こんにちは、映画ライターの金田まこちゃです。
このコラムでは、毎回サスペンス映画を1本取り上げて、作品の面白さや手法について考察していきます。
今回ご紹介する作品は、激しい殺人衝動に取り憑かれた真面目な男が、奇妙な娼婦と出会った事で経験する、悪夢のような一夜を描いた、村上龍原作の映画『ピアッシング』です。
CONTENTS
映画『ピアッシング』のあらすじとネタバレ
妻と子供に恵まれた、幸せな家庭の中で暮らすリード。
ただ、彼が普通と違うのは、原因不明の激しい殺人衝動に取り憑かれている事でした。
リードは幼い子供をあやしている時でさえも、「アイスピックで刺殺したい」という危険な衝動に駆られてしまいます。
悩んだリードはやがて、娼婦を殺す事を考えるようになります。
「言葉が分かる女がいい。恐怖の瞬間に発する言葉が知りたい」。
「女は逃げようとするだろう。縛り付ける必要があるから、SM嬢が良い」。
考え続けたリードは、出張で滞在するホテルにSM嬢を呼び出し、殺害する計画を立てます。
根が真面目なリードは、自分でクロロホルムを嗅いで気を失う時間を計測したり、自然な演技でSM嬢をベッドに誘い入れるシュミレーションを何度も繰り返し、練習の成果をメモ帳に書き溜めていきました。
いよいよ殺人計画を実行に移す事にしたリードは、娼婦のジャッキーを部屋に呼び出します。
しかし、娼婦が部屋にいる慣れないシチュエーションに、リードは次第に不自然な言動が目立つようになります。
リードは、とにかくジャッキーを縛ろうとしますが、ジャッキーは先にシャワーを浴びる事を希望します。
リードはジャッキーがシャワーを浴びる事を許可しますが、シャワールームに入った彼女はなかなか出てきません。
不審に思ったリードがシャワールームの中に入ると、そこには自分の足を刃物で何度も刺し続けている、血まみれの浴槽に座っているジャッキーの姿がありました。
サスペンスを構築する要素①「異常な男女のダークなラブストーリー」
本作は非常に変わった作品であり、殺人願望の強いリードと、自傷癖のあるジャッキーが出会った事で始まる、バイオレンス色の強いサスペンスのように見えますが、実は孤独を感じていた男女がお互いを知り、恋に落ちるラブストーリーでもあります。
妻との間に娘を授かり仕事も順調そうに見えるリードは、自分の殺人衝動が抑えられず1人で悩んでいました。
しかし、殺害する為に呼んだ娼婦のジャッキーとの出会いで、自身の異常な願望が満たされる、これまでとは違う新たな世界へ足を踏み入れる事になります。
村上龍の原作小説では心の声や2人の過去もともに描かれていますが、映画版では全てカットされており、観客は何の情報も与えられないまま、異常な男女の一夜を体験する事になります。
これは、監督のニコラス・ペッシェが「観客には何も知らないまま、疑問を持ちながら、映画のストーリーを追いかけてほしい」と考えた上での演出です。
また、ジャッキー役のミア・ワシコウスカが、撮影現場のニューヨークに到着したのは本番の2日前であり、リード役のクリストファー・アボットと出会ったのは、リードとジャッキーが初めてホテルで出会ったシーンの撮影時でした。
作中のリードとジャッキーが少しずつお互いを知っていく過程と、実際に演じた2人の俳優がお互いを理解する過程がリンクしているがゆえに、この奇妙なラブストーリーに説得力を持たせています。
サスペンスを構築する要素②「異常性に隠された優しさ」
本作は、暴力的な描写も多いのですが、その全てが現代社会の孤独や悲しさを描いている辺りが、また奇妙な映画と言えるでしょう。
リードが殺人願望を持つキッカケになったのは、幼児期に母親から虐待を受けていた事に関係あるらしい事が、作品後半で分かります。
それでは、対するジャッキーが自分を傷つける理由とは何なのでしょうか?
それも作中のジャッキーの言動から観客は感じるしかないのですが、ジャッキーが病院に向かう車中で、リードに語ったセリフ「あなたの顔を殴りたい。平手打ちじゃなくて思いっきり。そうすれば一緒にいられる」にヒントがあると思います。
おそらくジャッキーは、過去に愛した人から逃げられた経験があり、男性への独占欲が強いのではないでしょうか?
シャワー室で自分の足を刃物で刺したのも、リードに「心配されたい、構ってほしい」という欲求を抱いたために至った行為だと思われます。
本作の後半では、ジャッキーは一変してリードに暴行を加えるようになります。そうすれば、自分の所から逃げないと思ったのでしょう。
何故そう思ったかは分かりませんが、自分の行為を、リードなら理解してくれると感じたのでしょう。
迷惑な考え方ですが、この暴力的な描写を通してジャッキーの悲しみが伝わってきます。
そして作品のラスト、リードの殺人手帳を読んだジャッキーがリードを縛り上げ、アイスピックを見せつけて「死の恐怖」を感じさせる場面。
これは、リードの「言葉が分かる女がいい、恐怖の瞬間に発する言葉が知りたい」という願望を、リードが殺される側になる事で、体験させてあげようとしたのでしょう。
かなり歪んでいますが、それがジャッキーのリードに対する優しさなのです。
この後の事は作中では描かれていませんが、恐らくジャッキーは、リードを殺していないでしょう。なぜならジャッキーにとって、リードは側にいてほしい人だからです。
そして、リードもジャッキーの気持ちを感じて、ラストシーンの言葉に繋がったと思われます。
お互いの事を知り、2人の間に独自のルールが生まれ、それを楽しむ関係になったリードとジャッキー。
本作は、その過程を描いているという点でも、ラブストーリーと言えます。
どうしようもなく、その形は歪んでいますが。
サスペンスを構築する要素③「現代社会の狂ったファンタジー」
異常な男女のラブストーリーを描いた本作。
リードもジャッキーも、実在すると迷惑な人達ですが、実際にいないとは言い切れません。
ですが、本作では異常な欲求を持った人たちを肯定している訳では無く、この話は映画でありフィクションで、実際の現実とは遠く離れた話だという事を強調しています。
本作のオープニングはビル群のミニチュアから始まるのですが、このミニチュアが異常な部屋数がある、高層ビルの集まりになっており、かなり不自然な印象を観客に与えます。
そして映像をバックに、いきなりエンドロールのように、キャストやスタッフや制作会社名が流れるという手法で、これから始まる物語は、映画でありフィクションである事を強調しています。
作品の舞台は現代なのですが、リードとジャッキーの物語は、現代社会の中で起きている、空想的な虚構の世界の出来事という印象を受けます。
それゆえに、この奇妙で歪んだ2人の世界のラブロマンスを「寓話」として受け入れる事ができるのです。
映画『ピアッシング』まとめ
『ピアッシング』は、男女の歪んだ愛の形を暴力やユーモアを交えて描いた、本当に奇妙な作品です。
特に殺される寸前の恐怖に襲われたリードの最後のセリフで終わる辺りも、独特の余韻を残しています。
ですが、本作はこの一言に、作品の全てを賭けているとも感じます。
ラストの一言に作品の全てを賭けた映画は、過去にも何作か制作されており、どれも不思議な魅力を持った作品なので、ここでは2本ほど紹介させていただきます。
まずは、クエンティン・タランティーノが製作総指揮を務めた、1996年の映画『フェティッシュ』。
参考映像:レブ・ブラドック監督『フェティッシュ』(1996)
異常な程、殺人事件に興味を抱いている主人公ガブリエラが、殺人現場専門の清掃会社で働き、殺人鬼に遭遇した事で起きるトラブルを描いたコメディ。
ガブリエラが殺人事件に興味を抱いている理由や、殺人の様子をダンスで再現するなど、全編に渡りブラックな笑いが展開される本作。
ラストでガブリエラが録音した、ある音声に収録された一言で映画が終了するのですが、とてもここでは紹介できないようなショッキングな事態にも関わらず、作品を全て見た後では、なんか笑うしか無い凄い演出になっています。
続いては、デヴィッド・フィンチャー監督によるサスペンス作品である、2014年の映画『ゴーン・ガール』です。
参考映像:デヴィッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』(2014)
突然失踪した妻のエイミーを探すニック。しかし、マスコミに失踪事件が取り上げられた事で、ニックが全米から疑いの目をかけられるというストーリー。
二転三転する展開の末、ラストにエイミーがニックに放った一言は、全ての男性を震え上がらせたのではないでしょうか?
このように、ラストの一言に作品の全てを賭けた映画は比較的ブラックな内容が多く、人を選ぶかもしれませんが、ハマれば二度と忘れられない作品になる事が多いです。
個人的に『ピアッシング』も、忘れられない作品となりました。
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
次回は、妻を誘拐された男が独自の捜査で犯人を追い詰める、マ・ドンソク主演のアクション・サスペンス映画『無双の鉄拳』を、ご紹介します。