連載コラム「偏愛洋画劇場」第13幕
香港の映画監督、ウォン・カーウァイ。
若者たちの刹那的な青春や恋人たちの胸の痛みを繊細に描き出すカーウァイ監督の作品は、世代を超えて愛され続けています。
今回ご紹介するのは香港から遠く離れた土地、アルゼンチンのブエノスアイレスを舞台に同性愛者カップルの激しい愛を描いた『ブエノスアイレス』。
様々なトラブルを経て出来上がった名作を今回は改めて考察します。
映画『ブエノスアイレス』のあらすじ
香港のちょうど裏側にあるアルゼンチン、ブエノスアイレスを旅するゲイのカップル、ウィンとファイ。
愛し合っているもののしょっちゅう喧嘩する2人は“やり直す”ために旅行をしていましたが、“イグアスの滝”を見に行く途中再び喧嘩をし、別れてしまいます。
旅費がなくなったファイは金を稼ぐためタンゴバーでドアマンの仕事に就きます。そこへ白人男性とともにウィンが現れます。
後日、ファイの家へウィンがやってきます。ウィンは何度も復縁を持ちかけますが突き放すファイ。
ある日愛人に怪我を負わされたウィンが転がり込んできて、2人は再び一緒に暮らすことになります。両腕を怪我して何もすることができないウィンを、ファイはどこか嬉しそうに甲斐甲斐しく世話をします。
しかし怪我が癒えたウィンは出歩くようになり、ファイは独占欲からウィンのパスポートを隠してしまいます。
ファイは、転職した中華料理屋で、台湾からの旅行者の青年チャンと知り合い、親しくなります。そんなファイの元からウィンは去っていきます。
旅費が貯まったチャンは南米最南端の岬に行くことを決め、そこで代わりに悩みを捨ててくるからと言い、ファイにテープレコーダーを渡します。
ファイは口を開きますが何も言葉は出てこず、ただ涙を流すだけでした。
その後ファイは、より稼ぎの良い食肉工場に転職し、旅費を貯めてイグアスの滝へ旅立ちます。
香港への帰途、チャンの実家が営む屋台へ寄り、ファイはチャンの写真を1枚盗みます。
「会いたいと思えば、どこだって会うことができる」ファイはそう確信するのでした。
ウィンを演じるのはウォン・カーウァイ監督の他作品にも出演、夭折した香港の伝説的スター、レスリー・チャン。
人を翻弄する天性の魔性と、どこかへ消え去ってしまいそうな儚さを持つウィンのキャラクターは、レスリー・チャンその人そのもののように感じられます。
ファイを演じるのは同じくカーウァイ作品に多く出演、『レッドクリフ』で知られる世界的俳優のトニー・レオン。
トニー・レオンは当初ファイの役をできないと断ったそうですが、カーウァイ監督に「亡き父の恋人をアルゼンチンに探しに行く物語だ」と説得され承諾。
ところが現地についてみるとストーリーは大きく書き直されていたそうです。
ドキュメンタリー映画『ブエノスアイレス 摂氏零度』
本作上映後、撮影過程を映したドキュメンタリー映画『ブエノスアイレス 摂氏零度』が制作、公開されました。
そのドキュメンタリーには大幅にカットされたシーンが含まれているのですが、実はファイの妻や女医をめぐる三角関係が描かれていたりと、女性キャストも登場する予定だったことが分かるのです。
また撮影時レスリー・チャンはコンサートの予定も控え香港に帰国。物語の収拾をつけるために新しいキャストを加え完成させられた本作は、撮影背景や偶然が重なってできたユニークな名作なのです。
『恋する惑星』(1994)、『天使の涙』(1995)など、ウォン・カーウァイ監督作品は複数の登場人物が接点を持ち、道が交錯している群像劇が特徴的です。
もともとはそのようなストーリーになるはずだった『ブエノスアイレス』も、シーンが大胆にカットされ主要登場人物が3人になったことにより、恋人たちの姿がより情熱的に浮かび上がった作品だと言えます。
イグアスの滝が示すもの
『ブエノスアイレス』には“液体”が印象的に登場します。
ファイとウィンが目指したイグアスの滝、ファイが物思いに耽る川、ファイが洗い流す食肉工場での牛の血。
水は高低差があれば流れ落ち、川をゆっくりと流れるものですが、この映画に登場する液体は違います。
イグアスの滝は滝壺から水蒸気が上に立ち上り、ファイが川で乗ったボートはその場所を回っているかのように映され、牛の血は洗い流そうとしても地面に残ったままです。
この“液体”の描写はファイとウィンの関係を表しているのではないでしょうか。
途中で離れ離れになり、イグアスの滝にも1人で赴くファイ。しかし部屋で1人むせび泣くウィンの姿が途中で挟まれ、ファイの元を去ったウィンはまだ彼を想い続けていることが分かります。
物語最後「会いたければ、どこへだって会いに行ける」とつぶやくファイ。
チャンと知り合い、彼の実家の屋台に立ち寄り、彼の写真を手に取ったことから、ファイはチャンの元へ行くのではと連想させますが、ウィンとファイは再び出会うことを“液体”の描写は示しているのではないでしょうか。
2人の関係は下へ落ちてもまた上へと登るイグアスの滝のように、同じ場所で止まっているものだからです。
またカーウァイ監督は、ドキュメンタリー映画『ブエノスアイレス 摂氏零度』でこのように語っています。
「摂氏零度の元には東西南北も昼も夜もない。そこでは人々が彷徨っている…」
ウィンとファイは離れようともまた互いを求め、2人だけの“摂氏零度”の世界で彷徨い続けているのでしょう。
『恋する惑星』でも遠くに飛び立つ恋する人を待ち続け、時を超えてまた出会うといった描写がありました。
どんなに離れていようと愛情の元には世界は囲われたもの、どこへだって会いに行くことができるといったカーウァイ監督のメッセージが『ブエノスアイレス』には切なくも美しい形で描かれているように感じます。
まとめ
独占欲や嫉妬、嫌いになりたくてもなれない、離れれば恋しく、近いと憎い。
タンゴのリズムにのせてカラーとモノクロが交錯する映像、ブエノスアイレスの雑多な町並みや美しいブルーのイグアスの滝。
愛おしくも苦しい一組のカップルを描いた『ブエノスアイレス』と、ドキュメンタリー映画『ブエノスアイレス 摂氏零度』。
映画の世界に閉じ込められた永遠の恋人たちの姿をぜひご覧ください。
次回の『偏愛洋画劇場』は…
次回の第14幕も、オススメの洋画をご紹介します。
お楽しみに!