連載コラム「銀幕の月光遊戯」第61回
映画『許された子どもたち』は、2020年6月1日(月)より、渋谷・ユーロスペース、テアトル梅田ほかにて全国順次公開されます。
『先生を流産させる会』『ミスミソウ』などで知られる内藤瑛亮監督が、構想に8年の歳月をかけた映画『許された子どもたち』。
山形マット死事件など、現実の複数の少年事件から着想を得、いじめによる死亡事件を起こした加害少年とその家族、そして被害者家族の姿を描いたオリジナル作品です。ワークショップ形式で出演者を募り、自主映画として制作されました。
CONTENTS
映画『許された子どもたち』の作品情報
【公開】
2020年公開(日本映画)
【監督】
内藤瑛亮
【キャスト】
上村侑、黒岩よし、名倉雪乃、阿部匠晟、池田朱那、大嶋康太、清水凌、住川龍珠、津田茜、西川ゆず、野呈安見、春名柊夜、美輪ひまり、茂木拓也、矢口凜華、山崎汐南、門田麻衣子、三原哲郎、相馬絵美、地曵豪
【作品概要】
『先生を流産させる会』(2011)、『ライチ☆光クラブ』(2015)『ミスミソウ』(2017)の内藤瑛亮監督が、構想に8年をかけ、自主映画制作として世に放つ待望の新作。実際の少年事件に着想を得たオリジナル作品。
ワークショップ形式で、出演者を募り、実年齢に近い少年少女をキャスティングし、リアルな映像を作り上げた。
映画『許された子どもたち』のあらすじ
ある地方都市で暮らす中学一年生の市川絆星(キラ)は、かつてはひどいいじめを受けたことがありますが、今では数人の仲間のリーダー的存在で、仲間といっしょに同級生の倉持樹を日常的にいじめていました。
ある日、樹を河原に呼び出した絆星は、樹に持って越させた手作りのボーガンで樹を撃ち、殺してしまいます。
ボーガンを河原で焼いて捨て、素知らぬ顔で帰宅しますが、監視カメラが彼らの姿を捉えていたのと、仲間のひとりが証言したことにより、絆星のところにも警察が訪ねてきます。
警察に犯行を自供した絆星でしたが、母親と弁護士に説得され否認に転じ、少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定。絆星は再び学校に戻りますが、「少年院に行けばよかったのに」というクラスメイトの言葉に激怒して暴行騒ぎを起こします。
「不処分」に納得できないとSNSを中心にバッシングが始まり、ネット上で絆星や家族の名前、住所が公開され、絆星の家にはマスコミや野次馬が殺到。
樹の家族は民事訴訟裁判を起こし、絆星の母親は抗議活動を行いますが、かえって火に油を注ぐこととなり、一家は引っ越しを余儀なくされました。
転居しても、その度に住所をつきとめられ、引っ越しを続ける市川家。転校先の学校でも絆星の素性が明らかになり、クラスメイトから激しく糾弾されます。
クラスでいじめれていた一人の女子生徒だけは絆星を慕い、ふたりは心を通わせますが……。
映画『許された子どもたち』の感想と評価
実年齢に近い子どもたちのリアルな演技
ショッキングなファーストシーンとそのあとに続く田園でのシークエンスで、主人公である加害少年・絆星の過去と現在、母親との関係が明確に伝わってきます。言葉の説明は一切なく、映像のみで子どもたちの置かれている状態がリアルに迫ってきて、本作がただならぬ作品であることを予感させます。
田んぼに立つ案山子はどうやら幼い少女の手作りのものらしいのですが、その少女の訴えるような瞳を見た瞬間、絆星の加虐性がむき出しになり、少年たちはスイッチが入ったように暴れ、パトカーのサイレンがなると、一目散に走り出します。
田園と田園の間の一直線の道を疾走していく少年たち。有り余るエネルギーと、それらを持て余していることからくる苛立ち、他者への攻撃性、小さなコミュニティーの中の上下関係などを映画は一瞬のうちに表現します。
美しい緑の田園地帯を行く少年たちの姿は、内藤瑛亮監督の2011年の長編デビュー作『先生を流産させる会』で、少女たちが田園風景に溶け込み一列に並んで歩いていた映像を思い出させます。
のどかな田園風景の向こうには巨大な鉄塔や、高速道路がそびえていて、中学生たちをちっぽけな存在に見せますが、彼らの内面をほんの少し覗き見た観客にとってその行進は、ひどく心をざわつかせるものです。
中学生の暗黒面を描く作品の場合、メジャー作品なら実際より年上の俳優がキャスティングされることが多いのですが、本作では実年齢に近い少年、少女が演じています。
キャスティングはワークショップ形式で行われ、いじめに関してのロールプレイングや即興演劇などで理解を深めながら、カウンセラーも導入し、精神的ケアにも配慮がなされるという万全の体制で撮影が行われました。
実年齢の子どもたちだからこそ表現できる生々しさが映像に満ちており、本作がただならぬ作品であることを確信するのです。
読み上げられなかった意見陳述
本作は1993年に起こった山形マット死事件をはじめ、大津市中2いじめ自殺事件、川崎市中1男子生徒殺害事件など世間を震撼させた複数の少年事件から着想を得ています。
山形マット死事件がそうであったように、本作も一旦自供した少年を母親や弁護士が否認するよう説得し、その結果、家庭裁判所で無罪に相当する不処分とされます。
そのあっけなさにはまったく驚かされます。弁護士は依頼人の望みに応え、結果を出すことしか考えていませんし、司法も少年側の一方的な言葉を聞くのみです。同席を赦された被害者家族には意見陳述をする機会があるのですが、その時は、少年を退廷させることになっています。
被害者家族はこの意見陳述を絆星への「手紙」として読み上げるつもりだったのではないでしょうか。絆星が退廷してしまうと、被害者家族の父親は、声と手を震わせるだけで読むことをやめてしまいます。
もし、この陳述書が読まれ、それに絆星が耳を傾けたとしたら、彼は贖罪の機会をあたえられたかもしれません。しかし、彼は贖罪の機会を逸して、決して「許されない」道を歩むこととなるのです。
『先生を流産させる会』では、担任のサワコ先生が女子生徒たちに対峙し続け、最後まで向き合うことをやめませんでした。そこに僅かばかりの救いを感じることができましたが、本作では、親は子どもを盲信するばかりですし、学校は及び腰、司法は機械的に処理をしていくだけで、本当の意味で、絆星に対峙してくれる大人は誰ひとりとして登場しません。
導き手のない世界で、自力でサバイバルしなくてはならない現代の子どもたち。頼るべき大人の不在は現代社会への警告ともとれます。
匿名で行われる大きな暴力
加害者家族には、マスコミや野次馬が群がり、家の壁は嫌がらせの落書きや張り紙で埋め尽くされます。驚くべきことに被害者家族の家にも同じ様に落書きや張り紙が見られます。損害賠償の訴訟を起こすと、このような嫌がらせが起こるといいます。
さらに匿名のSNSによる被害者叩きもエスカレートし続けます。加害者の氏名を特定し、ネット上にさらしあげ、裁きをくださんとする大きな暴力が描かれています。
また、いじめの被害者の少女を無造作に放置したまま行われる学校の「いじめに関する班ごとの話し合い」は、時間が立つに連れ、「いじめられる方にも問題がある」という言葉が頻出するようになり、担任の教師は次第に子どもたちを制御できなくなっていきます。
絆星を糾弾するクラスメイトの一人はまるで演劇のように身振り手振りで絆星に詰め寄り、この狂騒の担い手として教室を舞うように移動します。これまでのリアルな演出とはまったく趣の違う戯画的な展開と、狭い教室を自在に動くカメラワークにより、集団ヒステリーのような怖さが強烈に立ち上がってきます。
これらは、コロナ禍でクローズアップされた「自粛警察」やSNSを中心とした行き過ぎた誹謗中傷により起こった実際の痛ましい事件をいやがおうにも連想させ、社会の闇をひしひしと感じさせます。なにかの拍子に加害者にも被害者にもなりうる問題として、傍観してはいられなくなるのです。
まとめ
主人公の絆星を演じた上村侑は鋭い目つきでワイルドな雰囲気を漂わせていますが、母親にとっては良き息子で、二面性のある難しい役どころを存在感たっぷりに演じています。
母親の真理役を演じる黒岩よしはソウル五輪の日本代表の競泳選手という経歴の持ち主。息子を盲愛しており、罪を罪と認めることができない母親を熱演しています。
この息子と母が別々の場所で必死に駆け巡るシュチュエーションは、絶対に会えないということでの断絶と、それでもシンクロしているという絆の両方を連想させ、ふたりの関係を明瞭に表わしています。
本作は、犯罪多発地区のパリ郊外の町を舞台に、現代社会が抱えている闇と子どもたちの怒りの姿を描き、第72回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したラ・ジリ監督の『レ・ミゼラブル』などと共に語られていくべき作品といえます。
映画『許された子どもたち』は、2020年6月1日(月)より、渋谷・ユーロスペース、テアトル梅田ほかにて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
2020年6月19日よりテアトル新宿他にて全国順次ロードショーされる映画『いつくしみふかき』を予定しています。
お楽しみに。