連載コラム「映画と美流百科」第8回
今年2018年は映画史に残る邦画が、たくさん公開されています。カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した『万引き家族』や、都内2館の上映から全国ロードショーへと快進撃を続ける『カメラを止めるな!』。
新たな時代の到来を予見させる『きみの鳥はうたえる』と『寝ても覚めても』なども、印象深い作品です。
これらの作品と共に2018年を代表する作品が、今回ご紹介する瀬々敬久監督の『菊とギロチン』です。
大正末期を舞台に、実在した「女相撲」の力士たちと、アナキスト集団「ギロチン社」を取り上げ、交わることのなかった両者がもし出会っていたら…というオリジナルストーリーが展開する青春群像劇です。
CONTENTS
映画『菊とギロチン』のあらすじ
大正末期の関東大震災(1923年9月1日)直後、日本は混沌とした時代に突入していました。
それまでの華やかで自由な雰囲気は影をひそめ、軍部の影響力は色濃くなる一方。
人々は貧しさと先の見えない閉塞感にあえいでいました。時代は急速に不寛容な社会へと向かっていたのです。
そんなある日、東京近郊に女相撲の一座「玉岩興行」がやって来ます。その中には元遊女の十勝川(韓英恵)や、夫の暴力から逃げて家出をした新人力士の花菊(木竜麻生)もいました。
「強くなりたい。自分の力で生きてみたい」という一心で稽古に励む花菊は、いよいよ興行の当日を迎えます。観客の中にはアナキスト集団「ギロチン社」の面々の姿もありました。
師と仰ぐ思想家の大杉栄が殺害され(甘粕事件)、その復讐を画策する中濱鐵(東出昌大)と古田大次郎(寛一郎)らは、「格差のない平等な社会」を標榜していました。
「差別のない世界で自由に生きたい」という切なる願いは、女力士とアナキストを結び付け、彼らは行動を共にするようになります。
次第に中濱と十勝川、古田と花菊は惹かれ合っていきますが、厳しい現実が彼らの前に立ちはだかるのでした。
映画『菊とギロチン』の注目ポイント
本作は史実を元にしたフィクションです。大正時代末期の雰囲気や風俗について知っておくとストーリーを追いやすいので、ぜひチェックしてみてください。
訳あり女の居場所だった「女相撲」
女性が土俵に上がることが許されないのが相撲なのに、女相撲とはなんぞや?という疑問がわいてくるのですが、じつは女相撲は江戸時代中期(18世紀中頃)から見世物興行として流行していたのです。
興行の内容は、取組はもちろんのこと力芸の披露や、余興の三味線、太鼓、手踊りなどもあり、芸を磨くことも要求されました。
彼女たちは全国各地をまわりましたが、1週間程度の興行期間で場所を移っていたようです。劇中では宣伝のため、街中を練り歩くシーンも再現されています。
興行地では入門志望者が多く押しかけました。女相撲の一座は、様々な過去を背負った訳あり女の駆け込み寺のような存在だったのです。
本作では、夫の暴力に耐えきれず家出をした花菊や、朝鮮人だという理由で酷い仕打ちを受けた十勝川など、様々な女性が女相撲一座に身を寄せています。
昭和になると国内だけでなくハワイなど海外にも巡業するほどの人気ぶりで、戦後はサーカスの一部として興行されたり、女子プロレスの基となったりと次第に形を変えていきましたが、最後まで残っていた興行団は昭和39年(1964年)にその幕を下ろし、女相撲は終焉を迎えました。
本作では女力士たちの、がちんこのぶつかり合いに手に汗握りますが、力士役の女優たちはクランクインの2ヶ月前から日本大学の相撲部で稽古を重ねたのだそうです。
実際の女相撲をよく知る関係者も驚き感動したというこの取組シーンだけでなく、力士たちの普段の生活が見事に描かれているのも見所です。
自由を求めたアナキスト集団「ギロチン社」
「格差のない平等な社会」を目指す中濱鐵と吉田大次郎らが所属していたのが、アナキスト結社の「ギロチン社」です。
結成のきっかけは、1921年に吉田大次郎が農民組織化のために「小作人社」を作ったことまでさかのぼります。
これは貧民たちを救うための結社でしたが成果が出ず、吉田はテロリズムに訴えることを決意します。それに中濱鐵が同調し、1922年にギロチン社が結成されました。
資金集めのために略奪行為を繰り返しますが、酒と女郎屋に使ってしまい金が貯まらない上に、官憲のマークが厳しくなり拠点を東京から大阪へ移すこともありました。
1922年に訪日したイギリス皇太子(後のエドワード8世)のテロル計画以降、劇中で描かれる一連の襲撃事件を起こしますが、いずれも失敗。
爆弾使用やそのネーミングが相まって、社会にインパクトを与えたグループでした。
「菊」に込められた意味
「菊一輪ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」
これは獄中の中濱鐵が、死刑を執行された吉田大次郎の追悼に送った句です。この句を知り、瀬々敬久監督はギロチン社の映画を考え始めたといいます。
本作で菊といえば女力士の花菊のことですが、加えて菊の御紋を使う天皇も思い起こさせます。
事実、ギロチン社の名前には、権力者の象徴である天皇をギロチンにかけるという意味が込められていました。
そう考えると『菊とギロチン』とは、なんとまあ直接的なタイトルなのだろうと思わずにはいられません。
そして、菊の花言葉は「高貴・高潔・高尚」。本作の若者たちの精神のありようを表しているかのようです。
タイトルの「菊」はいくつもの意味を内包している、本作を象徴する花だといえるでしょう。
日本映画界を支えるスタッフが集結
本作は歴史的な着眼点に加えて、日本映画界を支える実力派のスタッフが集まっている点でも見応えがあります。
脚本:相澤虎之助
瀬々敬久監督と共に脚本を手掛けたのは、映像制作集団「空族」の相澤虎之助です。
『バンコクナイツ』(2017)などで知られる相澤が、「空族」以外で脚本を執筆したのは、本作が初めて。
瀬々監督によって初稿から何度も書き換えられた脚本は、相澤の参加によって社会運動の視点や南方志向、音楽的な側面が導入されました。
撮影:鍋島淳裕
『ヘヴンズ ストーリー』(2010)、『彼女の人生は間違いじゃない』(2017)の撮影監督でもある鍋島淳裕のカメラは、登場人物のエネルギーあふれる姿を画面に焼き付けています。
臨場感を伴いつつノスタルジーをも感じさせる映像は、まるでドキュメンタリーを観ているようだと思わせる瞬間があります。
鍋島が手掛けた瀬々監督作品は、『泪壺』(2008)、『ヘヴンズ ストーリー』(2010)、『アントキノイノチ』(2011)、『なりゆきな魂、』(2017)、『友罪』(2018)などがあります。
美術監修:馬場正男
美術監修を務めるのは、黒澤明の『羅生門』(1950)や、溝口健二作品を手掛けてきた御年91歳の馬場正男。
ロケは京都松竹撮影所を中心に関西で行われましたが、大正時代末期の猥雑さや混沌を見事に再現しています。
これも馬場の長年の経験からの、叡智と工夫のなせる業。日本映画界の至宝といわれる所以です。
音楽:安川午朗
音楽を担当するのは、瀬々監督と長年の朋友だという安川午朗。
脚本の相澤虎之助の南国志向から、当初からジェンベ楽器を主軸にすることになっていましたが、後から韓国のサムルノリの使用も決まり、さらに安川作曲の大正琴とオカリナによる劇伴が追加されました。
『八日目の蝉』(2012)、『ふしぎな岬の物語』(2014)、『ソロモンの偽証 前篇・事件』(2015)で日本アカデミー賞を3度受賞している安川により、激動の時代にみなぎる熱気が見事に表現されています。
題字:赤松陽構造
迫力ある筆致で目を引く題字を担当したのは、映画タイトルデザインの巨匠、赤松陽構造。
黒地に白で荒々しく書かれたタイトルからは、勢い、激しさ、昂ぶりを感じ、引き込まれます。
『ゆきゆきて、神軍』(1987)、『HANA‒BI』(1998)など多くの名作を手掛けてきた匠の技は、本作でも健在です。
まとめ
『菊とギロチン』は上映時間189分という長尺ながら、あっという間に終わってしまったと感じさせる密度の濃さがあります。
瀬々敬久監督が構想30年の末に、自身のオリジナル企画として完成させたというエピソードからも、見応えのある内容が想像できますよね。
劇中と同じように大きな震災の後という共通性がある今、公開されていることにも意味がある映画です。
登場した人物の中には、歴史に名を残した人もいれば残さなかった人もいますが、誰もが人間臭く、熱く、懸命に生きていたのには違いがありません。
本作では、若手実力派俳優たちが瑞々しい熱演でそれを体現しています。
閉塞感が漂う不寛容な時代の「風穴」になる作品を、ぜひご覧ください。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、2018年10月6日(土)から公開予定のドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』をご紹介します。
お楽しみに!