映画『みとりし』は2019年9月13日(金)より全国ロードショー!
「一般社団法人 日本看取り士会」の代表理事を務める、柴田久美子さんの提案からはじまった映画『みとりし』。
自宅で最期を迎える事を望む人に寄り添い、サポートする「看取り士」を題材に、2人の看取り士を通して、大切な人の旅立ちの瞬間に立ち会った、さまざまな家族の物語を描きます。
今回は企画・主演を務める榎木孝明さんにインタビューを行い、榎木さんご自身の死生観、役者として本作に携わる意味など、根源に触れるお話を伺いました。
CONTENTS
20代から思索し辿り着いた死生観
──今回、榎木さんは企画・主演を務めていらっしゃいますが、本作を制作するに至った経緯をお聞かせください。
榎木孝明(以下、榎木):まず、人間の死については昔から自分にとって最大のテーマで、青春時代にも随分と悩んだことがありました。
私は時代劇にみる、刀で敵を斬り倒すというようなフィクションの世界は大好きなのですが、それをやり続けていくと、20代後半くらいから段々と死に対しての本質論が気になりはじめたんです。
それは「何で産まれてきたのか」というような誰もが悩むことと同じですが、その本質を見極めないと結論は出ないと気付き、30代から時代劇などの見方も変わっていきました。
その頃はインドにひとり旅に出て、ヒマヤラに単独で入ったりと、1ヶ月間くらいひとりになれることがあったので、思索にふける時間が随分とあったんです。
榎木:そんな死に対しての疑問に近い拘りがある中、今から十余年前に、本作の原案者である柴田久美子さんと島根県の小さな島でお会いして、はじめて“看取り士”という言葉を聞きました。
その時に柴田さんが看取り士として御老人が息を引き取るまでケアをなさっている現場を目の当たりにしました。
まさに今、死に向かっている人がいる中で、柴田さんをはじめスタッフの方たちがいるその場所は、なにかあまり暗くない空気感があって、自分が求めている答えもこれに近いという気がしたんです。
私も“看取り士”のような発想や思考、思想はこれから必要な時代になるだろうなという予感があって、柴田さんと、いつか映画になって広められたらというようなことをお互いに話したのを覚えています。
その後も柴田さんとは連絡はたまに取りあっていたんですが、今から3年前に柴田さんから本格的に映画にしたいという連絡があり、次の段階に入っていった次第です。
死の中に生を見出す
──「看取り士はこれから必要になってくる」というのは、目前にある超高齢化問題などを鑑みてということでしょうか?
榎木:そういった事もありますが、私は昭和31年の生まれで、自分の体験として、人の誕生も死も身近なところで起きていました。私自身も産婆さんに取り上げられましたし、祖母が亡くなる時も家族みんなで看取っています。
現在、病院死は全体の85%だそうです。直接結びつけることは出来ないかも知れませんが、子どもたちのいじめ問題や、自死などといった社会現象は、死を身近なところから遠ざけたことは無関係ではないと感じています。
世の中を変えようとかそんな大袈裟な事ではないんです。死を身近なものとすることで、分かるものも出てきて人生が違ってくるという実感が私にはあるんです。
──映画冒頭では、榎木さん演じる主人公には生の中に死が存在していて、その後に看取り士となり、死を迎える人の中に生を見出しているように受けとめました。
榎木:まさにそうですね。私の役は、映画冒頭で、生きる希望がなくなり、生きる意味も分からなくなって電車に飛び込む寸前で止められます。
死を選ぶ瞬間というのは、どこかぼうっとしたような状態で、なにかの衝動で死ぬということを聞きますが、私の役もそういう心理状態だったと思うんです。
そんな人間が看取り士と会うことで、もうひとつの人生を模索する。いま言われた「生の中の死」から「死の中の生」へと発想の転換が生まれたのでしょう。
現在の自死数は年間約2万人弱らしく、毎日55人近くの人が自死されている。これはもう異常な世界で、れっきとした社会問題です。
それにもかかわらず、電車遅延などが日常茶飯事におこり、もはや普通のこととしてスルーしてしまっている。このこと自体が異常なことなのに、いつのまにか傍観者となってしまっています。
全ては割り切れていないのが人間
──役についてお伺いします。看取り士を演じるにあたり、どのようなリサーチをされたのでしょうか?
榎木:もちろん原作となった柴田久美子さんの著書は読んではいましたが、実際に看取り士の研修に参加し、上級者試験の過程を体験させて頂きました。
その看取り士体験では、看取るほうはもちろんですが。看取られるほうも体験できるんです。
映画の中でもあったように、看取る人が看取られる人の頭上にいて膝枕する形になり、手を握ってあげる。実際に研修でも死んでいく人の体験もさせてもらったのですが、凄く心地が良かったんです(笑)。
「なるほど、こういう死にかただったら良いよな」と感じましたね。あれは実感できて良かったです。
孤独死を迎える人は年間に2.7万人ほどいらっしゃるそうです。突然死の場合もありますが、そうではなく、衰弱して身体が動かなくなり、電話も出来なくて、その中で死を迎える人の気持ちを考えると、自分が実際に看取られた体験をしたあの至福感とはえらい違いがあるなと思いました。
──映画の中で、看取った後、村上穂乃佳さん演じる新人看取り士みのりと話をしながら、静かにリンゴの皮を剥いているショットは、個人的な感情を内包させながら、物事を達観している様でとても印象的でした。
榎木:私の役は、感情の中に陥っていかないような、ちょっと俯瞰的な立ち位置が大事なんだろうなと考えていました。
いま仰った「リンゴを剥く」という行為は私も凄く好きです。この行為は看取った後に自分のルーティーンとしてやっていますが、看取り士として彼女を導きながらも、個人の感情的な部分を落とし込めるものでしたね。全ては割り切れていないのが人間ですから。
あれが有るか無いかでは映画として全然違うものになっていたと思います。相反するものが混在したとても良いシーンを作ってくれました。
そういった意味ではラストもそうですね。相反する立場になっていく訳ですから。
共感と協働を生んだ撮影現場
──ヒロインの村上穂乃佳さんはいかがでしたか?
榎木:とてもピュアな方で、今回の役にピッタリだなと感じました。
彼女の役は、お母さんの事を引きずりながら生きているという設定でしたが、本当にそうなんじゃないかと思うくらいに役に入り込んでいて、一緒にやっていても全く違和感を感じませんでしたね。
本当に自然な演技で私自身もスッと入っていけました。
こういった映画の芝居は作り過ぎても駄目だと思うんです。なにか魂だけがそこにいて、存在していれば、あとは必要以上にオーバーな芝居をせず、淡々と目の前に起きていることを伝えるだけで良いので、それを彼女はしていましたよね。
──白羽弥仁監督はいかがでしたか?
榎木:全体を俯瞰しながら、とても良い現場を作ってくれました。
監督もこうした世界観が好きな方だったので、意見がすれ違うこともなく、非常に良い関係を築けたと思っています。
死生観で共感しあえることが多くあり、協働できたことは、作品作りにおいても大切なことでした。
ワクワクして生きる
──榎木さんにとって役者とはなんですか?
榎木:なんでしょうね(笑)。私はあまり「役の者」といった言い方はあまり好きでは無いんですけど、この映画をつくって、改めて生と死に向き合って、こういうことがやりたかったんだ、ということが明白になりましたね。
その中で敢えて役割があるとしたら、今の時代、大人が子どもにちゃんとした事を言えないと感じているので、私は代弁者として映像の世界にいて、そういうことをちゃんと伝えていく役割を担うために、ここにいるのかなという気はしています。
もちろん若い頃は有名になりたかったし、モテたかったし、個人的な欲望が人並みにいっぱいありましたけどね(笑)。
還暦を過ぎて、終活に入った中で、改めて何がやりたいのかを考えると、表現を通して何かを感じて受け取ってもらえることが、自分にとっていちばん嬉しいことでやりたいことなんだと思います。
あとは「ワクワクして生きたい」というのは昔から変わらず持っていて、いつも自分を活性化することをやりたいと考えているので、それがちょうど役者だったのでしょうね。
本物の時代劇
──ワクワクするものは本作以外にも既にお持ちですか?
榎木:いっぱいありますね。ひとつは、本物の時代劇を作りたいです。昔の時代劇はあんなにワクワクしたのに、今の時代劇はどうして気持ちが入っていかないんだろうということをいつも考えています。
──本物の時代劇というのは?
榎木:殺陣にしても、立ち居振る舞いにしてもそうですが、本来の精神性を伴った表現が出来ている作品ということでしょうか。
私は明治維新の以前と以後では世界は全く変わっていると思っています。いま私たちが普通に運動したり筋トレしている様子は明治以後の新しい概念です。
今日にみるスポーツの概念は、明治政府が強い軍隊を作るためにやった行進や体操、筋トレが、学校を通して一般化したものです。
私はそれ以前の江戸時代の日本人の身体感覚に凄く興味があります。そこにたどり着けたら筋力、体力、年齢は超越します。無駄な力を一切使わなくてすむ世界ですから。
いまを生きるために
──最後にこれから『みとりし』をご覧になる方へメッセージをお願いします。
榎木:死を身近に感じて頂きたいです。死を遠ざければ遠ざけるほど、生が見え辛くなってきます。死を知れば、今を大事に生きようと思えてくるはずです。
特に若い方にとって死は遠い場所にあると思われがちです。私も若い頃は滅茶苦茶なことをやっても、それが死に繋がるなんて毛頭考えていなかったですが、実は死というのは生と表裏一体です。
死は誰も免れないもので、死についてちゃんと考えることは絶対に必要だと私は思っています。
柴田さんがやろうとしていらっしゃることは、死を生と同等の位置に見ることだと思います。
死は暗くて辛くて悲しくて怖いというようなマイナスイメージがどうしてもあります。でも本当にそうでしょうか。映画を通して、死を、そして生を見つめ直すきっかけにして頂けたら嬉しいです。
インタビュー・写真/大窪晶
榎木孝明(えのきたかあき)プロフィール
1956年1月5日、鹿児島県出身。
1978年に劇団四季に入団し「オンディーヌ」(81年)で初主演。退団後、連続テレビ小説「ロマンス」の主演でドラマデビューを果たします。95年にスタートした「浅見光彦シリーズ」は2002年まで主演を務める大ヒットシリーズとなります。
主な映画出演作に『天と地と』(90年)、『天河伝説殺人事件』(91年)、『半次郎』(10年)、『マンゴーと赤い車椅子』(14年)、『きばいやんせ!私』(18年)などがあります。
映画『みとりし』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【監督・脚本】
白羽弥仁
【原案】
柴田久美子
【キャスト】
榎木孝明、村上穂乃佳、高崎翔太、斉藤暁、大方斐紗子、堀田眞三、片桐夕子、石濱朗、仁科貴、みかん、西沢仁太、藤重政孝、杉本有美、松永渚、大地泰仁、白石糸、川下大洋、河合美智子、つみきみほ、金山一彦、宇梶剛士、櫻井淳子
【作品概要】
人生最後の瞬間を、最高の時間にして送り出す事を目的にした、実在する認定資格、看取り士を通して、さまざまな家族の物語を描くヒューマンドラマ。
主人公、柴久生を「浅見光彦シリーズ」で知られる名優、榎木孝明が演じており、本作の企画にも携わっています。
柴久生の指導を受けながら、成長する新人看取り士の高村みのりを、1200名のオーディションから選ばれた、新人女優の村上穂乃佳が演じており、他に斉藤暁や宇梶剛士、櫻井淳子など、演技派俳優が多数出演しています。
本作の監督を、サンセバスチャン国際映画祭でも上映された『ママ、ごはんまだ?』(2016)や、『能登の花ヨメ』(2008)などの作品で知られる、白羽弥仁が務めています。
映画『みとりし』のあらすじ
定年間近のサラリーマン柴久生は、交通事故で娘を亡くして以降、家族とバラバラになり、喪失感を抱えていました。
自暴自棄になった柴は、電車に飛び込む寸前に何者かに止められ、天から「生きろ」という声が聞こえます。
出社した柴は、会社の同僚で切磋琢磨してきた友人である川島が亡くなった事を聞かされます。
しかし、会社の上司は、川島が亡くなった事を悲しむ様子を見せず、柴の転勤の話を進めようとする為、嫌気がさした柴は会社を早期退職します。
川島のお墓を訪ねた柴は、川島の最後を看取った女性と出会い、看取り士という仕事を知ります。
5年後、セカンドライフとして看取り士の道を進んだ柴の姿は、岡山県にありました。
柴はボランティアスタッフと共に、看取りステーション「あかね雲」を立ち上げ、地元で唯一の病院となる、浩原診療所の清原医師と連携し、患者の最後を温かく看取る為の、活動に力を入れています。