連載コラム『サスペンスの神様の鼓動』10
こんにちは、映画ライターの金田まこちゃです。
このコラムでは、毎回サスペンス映画を1本取り上げて、作品の面白さや手法について解説していきます。
今回取り上げる作品は、未解決の失踪事件を巡る加害者と被害者の家族、そして周囲の人々の物語を描いた重厚なサスペンス映画『赤い雪 Red Snow』です。
CONTENTS
映画『赤い雪 Red Snow』のあらすじとネタバレ
ある雪の日、1人の少年が姿を消します。
少年の兄である白川一希は、途中までその姿を追いかけましたが見失い、警察に明確な証言ができず、捜査が混乱します。
そして、事件の容疑者として江藤早奈江が浮上しますが、早奈江は黙秘を続けた末に無罪となりました。
その後、早奈江の周囲では、3人の男の不審な死が相次ぎます。
中でも火事により一軒家が全焼した高田幸男の死亡時には、まるで彼女は火事を知っていたかのように、娘の早百合と余所行きの服で外出し、被害を回避していました。
焼け跡からは、少年の白骨死体も見つかります。
早奈江は、高田幸男に高額の保険をかけていた事から起訴されますが、証拠不十分として無罪となります。
30年後、漆職人となった一希は、外部との接触を避けるように自宅へ閉じこもり、1人で黙々と作品を作り続けていました。
そこへ、ルポライターの木立省吾が訪れます。
30年前の失踪事件と、早奈江が関与したと思われる事件を調べている省吾は、早奈江の娘、早百合の居場所を突き止めていました。
真相を探る為に、省吾は被害者の兄である一希に同行を求めますが、一希は拒否。
省吾は、一希に自身の名刺を渡して立ち去ります。
省吾は1人で早百合の住む島を訪れ、彼女が働く旅館で聞き込みを開始します。
早百合には良くない噂が多く、省吾は同じ旅館の従業員も早百合を恐れている人が多いという事と、年齢が離れた男性と同居しているという情報を得ます。
早百合と同棲している中年の男、宅間隆は大学院を卒業した優秀な男のようですが、現在は飲んだくれで、女にすぐにちょっかいを出し、早百合にも平気で暴力を振るう男です。
早百合は隆と同居しながら、旅館の客の財布を盗んだり、万引きを繰り返したりなど、荒れた生活を送っていました。
省吾は早百合に接触しますが、彼女が母親の事を語る訳もありません。
一方、黙々と作品に没頭する一希を、漆職人の師匠が訪ねてきます。
師匠は、悪い夢を見る一希の事を心配した様子でした。
師匠は「人の記憶は、事実と違う事がある」と一希を悟し、一希も「事実は一つだけ」と答えます。
30年前、自分が見失った弟には何が起きたのか?
事実を知る為に一希は省吾を訪ねます。
そして省吾の手引きにより、早百合と対面した一希。
ですが、早百合は声を荒げ逃げるようにその場を立ち去りました。
サスペンスを構築する要素①「素性の知れない人達」
本作は、30年前に発生した、失踪事件の容疑者と被害者の家族を巡る物語です。
この作品が他と違うのは、全員が何かを隠している、またはそう見えてしまう事です。
被害者の兄である一希は、本来であれば失踪した弟の真実を解き明かす、観客に1番近い立場でいるはずですが、まるで何かから逃げるように人目を避けて生活しているように見えます。
また、容疑者の娘である早百合も、性格的にかなり問題のある人間となっており、その過去に関しては頑なに口を閉ざしています。
作品全編を通して早百合のセリフは少なく、特に映画序盤は全く口を開かないのですが、旅館を清掃する雑な仕草や、鋭い目つきと人を小馬鹿にしたような表情などで「どういう人間か?」を完全に説明しており、難しい役どころに挑んだ菜葉菜の演技力が光ります。
映画の序盤で比較的素性がハッキリしているのは、ルポライターの木立省吾だけで「30年前の事件を解き明かす」という、省吾の信念が中心となり物語は進行します。
主要な登場人物3人の内、何者かが分かるのは省吾だけ。
これだけでも観客は何とも言えない不安な感覚を抱きますが、ここへ早百合と同居する男、宅間隆が登場します。
どう見てもろくでもない隆の存在がさらに不安を煽り、静かな雰囲気で始まったこの作品は、徐々に狂気を纏っていきます。
サスペンスを構築する要素②「曖昧な記憶が紡ぐ真実」
本作のテーマとなっているのは「記憶」。
作品内でも省吾が語っていますが、人は強烈な体験や苦痛を感じると、その間の記憶を喪失する事があります。
早百合は母親の早奈江に酷い虐待を受けており、子供時代は学校にも通えず、押し入れの中に閉じ込められ、自由に水を飲むことすら許されませんでした。
早百合が発するセリフは少ないですが、どれも人を不快にさせる言葉ばかりです。
彼女は意識していないでしょうが、早奈江から受けた虐待や酷い環境で育った事が、人格形成に強く影響した事が分かります。
一方、一希も弟を見失った際に、両親を苛立たせ、罵倒されていました。
省吾の出現により、一希と早百合の記憶が繋がるようになります。
作品中盤では、その先にある事実が、ゆっくりと輪郭を持ち始めます。
サスペンスを構築する要素③「ハッキリとは語られない事件の真実」
省吾の出現により、繋がれた一希と早百合の30年前の記憶。
ですが、ハッキリとした事件の真相は語られる事は無く、観客は映画の中で提示される情報を繋げて、自ら真相を想像しなければなりません。
ラストシーンで、一希の家で流れているラジオのニュース「60代の男が殺害された」は、早百合が隆を殺害したと思われますが、作中でその事に関して、ハッキリと描かれてはいません。
「真相を全部は出さない」ここが、甲斐さやか監督が狙った部分でもあります。
SNSの普及により、結論を急ぐようなところがある今の時代「実のところ説明しきれないところが一番大切なんじゃないか」と感じた甲斐監督は、その部分を強調して撮影をしています。
また、映画のテーマも、ハッキリとしたメッセージは提示されておらず、ここも映画の情報を拾って行き、観客自身が答えを出さなければなりません。
なので、これは個人的に感じた事ですが、本作で語られている事は「何故?未解決事件が起きるか?」であり、決定的な何かが起きたから未可決事件になる訳ではなく、積もり積もった何かが、未解決事件に繋がるという恐ろしさです。
そして、積もり積もった何かの部分は、本作では、何故か親の愛を受ける事が出来なかった一希と早百合の過去にあります。
作中では、何故2人が親に愛されなかったかは、明確に語られていませんが、これはもう理屈抜きの部分で、人間が持つ本質的な不可解さと、それに伴う恐怖と言えるでしょう。
人間の本質的な部分を、緻密な構成で描ききった甲斐さやか監督。
本作が長編デビュー作とは思えない、恐ろしい才能の登場だと感じました。
映画『赤い雪 Red Snow』まとめ
本作は緻密な構成の他に、計算されたと思われる映像も魅力となっています。
特に、幼い頃の一希が早奈江からお菓子をもらうシーンでは、指を舐める早奈江の口元をアップにし、囁くように「お菓子おいしい?」と一希に問いかけるのですが、子供心に「いけない事をしている」という後ろめたい気持ちを表現しており、観ていて不安になってきました。
また、一希が早百合の顔にビニール袋を被せ窒息させるシーンでは、ビニール袋を被ったまま抵抗する早百合を、引いた映像で撮影しています。
1つ間違えると笑えてしまう所を、ギリギリの線で持ちこたえており、だからこその異常性を感じる印象的なシーンになっています。
本作は主演の永瀬正敏の寡黙な演技や、汚れ役を全力で演じている佐藤浩市などの実力派キャストにより、唯一無二の世界を作り出しており、本当に見応えのある作品でした。
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
アメリカ合衆国大統領選挙の最有力候補となりながら、たった1つの報道で全てを失ったゲイリー・ハートの実話を描く『フロントランナー』をご紹介します。