連載コラム「サスペンスの神様の鼓動」第26回
こんにちは、映画ライターの金田まこちゃです。このコラムでは、毎回サスペンス映画を1本取り上げて、作品の面白さや手法について考察していきます。
前回『KILLERS キラーズ 10人の殺し屋たち』を、ご紹介すると予告させていただきましたが、今回は予告内容を変更させていただきまして、『KILLERS キラーズ 10人の殺し屋たち』は、また別のタイミングで、ご紹介させていただきます。
今回ご紹介する作品は、シリアルキラーの語源となった殺人鬼、テッド・バンディを、長年の恋人の目線で描いたサスペンス映画『テッド・バンディ』です。
1970年代にアメリカで、30人以上を殺害したと言われる、高い知性とカリスマ性を持つテッド・バンディ。
テッドの長年の恋人で、テッドとの6年間を綴った、エリザベス・クレプファーの「The Phantom Prince: My Life With Ted Bundy(原題)」を原作に、Netflixのドキュメンタリー『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』も手掛けた、ジョー・バリンジャー監督が映像化しました。
実話を元にした本作を、今回はサスペンス映画としての手法に特化して、作品の持つ魅力をご紹介します。
CONTENTS
映画『テッド・バンディ』のあらすじ
1969年のワシントン州、シアトル。
シングルマザーのリズは、バーで偶然出会った男性、テッド・バンディと仲良くなり、一緒にリズの自宅へ帰ります。
次の日の朝、テッドはリズより先に起床し、リズの幼い娘、モリーの面倒を見ながら、朝食を作っていました。
朝食を作るテッドの姿を見たリズは、恋に落ちます。
リズは、テッドとモリーと3人で幸せな生活を送っていました。
リズは、テッドと一緒に、自宅で飼う犬を探しに出かけますが、そこで、テッドの元恋人であるキャロルと出会います。
キャロルは、リズの前でテッドへの未練を口にしており、リズはキャロルに嫌な印象を抱きます。
自宅で飼う犬を、テッドと一緒に選んでいたリズですが、犬がテッドを前にすると、怯えてしまう所を目の当たりにします。
ある晩、車を運転していたテッドは、信号無視をした事で、警察の職務質問を受けます。
その際に、車の後部座席に乗せていた道具が怪しまれ、警察に逮捕されてしまいます。
テッドがかけられた容疑は、マレーで起きた誘拐未遂事件でしたが、被害者の証言が曖昧である事から、テッドは「警察が証言を誘導した」と、徹底的に戦う姿勢を見せます。
ですが、その前年にも誘拐事件が起きており、犯人が私用した車の車種が、テッドの愛車であるフォルクスワーゲンであった事と、新聞に掲載された犯人の写真が、テッドに似ていた事から、テッドは連続誘拐事件の容疑者とされます。
しかし、テッドのフォルクスワーゲンは、犯行に使われた車と色が違った事から、テッドは身の潔白を主張します。
突然、テッドが連続誘拐事件の容疑者になった事に、戸惑うリズ。
そこへ、コロラド州の刑事から連絡が入ります。
刑事は、コロラド州で未解決になっている事件に、テッドが関わっている可能性がある事を伝えますが、リズは「何も知らない」と答えて電話を切ります。
ユタ州立刑務所に収監されていたテッドの所にも、コロラド州の刑事が訪ねてきます。
刑事は「コロラド州に行った事があるか?」と、テッドに訪ねますが、テッドは「無い」と答えます。
ですが、テッドの証言が嘘だった事が判明し、テッドの担当弁護士は、心象が悪くなった事を理由に、担当を降りてしまいます。
弁護士は、テッドに担当を辞任した事を伝えた後「近隣の州で発生した未解決事件が、全て君のせいになる可能性がある」と忠告します。
サスペンスを構築する要素①「真実が観客に見えない、異色の演出」
『テッド・バンディ』は、実在した殺人鬼、テッド・バンディの事件を元にした作品です。
テッドは映画本編で描かれた事件の他、30人以上の女性を惨殺したと言われています。
本作の特徴は、テッドの長年の恋人である、リズの視点で進行していく事です。
最初は、信号無視で逮捕されたテッドが、さまざまな証拠から、連続誘拐犯の容疑者とされますが、テッドはリズに「全てが捏造だ」と主張します。
観客には、テッドの情報は、テッド自身が語る話の内容からでしか得る事が出来ません。
また、テッドを追いかける捜査官の目線もない為、警察側の事情が全く見えません。
観客は、裁判を傍観するしかないリズの視点でしか、この物語を見る事が出来ないのです。
その為、次第に無実を主張するテッドの方が「正しいのでは?」と、観客も真実が分からなくなる構成となっています。
これは、テッドの裁判が行われた当時も、ハッキリとした目撃証言が無かった事で、テッド側の主張を信じる人がいたという事実を、作品に反映させています。
テッドが実際に犯行に及ぶ、残虐なシーンが作中に無い事も、テッドが冤罪である可能性を、観客が抱いてしまう効果に繋がっています。
殺人鬼を扱った映画としては、かなり異色の演出といえるでしょう。
サスペンスを構築する要素②「劇場化する白熱の裁判」
テッド・バンディは、残虐な殺人鬼というだけでなく、美しい容姿と高い知性を兼ね備え、魅力的なカリスマ性を持っていました。
そのテッドの才能が発揮されるのは、中盤のフロリダでの裁判になります。
元恋人のキャロルすらも利用し、巧みに世論を誘導、自分で弁護を行い、判事を翻弄し苛つかせるテッドの姿は華麗ですらあります。
ですが、テッドがその才能を活かせば活かすほど、作品序盤で観客が抱いた「もしかして冤罪かも」という印象は、徐々に薄れていきます。
それだけ、中盤のテッドは、ある意味異常さを感じるようになるからです。
作品序盤では、テッドはユーモアのセンスを持った、優しい男性という描かれ方をしている事から、徐々に現れる二面性に、ある種の恐怖を感じるようになります。
テッドが、裁判所で行った弁護の様子は、全て実際に残されている映像を完全に再現しているもので、映画の最後に、テッドの実際の映像が流れます。
主演のザック・エフロンが、完璧にテッドを再現している事が分かり「殺人鬼を美化する事に葛藤を抱いていた」というザック・エフロンの、演技に込めた覚悟を感じます。
サスペンスを構築する要素③「テッドが最後に残した文字」
観客は、テッド・バンディという人間の本性に、終盤に触れる事になります。
それは、テッドがガラス窓に描いた「弓のこぎり」という文字がキッカケになります。
「弓のこぎり」が何を示すのかは、本作のラストにヒントとなる映像が流れますので、そこから想像するしかありません。
ですが、この時点になると、誰もが「テッド・バンディは殺人鬼」と認識するでしょう。
本作は、リズの視点で進行する事は前述しましたが、殺人鬼と長い時間を過ごし、最愛の娘も近づけていたリズの恐怖は、想像を絶するものとなります。
テッド・バンディは、序盤の「優しい男性」から、中盤の展開で「信用ならない奴」に印象が変化し、最後は「殺人鬼」として、観客にとって、テッドは恐怖すら抱く存在となります。
容姿や、表面的な人間性で判断する、思い込みの危険さ。
これこそが、監督のジョー・バリンジャーが、本作に込めた狙いとなっています。
まとめ
実在した殺人鬼を描いた本作には、テッド・バンディという人間を「美化している」という批判もあるようです。
しかし、作品を実際に鑑賞してみると分かるのは、身近にいる、最も信頼していた人間に、裏切られる恐怖です。
実際の殺戮シーンが無いからこそ、テッドが最終的に見せる本性に寒気すら感じ、テッドは美化された存在ではなく、恐怖の対象である事が分かります。
鑑賞している観客すらも煙に巻き、真実をぼかしてくるテッドの恐怖を、一度体験してみて下さい。
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
次回も、魅力的な作品をご紹介します。お楽しみに。