妻を奪った悪魔を狩る!ニコラス・ケイジ、ジョルジ・パン・コスマトスの息子パノス・コスマトス、ヨハン・ヨハンソンがチームを組み、全く予想できない世界を作り上げました。
理不尽な地獄の中でただひたすら“赤”に灼かれるサイケデリック映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』をご紹介します。
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映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』の作品情報
【公開】
2017年(ベルギー映画)
【原題】
Mandy
【監督】
パノス・コスマトス
【キャスト】
ニコラス・ケイジ、アンドレア・ライズボロー、ライナス・ローチ、ネッド・デネヒー、オルウェン・フエレ、リチャード・ブレイク、ビル・デューク
【作品概要】
ニコラス・ケイジが復讐に燃える男を演じる、バイオレンス・リベンジ・スリラー。
愛する妻マンディとともに静かに暮らしていた男・レッドは、突然現れた凶暴なカルト教団に妻を惨殺され、たった一人での復讐を誓います。ところが得体の知れないバイク集団が彼の前に立ちはだかり…?
監督は『ランボー 怒りの脱出』『コブラ』などで知られた故ジョルジ・パン・コスマトスの息子パノス・コスマトス。
主人公レッドをケイジが演じ、妻のマンディには『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のアンドレア・ライズボロー。
音楽は『ボーダーライン』『博士と彼女のセオリー』などで知られ、2018年2月に急逝したヨハン・ヨハンソンが担当しました。
生前最後のスコアとなった本作は彼に捧げられています。
映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』のあらすじとネタバレ
1983年のカリフォルニア。
レッド(ニコラス・ケイジ)とその妻・マンディ(アンドレア・ライズボロー)は、山奥の小屋でひっそりと暮らしていました。
マンディは感受性が強く、星や自然に思いを馳せながら見事な絵を描く事ができました。
2人は穏やかに生活していますが、暗い過去を背負っていることが会話の端々から伺えます。
ある日、マンディは“新しい夜明けの子供達(以下、NDC)”を自称するカルト集団とすれ違い、NDCのリーダー・ジェレマイア(ライナス・ローチ)に見初められてしまいました。
ジェレマイアは一番地位の低い信者を生贄に捧げ、怪しげな笛と液体で異形のバイカー集団を召喚します。
信者達とバイカー集団はレッドとマンディを誘拐し、ジェレマイアはマンディを薬と毒液でトリップさせ、自分のものになるよう誘惑しました。
ところが、ジェレマイアが聞かせた自作の曲をマンディは嘲笑します。
ジェレマイアは元々フォークシンガーを志望していましたが、叶わずに神秘主義に傾倒し、セックスとドラッグを操るカルトリーダーになった男でした。
ジェレマイアは激高し、マンディを麻袋に入れ無惨に焼き殺してしまいます。
拘束されたレッドはそれを目の前で見せつけられ、気を失いました。
映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』の感想と評価
薬物を活かした演出の妙
主人公が妻を理不尽に殺される、というショッキングな始まりですが、恐らくチャールズ・マンソンによる殺人事件を下敷きにしたのではないでしょうか。
妻とともに美しい森の中で暮らしてきた主人公が、突然何もかもを奪われ一気に地獄に叩き落とされるとともに、世界もがらりと色を変え黙示録の様相を呈してきます。
あるいは、カルト主義者や半グレ達が、自分たちの土俵へ主人公を引きずり込んだ、の方が正確でしょうか。
そのグロテスクな色彩が本作の大きな特徴ですが、これを受け入れられるかが本作を楽しむ鍵となりそうです。
地獄と言えばブラック・スカルズのデザインは『ヘルレイザー』(1987)のセノバイトのようでとにかく格好良く、到底人間には見えないのですが、正体はれっきとした薬物中毒者。
理性から解放し原初の本能を呼び起こす薬物とカルトは切っても離せない関係であり、その本質は「神に近づくため」とされています。
ブラック・スカルズやジェレマイア達はその神性を盾にレッドを痛めつけるものの、レッドはそれを察したのかどうかLSDやコカインを次々と摂取し、もはや戦いは「誰が神に近いか」の殴り合いとなります。
最終的にはレッドが勝利しますが、薬物と精神的疲弊によって「俺こそが神」という信念を持たなければ負けていたでしょう。
心理描写に限らず、本作を構築する主軸は薬物そのものです。
薬物と神秘主義に取り憑かれた人物の目と耳を通して、観客は映画を鑑賞します。
画面は抽出した喜怒哀楽をこれでもかと強調し、そこにサイケデリックで淫靡な色を乗せ、ただひたすら本能と欲望のまま動く人間達を掘り下げていきます。
この描写こそがアクセントとなり、一見受け入れがたい雰囲気とは裏腹に、観やすく堅実に料理されている印象を受けました。
更に、丁寧に練られたアクションと俳優の演技がその脇を固め、悪夢的なエンターテイメントとして仕上がっています。
特に絶対に欠かせないのが、故ヨハン・ヨハンソンによる音楽です。
「なぜこの映画にヨハン・ヨハンソンが?」と初めは疑問でしたが、例えばヘビーサウンドでもサイケトランスでもなく、「そうきたか」と思える音楽性に圧倒されました。
地を這うようなテンポと、頭を擦り続けるのに心地良い不協和音が映像と見事に融合し、観る側のトランス効果を限りなく高めてくれます。
家で鑑賞の際にはぜひヘッドホンをつけて肩の力を抜き、うなされそうな心地よさに酔いましょう。
監督のテレビへの思い入れ?
本作ではテレビが印象的に使用され、異様な映像やテレビCMが次々と流れます。
例えば劇中CM「チーズ・ゴブリン」は、チーズ・ゴブリンと呼ばれる怪物が笑顔の子供たちにチーズマカロニを吐き散らすという一度見たら忘れがたい映像なのですが、テロップではこういった小品についても一つひとつ製作スタッフが記載されています。
テレビ映像に並々ならぬこだわりを見せるコスマトス監督は、恐らくテレビっ子だったのではないでしょうか。
本作のおどろおどろしい画面作りはロブ・ゾンビを連想しますが、彼もやはり相当なテレビっ子でした。
例えばテレビで育った人はテレビの、ネットはネットの、本は本の、それぞれのメディアの影響を受けて、それぞれの傾向が無意識に作品に現れるのかもしれませんね。
まとめ
ニコラス・ケイジの今までの出演作品とは明らかに傾向が異なりますが、本作を観た後では、この主人公はニコラス・ケイジしかいないと納得しました。
恐らく、ケイジファンの間では長く語り継がれる作品となるのではないでしょうか。
邦題は木曜洋画劇場のようですが、いわゆるサイケデリック・ムービーである『マンディ 地獄のロード・ウォーリアー』。
映像・演技・音楽・アクションともに質が高く、サイケデリックとバイオレンスが合体した娯楽作品として、オススメできます。