ほんの一瞬だけでも分かり合えたら…。
感情を抑えられない女と、真摯に向き合わない男。
不器用な男女の真っ直ぐでエモーショナルなラブストーリー『生きてるだけで、愛。』をご紹介します。
映画『生きてるだけで、愛。』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【原作】
本谷有希子『生きてるだけで、愛。』(新潮文庫)
【監督】
関根光才
【キャスト】
趣里、菅田将暉、田中哲司、西田尚美、松重豊、石橋静河、織田梨沙、仲里依紗
【作品概要】
過眠症で感情をうまくコントロールできない引きこもり気味の女と彼女の恋人で、彼女に真摯に向き合わない男の姿をみつめた芥川賞作家・本谷有希子の同名小説を趣里主演で映画化。趣里が体当たりの演技を見せている。
様々なCM作品やミュージックビデオを手がけてきた映像作家・関根光才の長編劇映画初監督作品。フィルムの質感にこだわり全編16mmフィルムで撮影された。
映画『生きてるだけで、愛。』のあらすじとネタバレ
寧子と津奈木は同棲して三年目の恋人同士です。
寧子はメンタルに問題を抱えていました。今は鬱の状態に入り、過眠症で敷きっぱなしの布団で寝てばかりで、津奈木が声をかけても「うるさい!」と怒鳴り、ものを投げつけるといった調子です。
姉とラインをすることが唯一の世間とのつながりでした。寝てばかりで働かなかったらいつ彼氏に愛想をつかされてしまうかわからないよ、と姉は盛んに忠告してきます。
津奈木が弁当を買いに出たあと、寧子は煙草をきらしているのに気づきました。煙草とコーラーを買ってきて、と津奈木にメールを送りました。
自動販売機でコーラーを買った津奈木は販売機がへこんで割れているのを観て、寧子と初めて出会った日のことを思い出しました。
飲み会で酔っ払った寧子を津奈木が送っていくことになり二人で歩いていた時、寧子は自動販売機で水を買って飲み干すと、突然頭を自動販売機に打ち付けたのです。額からは血が流れていました。
「血が出ていますよ」とびっくりした津奈木が呼びかけると、寧子は「こういう時って思いっきり走りたくなるんですけど」と全速力で走り出しました。
夜の街を蒼いドレスを翻しながら走る寧子を津奈木は必死で追いかけていました。
そんな津奈木は、物書きになりたくて出版社に入ったものの、低俗な週刊誌の編集部に配属され、ゴシップ記事の執筆に追われる日々を送っていました。
私生活を暴露されたせいで自殺したタレントも出たというのに、編集長はまたもや、ある女優のスキャンダラスな記事を津奈木にまわしてきました。
同僚の女性記者が、今の職場への不満を口にし、「その記事やばくないですか? 絶対裏とってないですよ」と言っても津奈木は「しばらくしたらみんな忘れるでしょ」と応え、淡々と仕事をこなしていました。
姉の忠告に従って、バイトの面接を受けようとした寧子でしたが、起きることが出来ず、面接をドタキャンしてしまいます。
姉は電話をかけてきてどうだった?と尋ねますが、寧子は応えることができません。
「面接落とされたの?」と問う姉に「それ以前で駄目だった」とやっとの思いで応えると、受話器の向こうでため息が聞こえました。
ある日、寧子から「今日何か食べたいものある?」というメールが来て、津奈木は「ハンバーグと目玉焼きかな」と返信しました。
寧子はスーパーで買い物をしていましたが、ミンチが売り切れていたせいで調子が狂い、卵を床に落としてしまい愕然となります。
家に戻って、電子レンジを使おうとすると、ブレイカーが落ちてしまい、寧子は大声を上げて泣き出しました。
津奈木が戻ると、真っ暗な部屋でうずくまっている寧子がいて驚きます。
彼が冷静にブレイカーを上げると、電気がつき、寧子は泣きはじめました。津奈木は黙って彼女を抱きしめるのでした。
いつものように昼過ぎまで寝ているとドアのチャイムが鳴りました。しぶしぶ起き上がってドアを開けると、そこには見知らぬ女が立っていました。
かつて津奈木とつき合っていた安堂という女性で、津奈木を見かけて尾行したら彼の部屋に寧子がいることを知ったのだといいます。
安堂は、津奈木と復縁する気満々のようです。
「津奈木の性格では、私と付き合うことになったからってあんたを追い出すなんてこと、できないはず。だからあなたにはちゃんと働いて自立してもらわないと困るの」と一方的にまくしたてて、勝手にカフェバーでのバイトを決めてしまいます。
やっていけるかまったく自信がない寧子でしたが、店長や別のバイトの女の子は、彼女が鬱だという事情を知りながら「立ち直りたいんだろ?」と快く迎えてくれました。
その優しさにジーンと感動する寧子でしたが、相変わらず、きちんと起きられず、遅刻ばかりしてしまいます。
それでもおおらかな気持ちで彼女を受け入れてくれる店長たちに、私もちゃんとやれるかもしれないと、寧子は一生懸命働くのでした。
その頃、津奈木はたくさんの仕事を押し付けられ、夜遅くまで働くことが増えていました。
疲れ果てて帰ってきた津奈木に寧子が今の気持ちを吐露してきますが、津奈木は寝させてくれと仕切りのカーテンを引こうとします。
「あんたの味のなさ、私にもちょうだい」と寧子から皮肉を投げつけられても、「疲れてるんだ」と津奈木はカーテンを引いてしまいます。
映画『生きてるだけで、愛。』の感想と評価
メンタルに問題を抱えた女性の話というと、深刻で、重々しいドラマを想像してしまいます。
実際、趣里演じる寧子の行動はどれも、痛々しく、不平不満が他者への攻撃として現れる一方、激しい自己嫌悪に陥って自分を痛めつけさえします。
その一方で、どことなく、ユーモアがあり、なぜかクスっと笑ってしまうところもあって、それがこの作品を生き生きとしたものにしています。それもこれも趣里が圧倒的な熱量で主人公を演じきっているからです。
作ったメンヘラ像ではなく、寧子という人物をどーんと引き受けてまるごと生きようとする趣里の覚悟が、物語の魅力となって、強く立ち上がってくるのです。
回りの人は寧子を「甘えている」と度々表現しますが、彼女はまったく甘えてなどいません。
感情をコントロールできないため、時に爆発してしまいますが、彼女は「私を理解して」「私を助けて」なんてこれっぽちも誰かに依存していませんし、駆け引きなどもしません。
静かにやり過ごす生き方をしている恋人の津奈木に対しても、私にぶつかってきて、私と一緒の熱量で生きて!と映画の終盤に訴えていますが(そしてそれも依存なのかと尋ねていますが)、彼に優しく癒やされたいとか、守られたいなどと思っているわけではありません。
彼女はすべてを自分で背負っている人なんです。だからこそ、生きづらい。自分自身をよく知っていて、なんとかしたいと思っているからこそ、辛い。それは自分でしか出来ないことだと知っているから、本当にしんどい。
寧子という人物にどんどん共感していくのが不思議でもありましたが、それもこれも、様々な表情を見せる趣里にひっぱられてのものでしょう。
山戸結希監督の『おとぎ話みたい』(2013)で、田舎町に住む頭でっかちの女の子の恋心と失望感を見事に演じていたのが記憶に新しいですが、ここまですごい女優になるとは、とちょっと今、驚愕しています。
津奈木という人物は、物静かで理解があるようで、実はそれほど親身に考えていない男であり、優しいようで実はただやり過ごしているだけの男です。
この難しい役を、菅田将暉は、いつものパワフルさを封印して抑えた演技で表現しています。
現代を生きるための処世術という表現が正しいかはわかりませんが、この津奈木という男の生き方と寧子の生き方はまったく真逆で、だからこそ三年間、一緒に生活が出来たのでしょう。
寧子がいうように同じように生き、同じようにぶつかっていたら、彼らはとっくに疲れ果てて別れていたに違いありません。
寂しさを埋め合わせるためにお互い側に居たというよりは、側にいることでどんどん孤独になっていた三年間だったのかもしれません。それでも、寧子が、二人が共有した“一瞬”というものを肯定的にとらえる姿に救いを感じます。
この時の赤いライトに照らされた寧子の表情が妙に大人びていて艷やかで美しく、これがおそらく、津奈木が彼女と出会ったその日に、彼女の蒼いドレスを観て思ったものと同じ“美”なのではないか⁈
趣里から発酵され、津奈木が熱望した美を映画は鮮やかに描き出しています。
監督は、本作が初長編劇映画となる関根光才。フィルムの質感にこだわり全編16mmフィルムで撮影されたそうですが、なんと魅力的に街を、夜を、その空気を撮るのでしょうか。
趣里たちが住むアパートの屋上は、旗のようなぼろ切れが、いくつもたなびいていて、広がる空間は、まるで船の看板のようです。
そこから見下ろせる夜の街のきらきらとした風景が、まさに人生の大海のように広がっていてハッとさせられるのです。
まとめ
仲里依紗のクール・ビューティーな演技も素晴らしく、彼女が凄めば凄むほど、可笑しみがましてくるところも、この作品の面白さの一つです。
また、津奈木の同僚の女性記者を演じた石橋静河も少ない出番ながらよい仕事をしています。ベテラン俳優ががっちり、若い二人を支えており、関根監督の確かな演出力が光ります。
ところで、仲里依紗が演じる安堂が寧子に盛んに言うセリフに「私はこんなに一生懸命働いているのに、鬱で寝てばかりで働かないあなたに貧乏くじひかされるなんてお断りよ」というのがあります。
生活保護受給者を叩く人の言い分とそっくりなのです。弱者がさらに弱者を追い込む社会状況がこのセリフに表れています。
さらに、津奈木が勤めている雑誌編集部の編集長が東京オリンピック批判の記事におびえるようなセリフをはいています。権力に震える気概のないジャーナリズムの姿が一瞬ですが、姿を表しています。
映画は決してそれらを声高に主張したりはしません。しかし、この時代の息苦しさの一端がそこに現れていて、これまたハッとさせられるのです。