連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第17回
名カーレース映画の舞台裏に隠された、様々なドラマとは?
今回取り上げるのは、2016年公開の『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』。
伝説的ハリウッド・スター、スティーヴ・マックィーンの代表作の一つである、1971年製作『栄光のル・マン』の知られざる舞台裏に迫ります。
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CONTENTS
映画『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』の作品情報
【日本公開】
2016年(アメリカ・イギリス合作映画)
【原題】
Steve McQueen: The Man & Le Mans
【監督】
ガブリエル・クラーク、ジョン・マッケンナ
【キャスト】
スティーヴ・マックィーン、チャド・マックィーン、ジョン・スタージェス、ニール・アダムス、リー・H・カッツィン、アラン・トラストマン、ジョナサン・ウィリアムス
【作品概要】
スティーヴ・マックィーンの代表作の一つである、1971年の映画『栄光のル・マン』の、製作過程を描いたドキュメンタリー。
マックィーンが主演以外に製作もこなすも、撮影時に発生した様々なトラブルの顛末を、未使用映像やマックィーン本人の肉声、当時の関係者のインタビューなどで振り返ります。
映画『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』のあらすじ
1950年代にデビュー以降、『荒野の七人』(1961)、『ブリット』(1968)、『ゲッタウェイ』(1973)といったアクション映画で、ハリウッドのトップスターとなったスティーヴ・マックィーン。
プライベートでもバイク・レーシングカー好きとして知られ、カーレーサーとしての顔も持っていたマックィーンは、1970年5月、その趣味を全面に押し出した、ある一本の映画を製作すべく渡仏します。
その映画とは、『栄光のル・マン』。
ル・マン24時間耐久レースに情熱を注ぐ男たちの熱き闘いを描いたこの作品は、翌1971年に公開されるや、大きな話題となりました。
しかしその撮影の舞台裏では、監督の途中降板、大幅な予算超過と制作の遅れといった様々なトラブルが生じ、それによってマックイーンのキャリアに大きなダメージが及ぶことに。
本作は、新たに発見された撮影模様や未使用となった映像、マックィーンが生前に遺したボイス・レコーディング、さらに当時の関係者のインタビューも交え、『栄光のル・マン』の顛末を振り返っていきます。
スティーヴ・マックィーン主演作『栄光のル・マン』について
映画『栄光のル・マン』は、フランス中部の小都市ル・マンで開かれる、24時間耐久の過酷なカーレースをテーマとした作品。
マックィーン扮するアメリカ人レーサーのディレイニーと、ライバルとなるドイツ人レーサーのスターラーが、レースに出場すべく激しい白熱のデッドヒートを繰り広げます。
ドラマ的要素を極力排し、セミドキュメンタリー・タッチでカーレースそのものに焦点を絞り、90台ものパナビジョンカメラを使って臨場感たっぷりに描きます。
日本ではマックィーン人気が高かったこともあり、1971年の年間興行成績第4位のヒットとなっています。
参考映像:『栄光のル・マン』予告
トラブル続出だった製作の舞台裏
撮影当時のマックィーンは自身のプロダクション、ソーラープロを設立しており、この『栄光のル・マン』も彼が製作の全権限を握っていました。
ところが、そのワンマン体制が様々な困難を招くことに…。
恩師でもあった監督をクビに
レースを一種の“アート”と捉えていたマックィーンは、『栄光のル・マン』もドキュメンタリータッチな作風にしようと考えます。
しかし、当初メガホンをとっていたジョン・スタージェス監督は、もっとドラマ的要素を盛り込むべきと主張したことでマックィーンと意見が衝突、結局スタージェスは降板してしまいます。
スタージェス監督といえば、『荒野の七人』や『大脱走』(1963)でマックィーンをハリウッドのスター街道に乗せた、ある意味恩師ともいえる人物。
生来持つ気性の荒さから、多くの監督や製作陣とトラブルを起こしまくっていたマックィーンでしたが、ここでもその悪癖を露呈することとなります。
撮影遅延と予算超過のドロ沼状態
降板したスタージェスに代わり監督を任されたリー・H・カッツィンは、キャリア的にも新人ゆえに現場コントロールがままならず、マックィーン本人が大半のディレクションをすることに。
そして、脚本もマックィーンが望む内容に仕上がらないとして、結局こちらも彼自身が関わることとなり、それによって撮影スケジュールも大幅に遅れてしまいます。
さらには、エンツォ・フェラーリに車輌のタイアップ提供を断られてしまい、仕方なく実費でフェラーリを買う羽目となって製作費も増加。
度重なるトラブルから、ついには出資会社がマックィーンからプロデュース権を剥奪するという、ゴタゴタ続きな撮影現場となるのです。
私生活でも問題が
撮影時、マックィーンは妻ニールや、後に俳優となる息子チャドといった家族をフランスに帯同させていました。
ところが、趣味のレーシングカーに没頭する夫の身を以前から案じていたニールが、この『栄光のル・マン』での撮影現場に立ち会ったことが裏目となり、夫婦間に亀裂が生じることに。
また、1969年に起こった女優シャロン・テート殺害事件で知られる、チャールズ・マンソン率いるカルト集団の殺害リストのトップに自分の名前があったと知り、マックィーンが警戒心を高めて疲弊していたことが明かされます。
ちなみに、2019年公開のクエンティン・タランティーノ監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はこのシャロン・テート事件をモチーフとしており、マックィーンも劇中に登場します。
大いなる玉砕か見事な挑戦か
度重なるトラブルを経てついに完成した『栄光のル・マン』でしたが、マックィーンはプレミアイベントへの出席を辞退。
しかもアメリカ本国では興行成績が振るわず、ソーラープロもトラブルが原因で倒産してしまいます。
以降、マックィーンはプライベートでのレース参加を止めた上に、妻ニールとも離婚するなど、『栄光のル・マン』が彼にもたらしたものは、計り知れないものがあったのです。
「大いなる失敗作」という評価が定着した感のある『栄光のル・マン』。
しかしその一方では、マックィーンが本来持っていたチャレンジ精神も感じ取れます。
映画製作者としては未熟だったかもしれませんが、映画スターとしてはこの後も『ゲッタウェイ』、『パピヨン』(1973)、『タワーリング・インフェルノ』(1975)といった代表作を次々と発表。
1980年に、50歳という若さで亡くなる直前まで第一線で活躍しました(もっとも、遺作『ハンター』でもやはり当初の監督ピーター・ハイアムズを降板させていますが…)。
やんちゃな性格ゆえに、各方面でトラブルを起こしはしたものの、根は優しい人間だったという彼の人柄も、本作『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』で垣間見ることができます。
2020年に生誕90年&没後40年を迎える、スティーヴ・マックイーン。
「もし時間を戻せたらどうする?」という質問に、「もちろん同じ人生を選ぶよ」という言葉を遺した彼は、いまだに根強い人気を持つ永遠のスターなのです。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第18回もお楽しみに。