鬼才・深田晃司監督の映画『海を駆ける』は、インドネシアで海からやって来た謎の男が起こす奇跡と、不可解な現象を描きます。
バンダアチェの風景の映像美とディーン・フジオカをはじめとする若手俳優たちのみずみずしい演技、難解ながら心に残るストーリーは観る者の感情を揺さぶる新感覚なファンタジー。
スマトラ沖地震やかつての戦争や内戦の影を感じる登場人物たち。そして不思議な力を持ちながら、ただそこにいて生も死も平等に人々に与える男ラウの正体とは?
深田晃司監督とディーン・フジオカがタッグを組んだ傑作『海を駆ける』をご紹介します。
CONTENTS
映画『海を駆ける』の作品情報
【公開】
2018年(日本・フランス・インドネシア映画合作)
【脚本・監督】
深田晃司
【キャスト】
ディーン・フジオカ、阿部純子、大賀、アディバディ・ドルケン、セカール・サリ、鶴田真由
【作品概要】
2016年に公開の『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭「ある視点」で審査員賞を獲った深田晃司監督による、インドネシアのスマトラ島でオールロケを敢行したオリジナル脚本によるファンタジー映画。
かつて独立の際も一緒に戦い、同じく震災や津波の傷跡を背負うインドネシアと日本の合作映画でもあり、「ラウ」という名前通り海から現れた超然的な男を演じるのは、3ヶ国語を操る国際派俳優ディーン・フジオカ。
国を超えて触れ合う4人の若者を演じるのは日本の若手俳優の阿部純子、大賀とインドネシアのアディバディ・ドルケン、セカール・サリ。ラウの世話をするNPOの日本人に鶴田真由が務めます。
映画『海を駆ける』のあらすじとネタバレ
インドネシアのアチェ州バンダ・アチェの浜辺。波のなかから男が現れ、浜辺まで歩いてやって来ます。
男はしばらく立ち尽くしていましたが、ばったりと倒れてしまいます。
一方でジャーナリスト志望の少女イルマは、スマトラ沖地震で家族を亡くした人たちにインタビューをしていました。
被災者の一人は「海を見るたびに死んだ妻と娘を思い出す」と語ります。
休憩でいったん取材を打ち切るイルマ。
インタビューを撮影していたイルマの幼馴染であるクリスとクリスの大学の友達タカシが雑談をしています。
タカシの母貴子は日本人ですが、NPOの仕事でずっとインドネシアに住んでおり、現地の男と結婚してタカシが生まれました。
貴子はタカシに「浜辺に身元不明の日本人が漂着したから行かなければならない」 「代わりにサチ子を空港まで迎えにいってほしい」と伝えます。
タカシはクリスと一緒に、自動車で空港に向かいます。
サチコはタカシの母方の従姉妹で、日本の女子大生。
休みを利用してインドネシアまでやって来ました。英語で会話をし、すぐ打ち解けるクリスとサチコ。
そこに貴子の友人でジャーナリストの女性レニがやって来て、タカシに話しかけてきます。「浜辺に打ち上げられた日本人が興味深いから、一緒に行かないか」と言われ、タカシたちは海に向かいます。
浜辺のすぐ近くにある施設では放心状態の男が座っており、貴子が日本語で話しかけた時だけ、かろうじて反応がある状況でした。
しかし、見た目には彼の身体には何の異常もありません。
日本語にだけ反応があることが分かったことから、施設職員は貴子に男をしばらく引き取ってもらえないかと頼みます。
貴子もそれを渋々引き受け、男を連れ帰ることにします。
貴子たちが話し合っている間、クリスとサチコは浜辺を歩きながら、仲良く話してはお互いのことについて、知り合っていました。
サチコは少し前に父を亡くしていました。
父の遺言で遺灰をインドネシアに撒いてほしいと言われ、彼女はここにやって来たのです。
「インドネシアのここにしてほしい」と風景写真を渡されたのですが、写真を見てもそれがどこなのか現地人のクリスにも分かりませんでした。
イルマも浜辺に来ており、取材対象として謎の男に興味を持ちます。
人数が多いので軽トラの荷台に乗って帰路につく一同。
貴子は男のことを「ラウ」と呼ぶことを提案します。
「ラウ」とはインドネシア語で「海」という意味で、タカシは「いいけどちょっと安直じゃない?」と笑います。
すると、突然ラウが立ち上がって透き通った声で歌いだします。
サチコはラウが歌いだした途端、荷台に積んでいた生魚たちがピチピチと動き出すのを驚いて見つめていました。
車を運転していたのは、先のインタビューで「海を見ると妻と娘を思い出す」と語ってくれた男で、彼もラウが歌い出すと道路の向こう側にある川べりでその妻と娘が手を振っているのを目撃します。
思わず車を緊急停車して外に出る男。しかし、ラウは歌い終わっており、妻と娘の姿はどこにも見当たりませんでした。
もちろん、荷台の魚たちもピクリとも動いてはいません。
貴子の家にやって来たサチコとラウ。ラウはずっと無言で縁側に座っています。
タカシと雑談した後、サチコはシャワーを浴びに行きます。
貴子にシャワーでお湯を出すにはどうしたらいいか聞くと「インドネシアは水しか出ない」と言われサチコは仕方なく水で浴びます。
貴子はタカシにもっと日本のことを学んでほしいと、夏目漱石文学集を渡します。
「“月がきれいですね”っていう言葉知ってる?漱石は”I love you”をそうやって訳したの」という貴子。
「何それ?それが日本っぽいの?」と笑うタカシ。
そんな話をしていると、「シャワーからお湯出ました!」というサチコの声がしました。
不思議がる貴子。ラウはそんな会話を聞きながら、うっすらと笑います。
翌日、ラウと貴子は、また浜辺の施設に行きます。
すると、近くのホテルから、ホンダという日本人が行方不明になってることが分かり、ラウはおそらくそのホンダだろうという話になりました。
しかし、ラウは一向にしゃべらず、何も思い出した様子もありません。
イルマはそんなラウの様子をカメラに収めます。
一緒に来ていたサチコは、父親が渡した写真の景観がないか探すのですが、その浜辺ではないようです。
その日、浜辺から引き上げていく途中で、熱中症になっている少女を発見します。
貴子が駆け寄り介抱するも、その場の人間はみな水を持っていませんでした。
そこで突然ラウがインドネシア語で「その子具合悪いみたいだね」と、しゃべりました。
「インドネシア語話せるの?」とびっくりする貴子。
ラウは手の平を上に向けて、空中に水の玉を作り出し、それを少女に飲ませるという超能力のような行為を披露します。
映画『海を駆ける』の感想と評価
難解な謎の表現を今というエポックに問いかけた映画
本作品の『海を駆ける』のあらすじを書きながら、自分でも「何だこれ…」と思うくらい難解で謎が残るストーリーです。
最も謎の部分は「ラウは何者なのか」ということです。
「ラウはその名の通り、“海”なのか、“自然そのもの”の化身だった」のではないかと、解釈しています。
人間に対して善意も悪意もなく、人を救ったりしたかと思えば、突然命を奪ったりもする。
これは自然の絶対的な法則という、“気まぐれさ”を体現しているのではないでしょうか。
スマトラ沖地震という最大級の自然の“気まぐれ”により大きな傷を負ったインドネシアが舞台というのも示唆的です。
また、劇中でラウがいくら不思議な現象を起こしても、他の登場人物たちは彼をそこまで恐れたりせず、ただそこにいることを受け入れています。
これも現地の人たちと、自然の関係に近いからではないでしょうか。
「ラウ=自然」と解釈した場合でも、この作品はすべて腑に落ちるようになっている訳ではありません。
自然的存在と言っても急に長距離を移動したり、歌いだすと死者が見えたり、その能力が別の子供にも移ったりする理由は説明がつかないし、
その他の人物に関してもサチコが大学を辞めた理由、サチコの父がインドネシアの島に遺灰を撒いてくれと言った理由、おとなしかったサチコが急にクリスを引っぱたいた理由、イルマの父が活動家だったことの物語的意味…。
そして、ラストシーンで海を駆ける時、ラウも若者4人も、何故あんなにも楽しそうだったのか、などと考えれば考えるほど、ドツボにはまりそうな要素が残されたままです。
ハマらないパズルのピースと観た者の鏡
本作はハマるようでハマらないパズルのピースのように作られていると言ってもよいでしょう。
深田監督は、パンフレットやネットのインタビューで、「今作は言語化できなくてもいいんじゃないかと思って作った」と述べていました。
また、「いい映画とは見た人を映し出す鏡のようなものだ」とも、答えています。
この映画に限ったことではないですが、理解ができない部分があっても面白い作品はありますし、解釈も人それぞれにあってもよいのでしょう。
本作『海を駆ける』では、いくつかのシーンで、夏目漱石の有名な翻訳の引用で「愛している」の意味で「月がきれいですね」という言葉が引用されています。
しかし、誰もがそれを「愛している」の意味で受け取る訳ではありません。
もちろん、額面どおり受け取る人だっています。
この映画のスタンスもそれに近いのだと考えられます。
劇中の台詞や描写がそのままの意味で使われているとは限りません。
意味深だからといって、何か限定的な意味があるとも限らないのです。
考えずに感じることも、ひたすら考察することもできる作品、それが深田晃司監督の『海を駆ける』なのです。
まとめ
ストーリーとして飲み込めなくても、『海を駆ける』には他にいろいろな魅力がありました。
インドネシアの風景を切り取った、撮影監督芦澤明子の映像美も素晴らしいですし、
ラウ役を演じたディーン・フジオカをはじめとする、キャストの演技力も見応えがあります。
特に印象的だったのは、タカシ役の大賀です。現地人にしか見えないくらい自然な演技ですし、インドネシア語も上手で見事でした。
また、サチコ役の阿部純子も透明感のある美貌がインドネシアの風景で非常に映えていますし、表情ひとつでキャラクターの憂いや戸惑い、また喜びを見事に表現していました。
主人公を演じたディーン・フジオカは、彼のある種、人間離れした格好良さがラウの超自然的な存在感にマッチングして合っています。
まさにハマり役ですね。
理解は難しい作品ですが、楽しめるポイントはたくさんある映画です!
多層的な魅力に溢れた傑作『海を駆ける』は、映像美やキャストの魅力を堪能し、含みのあるストーリーを誰かと延々と考察するのも楽しい作品です。ぜひご覧ください!