猛暑となった灼熱の日差しのなか、お盆を迎えたので夏休みをとり、とある施設に入居した父親のもとを母親と訪ねた。
久しぶりに会った父親は、いくつもの皮を剥いだように、いっそう小さくなっていた。
誰もが老いることは自然の摂理だと理解しつつも、目前にいる姿は、先行きの自分を見ているようで客観視をしてしまう。
なぜだか勇気を出して、いざ、父親の細くなった腕をさすった手がなんとも親不孝で苦々しい。
映画の味はモナカアイスかあんパンか
映画を好きになったのは、子どもの頃にオヤジによく劇場に連れられて行かれたことが理由のひとつ。
自分にとって映画とは、どこかオヤジとは切り離すことはできないもの。
オヤジには決まって夏休みには、東宝の「ゴジラ」シリーズほか、東映の菅原文太が主演した「トラック野郎」シリーズを中心によく観たものだ。
その頃の映画の話しをすれば、美しいマドンナに片思いをして振られる滑稽な一番星の桃次郎と、劇場で食べた最中アイスとあんパンの味が今も鮮やかだ。
かつての映画館は、劇場スタッフが首から紐を下げた箱を持ち、同時上映の幕間の間はを通路を売り子として歩くことは珍しいことではなかった。
どこか湿った匂い暗がりの場内と、なぜだか甘いものしかない販売していない売り子が、言葉にはできない調和を醸し出していた。
隣に座り同じ方向を眺めながらあんパンを食べるオヤジは、視線を交わすこともなく、また雄弁に語るような人でもない。
そこでスクリーンに現れた銀幕スターが、口下手なオヤジの代わりとなって、生き方を雄弁に語ってくれていた。
今でもモナカアイスやあんパンをコンビニで手にしてしまうのは、親不孝な息子なりにオヤジと映画のこと脳裏に投射してるからだ。
新作映画で父親との関係描いた作品
最近観た映画で塚本晋也監督の池松壮亮主演作品『斬、』。
武正晴監督の村上虹郎主演の『銃』。
原田眞人監督の木村拓哉と二宮和也主演『検察側の罪人』。
どの作品も昭和風情を感じさせながら骨太で、俳優たちが色気と愚かさを感じさせる作品だといえる。
それでいながら父親的な存在を超越しようする、主人公の男たちのドラマがそこにあった。
とはいえ、実際の深読みをすれば、女性という立場を女優たちが見事に演じている様がとても印象的な作品でもある。
昔に親父と観た映画では、どこかお色気担当の添え物であった女性たちが、今では映画のテーマを読み解く重要に役割担っている。
男という柔な存在を越していくの時代の移ろいと、もとからある生命力の差だろう。
オヤジが入所した施設に母親と一緒に行った際に、母が生き物として逞しかったのもそれである。
男のような子供じみた見栄や建前もなく、オヤジと上手く関われない自分とは違い、老いた母親はつくづく女性なのだ。
あんパン好きなオヤジと映画館
東北の田舎町に生まれたオヤジは、若い頃に大きな隣町にあった和菓子屋に奉公にいき、饅頭やあんパンなど作っていたそうだ。
その数は1日に2000個。オヤジがあんパンが好きなのは、はっきりとは尋ねてはいないが、そんな苦労の思い出が理由に違いない。
人は習い覚えたことしかできないし、若い時に何をしたかで多くは決まってしまうものだから。
今の映画はシルバー産業のような娯楽施設になったと言われるが、映画は若い頃にどんな映画を観たかで価値観は決まり、その後の人生の彩もだいぶ変わったりもする。
それこそが映画という父親的な存在から教え込まれたスピリッツなのだ。
現在の洒落た映画館では、モナカアイスやあんパンも売られることは無くなってしまった。
ポップコーンならあると言うかもしれないが、それでは具合が悪い。やはり日本の映画館にはあんパンが似合う。
映画を観ながら、甘いあんパンを食べたいのは、甘ちょろい弱い男のちょっとしたご褒美なのかもしれない。
もう一度オヤジと一緒に映画館に行き、あんパンを食べながら映画を見たいな。
そんな身勝手な親孝行はもうできないのだろうか。
まとめ
この写真は、しんゆり映画祭のプレイベント夏休み野外上映会。
川崎市のある麻生小学校で開催した上映会を、市民ボランティアとしてお手伝いに行った時のひとコマ。
映画『パディントン2』を見ながら、父親たちの前にちょこんと座った幼い子どもたちが成長して後、大人になってからも映画館に来てもらえたらいいな。
夏休みの思い出とともに、オヤジに手を引かれたこと記憶を種に心身ともに父親超えを容易くするのだろう。