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Entry 2021/03/08
Update

映画『ノトーリアス・B.I.G. 』ネタバレあらすじと結末の感想解説。最強ヒップポップのスターが“伝えたいこと”を楽曲に託す|Netflix映画おすすめ22

  • Writer :
  • からさわゆみこ

連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第22回

90年代を代表するヒップホップミュージシャンとして名高い“ノトーリアス・B.I.G.”は、24歳という短い生涯でした。

彼の人生は波乱に満ちていて、その経験を赤裸々に歌詞に落とし込み、ヒップホップの革新的な進化をもたらしました。

親友”D・ロック”・デイミオン・バトラーを中心に、ブルックリンの“ベッドスタイ”を拠点につるんでいた仲間達、ノトーリアス・B.I.G. をNYのヒップホップキングにのし上げた、プロデューサーと成功へと導いたショーン・“P・ディディ”・コムズが、ノトーリアス・B.I.G.のアーティストとしての才能を語ります。

そして、ノトーリアス・B.I.G.を襲った、“悲劇の死”をもたらした事件にも触れていきます。

【連載コラム】「Netflix映画おすすめ」記事一覧はこちら

映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』の作品情報

Netflixオリジナル映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』

【公開】
2021年(アメリカ映画)

【原題】
Biggie: I Got a Story to Tell

【監督】
エメット・マロイ

【脚本】
サム・スウィート

【キャスト】
ザ・ノトーリアスB.I.G.、ショーン・“P・ディディ”・コムズ

【作品概要】
監督は『ビッグ・イージー・エクスプレス』(2014)で、グラミー賞の長編音楽映像賞を受賞したエメット・マロイ。母親であるヴォレッタ・ウォレスをはじめ、ショーン・”P・ディディー”・コムズ、マーク・ピッツ、スタンリー・バックタールが製作総指揮を務めました。

原題の“I Got a Story To Tell”は、遺作となった1997年リリースのアルバム『Life After Death』に収録された曲名です。

2020年、ロックの殿堂入りを果たしたノトーリアス・B.I.G.は、2022生誕50周年を迎えました。『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』は、それに先立ちNetflixより配信されたドキュメンタリー映画です。

映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』のあらすじとネタバレ

ビギー(ノトーリアス・B.I.G.、クリストファー・ウォレス)、1995年クリストファー、23歳。

幼なじみのD・ロック”・デイミオン・バトラー(以降D・ロック)は、友人であり、ビギーの写真や動画を撮り続けた人物でもあります。

「写真は千の言葉に匹敵する。動画は更にだ」と語ったD・ロックは、ビギーのことを、“クリストファーは気遣いの人”。“ノトーリアス・B.I.G.は傍若無人”と表現しています。

音楽プロデューサーでMCのショーン・“P・ディディ”・コムズ(旧パフ・ダディ、以降パフ)は、ビギーのヒップホップについて、“R&Bに近い=旋律が美しい”、そして「彼はラップではなく、常に歌っていた」と言います。

彼はラッパーの多くは過去のラッパーに必ず影響されるが、ビギーの声の抑揚やリズム感、サウンドやアプローチは、自信に満ちていて、過去のどれにもあてはまらない、どこが起源なのか全く分からないと話します。

母親のヴォレッタ・ウォレスは、D・ロックからビギーの訃報を知らされました。

そして、パフは「この物語の結末は“悲劇”じゃない」と、前置きをします。

ヒップホップはNYのブロンクス地区のコミュニティーが発祥ですが、1990年代に入るとその勢いは西海岸のラッパーたちに取って代わりました。

1995年頃にはLAを活動拠点にする、ドクター・ドレーや スヌープ・ドッグ、2パックが全盛となりました。パフはビギーについて、東海岸に現れた救世主。全世代を通じて最も偉大なラッパーだと称賛します。

その言葉が示す通り、1994年にリリースされたアルバム『レディ・トゥ・ダイ』は、1995年のSource Awardsにてアルバム賞を受賞し、これを機にヒップホップの方向性を変えました。

ビギーの人柄からヒップホップに至るまでのルーツは、母の故郷“ジャマイカ”にあります。

ミュージシャンをしていた叔父のデイブは、自分が出演するLIVEにビギーを連れて出かけました。デイブが歌(レゲエ)を聴かせたのが始まりで、ビギーは「有名になって一緒にコラボする」と言っていました。

ビギーの育ったNYのブルックリンのクリントン・ヒルは、街並みこそ歴史のある建物や街路樹で景観の良い街、それとは裏腹に治安は悪く薬物の売買や常習、強盗なども多発していました。

とりわけクリントン・ヒルからほど近いフルトン通りは麻薬常用者のたまり場として、薬物の売人なども往来していたため、ヴォレッタはビギーにフルトン通りに行くことを強く禁止しました。

ヴォレットはビギーをカトリック系の学校、“セント・ピーター・クレバー”(1976~1982年)に通わせていました。

幼稚園からの幼なじみヒューバート・サム(以降サム)は、移民の子供たちは“よそ者”扱いをされたが、友人たちとストリート慣れ親しみ、そこでヒップホップも教わったと話します。

1984年クリストファー、12歳。ビギーの周りはヒップホップ全盛期で、クリスマスでもラジオやカセットテープで、ファット・ボーイズ、RUN-D.M.C.の曲で盛り上がりました。

ビギーは小学生のころから曲を作り始め、ライム(押韻)作りを日課にします。

D・ロックはビギーのLIVEがあるときに呼ばれ、動画の撮影をしていました。観客ばかりを撮影し、どの歌が盛り上がるのか分析して、大小問わずどの会場でもいつも全力で歌に臨みます。

当時、クリントン・ヒルには音楽家や画家などが集い、才能を披露しあっていました。

ジャズ演奏家のドナルド・ハリソンが近所に住んでいて、ビギー少年は彼に会いに行っては、映画や近代美術館に連れて行ってもらっていました。

ドナルドはビギーに音楽的な才能をすぐに見出し、ジャズ演奏家に育てることも考えました。

ある日ビギーは、ビバップのスネアドラムを詞のリズムに応用しました。“旋律を奏でるようなドラム”はリズムに旋律を与えました。

パフがビギーのラップは「R&Bに近い、美しい旋律がある」と言ったルーツはドナルドとの出会いがあったからです。

また、サムは毎夏ジャマイカに帰省し戻ってきたビギーは、現地の俗語や音楽(ロック、レゲエ、カントリー)を教えてくれ、中学の頃には手に入れていたターンテーブルで、彼のラップを堪能したと語ります。

ビギーはレコード作りを目指して、“MCクエスト”と名乗り、仲間同士でお小遣いを出し合って、“ファンキー・スライス”というスタジオを借りました。

ビギーは雑誌に出てくる売れっ子のラッパーに憧れ、「今の生活から抜け出す」と夢を描いていました。

1988年クリストファー、16歳。ビギーと幼なじみのジャクソンは仲間のチコの動向に注目しました。チコは少年が成功するには、頭が良いかスポーツ万能か、売人になるかの3つしか道はないと考えてました。

ジャクソンとビギーは思春期を迎え、欲求不満のフラストレーションを抱えていました。そんな時にチコから売人の誘いをうけました。

そして、D・ロック、サムも加わってチームとなって、売人で稼ぐようになります。ブルックリンの若者は目立ってこその世界で、物欲も湧くため簡単に大金が手に入る売人が幅を利かせました。

オーリー・ローランド・ヤングが仲間に加わり、犯罪の手ほどきをするようになります。オーリーはビギーと同じ17歳で、常に一緒に行動するようになりました。

ビギーはリル・キム(キンバリー・デニス)をメンバーに加え、ヒップホップグループ“ジュニア・M.A.F.I.A”を結成し活動をはじめます。

メンバーにキャラ付けをして、ライムに活かしアルバムも制作しますが、キムは1995年のクリストファー・ウォレスの当たり年で、とても自信をつけていたと語ります。

ところがメンバー全員がヒップホップへの熱量が同じではありません。チコやサムはラッパーを目指していたわけではなく、サムがフルトン通りから遠ざかります。

次第にビギーもターンテーブルを放置し、音楽から遠ざかり金儲けのことばかりを考えていました。徐々にやってきたことの重大さを感じ始めますが、ビギーは道を踏み外してしまいます。

ビギーはクラックを乾燥させるため皿の上に載せ、窓際に置いていました。それを食べ残しのマッシュポテトだと思った、ヴォレッタは捨ててしまいます。

ヴォレッタに全てがバレてしまうと、ビギーは家を追い出されました。何度も“足を洗う”と噓をつき家に戻りますが、足を洗うどころかさらに売人家業に励み、元締めになろうとさえ考えていました。

以下、『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』ネタバレ・結末の記載がございます。『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。

1991年クリストファー、19歳。タイミングがビギーの物語を動かし始めます。D・ロックがビギーを連れて、ベッド・フォードへ出かけた。

街では野外パーティーが催され、“50グランド”(DJ・プロデューサー)がラジオを出していました。D・ロックは50グランドにビギーを紹介するため連れて行きました。

50グランドがDJをはじめるとシュープリームという男がマイクを握り、ビギーに仕掛けていきます。「早く失せろよ。ラッパー気取り」

50グランドは、シュープリームのマイクを通してもか細い声に対し、ビギーには存在感があること、声量と言葉にある貫禄にジャマイカの血を感じたと話します。

ジャマイカのDJ起源はマイクでのチャッティング(語り)にあって、大ボラを吹くような貫禄が重要で、ビギーにはそれが備わっていて、他のラッパーにはない違いを際立たせていたと振り返ります。

ビギーは過激に言葉を切り取り、過激なMCを目指して、常に爪痕を残したいと意気揚々と帰り、オーリーは「デモテープを作って、レコード会社に売り込もう」と意気込みました。

ベッド・フォードでデモテープを何種類か作り、その際には50グランドが手伝いに入りますが、ビギーの“止める、フックを入れる、ビートに戻る”の指示は的確で、1時間程度で終わったと語りました。

50グランドはMr..C(MC・プロデューサー)に、ビギーのことを話しデモテープを聴いて、“ぶっ飛んだ”と印象を述べます。

Mr.Cはデモテープを雑誌「ザ・ソース」のマティ・Cに送るよう勧めました。当時、この雑誌には大きな影響力があって、毎月コラムで新しい才能を紹介していた。

ビギーは「期待させないでくれ、安請け合いはやめてほしい」と言いましたが、Mr.Cは送って反応をみようと言います。マティ・Cはデモテープの開始10秒だけ聴いて、“十分”と判断します。

Mr.Cは雑誌に載せる写真を撮るため、プロのカメラマンを雇い、50グランドと共に街角でポーズをとり、雑誌に掲載されました。

「ザ・ソース」はイケてる雑誌とよばれ、若者の誰もが有名になりたいという夢が載っています。そこにビギーが載ったのですから、地元は大騒ぎになりました。

しかし、この経験がビギーを本気にさせ、多くの人に注目されたことで、自信をもつことができ、さらなる飛躍のきっかけをつかみます。

マティ・Cは有力視する新人を紹介する時には、パフ・ダディにデモテープを渡していました。デモテープを聴いたパフは衝撃を受けると同時に、神へ感謝したと言います。

マンハッタンからブルックリンに来たパフの部屋での顔合わせ。デモテープの出来があまりによすぎて、疑いを持ったパフがいきなりビギーに即興のラップを要求しました。

その即興も粗削りでありながら、まるで火が激しく燃え立つように素晴らしく、パフはすぐにレコーディングしたいと申し出ます。

パフは映画『Who’s The Man?』(1993)のサントラを作成中で、マティ.Cは映画で使えば最高の販促になると、ビギーのラップも採用しようと動きます。

こうしてビギーのデビュー作『Party and Bullshit』は、映画のサウンドトラックとして発表されました。

1992年クリストファー、20歳。“アップタウンレコード”と契約を交わし、ビギーのプロデューサーにイージー・モー・ヒーが付き、メジャーデビューを果たしました。

パフは『Party and Bullshit』をヒップホップの名曲と称賛し、彼の作る曲は映画のような物語を持つと評価しました。

また、マティ・Cは“『Party and Bullshit』で世間はビギーを知る。ラジオはR&Bばかり・・・大きな音を立ててそのドアを蹴破った。”と、表現しました。

ところが周りの興奮状態とビギーの心境には温度差があります。ビギーは収入が途絶えることに不安を感じ、売人稼業も続けようとします。周囲はなんとか辞めさせようと説得しますが、聞く耳を持ちません。

プロデューサーのイージーは同じブルックリンの出身で、ビギーのことを親身に考えました。彼を環状線ドライブに連れ出すと、ビギーの心の内を探りその心配の根源をみつけます。

ビギーの母ヴォレッタは乳がんを患っており、ビギーは彼なりに“俺が何とかしなきゃ”という気持ちでいたからです。

彼は“失敗したら元の生活に戻る”とイージーに伝えました。そんなことはさせたくないイージーは、自分の役目を“最高の音楽を作らせること”、そのことがビギーの原動力となり、彼を救い出しブレイクさせると考えます。

イージーはビギーを説得し、ビギーのマネージャーにマーク・ピッツを付けます。マークの母は彼が15歳の時にガンで亡くなっていました。それ故にビギーの不安な気持ちが理解できる人物です。

マークはビギーに暇な時間を与えないよう、次々と仕事を入れました。そんな多忙な中、ビギーに悲しいニュースが届きます。

1992年6月、死者2名、負傷者4名を出す銃撃事件が発生し、ビギーの親友オーリーも犠牲となったのです。

オーリーの死をきっかけに、ビギーの創作にも変化がありました。録音へのこだわり、詞の作り方と再び本気モードに入ります。

1990年代初期、ビギーは西海岸発の楽曲がヒットしている要因を「映画のように現実を感じさせるからだ」と、分析しており自身の狙いもそこにあると語ります。

こうしてアルバム制作がはじまりますが、ビギーに再び不安要素が発生。共同制作者のパフが、アップタウンレコードから解雇されたのです。

ビギーの私生活では、恋人のジャンが妊娠をしたことが発覚していました。

1993年クリストファー、21歳。ビギーは売人としてノースカロライナへ向かいました。マークは売人稼業に戻りそうなビギーを心配し、パフに救いを求めました。

パフの父親も薬物の売人をしていて、彼が2歳の時に殺害されました。父親として家族のために、売人をしてでも稼ぎたい気持ちを理解し、売人の末路は刑務所か死か・・・だと、ビギーに訴えます。

ビギーはパフの熱意に応え「ついていく」と誓い、音楽に身を捧げるように活動をします。彼が変わっていくと、全てが変わっていきました。

ビギーは今までとは真逆の明るい楽曲をつくり、MVには母親のヴォレッタも出演しています。

パフは自社レーベル“バッド・ボーイ・エンターテインメント”を立ち上げ、ビギーは1994年に“ノトーリアス・B.I.G.”名義で、デビューアルバム『レディ・トゥ・ダイ』をリリースしました。

アルバムはNYの音楽シーンに大革新をまき起こし、ノトーリアス・B.I.G.はキングオブNYと崇められるほどに、人気を確固たるものにしていきます。

1997年クリストファー、24歳。

母のヴォレッタはビギーの死にあたり、“愛”を見たと言います。「教会につくと群衆が待っていて、驚いた。すごく愛されていたのね。あの時、愛を見たわ」

ノトーリアス・B.I.G.が残したものは、「世界中の何百万もの人に影響を与える波」。

彼は言い残しました「俺は世界の目だ。しくじってばかりだが過ちから学んだ。それを伝える時だ。偉そうに教訓を垂れるつもりはない。ただ、語りたい。俺の生き様を」。

映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』の感想と評価

Netflixオリジナル映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』

“ノトーリアス・B.I.G.”を作り上げたもの

“Notorious”とは「悪名高き」という意味で、“B.I.G.”は彼の愛称「Biggy」からきているのかと思いきや、「Business Instead of Games(ゲームの代わりにビジネス)」の略でビー・アイ・ジーと読みます。

ノトーリアスは、NYのブルックリン区ベッドスタイの出身です。ブルックリンは移民で低所得の人達が多く暮し、暴力と薬物が蔓延していました。

彼が育った1980年代は暗黒期とも呼ばれ、まさにジュニアマフィアと呼ばれる少年が多く発生しました。

多分にもれず少年クリストファーも悪に手を染めていきます。彼の時系列には空白の時間が存在します。17歳と19歳のときに逮捕服役していた期間があるからです。

クリストファーの父は彼が生まれると、ヴォレッタ達を捨て姿を消します。ヴォレッタには強い志と大きな夢があったので、独りでも息子を育てられる、パワーはありました。

それでも、ヴォレッタは16歳と若かくして渡米し、19歳でクリストファーを授かり、相手の男から捨てられたことは辛い経験だと推察できます。

また、環境で子供はいくらでも変わります。幼い頃は制御できたクリストファーも、成長と共に心配の種は大きくなったのでしょう。

クリストファーに子供が出来た時は、自分を捨てた男と同じことになるのでは?と、息子に因果関係を感じているようにもみえました。

順風満帆ではない人生なのは容易に理解できますが、それ以上に彼の才能に魅せられた人達の働きかけや、忍耐的な努力がノトーリアス・B.I.G.の人生を動かしたといえます。

“トゥパック・シャクレール”との確執とは

彼のラッパー人生と命を短くしたのは、アメリカのエンターテイメント業界に巣くう、過激なまでのスキャンダル合戦でしょう。

ヒップホップが西海岸主流だった1990年代前半に、流星のごとく現れたNY育ちのノトーリアス・B.I.G.のヒップホップが、爆発的に人気となったことは、ヒップホップ発祥のNYに光明を与えました。

メディアは面白おかしく、捻じ曲げた東西海岸ヒップホップの対抗関係を作り上げていきました。

その矢面に立たされたのが西海岸で人気を博した、トゥパック・シャクレールです。もともと東海岸で活動していた、2パックは西海岸に拠点を移し、ヒット曲をだしていました。

1994年深夜、クワド・レコーディングスタジオに2パックが訪れたところ、3人の強盗に襲撃された事件が発端となります。

現場のスタジオでは、ノトーリアス・B.I.G.とパフ・ダディがレコーディングでいたことで、マスコミが2人の陰謀によって襲われたと報じています。

これは憶測や噂を生み、彼らをとりまくギャングスタ・ラップや本物のギャングまで巻き込み、抗争図ができあがりました。

1996年、2パックはラスベガスで2度目の襲撃にあい、命を落としてしまいます。東西海岸ヒップホップ抗争の中、“東海岸側の反抗”という噂だけが独り歩きします。

2パックの母親は2人の関与を否定し、別の容疑者の名前を名指ししますが、1997年3月に2ndアルバムのプロモーションパーティーのため、西海岸に入ったノトーリアス・B.I.G.は銃弾に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。

ビギーの銃撃事件に関しては今だ“未解決”ですが、2パックを銃撃した事件に関しては、2012年、殺人など複数の罪状で終身刑となっている、デクスター・アイザックという人物が獄中で犯行を告白しています。

ノトーリアス・B.I.G.とは無関係で起きた2パックの事件で、噂を信じた何者かが犯した犯行なのでは?と、考えると無念という言葉のほかに見つかる言葉がありません。

まとめ

映画『ノトーリアス・B.I.G. -伝えたいこと-』は、副題の通り、ノトーリアス・B.I.G.の短い音楽活動で紡がれた言葉が、“伝えたいこと”の全てです。

ノトーリアス・B.I.G.のヒップホップは自分の経験から生まれたもので、歌の中に彼の物語が込められているからです。

映画の中で流れる彼のラップが、全て物語にあてはまっているのが示しています。

母ヴォレッタ・ウォレスが「息子のアルバムは1回聴けば十分。2回目はないの」と言いました。

それは聴くまでもなく、善きにつけ悪しきにつけ、ヴォレッタの知っているリアルなクリストファーの生き様が、彼女の心に刻まれているからでしょう。

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