連載コラム「映画と美流百科」第10回
こんにちは、篠原です。
この連載も今回で10回目を迎えました。毎回、新作映画を取り上げて、その作品で扱われているカルチャーにも興味を持っていただけるよう執筆しておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
ところで最近は、あの猛暑が嘘だったように涼しくなってきて、いよいよ“芸術の秋”到来ですね。
今回は、秋の夜長の読書にぴったりなトルストイの長編小説『アンナ・カレーニナ』をベースに、カレン・シャフナザーロフ監督が大胆なアレンジを加えたロシア映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』をご紹介します。
CONTENTS
映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』の映画化とは
原作小説は19世紀後半のロシア帝国の貴族社会を舞台に、青年将校アレクセイ・ヴロンスキーと激しい恋に落ちた人妻アンナ・カレーニナの悲劇を描く物語ですが、映画は日露戦争の戦地でアンナの息子セルゲイと出会ったヴロンスキーによる回想という形式の作品になっています。
本作はロシア批評家協会賞2017では最優秀音楽賞を、ゴールデン・イーグル賞2018では最優秀美術賞を受賞しており、ストーリーだけでなく音楽やルックのよさなど、総合的に楽しめる質の高い文芸大作です。
すこし先の2018年11月10日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国順次公開予定ですので、まだまだ原作を読む時間がありますよ!
映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』のあらすじ
舞台はアンナが鉄道に身を投げてからおよそ30年後の1904年、日露戦争が始まった満州。
成長したアンナの息子セルゲイ・カレーニンは軍医として戦地に赴いていました。ある日、重要人物だという大佐が彼のもとに運ばれてきます。
彼のアレクセイ・ヴロンスキーという名前を聞いて、セルゲイは凍りつきました。母アンナのかつての愛人だと気付いたからです。
この男のために母は幼い自分と父を捨て、最後には自ら命を絶ったのだと考えると、セルゲイは複雑な心境になります。
一時は殺意を抱くほど憎んでいた男でしたが、年齢を重ねた今では何よりも母の真実を知りたいという思いが強くなり、セルゲイはヴロンスキーに当時の母について尋ねます。
なぜ自ら命を絶ったのか? セルゲイの問いに答えて、ヴロンスキーは言いました。「人は記憶を捏造する。愛の真実は無数にある」と。
そして、ヴロンスキーは彼にとっての真実を話し始めたのでした…。
ふたりの原作者
大筋の原作者レフ・トルストイ
映画のベースとなっている小説『アンナ・カレーニナ』を書いたのは、言わずと知れたロシアの文豪レフ・トルストイ(1828-1910)です。彼は作家でもあり、キリスト教思想家でもありました。
帝政ロシア時代の伯爵家に生まれ、広大な農地を相続し農民の生活改善を目指しますが、農民に理解されず失敗します。
1851年にコーカサス戦争に従軍した経験をもとに『幼年時代』を執筆して評価され、作家活動に入ります。
1853年のクリミア戦争にも従軍しますが、これらの体験が終生貫くことになる非暴力主義の素地となりました。
『アンナ・カレーニナ』のほかにも『戦争と平和』『復活』など世界文学史上に残る傑作を残し、そのいずれもが映画化されています。
とりわけ『アンナ・カレーニナ』は洋の東西を問わず世界各国で親しまれていて、これまでに7回以上も映画化されています。
脚色の原作者ヴィケーンチイ・ヴェレサーエフ
本作ではトルストイの『アンナ・カレーニナ』に、シャフナザーロフ監督によって大幅なアレンジが加えられています。
そのアイデアのもとになったのが作家ヴィケーンチイ・ヴェレサーエフ(1867-1945)の日露戦争文学の要素です。
ヴェレサーエフは医師の父を持ち、自身も大学で医学を学びました。
1904年の日露戦争勃発時に軍医として参加し、その戦地での経験を小説にして出版。兵士や将校の勇敢さとともにロシア皇軍の腐敗も描きました。
そのほかの作品では労働者の生活に焦点を当てたり、ロシアの医学教育制度を鋭く批判したりして成功を収め、小説のほかにも批評や哲学に関する著書や翻訳も手掛けるなど、その才能を発揮しました。
原作小説『アンナ・カレーニナ』との相違点
シャフナザーロフ監督による本作のもっとも大きな特徴は、先に述べたようにトルストイの『アンナ・カレーニナ』(1873-1877)に、ヴェレサーエフの『日露戦争にて』(1905)の設定を加味している点です。
本作は過去を語るヴロンスキーの視点で描かれた映画なので、原作小説のヴロンスキーとは関係のない要素はばっさりと切り落とされています。
アンナとヴロンスキーの物語
小説ではふたつの愛の物語が同時進行します。
政府高官カレーニンの若く美しい妻アンナと社交界で浮名を流す若い将校ヴロンスキーが出会い、許されざる恋に落ちます。
しかしカレーニンは、世間体や宗教観の問題から離婚を認めません。
事態は膠着したままアンナはヴロンスキーの子供を出産し、やがてふたりは不品行が知れ渡り社交界から締め出されます。
次第にふたりの気持ちがすれ違い始め、泥沼の様相を呈していく…というのは映画の回想シーンでも描かれている物語です。
リョーヴィンとキティの物語
原作には、これに対比するもうひとつの重要な物語があります。
誠実な農場主リョーヴィンは友人の妻の妹キティ(アンナの義妹)に恋をして求婚しますが、断られてしまいます。
その理由は、キティが近ごろ懇意にしているヴロンスキーとの結婚を期待していたからでした。
しかし、その後ヴロンスキーはアンナに惹かれ、キティのもとを去ります。ショックを受けたキティは床に伏せってしまいます。
それを知らぬまま、失意のリョーヴィンは領地に戻り、農地の経営改善に熱心に取り組みます。
やがて病の癒えたキティは、本当に自分を大切に想ってくれていたリョーヴィンの愛に気付き、ふたりは結婚し子供をもうけ、幸せな家庭を築くのでした。
原作小説と映画の比較
このように原作小説では、不倫のはてに都会の貴族社会で死ぬまで追い詰められたアンナの不実の愛と、農村で実直に生きて幸せをつかんだリョーヴィンの純粋な愛とが対比され、人生の意義が描かれていました。
この対比が物語のキモであるにも関わらず、後者の愛が描かれていない映画の大胆な設定変更は、ロシアでは議論を呼びました。
何より地主リョーヴィンには、農奴とともに農場で働きその生活改善に心を配ったトルストイ自身が投影されていたので、物語から消したことに対する非難が大きかったのです。
シャフナザーロフ監督は本作を撮る動機について、最初に『アンナ・カレーニナ』ありきだったのではなく、愛についての映画をつくりたいという長年の思いに最もふさわしい作品として『アンナ・カレーニナ』を採用したと語っています。
登場人物をアンナ・夫カレーニン・愛人ヴロンスキーの三人にしぼり、三角関係を心理ドラマとして描き切った点については、評価されています。ちなみに三人のセリフは原作通り忠実に再現されているそうです。
このような議論や制作過程をみても『アンナ・カレーニナ』が、ロシア人に大切にされている作品なのだということが伺えますね。
まとめ
原作小説における都会と農村の対比は、映画では回想シーンの社交界と現在の戦場に置き換えられています。
砂塵にまみれた満州の風景から一変して、ロシアの絢爛豪華な社交界のシーンに切り替わると、その艶やかさがより際立ちため息がもれるほどでした。
アンナのまとうドレスには、情熱的な赤や黒が多く使われているのにも注目してみてください。
特に社交界から爪弾きにされたアンナが、それに屈せずオペラの観劇へ向かうドレスアップした姿は、迫力ある美しさで圧倒されます。
この時 バックに流れるアリア『Casta Diva(清らかな女神よ)』は音楽的に素晴らしいだけでなく、「女神よ、燃える心を鎮めたまえ、人々の激高した心を鎮めたまえ」という歌詞と照らし合わせると、何とも示唆的だと感じ入りました。
シャフナザーロフ監督が、最も手間をかけたのは照明で、当時にならってロウソクの明かりの許で室内撮影が敢行されました。
そうした英断や、制作国がロシアで俳優陣がすべてロシア人であるという点などを鑑みると、本作はこれまでに映画化されてきたどの作品よりも忠実に原作の世界観を表現していると言えます。
もし原作にも興味が出てきたら、ぜひ小説を読んでみてください。
小説は長すぎると感じたら、いくつも漫画化されていますので、それに頼ってみるのもよいのではないでしょうか。
切り口がそれぞれ少しずつ異なりますので、結局小説が気になって読みたくなること請け合いですよ。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、2018年11月23日(金・祝)から公開の『エリック・クラプトン 12小節の人生』をご紹介します。
お楽しみに!