連載コラム「銀幕の月光遊戯」第30回
50年連れ添った夫婦がまさかの離婚?!
西炯子の漫画を倍賞千恵子、藤竜也、市川実日子のキャストで映画化。3人の子どもを育て上げ、猫のチビと共に、夫婦2人で穏やかな晩年を送っていたはずの勝と有喜子でしたが…。
『毎日かあさん』、『マエストロ!』などの作品で知られる小林聖太郎監督がメガホンを取り、猫の失踪を機に初めてあかされる夫婦の真実をコミカルに感動的に描くヒューマンドラマ『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』は、5/10(金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座他にて全国ロードショーされます。
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映画『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』のあらすじ
3人の子供が巣立ち、勝と有喜子は人生の晩年を夫婦ふたりで暮らしていました。
勝は、たまに名誉職の仕事で出かける以外は、近所の碁会所で囲碁を打つ日々を送り、有喜子は韓流ドラマの再放送を観たあと、晩ごはんの買い出しに行くのが常でした。
碁会所の前を通った有喜子は、勝の姿を認めて、手を振りますが、勝は知らん顔。
帰宅した勝は、有喜子に靴の紐を解いてもらい、上着を廊下に脱ぎ捨てて部屋へと入っていきました。
頑固で無口な彼は妻の話も聞いているのかいないのか、まともに返事もしない絵に描いたような昭和の男です。
有喜子の話し相手は飼い猫のチビだけ。チビは家に来てからもう13年にもなるおとなしい黒ネコです。ある日、有喜子の心の拠り所だったチビがいなくなってしまいます。
家の近所に住んでいる末娘の菜穂子が探してくれたペット探偵社に頼み、ポスター貼りや、かごを仕掛けてもらいますが、チビはなかなか帰ってきません。
勝は「ネコは死に場所を探して出ていくもんだ。もうチビは死んでいるよ」とぶっきらぼうに言います。でも有喜子は、チビは生きていてちゃんと帰ってくると信じたいのです。
ある日有喜子は、菜穂子に「お父さんと別れようと思っている」と告げました。驚いた菜穂子は、姉の祥子と兄の雅紀に相談。久しぶりに3人の子供が帰ってきて、すき焼き鍋を囲む家族。
子どもたちは、原因を探るため、父に質問しようとしますが、なかなか言い出せません。結局姉も兄も母さんの好きなようにやらせればいいんじゃないかなと言って翌日逃げるように帰っていきました。
2人はこのまま本当に別れてしまうことになるのでしょうか?
映画『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』の感想と評価
西炯子の傑作漫画が原作
幅広い層に人気を持つ漫画家、西炯子が、女性漫画誌・増刊フラワーズの2013年冬号から2015年夏号に発表した『お父さん、チビがいなくなりました』(小学館フラワーコミックスα刊)が原作となっています。
西炯子原作映画と言えば、これまでにも、榮倉奈々と豊川悦司が初共演した『甥の一生』(2015/廣木隆一監督)、鹿児島県を舞台にした青春群像劇『STAY』(2007/古田亘監督)などが思い出されます。
個性豊かなキャラクターの心の動きが丁寧に描かれるのが西炯子の作品の魅力の一つですが、本作にはそうした西炯子ワールドを表現するのにふさわしい錚々たる俳優がキャスティングされています。
老夫婦を演じるのは、倍賞千恵子と藤竜也。倍賞千恵子のどこか可愛らしささえ感じさせる佇まい、日常の生活の中で孤独を抱えていく姿にすっかり感情移入してしまう人も多いことでしょう。
一方の藤竜也は、きっちりした身なりで外出するダンディーな老紳士。しかし、家に帰ると背広は廊下に脱ぎ捨て、自分では何もしません。この世代の男性らしい頑固で不器用な様を絶妙に表現しています。
市川実日子が、両親、とりわけ母親を心配する心優しい末娘を演じている他、その姉を西田尚美、兄を古市漫太郎が演じ、短い出番ながら、存在感を示しています。
夫婦の関係に波風を起こす女性を星由里子が演じていますが、本作が遺作となってしまいました。
上質な夫婦映画
倍賞千恵子演じる有喜子にどっぷり感情移入してしまいました。
作品自体は、穏やかで暖かな雰囲気をずっと維持しているのですが、きゅっと心が痛むような哀しみと怒りのような気持ちを持ちながら、前半は映画の画面に釘付けになっていました。
画面の中の有喜子は、激しく感情を露にしているわけではなく、むしろひょうひょうとしているように見えるのですが、そこから漂ってくる孤独感が、ぐっと胸に迫ってくるのです。あるいは、その心情を激しく想像させられるのです。
倍賞千恵子という名優が醸し出すものにすっかり呑み込まれてしまったのかもしれません。
『毎日かあさん』(2011)などの作品で知られる小林聖太郎監督は、誰かを糾弾したり、一方に肩を持ったりするようなことはせず、二人の規則正しいともいえる日常を丹念に描いています。
妻が、煮物を作ったり、魚を煮付けたりしていると、そこを離れなければならない用事が頻繁にでき、そのたびにきちんとガスの火を消す妻の姿が描かれます。
そんなきちんとした妻なのに、ぼーっとしていて魚を焦がしてしまう・・・。
そうしたささやかなエピソードの積み重ねの中に、孤独が宿っていく様がリアルに映し出されていくのです。
不在の猫に関するやり取りが、夫婦の溝を深めてしまうのですが、猫にまつわる夫のある行動に胸がキュンとしてしまう人も多いのではないでしょうか。
あるものと、夫婦の視線のやり取りだけが交わされるショットなのですが、この人物の本来の人柄が想像でき、こわばった心が氷解していくようでした。
もっとも、映画の中の夫婦はこのエピソードだけではまだまだハッピーエンドにはならないのですけれど。
懐かしい映画の香り
夫が無口で素直に感情を表さないために、夫婦間に亀裂が入るといえば、小津安二郎の『お茶漬けの味』(1952)を思い出してしまいます。
『お茶漬けの味』の妻、木暮実千代は本作の倍賞千恵子とはまったく性格が違う気の強い女性で、夫の佐分利信も藤竜也とは違い、物静かでおとなしい男性なのですが、夫婦間の心のすれ違いの原因は同じと言っていいでしょう。
妻たちは決して多くを望んでいるわけではなく、ちょっとした優しい一言、ちょっとした愛の証が欲しいだけなのですが、シャイな日本男児である彼らは、そうした表現を絶対にしようとはしません。
かけられるべきなのにかけられない言葉、言葉遣いのちょっとした失敗、配慮の無さが、妻の心に孤独を生み、大きな問題になっていってしまうのです。
本作が、こうした昭和の名作を連想させるのは、劇中、昭和30年代前後らしき過去のシーンがモノクロで登場するからです。牛乳スタンドに勤める若き日の有喜子と、その客である勝。その光景が小津や成瀬映画のような懐かしい感じを醸し出しています。
また、エンディングに流れる歌が笠置シヅ子であることから、小林聖太郎監督もあえてそうした名作にウィンクを送っているのではないかと推察されるのですが、果たしてどうでしょうか?!
末娘から話を聞き、両親の危機に戸惑いながらも、日々の忙しさ故に逃げるように去っていく姉と兄は、まるで『東京物語』(1953)の子どもたちのようです。
小津映画の時代からもう何十年もの月日が経っているというのに、日本の家庭の根底にある問題はたいして変わっていないのでは? 勿論、変化したもののほうが圧倒的に多いのでしょうが、そこに流れる日本独自の文化、慣習の根深さをひしひしと感じさせるのです。
まとめ
昨今封切られた映画では、『キャプテン・マーベル』(2019)が猫映画でしたし、4Kレストア版で公開されたジャン・ヴィゴの『アトランタ号』(1934)も、まさかの猫映画でした。
そんな作品と並び、本作も猫映画として多くの人の記憶に残るだろうチャーミングな作品になっています。
チビは13歳のおばあさん猫という設定ですが、実際チビを演じた猫は撮影時4歳だったそうです。4歳とは思えない落ち着きと風格が感じられます。
そんな大切なチビがいなくなってしまいました。妻の孤独は深まっていくばかり。果たしてチビは再び姿を見せてくれるのでしょうか。
そしてタイトルの「初恋」にはどういう意味が込められているのでしょうか?!
『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』は、5月10日(金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座他にて全国ロードショーされます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
5月17日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷他にて全国ロードショーされる『アメリカン・アニマルズ』をお届けします。
お楽しみに!