少女の中の願い(タブー)が目を醒ます時…。
世界が固唾を飲んだノルウエー発の衝撃作、ヨアキム・トリアー監督の『テルマ』をご紹介します。
映画『テルマ』の作品情報
【公開】
2018年(ノルウェー・フランス・デンマーク・スウェーデン合作映画)
【原題】
Thelma
【監督】
ヨアキム・トリアー
【キャスト】
エイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンス、ヘンリク・ラファエルソン、エレン・ドリト・ピーターセン、
【作品概要】
『母の残像』などで知られるノルウェーのヨアキム・トリアー監督によるスーパーナチュラル・スリラー。
幼い頃の記憶を封印された少女が、大学生となって都会に出、初めての恋を経験したことをきっかけに、恐るべき秘密が明らかになっていく。
第90回アカデミー賞、第75回ゴールデン・グローブ賞の外国映画賞・ノルウェー代表に選出され、アメリカでのリメイクも決定した。
映画『テルマ』のあらすじとネタバレ
ノルウエーの凍った湖の上を父のトロンと幼い娘テルマが歩いていました。テルマは驚いたように立ち止まりました。氷の下で小さな魚が泳いでいるのが見えたからです。
氷はところどころ溶けかけてヒビがはいっていました。父は娘をうながして再び歩きはじめました。
雪深い森にはいった父娘の前に鹿が現れました。じっと動かない鹿と猟銃を構える父。娘は魅せられたように鹿を見つめていました。
突然父は鹿に向けていた銃を娘に向けて構えました。しかし発射されることなく銃はおろされました。鹿は逃げてしまい、娘はふりかえって何故?という表情をしました。
数年後。テルマはオスロの大学に受かり、親元を離れて寮生活を始めていました。田舎の両親は、毎日のように電話をかけてきて、少しでも出ないと心配な様子です。母は車椅子生活を送っていました。
ある日、図書館で勉強していると、黒い鳥の群れの中から一羽が窓にぶつかりました。テルマは激しい発作に襲われます。
病院で検査を受けますが、原因ははっきりとわかりませんでした。
プールで泳いでいると、一人の女子学生がそばにやってきました。発作が起きた時、隣で勉強していたアンニャという女子学生でした。心配して声をかけてくれたのです。
このことをきっかけに二人は急速に親しくなっていきます。
テルマは敬虔なキリスト教信者で、そのため、お酒を口にしたこともありませんでしたが、自由奔放で大人びたアンニャと行動をともにしだしてから、お酒やタバコを経験し、大人の世界に足を踏み入れます。酔った勢いでキリストの悪口まで口にすることもありました。
母からの電話を無視することが増えると、父から電話がかかってきました。「友だちと遊びに出てたの」と正直に話すと父は「なによりだ」と言い、「でも気をつけてな」と付け加えるのでした。
ある時、アンニャに誘われ、音楽会に出かけたテルマでしたが、上演中、アンニャが手をテルマの体に這わせてきたことで激しく動揺し、ロビーに飛び出してしまいます。
自分を堕落したと恥じ、罪悪感に包まれたテルマは「主よ、このような考えを捨てさせてください」と繰り返し、繰り返し祈るのでした。
父はテルマのことを心配し、「何かあったんだろう」と聞いてきました。「お酒を飲んだの」とテルマが応えると、父は「やっぱり」と呟きましたが、すぐに「お酒くらいならいいだろう。よく話してくれた」と言いました。テルマはそう言われて少しほっとするのでした。
男子学生に誘われてやってきたパーティーにアンニャの姿がありました。「どこへ消えてたの?」と微笑むアンニャに「いろいろあってすっかり忘れてた」と応えるテルマ。
大麻を吸うという仲間に促されて、アンニャも吸ってみました。不思議な気分に襲われた彼女は、アンニャと抱き合う性的な妄想にふけっていました。
が、実はそれは大麻でななく、普通のタバコであることが判明。一部の学生が彼女をからかったのです。指摘され、きまり悪そうな顔を見せる男子学生たち。
それからも何度か発作に襲われたテルマは病院に入院して精密検査を受けることになりました。
彼女の幼い頃のデーターが知りたいと医師はテルマの故郷の病院からカルテを取り寄せ、テルマが幼い頃に精神衰弱を起こし、治療していたことを指摘します。
しかしテルマにはなんの記憶もありませんでした。医師によると、幼い子には随分きつい薬が処方されていたようです。
テルマが幼い頃、母は生まれたばかりの弟の世話で手一杯で、テルマはかまってもらえずにいました。
母が弟をサークルに入れ、その場を離れると赤ん坊は大声で泣き始めました。テルマは弟の側に近づき、何かを願ったようでした。すぐに弟の声は聞こえなくなりました。
母が戻ってくると、赤ん坊はいなくなっていました。母はテルマに弟を知らないか問い詰めますが、テルマは立ち尽くすばかり。
すると赤ん坊の激しく泣く声が聞こえてきました。なぜかソファの狭い隙間に弟はいて、泣きじゃくっていました。
病院での検査はハードなものでした。ストロボが点滅し、激しく息をするように言われるテルマ。ちょうど同じ頃、アンニャは洗濯を終え、部屋に戻ってきたところでした。ところが、なぜか部屋の中で音楽が大きな音で鳴り響いていました。
音を止めて誰かいるのか声を出してみますが、誰もいません。その時、突然窓ガラスが粉々に砕け、アンニャの姿はこつ然と消えてしまいました。
医師はテルマの症状を心因性の発作(心因性非癲癇発作)だと診断し、ストレスかトラウマが原因かもしれないと言います。さらに、遺伝的素因も考えられると付け加えます。
さらに驚いたことに、テルマの祖母も、精神を患って長期入院をしていたと医師は言いました。その祖母が幼いテルマを精神科に観てもらうよう手配したようなのです。
かなり前に亡くなったので、とテルマが言うと、「それはおかしい」と医師は返し、今もまだ生きていて入院していると告げるのでした。
テルマは祖母が入院している施設を訪ねましたが、祖母はもう誰も認識しなくなっていました。
施設の人に聞いたところでは、夫が船から姿を消したのは自分のせいだとひどくショックを受けていたそうです。そうなるように念じたと言っていたとも。
また、医師である父が祖母に使っていた薬はかなり強いものだったので、それを指摘したけれど、聞き入られなかったそうです。
テルマがプールで泳いでいると、水中で発作が起きました。苦しみながらどんどん沈んでいきますが、途中で発作がおさまり、テルマは上へ上へと泳ぎ始めました。
ところが水が天井まで来ていて、逃げ場がありません! もがき苦しむテルマ。
気がつけば、テルマはプールサイドに上がってぐったりと横たわっていました。
アンニャの母親からアンニャに連絡が取れないと電話がかかってきました。アンニャは忽然と姿を消してしまったのです。
映画『テルマ』の感想と評価
本作を一言で表すと、“サイキッック青春映画“という表現が最もふさわしいでしょう。少女の心の動揺が様々な奇怪な現象を呼び起こす様が圧巻です。
ヨアキム・トリアー監督は、インスピレーションを受けた作品として、『AKIRA』(1988/大友克洋原作・監督)、『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(1980/ケン・ラッセル監督)、『ハンガー』(1983/トニー・スコット監督)や、『キャリー』(1976)、『フューリー』(1978)などのブライアン・デ・パルマ監督作品、そしてイングマール・ベルイマンの作品などを上げています。
厳格な過干渉の親に育てられた少女が特殊な能力を持っていたという展開はまさに『キャリー』そのものですが、ノルウエーの寒々とした透明感溢れるクールな風景の中で物事が静かに進行していくのが新鮮です。
冒頭の溶けかけている氷上の親子の姿は、この作品の親子の有様を端的に表したショットです。今にも崩れて水の中に転落してしまいそうな不安感が画面に充満しています。
ヨアキム・トリアー監督が影響を受けたかどうかは不明ですが、この親子関係を観ていると、パク・チャヌク監督がミア・ワシコウスカを主演に撮った『イノセント・ガーデン』(2013)を思い出さずにはいられません。
『イノセント・ガーデン』では、父は、娘に猟を教えることで娘の恐るべき本能を目覚めさせまいとしているのですが、結局封印することは出来ず、野に放ってしまうことになります。
『テルマ』の父親もまた、娘の持つ特殊な力を封印してしまおうとさぞかし辛苦したに違いありません。
映画が始まったばかりの時は、何かと娘を干渉したがる両親が不気味でもありましたが、彼らは娘の能力が目覚め始めていないか不安でならなかったのでしょう。
しかし、“特殊な物語的背景の陰”になっていますが、こうした親子関係というのは、決して珍しくないのではないでしょうか。
子供を抑圧し、過干渉になり、子供が成長して飛び立つのを妨害する親というのは存在するものです。
キリスト教の深い信仰心が思春期の心身の変化を否定することから生まれる罪悪感、親子の愛情を盾に子供を支配し、羽ばたかせまいとする毒親、といったものがホラー風味のエンターティメントとして描かれ、ショッキングかつエキサイティングな魅力を生み出している本作ですが、本質的には一人の少女がいかに自由を獲得するかという物語だと言っていいでしょう。
ラストをハッピーエンドととるか、バッドエンドととるかは、意見の分かれるところですが、入学したばかりのころと、ラストではテルマの表情がまったく変わっています。
少女から大人へ。まるで別人のような笑みを浮かべているテルマ。彼女は縛り付けられていたものから脱出し自由を得たのか、それとも野に放たれてしまったのか!?
全編、体を張ってテルマを演じたエイリー・ハーボーが最後に見せる微笑みが脳裏から離れません。
まとめ
ヨアキム・トリアー監督の2016年の作品『母の残像』は、亡くなった母と残された家族を描いた作品でしたが、アメリカの学園ものでもあったのには驚かされました。
高校で浮き気味の弟と、その弟を気遣う兄。彼らの痛みを優しく、包み込むように描いていました。冴えない男子高校生と人気者の女子学生がほんの一瞬ではあるものの心を通わせるシーンは忘れがたい感動を与えてくれました。
そんな監督が描く作品なのだから、『テルマ』は青春映画でもあるに違いないと踏んでいましたが、思ったとおりで、青春映画に欠かせないプールを始めとする水の感触が全編に溢れ、始めて知る愛のときめきと恐れが放つ生々しさや、瑞々しさが存分に散りばめられていました。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)の鬼才ラース・フォン・トリアーの親類ということで、“ラース・フォン・トリアーの遺伝子を継ぐ“というふうに称されているようですが、実際のところ、作風も、登場人物に向ける眼差しもまったく似ていません。
ヨアキム・トリアーは彼ら、彼女らを暖かく、愛おしむようにみつめ、力強く肯定してみせるのです。そこには不幸を弄ぶような不遜な態度は何一つとしてありません。
ところで、テルマの相手役、アンニャを演じたカヤ・ウィルキンスはオケイ・カヤとしても知られるアーティストで、ミュージシャンとしても活躍しています。
本作が初めての演技経験だったそうですが、とてもそうとは思えない存在感を見せてくれています。