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Entry 2018/12/29
Update

【ネタバレ解説】映画『こんな夜更けにバナナかよ』感想と内容の考察。原作から主題を深掘りする|映画道シカミミ見聞録28

  • Writer :
  • 森田悠介

連作コラム「映画道シカミミ見聞録」第28回

こんにちは。森田です。

『万引き家族』がカンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した2018年。その年の瀬にも、力強いメッセージを放つ「疑似家族」映画が公開されました。

(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、筋ジストロフィーを抱えながら自立生活を送った実在の人物・鹿野靖明と、彼を24時間体制で支えるボランティアたちの実話に基づく物語です。

ここでは原作ノンフィクションも読み解きながら、言葉を武器に人生を闘い抜いた彼が残したものを詳しく確認していきます。

【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら

映画『こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話』のあらすじ
(前田哲監督 2018年)

筋ジストロフィーとは、筋肉のなかのタンパク質に異常が起き、時間の経過とともに筋肉が徐々に壊れていく遺伝性の疾患です。

症状が進行するにつれ、心臓や呼吸器といった内蔵機能も低下し、生命活動に大きな影響を及ぼすようになります。

本作の鹿野靖明さん(大泉洋)も、呼吸困難に陥ってからは人工呼吸器を取りつけ、生活様式が激変しています。

それまで彼は自由闊達にしゃべり、「言葉」を意思表示のための“器官”として駆使してきました。

全存在を託した言葉は、ときに周囲のスタッフとぶつかることも。

真夜中に「バナナを食べたい」と訴えられた美咲(高畑充希)もそのひとりで、「こんな夜更けにバナナかよ」というツッコミは、その瞬間と感情をとらえたものです。

前田哲監督と大泉洋のメッセージ

(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

たしかに真夜中にバナナを買ってこいとは、無理な注文に聞こえます。

しかし「バナナを食べたい」という気持ちは、はたして「わがまま」といえるでしょうか。

鹿野を演じた大泉洋は、パンフレットのインタビューにこう答えています。

「彼が目指したのは、障害があっても普通の人と同じようなことができる世の中。だって“真夜中にバナナを食べる”ってことも、健常者にとってはわがままではない。食べたくなった時は食べればいいわけですから」

だれでもお腹がすくときはすきますし、「なにかをしたい」という欲求自体は否定されるべきものではありません。

つまりこの場合において「わがまま」に見える言動があるとすれば、それはその人の“本質”ではなくて、「できない」という“環境”を浮かび上がらせているに過ぎません。

自分もみんなもおなじ人間である。おなじことを思う。でも、自分にはできない。その場合、どうすればいいのか?

前田哲監督は、本作は「闘病記ではない」としたうえで、このように述べています。

「未来がないと宣告された男が、未来にやりたいことをたくさん考えて、あえて闘いを選んでいくわけです」

原作ノンフィクション「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」 より

文春文庫/2013年

鹿野「だって、さらけ出さないと他人の中で生きていけないわけでしょ。できないことはしょうがない。できる人にやってもらうしかない」原作文庫P8

本作は2003年に刊行され、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した書籍『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』を原作にしています。

できないことは、やってもらう。

まずこれが、鹿野が病院を出てから自立生活で立てた指針のひとつです。

つづいて、原作の文春文庫版を参考に、鹿野の“闘い”をより詳しくみてきましょう。

バナナ事件の真相 自分探しとボランティア

文字どおり彼の手足となって働くボランティアの人々の動機はなんでしょうか。

じつは前述の“バナナ事件”は、実際にはもうすこし複雑な事情が絡んでいます。

不満を溜めこみ、なかなか素顔を見せないスタッフのひとりに、鹿野がその姿勢を変えるきっかけを与えたともいえるのです。

鹿野「コイツは自分の殻を割らないんだな。『自分探し』をやってんだなって、そう思って、あきらめるしかないね。いや、あきらめるって言うより、『自分探し』やってることは変わるかもしれない。その可能性をオレは待ってる」P45

彼のもとに集まるボランティアは、彼の姿のうちに「自分」を見いだそうとする若者も少なくなかったようです。

著者は別のところで解説を加えています。

「『社会変革型』というよりは、『自分探し型』のボランティアが主流であり、彼らにとってボランティアは、社会的・制度的な問題意識からではなく、もっと個人的で内面的な問題と結びついている気がする」

「それはおそらく、80年代を契機に、世代共通の問題意識といったものがなかなか成立しづらくなり、個人と個人が分断して、一人ひとりがバラバラに悩みを抱え込むようになった時代の変化と無縁ではないだろう」P155

“自分探し”とは、その言葉からして「自分」が自己の外にいることをうかがわせます。

つきあわされる側からすれば、なにを考えているのかわからない、もっと「自分」を出してくれと感じるかもしれません。

「何が許せて、何が許せないか、ということに、その人の『自我』があらわれるからだ」P124

バナナを求めて怒りをぶつけられたら、そのひとの性格もわかりますね。

「普通」とはなにか ノーマライゼーションの実際

鹿野「ボランティアは一人ひとり、考え方も違えば、価値観も違う。それから、今は健常者だって生きていくのが大変な世の中だから、失恋した、親が離婚した、お父さんがリストラされた……いろいろあるさ」P47

健常者と障害者、介助者と被介助者、立場は違っても「人間」として抱えているものに大差はありません。

みんな違ってみんな辛い。そんなみんなが“フツウ”に暮らしている社会。

鹿野が人工呼吸器をつけてもなお自宅で生活をつづけたのも、その様式や条件を通常の住環境に近づけるノーマライゼーションの一環でした。

「この語の根幹を成す『ノーマル=普通』の意味を、じつは誰も正確には語れない。障害者の生活を『フツウ』にするというが、かたや健常者にとっては、今や『フツウに生きること』の価値が揺らぎ、その意味が見失われている時代でもある」P475

その意味では、1980年のアメリカ映画『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)がすでに、“フツウの家族”に潜む亀裂や断絶をあらわにし、多くの人々が信じてきた“フツウ”が崩壊しつつあることを告げていました。


TM, (R) & © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

“フツウ”を見失った社会においては、もはやその視点から健常者と障害者をわけ隔てることはできず、互いがおなじ環境のなかで意見を述べあうことが、社会全体の福利向上につながるでしょう。

「ある日、ある瞬間から、人間どうしが劇的に理解し合えるようになることは、おそらくあまりない。対立や和解を何度も繰り返しながら、振り返ると、いつのまにかわかり合っていた、認め合っていた、というのが本当のところではないだろうか。(…)真の『ノーマライゼーション』というのもまた、そのようなものなのだろう」P311

「自立」とはなにか 自立生活の理念

しかし、ボランティアの支えなくしては成り立たない生活が、本当に“フツウ”なのか、本当に“自立”なのかと疑問に感じることもあるはずです。

たしかに、鹿野の生活は他者によって管理されています。

「鹿野は24時間、他人の介助なしには生きていけない。さらにここでは、『IN―OUT表』『睡眠リズム表』などにより、食べたものの量、飲んだものの量、尿の排泄量、睡眠時間にいたるまで、すべての欲求を鹿野は管理されている。プライベートはないに等しいし、ここでは、恋さえも隠せない」P86

これらの様子は、作中の美術や小道具に再現されています。また実際に鹿野が住んでいた札幌市の平屋「山の手団地1号棟」の一室で撮影もおこなわれました。

“恋さえも隠せない”というのは、劇中ではオリジナルの挿話として、退院記念パーティーの最中に鹿野がボランティアの美咲(高畑充希)にプロポーズをする場面で問われています。

みんなが見ているし、と動揺する美咲に対して、鹿野は言います。

「オレはいつだってみんなに見られながら暮らしているんだ」

もっともプライベートな範疇に属す恋愛や性愛も他者と共有するしかない鹿野の暮らし。

それでも、自立の契機はあるのです。

1970年代のアメリカ障害者運動を牽引し、障害者自立生活センターを設立したエドワード・ロバーツ(ポリオのため首から下がマヒ)は、それをこのようにとらえました。

「『自立』とは、自分で収入を得て、自分で何でも行えることではなく、自分の人生をどうしたいかを自分で決めること。そのために必要な支援を社会に求めるのは当然の権利である」P202

さきに「できないことは、やってもらう」という指針を確認しましたが、つぎに「自分の人生は自分で決める」ことが加わります。

鹿野は1982年、22歳のときに、ボストンの自立生活センターで障害者サポートにあたっていたエド・ロング(自身も筋ジストロフィー)を北海道に招いて、直接その理念を学んでいます。

「エドさんにとって、自立とはどういうことなんですか」

「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。(…)健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。一番だいじなことは、精神的に自立することなんだ」P209

“普通の人々”などいない。だれもがなにかしらの助けを借りながら生きている。

問題は「自立」と「依存」の二項対立ではなく、あくまでその“度合い”に応じたサポートを求めるということです。

「個性」とはなにか できないことの力

(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

北大の医学生である田中(三浦春馬)は、“自分が助けなくては”という責任感に長くとらわれていました。

その結果、自分は優しくない、患者と向きあう資格がないと自信を失ってしまいます。

鹿野はそんな彼に対し、まったくなにを言っているんだというふうに言い聞かせます。

「人はできることより、できないことのほうが多いんだよ」

ひとはそれを「個性」と呼ぶのではないでしょうか。

ひとりの人間ができることなど、たかがしれています。たとえば1日のうち、自分の力だけでおこなえることなど、どれほどあるでしょう?

通勤に使う電車、バスは自分では運転できません。デスクで向かうパソコンも、自分で組み立てたわけではありません。電話も椅子もそうでしょう。お昼に食べるお米や野菜は農家が代わりにつくっています。

このように列挙していけば、たった1日でも膨大な数の“できないこと”が積み重なるはずです。

複雑化した社会では、まさに全員が「できないことは、やってもらう」を実践しているわけですね。

つまり「自分ができないこと」を自覚することが「自分」を認識するうえで必要であり、“自分探し”の終着点を強いて言えば「自分に残されたもの」になるでしょう。

だから、これができない、あれができないということを、まったく恥じることはありません。

それはむしろ、自分が自分に近づくためのプロセスであるともいえます。

存在と言葉

(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

体が不自由な鹿野に残されたものとは「言葉」であったはずです。

気管を切開し、人工呼吸器を取りつけると話せなくなると言われていたところ、彼は独自に発声法を見つけて、再び声を手に入れました。

ここまで述べてきたように、自立すること、すなわち自分のことは自分で決めることは、意思表示のための「言葉」がすべてです。

そこでは言葉は文字どおりの「命」となって、「存在」と同義になります。

作中では「言葉が唯一の生きるための武器」と表現されていますが、これは身障者にかぎらず当てはまることです。

鹿野がボランティアの気を引くために狂言じみた言動をとるのに対し、美咲も恋人の田中の気持ちを離さないために自分は教育大生であるという嘘をついていました。

どちらも生きるために必死だからです。おのれの実存がかかっているからです。

言葉は武器である以上、ひとを傷つける可能性を絶えずはらんでいます。

生きることの宿命

1997/1/8の鹿野の日記

「人間は何のために生きているんだろうね。死に向かって生きています。誰でもみんな死んでいきます。生きるって何なのだろうね。何のために人間は、自分と格闘して生きているんだろうね。社会を生きぬくのは本当に大変だなと思います」P51

鹿野はボランティアとのあいだでノートを交わし、口にはできなかった思いなどを記していました。

彼は死のうと考えても、手を借りなければ行動に移せません。

ひとりでは生きられないし、ひとりでも死ねない。

「なぜ生きるか」という問いはそもそも、みずからの生を自分でコントロールできる者の発想であると気づかされます。

現に生き、これからも生きざるをえない鹿野にとっては、「死」ではなく「生」こそが宿命だったのではないでしょうか。

彼はその宿命に対し、ボランティアとの家族関係を形成し、コミュニケーションの要である「言葉」をもって闘いつづけました。

言葉を蒔くひと


(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

原作者の渡辺一史氏は、鹿野が中学生のころに入所していた八雲病院に取材に訪れた際、筋ジストロフィーの今本岳憲と出会います。

彼は親指一本でパソコンを操作できるスイッチを使い、ブログを開設し、病院での日々を文章や写真で発信していました。

渡辺氏は彼が亡くなったいまも、ときおりブログを開いては、このような感情に揺さぶられるそうです。

「今本くん。きみは不自由な体を引きずりながら、かろうじて動く右手親指だけで、1文字1文字パソコンに文字を刻み込むことをやめなかったね。きみにとって『書く』とはいったい何だったのか、きみは本当は、何を書こうとしていたのだろうかと、真夜中にふと考えてみる」P347

鹿野がノートに思いをつづったように、彼もまた「言葉」に全存在を賭けていたことがうかがえます。

ひとつは、体は不自由でも心は自由であることを証明するために。

もうひとつは、人間は遺伝子だけを残す存在ではないことを伝えるために。

言葉という種を人々の心に蒔き、社会で開花させることのできるのも、また人間です。

むしろ、それこそが他の生物のなかでも人間らしさを決定づける特徴であるかもしれません。

「鹿野靖明」というひとつの生命は、2002年にその活動を終えました。

しかしどうでしょう。2018年の現在にも、わたしたちは「鹿野という存在」を目にしているではないですか。

彼の闘い=言葉は社会で芽吹き、より大きく育てられることを待っています。

それは前田哲監督がパンフレットで語るとおりです。

「映画を観た後、ふっと何かを考えたり口にする、そんな人が一人でも増えてほしい。『職場や家庭で1本の映画が話題になる、それだけで社会を変える出発点になる』と言ったのはビリー・ワイルダーですが、この言葉を僕は信じ続けたいと思っています」

本欄での連載コラムも、そんな言葉の軌跡となることを願いつつ、2019年もさまざまな映画をお届けできたらと思います。

皆様もよいお年をお迎えください。

【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら

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