井上雄彦の“もっと描きたいキャラクター”だった
リョータとその家族をめぐる結末は?
1990年〜1996年に「週刊少年ジャンプ」で連載され、“バスケ漫画の金字塔”として愛され続けている漫画『SLAM DUNK』。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』は、そんな『SLAM DUNK』を原作者にして漫画家の井上雄彦による監督・脚本で新たにアニメーション映画化した作品です。
本記事では、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の物語の全容と、その結末・ラストシーンについてクローズアップ。
「リョータ視点で山王戦を描いたリブート作品」という一言では片付けられないその物語、そして結末で描写されたリョータの母の言葉に込められた真の意味などを解説・考察していきます。
CONTENTS
映画『THE FIRST SLAM DUNK』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【原作・脚本・監督】
井上雄彦
【キャスト】
仲村宗悟、笠間淳、神尾晋一郎、木村昴、三宅健太
【作品概要】
名作バスケットボール漫画『SLAM DUNK』を、同作の原作者にして漫画家の井上雄彦による監督・脚本で新たにアニメーション映画化した作品。
湘北高校バスケ部メンバーをはじめ、各キャラクターの声優キャストをテレビアニメ版(1993〜1996)から一新。宮城リョータ役には仲村宗悟、三井寿役には笠間淳、流川楓役には神尾晋一郎、桜木花道役には木村昴、赤木剛憲役には三宅健太が起用された。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』の内容と結末を解説・考察!
「リョータ視点の山王戦」だけではなかった
2022年12月3日の劇場公開に至るまで、「あらすじ」を含め決して明かされることのなかった映画『THE FIRST SLAM DUNK』の全容。その物語は、「原作漫画『SLAM DUNK』主人公の桜木花道が所属する湘北高校バスケ部の2年・PG(ポイント・ガード)の宮城リョータの過去と現在を中心に描かれる、湘北対山王工業戦(インターハイ2回戦)の戦い」というものでした。
監督・原作者である井上雄彦がかつて執筆した読切短編漫画『ピアス』(1998)……『SLAM DUNK』のリョータの前日譚とも捉えられる『ピアス』の内容を彷彿とさせる場面が予告編映像にて映されていたなどの理由から、多くのファンが「映画はリョータ視点で山王戦を描いたリブート作品では?」と内容を予想していた『THE FIRST SLAM DUNK』。
その予想自体は見事的中したものの、漫画『SLAM DUNK』本編では描かれなかったリョータや湘北高校バスケ部員たちの過去、そして『ピアス』の物語設定をさらに発展・深掘りしたような展開には、多くの原作ファンが映画を実際に鑑賞した際に驚かされたのではないでしょうか。
井上雄彦が“初めて”描く『SLAM DUNK』
山王戦にてリョータが「赤と黒の2種のリストバンド」を着けていた理由。「ベスト・プレーヤー」なバスケ選手だった兄ソータの死に抱き続ける後悔の念と、自身と同じ“遺され、迷い続ける人間”である母カオルとの確執。「不良時代の三井に屋上へ呼び出された際の暴行」が原因だという噂自体は紹介されていたものの、その真相は明確には描かれていなかったリョータ入院の本当の原因……。
そのあまりに“シリアス”に重きを置いた掘り下げは、バスケを通じて描かれる青春の物語と織り交ぜられるギャグ、そして山王戦後の衝撃的な展開も例に挙げられる「勝負の現実」の世界観などで形作られた漫画『SLAM DUNK』とは少々毛色の異なるテイストを感じさせられます。
「原作をただなぞって同じものを作ること」にそそられなかったという井上雄彦は、映画パンフレット収録のインタビューにて次のように語っています。
もう1回『SLAM DUNK』をやるからには新しい視点でやりたかったし、リョータは連載中に、もっと描きたいキャラクターでもありました。
3年生はゴリが中心にいて、三井にもドラマがあるし、桜木と流川は1年生のライバル同士。2年生のリョータは間に挟まれていた。
そこで今回はリョータを描くことにしました。
前述の短編漫画『ピアス』が発表されたのは、漫画『SLAM DUNK』が最終回(あるいは“第一部”の最終回)を迎えた1996年から約2年後となる1998年。
「そう読みとれる」という内容ではあるものの、『ピアス』の時点でもリョータへの「もっと描きたい」という想いを抱いていたからこそ、「誰もが初めて観る『SLAM DUNK』」……「かつて漫画を執筆した自分自身ですらも知らない、初めて描く『SLAM DUNK』」を井上雄彦は作り上げようとしたのかもしれません。
“出かけたっきり”の兄/息子をめぐる母子の結末
映画終盤、広島県で開催されたインターハイを終えて神奈川県へと戻ったリョータ(なお山王戦勝利のあの衝撃展開は、ナレーションやモノローグなどでも言及されませんでした)。そして浜辺で一人佇んでいた母カオルと再会し、「おかえり」という言葉、「背、大きくなった?」という言葉をかけられます。
「おかえり」は、広島県という遠地に出かけていた高校生の息子にかける言葉としてはありきたりなものかもしれません。しかし、母カオルにとっての「おかえり」という言葉が持つ意味の重さは、一家とともに沖縄県を離れた彼女が引越し先の団地にて、生前のソータの幻影を「玄関先」で見る描写からも窺うことができます。
長男ソータが海での事故で“遠くへ出かけたっきり”になってしまった……ソータへ「おかえり」という言葉をかけることが永遠にできなくなったカオルにとって、どれほど大切な言葉であったか。それは決して、想像に難くありません。
何よりカオルが口にした「おかえり」は、ソータの死に囚われ、兄ではなく自身が生きていることに罪悪感を抱くほどに心が“迷い子”となりながら、それでもバスケという兄とのつながりを信じ生き続けたリョータにとって、最も母に求めていた言葉だったのかもしれません。
そして「背、大きくなった?」という言葉も、ソータの死によってもう一人の息子であるはずのリョータのことを真っすぐに見られなくなったカオルが、結果として「リョータの成長」への感動にすら気付けなくなっていた中で、ようやく彼と真っすぐに向き合えたからこそ出た言葉といえます。
まとめ/食卓の写真という“帰ってこれた証”
映画ラストシーンで描かれた、宮城家の食卓に置かれたソータの写真。
弟リョータと母カオルの心が長い間囚われ続けてきたのは「ソータの死」であり、ソータ自身は結局“遠くへ出かけたっきり”になっていた宮城家。
その中で写真を置くことを提案したのは、長兄ソータが亡くなった当時は彼の死を理解していなかったものの、成長につれてその意味を理解していった宮城家の末の妹アンナでした。
映画作中でも描かれた通り、かつてソータの自室に遺された品々を片づけるか否かで衝突したのが、リョータとカオルの確執を決定的なものにしました。
しかしラストシーンにてようやく、生前のソータの写真を食卓に置けるまでに、宮城家の人々はかつての哀しみに向き合えるようになった……その時にようやく、“遠くへ出かけたっきり”であったソータは宮城家に帰ってこれたのです。