ものまねタレントとして知られるコロッケ。
その得意なお笑いやものまねを封印して、本名である滝川広志として臨んだ初主演した映画『ゆずりは』6月16日(土)より、K’s Cinema、イオンシネマ板橋ほか全国順次ロードショー。
この作品には、ゆずりはの撮影したショットが、時々映画に差し込まれます。ある時は風に靡き、ある時は太陽の眩い光を受け葉を煌めかせます。
一瞬動きが止まり、そして次の世代の若葉に命を繋ぐ。その度に涙が出てくるのは何故なのでしょうか?
映画『ゆずりは』のあらすじ
52歳の水島正二は葬儀社・安宅の営業部長。
彼の務める会社に、茶髪にピアスという風貌の高梨歩が新入社員として面接にやって来ました。
見るからに素行は葬儀屋の社員としては不向きと思われた今時の若者を、周囲の反対を押し切っても採用を決めたのは水島でした。
高梨を厳しく指導する水島たち葬儀社スタッフ。
しかし、一見では破天荒な高梨のなかに、実はご遺族にしっかりと向き合い、自然体で心に寄り添う豊かな感受性があることに気が付き始めます。
一方で水島はかつて、妻の直子を自死で失っていました。長い間子宝に恵まれず、彼自身の身体に原因があると知った水島は、妻の死の要因と関係があるとずっと後悔をしていたのです。
妻の死後、自暴自棄になって荒れていた自分を救ってくれたのは、亡き妻の父親である松波でした。
松波は自身が経営する葬儀社に水島を迎え入れ、立ち直りのきっかけをもたらしてくれました。
葬儀社の庭には、松波が大切な思いを持って育てる「ゆずりは」の樹が植えられていました。
「ゆずりは」の由来は、春に枝先に若葉が出た後、前年の葉がそれに譲るように落葉することから、一年を通して緑葉を絶やすことがないためだといいます。
松波は「ゆずりは」の樹を親から子へと代々受け継がれていく命に見立て、故人が去っても絶えることのない命の営みへの願いを込めて、この場所に植えていました。
水島は松波の教えである「葬儀中に涙は禁物」を守り、妻の死を悲しむ心と共に多くの人の「死」を悲しむ心を押し殺し、葬儀社の仕事に従事してきました。
そんな水島にとって、ありのままの自分をご遺族に見せる高梨の存在は、心を隠すことに慣れきってしまった自分の心を徐々に揺らしていきます。
そんなある日、高梨が葬儀場でイジメを苦に自死した故人の少女に想いを寄せるあまり、参列した騒がしい女子学生を罵倒する騒ぎを起こしてしまう…。
コロッケを封印した滝川広志の存在感
人は歳を重ねる度に大切な人との別れに出逢い、時が止まる一瞬に身を置き、心と体が離れそうになる自分に出逢うときがあります。
本当に悲しく辛い時に言葉が出ないかもしれないし、感情を閉じ込めてしまうかもしれません。
明日からまた生きていかなければならないからです。
そんな感情に流されず、私情を挟まず寡黙に葬儀社の営業部長を務める水木役をコロッケが本名滝川広志として、その苦悩を真摯に受け止めて演じています。
そこには、コロッケはいませんでした。と言うよりも永年にわたり多くの有名人のものまねで一世風靡し、なおかつ唯一の特徴をデフォルメするパフォーマンスは誰もが認めるコロッケだからこその演技と言えます。
多くの芸能人のものまねをする時、彼はその方と交流しきちんと承諾をもらい、心から尊敬し敬意を持って演じているそうです。
だから彼のパフォーマンスの笑いの中に慈愛を感じてしまいます。
人生の機微を知り、果敢に新たなことに挑んでいくコロッケだからこそ、水木役を演じる滝川広志に徹することができたのでしょう。
映画『ゆずりは』の現代の死生観
この映画には、今を映す鏡がいくつも出てきます。
告別式に導師さまが体調を崩して読経に間に合わないシークエンスです。
導師さまは糖尿病で低血糖を起こし、甘いジュースを飲んで事無きを得るのですが、僧侶も高齢化そして病気、誰しも避けられない現代の悩み。
視覚障がいを持った主の死を気丈に愛情深く見送る妻。いじめを苦にして自死した女子高校生の会葬で、母親に叱責され土下座する担任と嘲笑しながらその写メを撮るクラスメートの姿…。
その中で水木と社長の松波の関係が明らかにされていきます。
水木は自分が無精子症だと知り、苦悩して自暴自棄の日々を過ごしていました。
妻の直子は二人で過ごしていれば幸せだと何度も話していましたが、自死しました。水木は自分のせいだと自分を責め続けています。
会葬中、幾度と無く直子が飛び降りた瞬間ベランダの窓から風が吹き込んでいるショットが現れます。水木は事あるごとに思い出し、自責の念にかられています。
そっといつも壁の横で、社長の松波が見守っています。
ある時は厳しくある時は言葉少なに、彼も同じ無精子症でした。
直子を養子で授かり、本人には言わず我が子の如く大切に育ててきました。水木が自分と同じ無精子症だと言うことを直子から聞き、初めて自分も同じことと直子が養子であることを話しました。
映画の後半、松波も父として娘の直子を自死に追いやったと水木に遺書残します。
自分の死期を知っている松波は、水木にゆずりはの木を植えたのは直子が生まれた日だと語ります。
血が繋がっていなくても松波は最後まで娘直子を想い、娘婿の水木を息子として会社で見守りゆずりはの木そして会社を託します。
命というものは、心とともに次世代に引き継がれていく、心無くしては有り得ないというメッセージをこの二人から強く感じます。
もうひとりの血の繋がらない親子関係
新入りとして茶髪の軽い口調で話す、如何にもいまの若者風の高梨が入ってきます。
自分が可愛がっていたオカメインコが死んだことを泣きながら語る場面は、この映画に一筋の光が差し込んだ瞬間でした。
この眩しさに水木の心が、少しずつ開かれていきます。
私情を挟むことが厳禁である葬儀社の仕事に何故この青年が?
水木とともにこの青年と一緒に自分も成長していくような気がして、観る側も魅入ってしまいます。
最後に水木が過去に私情を挟んで励ました男の子を傷つけてしまったと高梨に話すシーンがあります。
高梨は、その子は傷ついていないと笑顔で答えます。その男の子が自分で、一緒に仕事をしたいからここに来たと付け加えました。
ここにもひとひらのゆずりはが一瞬見えたように感じます。
まとめ
朝起きてお日さまを見たとき、紫陽花が咲いているとき、小鳥が鳴いているとき、何気ない挨拶をしたとき、そんな当たり前の光景が愛しくなるとき、この一瞬一瞬がかけがえのない宝物だときっと気づかせてくれるそんな作品が、滝川広志(コロッケ)主演の『ゆずりは』です。
真摯にシンプルに自分の生と死を見つめに行ってみませんか。