連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第82回
2022年1月6日(木)にNetflixで配信されたホラー映画『荒れ野』。
19世紀を舞台に、人里離れた土地に住む一家と彼らを襲う謎の怪物との戦いを描いています。
限定空間の中で恐怖と狂気に翻弄されながら、ひとり息子のディエゴが母親を守るために奮闘するスペインのホラー映画です。
ネタバレあらすじとともに化け物が象徴するものとその正体についての考察をご紹介します。
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Netflix映画『荒れ野』の作品情報
【日本公開】
2021年(スペイン映画)
【原題】
El Páramo
【監督・脚本】
デビッド・カサデムント
【出演】
インマ・クエスタ、ロベルト・アラモ、アシエル・フローレス、マリア・リョプ、ビクトル・ベンフメア、アレハンドラ・ハワード
【作品概要】
数々のドキュメンタリー作品にて共同監督を務めてきたバルセロナの映像作家デビッド・カサデムントの監督兼脚本デビュー作品。
制作は以前にマウトハウゼン=グーセン強制収容所の実態を描いたNetflix映画『マウトハウゼンの写真家』(2018)を手掛けたRodar y Rodar。
息子と2人で化け物に立ち向かう母親、フアナを『ブランカニエベス』(2013)『誰もがそれを知っている』(2019)で知られるインマ・クエスタが演じ、『ペイン・アンド・グローリー』(2019)のアシエル・フローレスが父親、サルバドールを演じています。
映画『荒れ野』のあらすじ
19世紀のスペイン。
立て続く戦争に国も人々も疲弊し、国民の一部は狂乱から逃れるために社会との断絶を選びました。
外の世界の戦争から逃れ、荒れ野に囲まれた家に両親と住む臆病な少年、ディエゴは、夜中に目を覚ましてしまい、離れた小屋にあるトイレまで父親のサルバドールについてきてもらっていました。
一人前になるため、サルバドールは飼育しているウサギをひとりで屠殺するようディエゴに指示します。
育てているウサギを殺すことは出来ないとディエゴが躊躇していると、小屋の外へウサギが飛び出してしまいます。
ウサギは遠くへ走っていき、家の周囲に配置されたT字型の印の外まで逃げてしまいました。
息子を男らしく育てたいサルバドールと対照的に母親、ルシアはディエゴに優しく接していました。
ディエゴの誕生日にサルバドールは彼の名を彫ったライフルをプレゼントします。
銃を撃つのも嫌がるディエゴに、ルシアは糸電話をプレゼントします。
そして糸を張り、離れたところから自分の見えるものを相手に伝える遊びを教えてくれました。
その夜、母親の怪談を楽しく聴いていたディエゴに、サルバドールは弱い物を襲う化け物の話を始めました。
背が高く、頬のこけたその化け物の存在を信じているのはサルバドールだけだと言い、ルシアは話を遮ります。
次の日、家の近くを流れる川に小さな舟が流れ着きました。
中には弾の入っていないリボルバーと自ら首を切ったと思しき血まみれの男が倒れていました。
まだ生きていたその男をサルバドールは介抱しようとします。
男を警戒するルシアはディエゴに「外には悪い人しかいない」と言い聞かせます。
ディエゴとルシアが家の中で過ごしていると、外で介抱を受けていた男が部屋の中に入ってきました。
男は家の外に広がる地平線を指さした次の瞬間、ライフルを手に取り自らの頭を撃ち抜き自死しました。
死体を片付けるルシアとサルバドール。男の所持品から妻子がいることを知り、サルバドールは遺品を届けに行くべきと考えます。
その夜、サルバドールはディエゴに自身の姉に起きたことを語ります。
彼の姉は近付いてくる化け物に常に怯えていました。
弟のサルバドールはそんな彼女を弱虫呼ばわりし、助けませんでした。
翌朝彼女は部屋にまで入って来た怪物から逃げるために窓の外から飛び降りて亡くなったと言います。
「パパも舟の男も怪物を見てしまったのか」というディエゴの質問にサルバドールは「一度怪物を見てしまったら永遠に呪われる」とだけ答えました。
翌朝、サルバドールは男の遺体と遺品を妻子の元へ届けるために出掛けてしまいます。
ディエゴは「お前が母さんを守れ」とだけ言われ、母親と家に残されてしまいます。
その夜、外に出てまでトイレに行くのを恐れたディエゴは家の中で用を済まさざるを得ませんでした。
ウサギの世話をし、畑の手入れをする日々を過ごし、父親の帰りを待つディエゴとルシア。
やがてルシアの誕生日になり、ディエゴは身なりを整え、彼女のためにケーキを焼きました。
しかしいつまで経ってもサルバドールが帰ってこないことにルシアは塞ぎ込んでしまっています。
ディエゴは家の外まで出て行き、糸電話で遊ぼうとしたその時、ルシアは地平線の彼方に何かを見つけ、ディエゴに家の中へ入るよう言います。
その夜、眠れずにいたディエゴのもとに死んだはずのサルバドールの姉、フアナが現れ「化け物を見た?」と尋ねます。
彼女が指差す窓の外には荒れ野が広がっており、サルバドールが窓の下を覗いたとき、血まみれになった彼女の死体が「奴が来る」と呟きます。
大雨の夜、カカシの背後に何かを見つけたルシアは地平線に向かって発砲します。
銃を抱え家を飛び出し目標に向かっていくルシアをディエゴは追いかけることが出来ませんでした。
しばらくして獲物を追い払ったというルシアが家へ戻ってきます。
次の日、家の扉を開けると、地平線に立てかけてあったはずのT字印が嵐の影響で家の前まで流れ着いていました。
食う物に困ったディエゴたちは、可愛がっていたウサギのトロを食べることにします。
自分の手で殺すことが出来ないディエゴは、ルシアが屠殺している間、必死に耳を塞いでいました。
飼っていたウサギを食べることに嫌気がさしたディエゴは母親の言う事を無視して外へ飛び出します。
洗濯物を干していた場所までディエゴを追いかけてきたルシア。
すると彼女は黙ってディエゴの背後に銃口を向けます。
化け物に向かって発砲するルシア。
その場を逃げようとするディエゴは干してあった洗濯物に行手を阻まれます。
一瞬、化け物の姿が見えたかと思えば、覆い被さった洗濯物をどけると、そこには発砲を続けるルシアの姿しかありませんでした。
映画『荒れ野』の感想と評価
化け物がもたらす戦争
本作は目に見えない化け物との戦いを描いたホラー映画として、鑑賞前には『クワイエット・プレイス』(2018)が連想されます。
しかし実際に鑑賞すると本作は同じようなホラーのシチュエーションを踏まえた戦争映画であることが判明します。
戦場も兵隊も映さず、隔絶された土地にまで外の世界から戦争の恐怖がやってくる様子を描いていました。
戦争の狂乱から逃れ、妻子と静かに暮らすサルバドールも外の世界への恐怖が忘れられず、常に警戒する日々を過ごし、一刻も早く息子を「戦える一人前」に育て上げる使命感に駆られていました。
外の世界へ出征してしまった夫が荷物だけで帰って来て、息子と2人取り残されたルシアは疎開先を象徴するような人里離れた寒々しい土地にて、暗所恐怖症、外の騒音、飢餓に苦しみ、やがて狂気に飲まれていきました。
舟から助け出された男が介抱された後、ライフルを手に唐突に自殺したのも、再び外の世界へ戻ることに対する恐怖でした。
彼らの抱く外の世界への恐怖とは、戦争と戦争によって正気でいられなくなる自分自身への恐怖です。
そして終盤になって遂にその姿を見せた化け物がフアナを襲うのは、彼女が戦争の責任を負うべき大人世代であると同時に化け物の存在(=外の世界で起きている現実)から目を背け続けたからでしょう。
彼女は化け物を仕留める為にそれを外まで追いかけて行くことは決してせず、自分たちが籠る家とその周辺のみを守るためだけに追い払っていただけに過ぎず、文字通りそれは殻に篭るためだけの自己防衛に過ぎませんでした。
戦争から逃げた大人の死を目の当たりにしたディエゴの成長物語を主軸に置いたことが本作をホラー映画たらしめていました。
ディエゴの目線から見える、大人たちの抱える恐怖とは、全く持って未知のものであり、「戦える一人前」となり、これから向かう外の世界の化け物を彼が直視するという結末は、自立した彼の勇ましさを窺わせると同時に恐怖と狂気に飲み込まれかねない危うさとが同居しているようでした。
保守的な帰結
戦争の化身である化け物が弱者を襲うという構図から、それが人々への抑圧を象徴していることは明白です。
外の世界から逃れ人里離れた家に籠ることは、同時に家の周囲に築いた安全圏の印の向こうへ出ることのできない閉塞感でもあり、舟で流れ着いた男をきっかけに閉鎖的な家であっても外の世界の恐怖から逃れることは出来ないのだと明らかになっていきます。
本作の冒頭でも説明のあった、国の暴力が国民にウイルスのように蔓延し、そこから逃れた親子であっても、結局は有害な男らしさの受け継いでしまい、暴力から逃れるすべはなかったのだという結末に至るのです。
戦争という暴力の連鎖から逃げてきたはずのサルバドールは、息子にその暴力を継承しようとする。
それに男らしくあることを強要しない母親という対比はオーソドックスながら、本作は父親を失った後半において暴力性を共にする男性性を母親から受け継ぐという展開を見せました。
生き残るためにやむを得ない暴力を母親から受け継ぐという構図。父親から暴力を学び、男らしさを継承するという噎せ返るような家父長制はその役割と関係性を母親と取り換えただけで本質は何も変わっていません。
父親にウサギを殺せなかったことを非難され、やがて母親にも強要されたディエゴは、母親と自分のためにウサギを殺し、暴力と抑圧に対抗する意志を受け入れました。
マチズモを継承する話でありながら、本作は子どもへの暴力の継承をある種肯定的に描きました。これは時代劇という過去の価値観へと遡る舞台があったからこそ出来たことであり、現代的視点からするとディエゴの成長物語としては、保守的な帰結と捉えることが出来ます。
戦争の影響によって、子どもが子どもで居られる時間はごくわずかに限られ、抑圧された社会から成長することを余儀なくされる物語としては『異端の鳥』(2019)をも連想させる映画でした。
まとめ
辺り一面に広がる荒れ野とそこに寂しく佇む一軒の家という空間と、母親とその息子、父親と漂流者という限られた登場人物のみで作り出された限定的な物語から、狭い世界の中で広がっていく暴力と抑圧、いずれ外の世界の恐怖と繋がり、抱えきれないほどの狂気が突如暴発する危険性を描いた本作には、ひ弱な少年が現実を受け入れる強さを手にする成長物語としてのカタルシスがありました。
しかし本作が、ホラーの演出を借りた戦争映画であると考えると、凄惨な外の世界の狂気と直接関わっていく少年の行方にこれまたホラー映画らしい恐怖を感じます。
子どもの視点から描いたことで、終盤まで化け物の全貌が見えず、得体の知れない何かに恐怖する様子に、大人たちのよく分からない世界や未知のものへの恐怖が多層構造的に重なって見えます。
また少年の成長物語としてのテーマ(男らしさを身に着けるまで)を血と暴力という分かり易い形で継承したのも、これが19世紀を舞台にした過去の物語だから出来たのだと言えます。
本編約90分、不安と緊張のスリルを味わえる良質なホラー映画です。