連載コラム「映画道シカミミ見聞録」第65回
こんにちは、森田です。
今回は、2022年3月11日(金)にTOHOシネマズ シャンテほかで公開されたアニメーション映画『アンネ・フランクと旅する日記』を紹介いたします。
第2次世界大戦下、ナチスの迫害を逃れながら、隠れ家で“空想の友だち”キティー宛てに日記をつづっていたアンネ・フランク。
不朽の青春文学であり、2009年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録された『アンネの日記』が、キティーの視点から現代に甦ります。
ここでは、アンネの居場所を問う原題の意味とメッセージを読み取ることで、日記の“続き”を考えていきます。
CONTENTS
映画『アンネ・フランクと旅する日記』のあらすじ
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
1942年6月12日、アンネ・フランクは13歳の誕生日に父・オットーから贈られた日記帳にそう記して、日記を書き始めました。
“あなた”とは日記帳であり、のちに“キティー”と呼ばれるようになります。
本作では、そのキティーが日記から飛び出し、「アンネとの記憶」と紡がれることのなかった「その先」を旅して探していきます。
舞台は現代のオランダ・アムステルダム。激しい嵐にもかかわらず、人々は『アンネの日記』の現物を見ようと、博物館の前に行列を作っています。
すると突然ガラスケースが割れ、万年筆のインクがノートに滴るや否や文字が動き出し、キティーが姿を現します。
アンネをはじめ隠れ家に住んでいた8人の名を呼んでみるも、周囲に写真が展示されているだけで、返事はありません。
しかし日記を開くと一気に過去へとさかのぼり、そこでアンネと再会を果たします。
件の誕生日から、隠れ家への引っ越し、そしてそこでの暮らしぶりを感情豊かに語るアンネに、キティーは耳を傾け寄り添います。
ところが博物館が開館し、日記がキティーの手を離れると、アンネは目の前から消えてしまいます。
アンネを探しに街に繰り出したキティー。博物館の来場者には見えなかったキティーの姿も、外では人々から確認できるようです。
道行く人に「アンネはどこ?」と尋ねると、“アンネ”は街中にいました。
キティーは“アンネ・フランク”の名を冠した橋、学校、劇場を駆け巡り、その足跡を追っていきます。
「アンネ」をめぐる旅
本作の原題は『Where Is Anne Frank』です。後述するようにこれには幾重もの意味が込められています。
1つはもちろんキティーの問いで、彼女は「尋ね人」をしながら徐々に時空を飛び越えたことに気づいていきます。
それとともに、日記が近くにないと自分の存在が消えてしまうことも知り、キティーは博物館から日記を持ち出し、リュックに入れて肌身離さず行動することにします。インクは同時にキティの血でもあるのです。
これが国家を巻き込む大騒動となり、キティーみずからも尋ね人になってしまうのですが、ゆく先々での出会いをとおして、着実に歩みを進めていきます。
それを順に見ていきましょう。
橋
キティーは警察の追跡から逃れた運河沿いで、アンネ・フランクの像を目にします。
警察無線では、当時の古いファッションをしている少女を探すようにと指示が出ており、確かにこの銅像のような恰好では目立ちます。
そこでキティーは博物館に隠されていた家財を手にアパレルショップに行き、店員に流行りの服を見繕ってもらいました。
当世風になったキティーがつぎに向かったところは、学校です。
学校
学校では生徒に紛れて図書館に入り、片っ端からアンネに関する本を読み漁っていきます。
それと日記を照らし合わせていくと、おかしな個所がありました。本人の日記なのに、父のオットーによる注がつけられていたのです。
司書の先生にこの“間違い”を指摘したところ、キティーはついに真実を知ることになります。
日記はアンネ亡き後に、隠れ家での唯一の生存者であったオットーによって出版されたことを。
泣きじゃくるキティーに対してその司書は、オットーの書いた本を手渡し、日記の“その後”を知る術を示します。
劇場
キティーはその足で劇場に忍び込み、アンネの人生を描いたという舞台の一部を観ます。
しかしながら、そこでのやりとりは自分が見てきた事実とは違うもので(偽善的に脚色されたもので)、キティーはその場で異を唱えます。
いわく、アンネは人間は善だと言ったのではない。これほど人間の邪悪な面を見てきても、なお心の底で信じてきたものが、人間の“善”なのだと。
そのときすでに全国手配されていたキティーはすぐに身元が割れ、再び街へと逃げ出します。
現代の隠れ家=難民
キティーは捕まる寸前のところで、ある少年に救われます。
かつてアンネが隠れ家で恋をしていたペーターにどこか似ている少年は、キティーを古びたアパートに連れていきます。
そこには大勢の難民たちが身を潜めて暮らしていました。アンネと同様、戦禍をまぬかれて“隠れ家”にやってきた人々です。
キティーは、舞台ではなく自分の目でアンネの人生を確かめるべく、少年とオットーの書籍を頼りに、1944年8月1日で終わっている日記の続きを求め列車に乗り込みます。
1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼン収容所に送られました。
自分の未来を知りつつも、列車内では久しぶりに見た空に目を細め、束の間の安らぎを得ていたというアンネ。
喧嘩ばかりしていた母親とも、収容所の強制労働で互いに支えあうことで、これまで以上に絆を深められたといいます。
まず母が死に、つぎに姉のマルゴーが亡くなり、最後にアンネも15年の短い生涯を終えました。
収容所が連合軍によって解放されたのは、その約1カ月後でした。
原題の意味=私はアンネ
少年とアパートに戻ったキティーは、さらにその続きを見つけます。
隠れて生きざるを得ない人々も、見つかったら強制送還される状況も、今もなお、ここにあるのではないかと。
キティーは「I AM HERE」とスプレーで書いた大きな帆を気球の要領で空高く飛ばし、警官を招き寄せます。
そして日記と引き換えに、難民たちにこの国で生きる権利を与えるよう迫ります。
アンネは名を残すためだけに日記を書いたのではない。この街の施設や建物には多くの“アンネ”がいるようだが、いま目の前いるアンネたちを無視して何を言っているんだ、という怒りを込めて。
これが原題の「アンネはどこ?」にもかかっています。
「私はここにいる」の“私”は、日記を持つキティー、アンネのような立場に置かれた難民、そしてその他の声なき人々の3重の意味をもっています。
消えたキティーと2つのメッセージ
警察は同意し、彼らに市民権を与え、日記を取り返しました。
でも、キティーの血である日記が手元からなくなれば、その身の存在も危ぶまれます。
恐怖におびえるキティーに対し、少年は「すべての旅を終えたから実像を得たはずだ」と言ってなだめます。
半身であるアンネの人生を知り尽くし、完全な人格を手に入れたというわけですが、キティーは徐々にばらばらの文字となっていき、消えてゆきました。
ここに本作の真のメッセージが2つ確認できます。
① 終わらない旅
1つは、「まだ旅は終わっていない」ということです。
世界中を見渡せば、“隠れ家”はなくなるどころかより数と複雑さを増しています。
さすがに帝国主義的な戦争はもう起きないだろうという楽観は、ロシアのウクライナ侵攻(ウクライナ危機)によって崩されました。
キティーが自分の目で事実をとらえていったように、私たちの目が世界にあまねく行き渡らないかぎりは、人類は永遠に半身のままです。
② 日記は書くもの
もう1つは、「日記を書き続けなくてはいけない」ということです。
日記は本来、読むより先に書くという行為を求めています。
つまり出来事を我が事として受け止め、主体的に考えるよう促す装置です。
ペンは剣よりも強し、というのは本当です。
権威主義にしても全体主義にしても、支配者側は武力だけでは勝てないと認めているからこそ、表現の自由を規制しようと躍起になるのです。
アンネが解放を待ち望み、民主主義を希求した日記の続きは、私たちがそれぞれの譲れない領域のなかで書き進めていかなくてはなりません。
1944年4月5日のアンネの日記には、こう記されています。
わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。(…)わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!
SNS=人類の日記
2022年のウクライナ危機では、市民が脅かされる日常をSNSにアップすることで、軍隊と戦っています。
SNS時代では、誰もが世界に影響を与えられる“日記”の書き手となりうるのです。
また無数に紡がれる「匿名の日記」は、アンネの日記を博物館にしまうのはまだ早いことを人類に教えてくれています。