映画『メモリーズ・オブ・サマー』は、2019年6月1日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー!
映画『メモリーズ・オブ・サマー』は、ポーランドの第32回ワルシャワ映画祭のインターナショナル・コンペティション部門に公式に選ばれたほか、同国のシネルジア映画祭ではクリスタルアップル賞を受賞。
映画監督アダム・グジンスキが新たな少年を主人公に描いた本作品『メモリーズ・オブ・サマー』の公開にあたり、インタビューを行いました。
本インタビュー記事では、アダム監督の細部にこだわった演出がどのような意図から施されたのか。
また影響を受けた“私の先生”と呼ぶ師匠たちの映画作品と自身の作品との距離感など、映画作家とはいかなる存在なのか真相に迫ります。
CONTENTS
『メモリーズ・オブ・サマー』に見る映像表現
──本作『メモリーズ・オブ・サマー』では、人物設定や、構造的な仕掛けなど、鑑賞を深めていく要素が多くありました。監督の映画作りに際し、少年の視点を軸にした作品制作の意図をお聞かせください。
アダム・グジンスキ監督(以下、アダム):大学時代から子供に関する映画を作っていますが、子供を描くと言うよりは子供の視点から大人の世界を描いていました。子供は大人よりも感情的に、必ずしも知的ではない方法で世界を注意深く見ています。
私は映画作りにおいて何かを言い切らない、見せ切らない、鑑賞のための余白を残しておくといった繊細な映画作りに主眼をおいており、そのような物語の世界を鮮やかに、かつ感情的に描くと言うことに子供は素晴らしい媒体だと思っています。
繰り返される編集手法
──監督の作家性を反映させるために、編集に関してどのような意図や狙いをもっていましたか?
アダム:観客に感情を押し付けるような描き方ではなく、観客に、少年が感じていることを自分自身の感情のように感じてもらいたい。そのため編集において私は少年の心情を一番重視しました。
物語の展開上必要最小限のものを映画の中に入れていき、不必要なものをどんどん削っていく。そうやっていくと「もうこれで十分だ」と思う瞬間が訪れる。そのようにして映画を簡潔化していきました。
私は一つ一つのショットを長短を考えずいろんな長さのショットを使いながら、しかし不必要なものは全部カットして、主人公の感情が1番ビビットに伝わるものを作り上げていきました。
また映画の構造ということでいえば、この映画ではかなりたくさんの同一構造のショットが繰り返されます。
ある時は少年と母親との構図が女の子とのショットになったり。別の人物との組み合わせによって、その変化を意図的に表していきました。
記号としてのメタファー(象徴)
──本作品では、少年の心情や人物を補完する役割としての象徴(メタファー)が多くみられました。例えば、汽車、子鹿、チェスなど、それらについてはいかがですか?
アダム:東洋の映画から、小さな、ほんの些細なものがいかに多くのことを物語るのか、物語に大きな影響を与えるのか、それに集中することによって、意味が出てくるということを学びました。
黒澤明監督や、小津安二郎監督などを見て育ちましたが、彼らこそメタファーの王様とでも言うべき存在ですね。小道具やちょっとした身振りだとか。
ベトナムのトラン・アン・ユン監督の『青いパパイヤの香り』、ウォン・カーウァイ監督からも小道具の力を学びましたね。
私の映画に関して言えば、男の子の持っている琥珀のペンダントですよね。チェスについては、少年の母親は、チェスが嫌いでポーカーをやろうというわけですが、それだけでも彼女について実は多くのことを物語っています。
このようなディテールが持っている「命」について、私は東洋の映画を見て研究したと思っています。
映画のお手本となった巨匠たち
──監督のオフィシャルのコメントに、巨匠フェリーニ監督とトリュフォー監督の名前がありました。その二人の監督について考え方をお聞かせください。
アダム:私はトリュフォー監督の大ファンで映画『大人は判ってくれない』には強烈な印象があります。トリュフォーは同じ俳優(ジャン=ピエール・レオ)を使って主人公のその後の人生を映画に撮っている。そういった1つの伝記的映画方法はとても興味深いと思います。
ただ私の映画作りの先生と言うべき監督は、やはりイングマール・ベルイマン監督です。人間の非常に難しい関係の「真実」とでも言うようなところに到達する。
ただ私は私。ベルイマンはベルイマンですので、私なりに思うんですけれども…。
私の師としてもう1人名前は挙げたいのは、ダルデンヌ兄弟(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督)です。映画『イゴールの約束』では、子供が置かれた困難な状況の中で、どうやって生き抜いていくかを真正面から描いている。
映画作り全般における私の先生ともいうべき存在は、ベルイマン監督ですし、子供の映画と言うことでいうと、トリュフォー監督、ダルデンヌ兄弟。
フェリーニ監督に関していうと、彼の映画は現在と過去を全く切り離された世界として、もっと形式的な美学で描いている。それは少し私の作品観とは離れています。
ポーランド映画の文脈と宗教観
──日本人はポーランドの映画といえば、アンジェイ・ワイダ監督や、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の特に『デカローグ』を思い浮かべます。これらの監督もそうですしベルイマン監督にしても作品の中に宗教の影響がありますが、今回の監督の『メモリーズ・オブ・サマー』にはそれらがありませんでした。その点に関していかがでしょう。
アダム:非常に複雑な問題ですね。ポーランド人の宗教性について、なかなか難しい問題です。
キェシロフスキ監督に関して、私は非常に彼を尊敬していますし、私にとって大変重要な監督の一人です。『デカローグ』は、ポーランドを舞台にある種の道徳的な選択を描いている貴重で素晴らしい作品です。
たしかに『デカローグ』のアイディアそのものは宗教的に見えますが、例えば教会をテーマにしたものは10作品中2作品ぐらいで、必ずしも登場人物が宗教的に厳密な意味で戒律を実践し、それに従って生きてるわけではありません。
むしろあの映画の特徴は宗教を入り口にして、普遍的なものを描いていることだと思うのです。いずれにせよ、そのような道徳的な選択を描くことは、ある種の繊細な感性が必要です。
私自身はキリスト教カトリック信者なのですが、厳密な信者と言うよりは、むしろ仏教に興味があります。カトリックよりも座禅による思索や瞑想に親近感があります。
現在ポーランドでは、教会は徐々に組織的になりつつあり、教会に対しても失望しているというのがあります。もちろん宗教性と言うものはポーランド人の生活に深く入り込んだテーマですからそれらを描く作品に対して尊重しますが、私は特に宗教的なテーマを取り上げようと思っていないというのが現状です。
私が興味があるのは、複雑な人間関係というテーマです。そこに宗教性というものを押しつけたくありません。それに「宗教」というテーマは、私の先生であるベルイマンがすべて語っていますから(笑)。
作家主義について
──監督は作家性というものをどのように考えていますか?
アダム:作家主義と言うのはまず、注文によって映画を作るのではなくて、自己の内的な欲求、必要性から物語るものだといえるでしょう。
ただ必ずしもそれが多くの観客にとって魅力的なものとは限りません。ただハリウッドのような映画だけが、観客にとって魅力があると思うのは間違いです。
難解な映画、難しいテーマを扱うことで、観客に対してある種の努力を強いるのですが、そのようなチャンスを観客に与えないといけないと私は考えているんです。
例えば今の観客、特に若い世代の人達は、集中してものを見続けることができなくなっている。だから集中してそれを観て、議論ができると言う状況を作っていくわけです。
かつて私の子供時代は、フェリーニの全作品をテレビで観て、家族と作品について話し合ったわけです。ベルイマンの映画ももちろんテレビでやっていましたし、ヴェルナー・ヘルツォークの作品やアンドレイ・タルコフスキー、もちろんキェシロフスキ監督もテレビ用の作品を作っているわけですし、そういった映画を普通にテレビで見て育ちました。しかしそれがハリウッド映画によって全てテレビから追いやられてしまい、今ではなかなか観ることのできない作品になってしまったわけです。
作家主義的な映画と言うものをテレビで見るということができなくなってしまったわけです。そのような作家主義というべき作品群が人々に伝わらないといって諦めてしまうのではなく、人々に鑑賞してもらえるような環境を作ることが大切だと私自身考えているのです。
通訳/ 久山宏一
インタビュー / 出町光識
撮影 / 河合のび
アダム・グジンスキ(Adam Guziński)のプロフィール
1970年、ポーランドのコニンに生まれ、14歳の頃、父親の仕事の都合で中央部のピョートルクフに移る。
ウッチ映画大学でヴォイチェフ・イエジー・ハスの指導を受け、短篇映画『Pokuszenie』(1996)を発表。続いて、父親のいない少年を主人公にした短編『ヤクプ Jakub』(1997)がカンヌ国際映画祭学生映画部門で最優秀映画賞を受賞したほか、数々の映画祭で賞を受賞。本作は、2007年に東京国立近代美術館フィルムセンター(現国立映画アーカイブ)で開催された「ポーランド短篇映画選 ウッチ映画大学の軌跡」でも上映された。
短篇『Antichryst』(2002)を手がけた後、2006年、初の長編映画となる『Chlopiec na galopujacym koniu』を発表。作家の男とその妻、7歳の息子の静かなドラマを描いたこのモノクロ映画は、カンヌ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門に正式出品された。『メモリーズ・オブ・サマー』はアダム・グジンスキ監督にとって長編2作目となる。
映画『メモリーズ・オブ・サマー』の作品情報
【日本公開】
2019年6月1日(ポーランド映画)
【原題】
Wspomnienie lata
【脚本・監督】
アダム・グジンスキ
【キャスト】
マックス・ヤスチシェンプスキ、ウルシュラ・グラボフスカ、ロベルト・ビェンツキェビチ
【作品概要】
1970年代頃のポーランドを舞台に、子どもと大人の狭間で揺れ動く12歳の少年の“ひと夏”を描いた作品。
アダム・グジンスキ監督が少年の視点だからこそ“見える世界観”にこだわり、製作した新たなる少年の思春期を切り取った映画です。
映画『メモリーズ・オブ・サマー』のあらすじ
1970年代末のポーランドの小さな田舎町、夏。
12歳の少年ピョトレックは、母親のヴィシアとはじまったばかりの夏休みを過ごしていました。
父イェジーは外国へ出稼ぎ中でしたが、母と息子は石切場の池で泳ぎまわり、家ではチェスをしたり、ときにはダンスを踊るなどして過ごしていました。
母と息子の間には強い絆があり、ピョトレックは楽しく夏休みを過ごしていたようにみえたが、やがて母親ヴィシアは毎晩のように家から外出をするようになりました。
ピョトレックは、母親が綺麗な服に着替えオシャレをし、ウキウキうとした様子に、微かな不安を感じ始めます。
そんなある日、団地に都会からマイカという少女がやって来ました。
母親に連れられ、嫌々、おばあちゃんの家へ遊びに来たマイカは、田舎が気に入らないようでした。
仏頂面を見せるマイカに、ピョトレックは一目で惹かれていきます。やがてふたりは徐々に仲良くなり、郊外へ一緒に出かけるようになりました。
一方でピョトレックの母親は相変わらず夜になると、誰かに逢いに出かけてばかりいました。
月に一度、外国で働いている父親のイェジーから、二人の住む家に電話がかかってきます。
喜んで話をする息子ピョトレックでしたが、「ママに何か変わったことはないか?」と父親に尋ねられると、ピョトレックは沈黙をしてしまいました。
その様子を見ていた母親ヴィシアは、ピョトレックに「なぜあんな真似を」と怒りをぶつけます。
その日から、息子と母親の間には緊迫した空気が流れ始めます。そんななか、突然、父親イェジーが出稼ぎから帰って来ると…。
映画『メモリーズ・オブ・サマー』は、2019年6月1日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー!