連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第46回
《女》から《男》へ、そしてその先にある生き方とは。
今回取り上げるのは、2020年7月24日(金・祝)よりアップリンク渋谷ほかにてロードショーの『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』。
女性として生まれるも、自分の性に違和感を感じ続けていた若者を追った、9年間の記録です。
【連載コラム】『だからドキュメンタリー映画は面白い』記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』の作品情報
【日本公開】
2020年(日本映画)
【監督】
常井美幸
【コ・プロデューサー】
両角美由紀
【音楽】
上畑正和
【編集】
吉田浩一
【アート】
伊藤ともこ
【キャスト】
小林空雅、八代みゆき、中島潤、杉山文野
【作品概要】
女性として生まれるも、自分の性に違和感を感じ続けていた小林空雅(たかまさ)に、9年にわたり密着。
2019年11月に放送され、ギャラクシー賞候補になるなど大きな反響を呼んだNHKのドキュメンタリー番組『僕が性別“ゼロ”になった理由』の長尺版として、劇場公開されます。
監督を務めたのは、元NHKディレクターの常井美幸。
本作は東京ドキュメンタリー映画祭にて観客賞を受賞したほか、アジアン・フィルム・フェスティバル(AFF)が選定する「アジアの映画ベスト100」の一本にも選ばれています。
映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』のあらすじ
女の子として生まれ、男の子として生きたいと望んでいた小林空雅(たかまさ)は、果敢に身体を変え、戸籍も男性に戻しました。
でももし、男でもなかったとしたら?
心と体が一致しない不具合を感じつつ、心を開き、社会へと飛び立っていった空雅が出会ったのは、世界最高齢で男性から女性へと性別変更した95歳のチェリスト・八代みゆき。
男と女に二分される性に違和感を感じ、自ら「Xジェンダー(性別なし)」であることを明かして、性の多様性を伝える中島潤。
空雅が様々な人とふれあうなかで浮かび上がってきたのは、性という枠組みでは括りきれない、多様で豊かな人生でした。
そして、2010年の取材開始から9年経ち、24歳となった空雅が選んだ生き方とは――。
NHKで放映されたドキュメンタリーの映画版
本作『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』は、2010年、本作監督で当時NHKのディレクターだった常井美幸が目に留めた新聞記事に端を発します。
「心と体の性別が一致しない性同一性障害の子供たちが抱える悩みや苦しみ」について書かれた記事を読んだ常井は、彼らへの取材を企画。
常井曰く、性同一性障害という言葉自体は当時からあったものの、その意味を知る者は少なかったとされる中、偶然知り合ったのが、本作のメイン被写体である小林空雅でした。
それから実に9年間にわたり、空雅の生活の一部始終を捉えた記録を長編劇場用映画として完成。それを観たNHKの勧めで、テレビ用作品として再編集した『僕が性別「ゼロ」になった理由』を2019年11月に放送し、高い評価を得ました。
自分は「女の子」じゃないのでは?という違和感
1995年に生まれた空雅は、活発な女の子として育つも、小学5年の時に祖母が買ってくれたランドセルの色が、「赤」だったのに違和感を覚えます。
以来、自分が「女子」として扱われることに反発するように。
12歳でセーラー服を着るのを拒んで登校拒否になり、13歳で性同一性障害の診断を受けたのを機に制服を学ランに変え、ホルモン注射などの治療を開始。
18歳で、本人曰く「必要のないもの」である胸を切除する手術を受け、着実に男性としての自分を取り戻していきます。
しかし、子宮と卵巣を切除する性別適合手術の費用を稼ぐべく、バイト求人に履歴書を出すも、ある記入欄を空白にしているため、全く採用されません。
「男性」でありたいと心底思いながらも、法律上は「女性」のまま――その葛藤で、性別欄を埋めることができずにいたのです。
性のダイバーシティ
中盤で空雅は、2人の人物を訪ねます。
1人は、トランスジェンダー女性の八代みゆき。
まだ性同一性障害という言葉がなかった時代ゆえに、誰にも相談できなかった八代は、戦後はチェロ演奏家への道を進み、音楽を通じて出会った女性と結婚します。
しかし、大学の音楽学部長を退職後に、78歳で性別適合手術を受けます。
これまでの半生を「諦めの人生だった」という八代は、結婚していた妻と一度離婚し、養子縁組を行うことで、現在も女性同士の「家族」として暮らしています。
そしてもう1人は、自らの性別を男女の性差にくくらない「Xジェンダー」として、性のダイバーシティを伝える中島潤です。
Xジェンダーとして、人々の性に関する「普通」を問い直したいと啓発活動を行う中島との出会いは、空雅のその後を大きく変えていくこととなります。
9年間の歳月を経て掴んだ生き方
20歳になり、空雅は念願だった子宮と卵巣を切除する性別適合手術を受けます。
成人式に出席しなかった空雅にすれば、ある意味この手術が、大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)。
晴れて男性となった空雅は、「クリエイティブなジャンルに性差はない」という八代の言葉通り、自身の夢だった声優への道を歩みます。
トランスジェンダーやLGBTQ、性同一性障害をテーマにしたドキュメンタリー映画は、これまで数多く発表されています。
以前に当連載コラムで紹介した『ぼくと、彼と、』(2019)もその一本で、この作品では、日本人とベトナム難民2世の男性カップルの日々の生活と結婚式までを追っています。
着目したいのは、2人を取り巻く問題や事件を大きく取り上げるのではなく、あくまでも彼らを“一組のカップル”として、普段の日常を覗いていくという構成になっている点です。
前向きかつポジティブな気持ちを持って生きる彼らを、マイノリティやマジョリティなどで括る必要はないのです。
本作の終盤で、常井監督が久々に訪ねた空雅は、これまでとは違った、新たな生き方を選択をした姿を見せます。
男性と女性だけではない、いろいろな形の性別があることを示した空雅も、前向きかつポジティブな気持ちを持つ者として、日々を生きるのです。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。
【連載コラム】『だからドキュメンタリー映画は面白い』記事一覧はこちら