栃木県出身の映像作家である渡辺紘文監督の映画『そして泥船はゆく』
2016年12月15、16日に、東京にある文京区シビックセンターにて、第1回「チンギス・ハーン」国際映画祭が開催されました。
モンゴルと中国内モンゴルで製作された映画が、日本との交流やお互いの平和友好の願いから開かれたもので、式典に合わせてモンゴルや中国内モンゴルから映画監督や俳優など多くのゲストが来日。
その中で日本映画界を代表として、新進監督の渡辺紘文の作品『そして泥船はゆく』が上映されました。
渡辺紘文監督が弟で作曲家の渡辺雄司と共に栃木県の故郷にて旗揚げした映画制作集団「大田原愚豚舎」の第1回作品となる本作。主演には『俺俺』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『フィッシュストーリー』で渋川清彦が務めます。
今回は、ちょっと風変わりな地方発信のぶっ飛びコメディ映画をご紹介します。
映画『そして泥船はゆく』の作品情報
【公開】
2014年(日本映画)
【脚本・監督】
渡辺紘文
【キャスト】
渋川清彦、高橋綾沙、飯田芳、武田美奈、鈴木仁、羽石諭、戸田古道、平山ミサオ
【作品概要】
栃木県在住の新進気鋭の映画監督の渡辺紘文。弟の音楽家の渡辺雄司と共に映画制作集団「大田原愚豚舎」を結成。「そして泥船はゆく』はその第1回作品として製作。第26回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で上映され、海外の映画祭でも多数上映されました。
映画『そして泥船はゆく』のあらすじとネタバレ
ひとりの少女が田舎駅に降り立ち、何一つない北関東の田舎道を旅行カバンを引きづり歩いていきます。
一方、祖母と二人暮らしの平山隆志は、36歳にして定職にも就かず怠惰な生活を過ごしています。
ある日、隆志の家に、福島の原発事故で被災にあった子どもたちが、手縫いで作ったハンカチを買って欲しいという新興宗教の信者がやって来ます。
隆志は、近所にある宗教団体施設から来た彼を、うさん臭いと門前払いします。
すると、隆志の家に今度は、交通事故で亡くなった父親の娘を名乗る少女ユカがやって来ます。
隆志は、唐突な少女の申し出に、証拠を見せろと疑いもしますが、ユカは写真などを見せようとはしません。
二人は言い合いとなり、ユカは「お前嫌い」と言い捨てると家を出て行て行きます。
そんな働かない隆志は、元妻ヒロミに、職業安定所で待ち伏せをされ、娘への養育費が滞っていたので、貰い受けた給付金を罵倒され持っていかれます。
ふて腐れた隆志は、パチンコ屋で暇をつぶしていると、怪しい男に薬物密輸の運び屋の仕事に誘われます。
隆志は、やることもないので親友ショウヘイを呼び出して、夜の公園にカーセックスを覗きにいきます。
しかし、そこに現れたのは、オタクのような男の車に乗せられたユカでした。
隆志は、自分の妹だと男から引き離すと自宅に連れて帰ります。
祖母と隆志、そしてユカの何もない日常が過ぎていきます…。
隆志は、入り浸る喫茶店で就職情報誌を眺めて見ますが、どれもピンと来ません。
一方で、お茶の間でついたテレビだけが、社会との接点であるかのように、「原発反対のデモ」の様子が流れています…。
映画『そして泥船はゆく』の感想と評価
渡辺紘文監督は、『そして泥船がいく』の上映前の舞台挨拶で、自身の作品を娯楽映画だと紹介していました。
しかし、鑑賞した印象は、渡辺監督の持つセンスは一筋縄では語れないようです。
この作品は、第1部「怠惰」第2部「化石」第3部「泥船」と別れて物語が構成されています。
第2部までは、淡々と繰り返される日常。しかし、第3部「泥船」では、その日常が加速度的に超現実へ飛躍して行きます。
この映画ならではの現実を超えた想像力の飛躍は、芸術家サルバドール・ダリとルイス・ブニュエル監督が巻き起こした超現実主義を連想させます。
まさに、映画が生み出した芸術価値であるシュールレアリスムの醍醐味と言っても良い作品ではないでしょうか。
映画館の上映のみならず、芸術祭などでも充分に通用する美術価値を持った、極めて質の高いアート・ムービーです。
また、第26回東京国際映画祭の「日本スカラシップ部門」での上映を皮切りに、国外の映画祭に多数招待されました。
フィンランドをはじめ、イギリスやドイツ、そしてアメリカで上映され際に、渡辺監督の才能を評価するのに比較された監督が挙げられたそうです。
それは、ジム・ジャームッシュ監督、デヴィッド・リンチ監督、モンティパイソンなどだそうです。
また、一方で、モノクロ作品の中で唯一、パートカラーなのが「原発反対運動」のシーンでした。
渡辺監督の話では、原発反対デモの出来事が、被災地100キロ圏内の大田原市からは、どこかテレビの向こうのような現実に見えたことを表現したそうです。
まとめ
この映画には、主人公の平山隆志を通して、社会的な大きな2つのモチーフが盛り込まれています。
1つは「原発事故」、2つ目は「新興宗教」です。
戦後の日本映画監督たちの多くは、自らが体験した戦争に関する映画を多く描き続けてきました。
それは、敗戦国となった日本が、1日にして国家という価値観が大きく変わってしまう現実を見てきたからでしょう。
これと同じく、国家という不確かな幻想のもろさを露呈した出来事が、現代では「原発事故」であり、「オウム真理教事件」だったのです。
渡辺紘文監督は、シニカルに大きな問題2つを見事に掛け合わせ、コメディ映画という笑いで観客に提示して観せてくれた、唯一無二の映画監督と言えないでしょうか。
また、渡辺監督の話では、この作品の制作費は50万円出会ったそうです。
もちろん、監督の出身地で撮影したこともあり、実施には人の行為や恩恵を考えれば、それ以上のお金に変え難い環境があって、この作品が完成したことは言うまでもありません。
それは、自分の祖母の平山ミサオを映画出演させるほど、情のある監督の人柄なのではないでしょうか。
(写真のハナクソをほじる平山ミサオおばあちゃん(2016年現在99歳)可愛いですね。)
渡辺紘文監督の渾身のデビュー作は、コメディ映画でありながら芸術性の高いシュールな笑いを観せてくれる作品です。
ぜひ、どこかでご覧いただきたい1本です!