少女が夏の1日で体験する‟死”をリラ・アビルス監督が描く
今回ご紹介する映画は、第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、エキュメニカル審査員賞を受賞し、多くの国際映画祭でも高評価を得た『夏の終わりに願うこと』です。
監督は「メキシコ映画界の新たなパイオニア」とも評されている、新鋭のリラ・アビルスが務め、本作が長編映画2作目となります。
7歳の少女ソルの大好きな父トナは、病気のため祖父の家で療養しています。ある夏の終わりにソルは、父のバースデーパーティーに出席するため母と向かいます。
ソルは父との久しぶりの再会に無邪気に喜びますが、体力温存のため身体を休めていると、なかなか会わせてもらえず、次第にイライラし不安な気持ちに陥っていきます。
CONTENTS
映画『夏の終わりに願うこと』の作品情報
【公開】
2024年(メキシコ・デンマーク・フランス合作映画)
【監督・脚本】
リラ・アビルス
【原題】
Totem
【キャスト】
ナイマ・センティエス、モントセラート・マラニョン、マリソル・ガセ、サオリ・グルサ、マテオ・ガルシア・エリソンド、テレシタ・サンチェス、フアン・フランシスコ・マルドナド、ルシイアスア・ラリオス、アルベルト・アマドール
【作品概要】
主役のソルは動物や昆虫など自然を愛する少女で、そのソル役に抜てきされたナイマ・センティエスも、農作業に関わり、自然の中で生活してきた少女で、リラ・アビルス監督のイメージに合致しました。
トナの2人の姉、アレハンドラ役のマリソル・ガセは芸歴23年の間に100本以上の演劇に出演、ヌリア役のモントセラート・マラニョンは芸歴30年という大ベテランで2人とも、演技に関わる多数の賞を受賞する実力派の俳優です。
また、病に侵されたトナを献身的に支えるヘルパー・クルス役のテレシタ・サンチェスも20本以上の長編映画に出演し、国内外の映画祭で受賞歴のある名優です。
ソルの父・トナ役のマテオ・ガルシア・エリソンドの本業は、作家と脚本家で国際映画祭で受賞歴があり、監督が偶然目にしたプロフィールから抜てきされ、本作が俳優として初出演となります。
映画『夏の終わりに願うこと』のあらすじとネタバレ
7歳の少女ソルは母・ルシアが運転する車で、父・トナの誕生日を祝うために祖父の家に向かっています。
ソルは大好きな父のバースデーパーティーで再会できることにワクワクが止まりません。母と一緒にサプライズの話をしたり、橋を渡る間息を止めていられたら“願いが叶う”と、願掛けをしたりします。
祖父の家に到着したソルは、はりきって虹色のウイッグをかぶりピエロの鼻をつけます。出迎えてくれた叔母のヌリアに「パパに会ってもいい?」と聞きますが、身体を休めているからと会わせてもらえません。
その頃、トナは自室でベッドから立ち上がるのも困難なほど辛そうでしたが、ヘルパーのクルスに背をさすってもらいながら立ち上がります。
ソルはもう1人の叔母アレハンドラにも「パパを見に行ってもいい?」と尋ねますが、夜のパーティーまでに元気になるよう寝ているから「邪魔しないでね」と言われてしまいます。
時間を持て余すソルはシャワーを浴びるヌリアと話し、祖母が亡くなった理由が癌であったこと、父が療養している部屋がその祖母の部屋だということを聞きます。
家の中庭に出たソルはカタツムリを数匹みつけます。それを捕まえて家の中に戻ると、廊下に飾られている絵画に付けていきました。
廊下の先では精神科医の祖父が“発声補助器具”を使い、ネグレクト患者のカウンセリングをしています。しかし、思い悩む彼女の泣きじゃくる声が響きます。
しばらくするとアレハンドラが呼んだ“霊媒師”が家に到着します。霊媒師は家の中に“悪い気”が漂っていると告げますが、トナの部屋の方に向かうと何か“優しい気”を感じるとつぶやきました。
トナはクルスの手を借りながら、服を脱ぎシャワーを浴び始めます。その身体はやせ細り立っているのがやっとです。
霊媒師が火を点けた棒を振りながら家の中を、除霊しながら回っていると祖父が怪訝そうに、「診察室を燃やすつもりか!」と怒鳴ります。
ソルは廊下の絵が父の描いた絵から、他の物に変わっている理由を叔母に聞きます。トナの希望で変えたのだと叔母は教えました。
暇なソルと従妹のエステルは祖父の発声補助器具で遊びはじめますが、祖父は「おもちゃじゃないぞ」と不機嫌をあらわにします。
そこにヌリアが来てトナの主治医に支払う医療費について相談を始めますが、祖父は治療費も底をつき、トナはパーティーなど望んでいないと言い放ちます。
映画『夏の終わりに願うこと』の感想と評価
原題『TOTEM』の意味することとは
映画『夏の終わりに願うこと』は、7歳の少女が大好きな父が重い病によって、死んでしまうかもしれないという不安から、死という現実を受け入れていく心の変化を夏の終わりの1日で描いています。
原題の『TOTEM』とは氏族のシンボル(日本で言えば家紋)のようなもので、それを氏族に関連した動植物でシンボル化したものです。それは、「血族」であるという証としての意味もあります。
トーテムと聞くと北アメリカのインディアンからの発祥というイメージがあるので、メキシコが舞台の本作から読み解くトーテムの意味は、家族間のDNAや遺伝を示しているように感じました。
トナはガンに侵されていましたが、彼の母もガンで亡くなっており、恐らく父も咽頭癌によって声を失い、発声補助器具を使用しているのだろうと推測できます。
ガンになったのは“母”からの遺伝と捉えてしまうでしょう。逆に元気な姉や兄はこの先ガンになったとしても、父が生存していることで耐性を受け継いだと考えるかもしれません。
また、トナの実家では霊媒師による除霊が慣習になっていると考えたら、災いを避けられているのは、除霊のおかげと信じているともとれます。
そんな中、トナは愛娘・ソルの為に彼女が好きな動物を絵のなかに描きます。それはまるでカナダなどの北西海岸に広まっている、トーテムポールのようです。
トーテムポールは先祖代々、婚姻や葬式などの儀礼や歴史を関わりのある動植物で描き、木の円柱に彫刻したもので、家の前や墓地に立てて魔除けや豊作、豊穣等のため祈願する物とされています。
描かれていたフクロウには「深い知識を持った賢者、悪を見抜く力」、カエルには「家族と協調しする、精神的な平和と幸福の伝達者」という意味があり、その絵には父の存在を感じさせると共に、彼女を守護するものを示していました。
家族愛で描くポジティブな“死生観”
メキシコの宗教はローマカトリックが中心ですが、テオティワカン文明やアステカ文明といった、独自の文明を経た国でもあります。
スペインの侵略によってもたらされたキリスト教と、古の昔から伝わる土着信仰がミックスされた独自の宗教観もあります。
また、メキシコには“死者の日”という、「生」と「死」を祝う行事があります。メキシコ人にとって「死」は永遠の別れではなく、「生」の延長にあるものという考え方です。
「死」を受け入れることで「生」を満喫し楽しむという、ポジティブな捉え方があり、それはアステカ文明の「死は崇高なもの」という考えが基にあるようです。
トナが死の淵にありながら姉たちが、バースデーパーティーを盛大に開き、賑やかに祝うことはごく当たり前のことで、生きている今を大切に楽しむことに徹していました。
その反面、愛する弟のためにできるだけのことをしてあげたいという、医療面での話し合いや、トナがクルスに託したと思わせる身辺整理は、家族への配慮と深い愛を感じます。
そして、ラストでバースデーケーキのロウソクに火を灯すシーンがありますが、ローソクの数が8本でソルの目の前に置かれています。
バースデーケーキのローソクの火を吹き消す時には、願い事をするという習慣があります。このシーンがソルの8歳の誕生日だとしたら、彼女は何を願い火を消したのでしょう。
まとめ
映画『夏の終わりに願うこと』は、リラ・アビルス監督の実体験が基になっています。アビルス監督の娘が7歳の時に、父親を亡くしていて父のことを忘れないよう、作品として残したいという着想がありました。
4:3のフレームのカメラワークで撮られた本作は、まるでホームビデオのようです。ソル役のナイマ・センティエスを娘に見立てて撮っているようでもありました。
それを裏付けるように演出には、母と娘の間でしか知り得ないモチーフも組み込まれていると言い、18歳になった彼女はこの作品を通し、父の死とその意味を深く理解していたと語っています。
日本で多く信仰される仏教にも「生と死」に対して「輪廻」という考え方があり、「死」は次の「生」に繋がっているという説法です。
表現の仕方に文化の違いはあれど、死が永遠の別れではないという部分には、広く共感を与えた作品と言えるでしょう。
そして、家族と過ごした思い出を忘れずに、互いに思いやりながら仲良く生きていくことを教えてくれた映画でした。