沖縄の慶良間諸島を舞台に“音楽”によって結ばれる人間の絆を描く映画『島々清しゃ』
人の心を解き放っていくものに「自然」と「音楽」と感じる人は決して少なくはないでしょう。
今回ご紹介する『島々清しゃ』は、沖縄・慶良間諸島の豊かな自然を舞台に、心に傷を負った人たちが美しい音楽を奏でることで、再び自己を見つめ直していく映画。
演出は日本を代表する映画監督の新藤兼人と、女優の乙羽信子の孫である才気ある新藤風監督。
11年ぶりの作品は彼女自らの再生を見い出した作品でもあり、キャストには伊東蒼、安藤サクラ、金城実らが集結しました。
映画『島々清しゃ』の作品情報
【公開】
2017年(日本映画)
【脚本・監督】
新藤風
【キャスト】
伊東蒼、安藤サクラ、金城実、山田真歩、渋川清彦、角替和枝、でんでん
【作品概要】
亡き新藤兼人監督の孫でもある映画監督の新藤風。『転がれ!たま子』(2006)から約11年ぶりの長編監督作。
2016年の話題作『湯を沸かすほどの熱い愛』でも光る演技を見せた子役の伊東蒼が、花島うみ役を務め、『百円の恋』で数多くの映画賞を受賞した安藤サクラが沖縄へやってきたバイオリニストの北川祐子を演じています。
映画タイトルは、島々の清らかで美しい佇まいを唄った普久原恒勇の沖縄民謡「島々清しゃ」から命名されました。
映画『島々清しゃ』のあらすじとネタバレ
沖縄の慶良間島の港で、花島うみは、空を見上げると「アメリカの飛行機、ちんだみ狂ってる!」と叫び、黄色い耳あての上から耳をふさぎます。
その後、異常な金属音を響かせたアメリカ戦闘機が沖に墜落、海には白い水柱が立ちます。少女うみは天賦の才の音感の持ち主なのです。
ある日、東京からコンサートを開催するために、ヴァイオリニストの北川祐子が島にやって来ます。イベントを開催する慶良間小中学校の体育館の下見に向かった際に、祐子は音楽室に足を運びます。
そこで、うみと吹奏楽部のリーダーである幸太が小競り合いをしていました。うみは押し倒されて肘にケガをしていました。
理由を聞いた祐子は、うみが吹奏楽部の出す音が“ちんだみ”狂っていて気持ちが悪いと文句を言ってくるのが原因だと、トランペット担当の幸太は言いました。
祐子は“ちんだみ”はチューニングのことかと、うみに尋ねます。うみは「ちんだみは、ちんだみ。合わさんと音は悲しむ」と答えました。
しばらくして、校長先生が現れると、うみは礼も言わずに去っていてしまいます。
翌日。祐子は再び体育館を訪ねると、その様子をあの少女うみがみていました。彼女は祐子にヴァイオリンを弾いて欲しいとせがみます。
しかし、バスケットボールの練習などが行われているここでは無理という祐子。うみはその祐子の手を引いて誰もいない砂浜に向かいます。
祐子はヴァイオリンでバッハの「G線上のアリア」を奏でると、うみは聴き惚れて「きれいな音。波の音を同じさ」と言います。
次に祐子は沖縄民謡の「谷茶前(タンチャメー)」を弾き始めると、うみは耳あてをふさいで、「ちんだみ、狂ってる」としゃがみこみます。
うみは自宅に祐子を連れて行き、祖父である昌栄おじいに祐子に沖縄民謡の“本当「谷茶前」の唄三線”を聴かせます。それに聞き惚れる祐子は沖縄音階には一般的な音楽にはない“色”があることに気がつきます。
その後、昌栄おじいと、うみと祐子の3人は夕食を共にします。祐子はうみに三線は弾かないのと尋ねると、うみは「弾かん!」というだけでした。
翌日、うみとトランペット担当の幸太は、吹奏楽部の部員たちが見守るなか「ちんだみ対決」を行いました。うみは自分が勝ったら吹奏楽部の入部を認めろと幸太に約束をさせます。
しかし、勝負に勝ったうみでしたが、他の部員に反対されて入部は認められませんでした。うみは「幸太のウソつき!」と去って行きます。
しばらくして、幸太はウソつきになりたくないことを祐子に相談。入部前にうみにフルートを貸して練習させることにしました。
やがて、祐子のコンサートの日。うみも会場の席で他の生徒たちと一緒に演奏の始まりを待ちます。
しかし、祐子のヴァイオリンに合わせて演奏するピアノは調律が行われておらず、案の上、うみは「ピアノのちんだみがオカシイさ!」と演奏を中断させてしまい、校長先生に連れられて外に追い出されます。
映画『島々清しゃ』の感想と評価
この作品をより深く楽しむためのポイントを2つ取り上げてみましょう。
ポイント①は脚本・音楽監督の磯田健一郎が音楽で描いた“沖縄”について演出。ポイント②では、新藤風監督が自身について真摯に投影させた心情です。
この作品の脚本は、『ナビィの恋』(1999)や『ホテル・ハイビスカス』(2002)の両作品にて、毎日映画コンクール音楽賞を受賞した磯田健一郎が執筆をしました。彼の音楽への熱い想いが詰まった映画です。
また、彼は音楽監督も務め、物語に登場した音楽は沖縄民謡だけに留まらない“音楽にまつわる味な演出”を展開させています。
バッハの「G線上のアリア」、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」、イングランド民謡の「グリーンスリーヴス」といった西洋音楽も奏でる見せ場を作ったことで、ラスト・シーンの演奏を盛り上げているのです。
例えば、本土からやってきた北川祐子はヴァイオリニスト。彼女はヤマトンチュ(日本人)であり、うみに祐子が「G線上のアリア」を聴かせた後に沖縄民謡「谷茶前(タンチャメー)」を知っている演奏。
すると、うみは「ちんだみ狂ってる」と耳をふさぎました。
西洋音階と琉球音階はそもそもの違いがあるのですが、それだけではなく、ヤマトンチュの祐子は西洋音楽の演奏者として、頭でその音階を理解していますが、心では沖縄を理解していない場面を見せました。
他にも、サックスフォン演奏者の真栄田はウチナンチュ(沖縄人)ですが、沖縄の三線や沖縄民謡の演奏者ではなく、外来の楽器を使い、外国曲を演奏する者として登場させます。
真栄田は沖縄を愛していることは言うまでもありませんが、“米軍に囲まれた現状の沖縄”のメタファー(比喩)だと読めます。
しかしも、当初は祐子の存在について、いつかは本土に帰ってしまうヤマトンチューと色眼鏡で見ている人物像でした。
同じように西洋音楽が好きで、演奏するもの者だとしても分かり合えないという関係。また、祐子は沖縄言語が分からないという台詞が何度かありました、それが音楽を奏で合うことで気持ちが打ち解けていく様子を描いていました。
さらに、祐子が船で本土に去って行く港で、「島々清しゃ」を吹奏楽部が管楽器で奏でるクライマックスは、別れを惜しみ告げるためだけに用意されたのでしょうか。
ヤマトンチュであれ、ウチナンチュであれ関係なく、沖縄民謡である「島々清しゃ」で1つとなる。
琉球音階でなく西洋音階で書かれたこの曲を、管楽器(外来としての西洋楽器)で演奏している姿に磯田の熱い思いはあるのでしょう。
また、音痴な自分を許せなかった母親さんごの唄う姿もまた、音楽という素晴らしい懐の深さにまつわったものでした。
磯田の音楽込めた演出は、“琉球音色の清らか揺らぎ”であり、それは良い意味での“濁り”を現在の沖縄という現場で象徴に表現されたものなのだと思います。
それに説得力を持たせることを可能にしたのが、新藤風監督の映像に込めた“独白にも似た演出”です。
映画『島々清しゃ』は、祖父、母親、娘の親子3代を描いた映画でもありました。これが、新藤風監督の真摯に投影させた心情のカギです。
作品のなかでお互い思い合っているのにすれ違ってしまう親子3世代は、故・新藤兼人監督を含んだ「新藤家3代」がアイデアの源泉なのです。
うみが側にいた昌栄おじいの死は、新藤風監督が29歳から36歳までの間、新藤兼人監督を孫娘として看取った肉親の視点であり、映画監督として多角的に見つめ直した視点でもあるのでしょう。
そのような偉大な業績を残した祖父新藤兼人の介護を通した生活のなかで、新藤風監督が周囲の仲間に目を向ければ、仕事が充実しているように見えたり、結婚して子供を育てるなど、自分のために必死に生きる姿を羨んだのではないでしょうか。
「自分は回り道をしている」「自分には何もない」このように考えるなかで自信をなくした喪失感に、生き方を戸惑ってしまったのは監督自身も述べています。
しかしそのことは、母親さんごの唄や踊りが上手くなりたいという、そうでなければ生きている価値がないと迷走する姿や、うみが耳をふさいでいては、いつまでも音が合わんさと、怖がっていたら何もできないと決起する姿に活かされてたのです。
また、島の空気感(自然・音楽・島民など)を感じた祐子が、ラスト・シークエアンスでお腹の子を出産する受け入れたことを物語以上に、裏を解釈してみましょう。
本来は音楽担当で脚本家ではない磯田健一郎、その熱い想いを込めた脚本を受け継ぎ、映画として自分自身が完成させる11年ぶりの産みの苦しみに向き合った瞬間に見えてきます。
新藤風監督の清らかなまでに潔い、「胸を張って自分の人生を生きます」という、自身を真摯に投影した最上の人間賛歌であるでしょう。と感じてなりません。
私たち大人が胸をはって生きましょうと、献身的にさえ感じるエールではないでしょうか。
まとめ
最後は今作に出演した俳優たちについても、まとめておきましょう。
2016年の話題作『湯を沸かすほどの熱い愛』でも、子役として光る演技を見せた伊東蒼は、花島うみの演技に関して難しい役だったと振り返り、ながらも「撮影しているみんなが大きな家族のみたい」だと述べています。
花島昌栄のおじい役の金城実は休憩中に三線で色々な曲を聴かせてくれたり、北川祐子役の安藤サクラは飼っている猫の面白い話を聞かせてくたりと撮影以外でも楽しさを感じていたようです。
また、花島さんご役の山田真歩は宿題を一緒にやってくれたりして、アットホームな撮影現場であったようですね。
その甲斐もあって、みんなに支えられた伊東蒼は、「ひとつ望み向かっている」花島うみを見てもらいたいと語っています。
北川祐子役を演じた安藤サクラは、2015年に日本アカデミー賞をはじめ、国内の映画賞にて主演女優賞を総ナメにした『百円の恋』をご存知の方も多いのではないでしょうか。
今作の北川祐子役でも、実力派女優の貫禄を見せてくれました安藤サクラ。
彼女は15歳の時に宮古島に一人旅をして以来の島好き。祐子役の演技しながらも当時の記憶が鮮明に蘇ってきたそうです。
彼女いわく、学生時代にかじったり、興味を惹かれたものに映画出演で再び出会うことが多いそうで、かつて習っていたボクシングに再び出会った『百円の恋』もそうでしたが、今回の『島々清しゃ』に関しても不思議な巡り合わせの縁を感じたそうです。
しかし、今回は演奏するのは島の三線ではなくヴァイオリン。撮影で島に来た当初は撮影での不安や、ヴァイオリニストに見えるようにしなければという、プレッシャーも大きかったようです。
感受性の強い女優なのでしょう、真っ暗な夜中に独り涙を流したこともあったそうです。
それでも、島のエネルギーの源である岩や木、海などの気配を感じながら、島に受け入れてもらうために外からやって来た異物としての意識をしっかり持ったそうです。
そのことを通して、彼女が島(沖縄そのもの)と、きちんと挨拶して向き合う姿勢を示していったそうです。
彼女の言葉を解釈するなら、実力派女優の安藤サクラという人物は、場所の“空気感と対話”しながら役作りに集中していく、人間としての色気ある俳優として才能を持っている証なのではないかと思います。
空気感を身にまとうする女優はそうそういないのではないでしょうか。
さらに注目しておきたいのが、サックス演奏者の真栄田役演じた渋川清彦。今作でも味わいある脇役で存在感を見せています。
彼は2017年に公開予定が目白押しで、『榎田貿易堂』では、主演の榎田洋二郎役演じていて今から公開が楽しみです。
他にも『猫忍』では、青目役として出演、『ろくでなし』では、ひろし役で出演。まだ、よく彼を知らない方は今後注目の名バイプレーヤーなのでお忘れなく!
また、2013年に第26回東京国際映画祭で上映された初主演作『そして泥船はゆく』も注目!
新藤風監督の渾身の復帰作『島々清しゃ』は現在、全国で順次公開中です!彼女の才能は女流監督が流されがちな外連味がなく、今後の日本映画として楽しみな存在です。
彼女自身が時間の流れを受け止めた、真摯的エールの心情は誰の心にも届く作品となっています。
ぜひ、沖縄の青愛空の下、新藤風監督を中心に大きな家族となった、俳優陣をお近くの劇場にてご覧ください!