連載コラム「永遠の未完成これ完成である」第8回
映画と原作の違いを徹底解説していく、連載コラム「永遠の未完成これ完成である」。
今回、紹介するのは、映画『影裏』です。
第157回芥川賞を受賞した、岩手県在住作家・沼田真佑の小説『影裏』を、岩手県出身の大友啓史監督がオール岩手で撮影、映画化。
ある日突然、姿を消した親友。いなくなって初めて知る親友の裏の顔。哀しみも過ちも、大切な人のすべてを愛せますか?
映画と原作との違いを比較し、『影裏』の世界をより深く考察します。
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CONTENTS
映画『影裏』のあらすじとネタバレ
東日本大震災後、今野は勤務先の薬品会社の倉庫にいました。まだ電気が全面復旧されていない薄暗い部屋で、沿岸への支援物資の仕分けを急ぎます。
テレビからは、震災の犠牲者数、避難所の生存者名、仮設住宅のニュースが流れています。
浮かない顔で、帰宅しようと車を出す今野の前に、パートの西山が飛び出してきます。「今、ちょっと時間いいかな」。
盛岡の町は、街灯も信号機も消え、人も車の気配もなく、暗く沈んでいるようでした。
コーヒーとスイートポテトが上手いと評判のカフェで、西山は今野に言います。「課長、死んじゃったかもしれない」。
西山が言う「課長」とは、同じ会社で働いていた「日浅」という男のことでした。
1年半前、今野は転勤で盛岡に移り住んできました。慣れない地で戸惑う今野に、岩手の釣りや酒を教えてくれたのは日浅でした。
気付けば今野にとって日浅は、ただひとり心を許せる特別な存在となっていました。
今野と日浅の出会いは、大雨の日でした。会社で煙草を吸う日浅に、注意をする今野。日浅の掴みどころない受け答えで、上手く交わされてしまいます。
それから会社で何度か顔を合わるようになった2人は、同い年ということもあり距離は自然と縮まっていきました。
その日もひどい雨でした。今野は、アパートでの回覧板の入れ方が悪いと、近所のおばあさんに怒鳴り込まれていました。方言でまくし立てられ、呆気にとられる今野。
おばあさんが帰った後に現れたのは、日本酒の一升瓶をかかげた日浅でした。山火事の焼け跡を見て来たという日浅は、少し興奮しているようでした。
そして日浅は、「釣り行くべ、教えてやっから。身ひとつで来いよ」と、今野を釣りに誘うのでした。
美しい自然の中での川釣りは、今野にとって心躍る体験でした。何より、丁寧に教えてくれる日浅の釣り姿に見惚れてしまいます。
このポイントでは珍しいニジマスが釣れると、日浅は「おめぇ、どっから来たんだ」と、川に戻してやりました。日浅の初めて見せる顔に、気を許してくれた気になります。
季節は夏。盛岡では、さんさ踊りが行われます。太鼓の音に誘われ、祭りを楽しむ2人。
休みの日には、釣りに出掛けたり、映画、古本屋、カフェと街歩きを楽しみました。日浅の影響で、止めていた煙草もまた吸うようになっていました。
季節は冬。雪の積もる川釣りも、静かで良いものです。その時期、変化は突然やって来ました。
ある朝、今野が会社に出勤すると、日浅が会社を辞めていたのです。自分に何の相談もなく辞めたことへの不信感が残りました。
そして再び夏が来ます。今野は自分で見つけた釣りポイントで、ひとり川釣りを楽しんでいました。釣りの手つきも慣れたものです。
ある日、今野のアパートを日浅が訪ねてきました。髪を切った日浅は、サラリーマンの出で立ちで名刺を差し出してきます。
日浅は前の会社を辞めてすぐ再就職していました。互助会の営業の仕事は、ノルマは大変だけど感謝される良い仕事だと、岩手でナンバーワンとなった賞状を見せてくれました。
再び2人の時間が動き出します。日浅は再び一升瓶の酒をかかげ、今野のアパートにやってきました。
最近の互いの釣り話で盛り上がり、酒も進みます。そのまま眠り込んでしまう2人。ふと目が覚めた日浅。寝ている今野の方を見ると、胸の上に小さな蛇が乗っています。
「今野、今野」。寝ぼけた風の今野の上から蛇を取り上げ、窓から捨てます。ぼぅとする今野を「どうした?」と覗き込む日浅。
今野は、衝動のまま日浅に抱きつき、キスをし押し倒します。「まじ、やめろ」。日浅の声で謝る今野。それでも、日浅は帰らず泊まってくれました。
次の朝、日浅は「お前の川に連れてけよ」と、楽し気に今野を釣りに誘いました。
そのポイントは川の上流の方で、森の中を通って向かいます。途中、大きなミズナラの木が苔をまとい横たわっていました。「でけぇ!」。
「死んだ木に苔がついて、また新しい芽がでる。それの繰り返しだ。俺らは、屍の上に立ってんだ」。日浅は高揚しているようでした。
その日の釣りは穏やかなものでした。「雑魚ばっかだな」と魚をリバースしながらも、楽しそうな日浅に、今野も昨夜のことは口に出しませんでした。
それからしばらくして、今野はアパートの前で日浅の姿を見つけます。日浅は自分を随分待っていたようでした。
「今野、すまねぇ。互助会入ってくんねぇか。もうお前しかいねぇんだ」。今野は、「実際いいなぁって思ってたから」と一口入会を承諾します。
満月の夜でした。「鮎かけ、すっから来いよ」。日浅は、契約のお礼にと今野を夜釣りに誘ってきました。
夜の川釣りは初めてでしたが、少しは釣りに慣れていた今野は、テーブルにイスにコンロ、つまみも用意して向かいます。
そんな今野の様子を、「ままごとかよ」とバカにする日浅。この夜の日浅は、陰鬱で攻撃的でした。日浅の勧める酒を断り、今野は先に帰ります。日浅がこだわった流木の焚火が、ちらちらと目の奥に残っています。
「知った気になんな。お前が見てんのは、ほんの一瞬、光があたったとこだってこと。人を見る時は、その裏っ側。影の一番濃いとこ見んだよ」。日浅の言葉が蘇ります。
映画『影裏』の作品情報
【日本公開】
2020年(日本)
【原作】
沼田真佑
【監督】
大友啓史
【キャスト】
綾野剛、松田龍平、筒井真理子、中村倫也、平埜生成、國村隼、永島暎子、安田顕
映画『影裏』ロケ地マップ
『影裏』映画と原作の違い
美しい文章で心の深淵を描き出す純文学『影裏』の世界。映画化では、岩手の美しくも幻想的な風景と、人を愛することの儚さが相まって、胸を締め付けられるシーンが満載です。
原作は、日浅(松田龍平)が突然会社を辞めた頃から、ほぼ時系列で進みますが、映画は3.11の大震災後の今野(綾野剛)の様子から始まります。
さらに映画では、今野と日浅の関係性を、よりハッキリと映し出すシーンが、多々盛り込まれています。それらを中心にまとめてみます。
ザクロが象徴するもの
原作では、ラストまで今野が日浅に抱く感情が、「愛」だとはっきり伝えることはありません。
ただ、今野が以前付き合っていた相手が和哉という男性だったことから、同性愛者なのだと分かります。
映画では、恋愛を象徴するアイテムの登場により、性を意識していることが伝わってきます。特に印象的なものは「ザクロ」です。
ザクロは、円熟した美という意味の他に、愚かさという意味も合わせもっています。日浅が今野にザクロを渡し食べさせるシーンは、妙な胸騒ぎを覚えます。
このザクロは、日浅が姿を消した後にも、日浅という人物を示す、重要なキーワードになります。
他にも、知恵や生命、異性を象徴する「蛇」。愛らしさという意味と、官能的という意味を持つ「ジャスミン」。そして、焚火の炎に魅せられる今野の表情など、美しいエロティシズムが盛り込まれています。
極めつけは、日浅を求める気持ちに抑えが効かなくなった今野が、思わずキスをし押し倒してしまうシーンです。
これらは、原作ではいっさい描かれておらず、映画化で、今野の気持ちをより分かり易く表現することで、性のアイデンティティを前面に押し出した形になっています。
日浅典博という男
外面は、パートのおばちゃん達から「課長」と呼ばれ親しまれ、次に就いた営業職では、地区のトップの成績を残したりと、一見人当たりの良い印象です。
しかし、それは光りの当たる部分の顔でした。影に潜んだ裏の顔は、家族ですら気味悪がる本性が見えてきます。
親しくしているようで、嘘で表面を飾るのが得意。自分を好いてくれる人を上手く利用し、裏切ってしまう。
映画で挟まれた、互助会の契約をした老人が実は認知症を患っていたというエピソードなどは、日浅の影の部分が濃いものになっています。
また嘘ばかりかと思うと、今野に話した実家のザクロの木の話は本当のことだったと、後々分かったりもします。
原作の中では、日浅の深い部分の表現を「どうゆう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた」と表現している部分があります。
原作でも映画でも、日浅の影の性格は、幼い頃の母親の死、大きな存在の崩壊からだと考えられます。
なおのこと、日浅の性格について細かいエピソードが付け足された映画版の方が、彼の真相が分かり易く描かれています。
副島和哉の登場
副島和哉という人物は、今野が以前付き合っていた男性です。原作では、電話口の登場だけでしたが、映画では中村倫也が演じ、今野と再会を果たしています。
和哉は、性別適合手術を受けており、女性の恰好をしています。演じた、中村倫也の自然な所作に魅せられます。
今野は、日浅に拒絶された寂しさから、和哉に甘えたかったのかもしれません。それを、何となく察する和哉は、どこか今野への未練を感じさせつつ、優しく諭します。なんと、イイ女なのでしょう。
映像で、今野と和哉の再会のシーンが加わったことで、より現実的に物語が見えてきました。
日浅馨の登場
映画では、原作で今野が実際に会っていない人物がもうひとり登場します。それは、日浅の兄・馨です。
原作では、日浅の父親が、日浅の幼い頃を語る場面で、「兄の薫には懐いていたようです」と名前を出す程度ですが、映画では、弟の幼い頃を語るのは馨の役目になっています。演じているのは、安田顕です。
日浅の父親に会いに行った今野が、初めて聞かされる日浅の裏の顔にショックを受け、次に会いに行ったのが、馨でした。
父親の証言が、日浅の裏の部分ばかりだったのに比べ、兄の馨の証言は、日浅の真の部分が語られます。それは、光りあるもでした。
日浅を語る人物がもうひとり登場したことは、日浅という人物を知るのに大事なシーンになったと思います。
ラストシーンの違い
3.11の後、行方不明になった日浅を、探し求める今野。信じられない気持ちと、信じたい気持ちが交差していきます。
そんな今野の元に、互助会の契約案内が入った封筒が届きます。今野はその中身を確認し、たまらず泣き崩れます。これは、映画でしかないシーンです。
改めて日浅のことを思い出して泣いたのか、生きているという合図なのか、さらなる裏切りなのか。
このシーンについては、私のまわりでも様々な意見があり、観る人によって考察が違う場面になっています。
そして、原作と映画で最も違うシーンと言えば、今野に新しいパートナーが出来て、物語が終わるという所です。
映画のラストシーンで、今野は、自分の見つけた釣りポイントであり、日浅が以前気に入ってくれた川へやってきます。
日浅の面影を見る今野の後ろから「だーれだ!?」と手が伸び、目隠ししてくる男性・清人が登場します。
この「だーれだ!?」は、日浅と今野が知り合った当初、日浅が今野にした行為と同じでした。清人に釣りを教える今野の表情は、穏やかでした。
今野の新しいスタートを描き足すことで、どこかホッとしたような、どこか寂しいような、余韻を残すシーンになっています。
人間には少なからず、光りの当たる部分の顔と、影になる裏の顔があるものです。この『影裏』は、人を愛するということは、そんな二面性をも愛する覚悟が必要だと教えてくれます。
まとめ
芥川賞受賞作品『影裏』の原作と映画の違いを比較し、紹介しました。
人間の心の深淵と、性の多様性を描いた純文学の世界を、みごと映像化した映画『影裏』。綾野剛と松田龍平の2人だからこそ表現できた、アンニュイな雰囲気にどっぷりと浸って下さい。
そして、地元盛岡では、『影裏』公開記念として、オリジナル日本酒が登場したり、ビールのラベルになったり、ロケ地めぐりも盛んになっています。
盛岡広域フィルムコミッションでは、ロケ地MAPも作成され、岩手のグルメも紹介されています。
岩手の美しい風景と神秘的な自然、そして美味しいものがふんだんに盛り込まれた映画『影裏』。大友啓史監督の岩手愛に感謝感激です。
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次回の「永遠の未完成これ完成である」は…
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映画公開後に、原作との違いを比較し、作品をより深く考察していこうと思います。