。
本作の主人公リチャードが、容疑者にされてしまった要因に、FBIの「プロファイリング捜査」があります。
「プロファイリング捜査」とは、過去に発生した犯罪のデータを、新たに起きた犯罪の捜査に適用させ、犯人像を割り出す捜査方法です。
ドラマや映画で、よく耳にする言葉ですが、世の中に「プロファイリング捜査」を周知させたのは、1991年公開の映画『羊たちの沈黙』だと言われています。
本作に登場する、ショウ捜査官は、この「プロファイリング捜査」に重点を置きすぎたせいで、過去の爆破事件の傾向が「英雄=真犯人」である事から、リチャードを「注目を浴びたがっている孤独な男」と分析し、容疑者としてしまいます。
恐ろしい事にショウ捜査官は、リチャードと、一度も対等に話をしておらず、新聞やテレビの情報と、過去の爆破事件の犯人像を勝手に結び付けてしまっています。
まともな捜査と言うと、リチャードに嫌悪感を抱いていた、学長から証言を取っただけです。
こうして、リチャードの全く知らない所で、イメージだけの「プロファイリング捜査」が勝手に進み、FBIがリチャードを容疑者として固めていく、実に理不尽な展開が、前半の主軸となっています。
因みにですが、ショウ捜査官は実在した捜査官ではなく、複数の捜査官の特徴を合わせて作った創作の人物である事を、クリント・イーストウッド監督はインタビュー記事で語っています。
ですが、実際のリチャード・ジュエルの事件を執筆した、原作者のマリー・ブレナーは「全く犯人が掴めず、当時のFBIは混乱状態だった」と語っています為、FBIの事件解決への焦りが、この冤罪事件を生み出したのは間違いないでしょう。
サスペンスを構築する要素②「過熱するマスコミの報道」
リチャード・ジュエルの冤罪事件は、FBIの焦りが生み出した事は前述しましたが、では「何故、FBIは焦りを感じたのか?」という部分において、本作では「地元記事にリークされた事」が、要因の1つとして描かれています。
地元の新聞社に勤める女性記者のキャシーが、特ダネを得る為に、ショウ捜査官から情報を得た事で報道されてしまうのですが、ここでキャシーも、全く裏を取らず「母親と暮らす醜いデブが、英雄な訳が無い」という偏見だけで、記事にしてしまいます。
ここから、英雄だったはずのリチャードは、一転して爆弾犯となり、マスコミの餌食とされてしまい、精神的に追い込まれていきます。
本作に登場するキャシーを演じる、オリヴィア・ワイルドは、眉毛を上げた強めのメイクで挑んでおり、中盤ではヒョウ柄を着ているなど、イーストウッド監督は徹底して、キャシーを「我の強い嫌な女」として描いています。
この、キャシーという新聞記者は実在した人物で、FBI捜査官との恋愛も実際の話のようです。
ですが、本作において、創作されたエピソードも含まれており、その点に関して、強い抗議も起きていますね。
サスペンスを構築する要素③「ワトソンとリチャードの反撃」
FBIとマスコミにより、完全に世間を敵に回してしまったリチャード。
ですが、旧知の仲である弁護士、ワトソン・ブライアントの登場により、物語はリチャードの反撃へと変わっていきます。
ここで面白い点として、ワトソンが登場して以降、これまでリチャードの視点で進んでいた物語が、ワトソンの視点に代わっていく事です。
これにより、第三者の視点から、リチャード・ジュエルという男を見る事になるのですが、決して、真っ白な人物でない事が分かります。
警備員時代に警察官を名乗って逮捕されたり、鹿狩りに使用する為、大量の猟銃を持っていたり、疑われる要素を、それなりに持っているのです。
リチャード役のポール・ウォルター・ハウザーは、これまで数多くの「実家暮らしで、話をややこしくさせるダメ人間」を演じてきましたが、ワトソン目線になってからは、まさにポール・ウォルター・ハウザーの真骨頂とも言えます。
ワトソンは、リチャードの胸の内を知る為、作品の中盤でリチャードを侮辱し、感情的にさせるなどして、2人は徐々にチームになっていきます。
そして、「プロファイリング捜査」を疑わないFBIと、真っ向から対峙したリチャードとワトソンが、最後に状況を打開したのは、誰もが感じる純粋な疑問でした。
ショウ捜査官を含むFBIが、リチャードとまともに対峙したのは、この場面が初めてとなります。
FBIの捜査官が、情報を重視せず、もっと早くリチャードと対話をしていれば、彼が容疑者になる事はなかったかもしれません。
本作は、情報が錯綜する現代社会に、人との対話の重要性を説いた作品だと感じます。
映画『リチャード・ジュエル』まとめ
本作は、実話をもとにした作品ですが、全てを忠実に再現した作品ではありません。
作品の空気が重くなりがちな物語の中盤で、イーストウッド監督は故意的に、コメディ的な展開を入れています。
『リチャード・ジュエル』は、映画であり、実話を題材にした創作物である事が、強調されているように感じます。
また、前述したように、ショウ捜査官は実在せず、女性記者のキャシーにも、架空のエピソードが加えられています。
現在は、パソコンを使えば、だいたいの情報は調べる事が可能で、情報を見ただけで、分かったような気持ちになってしまいます。
しかし、それは、何の裏も取らずに、リチャードを容疑者と決め付けた人たちと、同じではないでしょうか?
本作を鑑賞しただけで、「リチャード・ジュエル冤罪事件」の全てを、分かったような気持ちになる事は危険で、どこまでが「事実か?」と疑う事も大事なのです。
イーストウッド監督は、情報化社会へ向けて、そんな警告を込めたのではないでしょうか?
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
1900年に実際に発生した、3人の灯台守が行方不明になった「フラナン諸島の謎」と呼ばれる失踪事件を描いたサスペンス『バニシング』を、ご紹介します。