連載コラム『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』第3回
この世には見るべき映画が無数にある。あなたが見なければ、誰がこの映画を見るのか。そんな映画が存在するという信念に従い、独断と偏見で様々な映画を紹介する『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』。
第3回として紹介するのは『子宮に沈める』。児童虐待・育児放棄を扱った社会派映画です。
この作品は「見ると鬱になる映画」「洒落にならない胸糞映画」と密かに映画ファンの間で話題となり、配信開始と共に視聴数が徐々に増加している、隠れた問題作となっています。
今回はあなたのごく身近にあるキツい映画、鑑賞後にはもう平穏な気持ちではいられない、恐るべき作品を紹介させて頂きます。
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映画『子宮に沈める』の作品情報
【公開】
2013年(日本映画)
【監督・脚本】
緒方貴臣
【出演】
伊澤恵美子、土屋希乃、土屋瑛輝、辰巳蒼生、仁科百華、田中稔彦
【作品概要】
2010年に起きた衝撃的な事件。そしてその後過熱するマスコミの報道、世間のバッシング…。この実際の出来事にインスパイアされ製作された、社会派フィクション映画。
監督はこの世に存在する、厳しい現実に目を向け続ける緒方貴臣。このような題材を嫌う日本映画界の中で、挑戦的な作品を作り続けている緒方監督は、2017年にはフェイクニュースを題材にした『飢えたライオン』を発表しています。
主演の『アリエル王子と監視人』(2015)や『あ・く・あ ~ふたりだけの部屋~』(2021)の伊澤恵美子が、主人公となるシングルマザーを演じます。
犠牲となる姉弟を、実の弟と共演した子役の土屋希乃は、後にNHK・Eテレの番組『ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン』(2015~)に2017年からレギュラー出演。
そして『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~!恋する汁なしタンタンメンの巻』(2021)では、ロビンちゃん役を演じています。
これから重くて辛くてキツい映画を紹介します。本作撮影時3歳だった彼女は、その後も元気に活躍していますので、これを心の支えとしてどうか最後までお付き合い下さい…。
映画『子宮に沈める』のあらすじとネタバレ
家族のために家事をこなす由希子(伊澤恵美子)。幼い娘・幸(土屋希乃)とまだ赤ん坊の息子・蒼空(土屋瑛輝)を優しく世話する姿は、幸せな母子そのものです。
3人は食卓を囲みますが、由希子の夫・俊也(辰巳蒼生)は帰ってきません。子供たちを寝かしつけると電話をかける由希子。しかし呼び出し音が空しく響くだけでした。
翌日は豪華なお弁当を用意し、家庭内でピクニック気分を味わう母子たち。その夜は、子供たちが寝た後に俊也が帰ってきました。自分の荷物を取りに来た夫に、化粧をして肉体を求める由希子。
俊也は疲れていると言って、妻を激しく拒絶します。嫌いならはっきり言って欲しい、と詰め寄る妻に煮え切らない態度を見せる俊也。彼女はそんな夫を何度も叩きました。
しかし俊也は、何も語らずに家を出て行きました。残されて力なく座り込んだ由希子に、幸の鳴き声が聞こえてきます。
由希子は子供と共に新たなアパートに移りました。それでも気丈に子供たちと暮らし、自立を目指し医療資格を取ろうと勉強を始める由希子。
そんな彼女の元を訪ねる高校時代の友人の恵子(仁科百華)。友人たちの近況を教えた彼女は、由希子に水商売を勧めました。その後勤め先から夜遅く帰ってきた由希子を、眠らずに待っていた幸が出迎えます。
育児に追われながら働きに出る由希子は、徐々に余裕を失いつつありました。それでも幸が発熱していると気付くと、仕事に向かうのを断念し娘の世話をする由希子。
優しい母の姿勢は幸を安心させますが、同時に由希子は1人思い悩んだ末に、新たな職を選んだようです。
ある夜、派手な身なりで夜遅く帰宅した由希子を幸が出迎えると、母は要(田中稔彦)という男を連れていました。要は幸に優しく声をかけますが、思わず母の体の後ろに身を隠した幸。
そして由希子は体を求める要を拒みきれずに、子供たちがいるアパートでそのまま関係を結びます。
由希子の目を盗んで母の化粧を真似て、派手な水商売の衣服やヒールを身に付けた幸。弟と戯れる姿は、母と要の行為を真似た無邪気な遊びだったのかもしれません。
それを見て怒ったのでしょうか、厳しく母に叱られた幸は大きな声で泣き以前のパパがいいと叫んでいました。泣き叫ぶ幸を残し、穏やかな声で蒼空をあやす由希子。
ある夜、部屋に現れた要は今は子供たちは寝ていると、強引に由希子の体を求めます。しかしその嬌声を聞いて目覚めた幸は、部屋で物音を立てました。
行為を終えると由希子の引き留めに応じずに、そそくさと部屋を後にする要。蒼空の泣き声が彼が出て行かせた理由だと、由希子は考えていたのかもしれません。
そして、日中はすっかり散らかったアパートの部屋に、幼い幸と蒼空だけが残される日々が続きます。
由希子が子供たちに用意する食事も粗末な物になってきました。テーブルの上に留守中の分も含めた、山盛りのチャーハンを用意した由希子。
食卓についた子供たちをタバコを吸いながら見守る由希子は、幸に優しく声をかけて夜の仕事に向かいます。その母に早く帰ってきてね、と告げて見送る幸。
幾つものゴミ袋が放置された部屋で、まだ乳児の蒼空を世話するのは幸でした。幼い彼女に出来ることには限界があり、そして幸自身もまだ世話を必要とする年頃です。
それでも必死に自分自身と幼い弟の世話する幸。母は未だに帰ってきません。床にこぼれた粉ミルクを見よう見まねで水に溶き、弟に与えると幸は母が作り置いた粗末な食事で空腹を満たします。
しかし由希子は帰ってきません。母がどこにいるのかと、1人空しく訴える幸。その声は散らかった部屋の中に空しく響きます…。
映画『子宮に沈める』の感想と評価
なぜこの映画をこのコラムで紹介する作品に選んだのか?実は本作、配信開始後にジワジワと視聴数を伸ばしている、静かな話題作と知って紹介させて頂きました。
実在の事件を元にした作品であると、社会的なテーマを持っていると関心を抱いて鑑賞する方もいれば、新たな「胸糞映画」が誕生したという噂を聞きつけ、好奇心から手を出す方もいる模様です。
その評価も賛否両論、感情的に全否定する人もいれば、独自の視点から重いテーマに挑んだ作品であると、肯定的に受け取る方もいる問題作となりました。
際どい題材(実際の事件を元にしています)を扱った作品ですが、商業主義的なジャンル映画では無く、オレンジリボン運動(子供への虐待を防止する運動)が推薦する映画です。
そうでありながら、見る人によって嫌悪感むき出しにした拒絶反応を引き起こす作品。この恐ろしい、そして確実に見る者の心をかき乱すこの映画を紹介していきましょう。
淡々と描かれる密室の悲劇
本作はあるアパートの1室(引っ越すので正確には2室)を舞台に、時系列で出来事が描かれます。
育児放棄、そして自分の子に手をかける母親という、誰もが非難するであろう人物が主人公です。告発系・社会問題提起型の映画であれ、悪趣味な娯楽映画であれこの主人公を絶対悪とする、あるいは社会の犠牲者として描き出しそうなものです。
しかし『子宮に沈める』は淡々と、時系列で出来事と彼女の変化を描きます。子供たちを見捨てる彼女は決して悪の権化では無く、何か強い意志や決断を持った人物として、あるいは軽薄な人物としては描かれません。
観客は彼女の行動や感情の背後に、何が潜んでいたのかを自分で想像するしかありません。この作業の中である観客は彼女を男に捨てられた犠牲者と感じ、ある観客は思慮の浅い自己中心的な人物と結論づけるでしょう。
冷徹なタッチで描かれた本作ですが、ラストで一転劇的な展開を見せます。この作品はフィクションだと強調する意味を持ちますが、同時にこのシーンの意味を監督から問われた観客は、またも心をかき乱されたと感じます。
そして本作の多く場面に登場する、事実上の主人公といえる存在が、幼い娘・幸を演じた土屋希乃。
幼い少女の無惨な体験も同様に淡々と描かれます。登場人物に感情移入して映画を鑑賞する方であれば、この少女の姿は絶対に耐えられないでしょう。
その一方で、実際の事件はもっと過酷な状況のはずだ、この描き方では美し過ぎる、と批判する方もいるでしょう。本作は必要以上の「汚れ」を見せず、グロテスクな「見世物」的要素も排除しています。
これを人によっては良心的な配慮と受け取り、人によっては偽善的・リアルでない描写と切り棄てています。育児放棄という残酷な現実を描く行為そのものが、観客の心をかき乱すものであり当然の帰結でしょう。
ただこれらのシーンを子役である、土屋希乃が演じたことで生まれた説得力は、誰もが共通して認めています。彼女が今も俳優活動を続けながら成長している事実は、本当に本作を見た方への救いになるはず。
実に挑発的な題材をあえて取り上げ、観客を挑発的に刺激する本作を監督した、緒方貴臣とは何者でしょうか?
あえて不穏なテーマに挑む緒方監督
『終わらない青』(2009)では父親からの性的虐待と自傷行為を描き、『体温』(2011)ではラブドールを題材に物語を紡いでみせた緒方貴臣。
高校中退後会社を設立、社会人経験を積んだ後に映画監督となった彼は、決してお金のために映画を撮っているのではない。映画は小学生の頃から好きだった、お金で自分は幸せになれなかったから、自分は好きな映画を撮るのだと答えています。
その自分の好きな映画には、誰も製作費を出してくれない。また自分の作品に口出しもされたくない、だから自分で映画を作ってきたと、本作劇場公開時のインタビューに答えています。
初監督作『終わらない青』公開後自分の作品について、観終わった後に無力感・罪悪感・不快感が残るように心がけている、と説明している緒方監督。
その姿勢は本作、そしてその次に発表された『飢えたライオン』でも健在です。『子宮に沈める』に触れた観客は、この言葉の意味を身を持って思い知らされたでしょう。
別の作品のオーディションで知り合った緒方監督から、本作に出演して欲しいと声をかけられた伊澤恵美子。『終わらない青』を見て、この監督は強烈に撮りたいものを持つ人物だと感じていた彼女は、そのオファーを引き受けます。
監督からネグレクト(育児放棄)の映画を撮る。その主演をお願いしたい説明された彼女は、演技する前にネグレストについて、そして経験の無い育児について学び始めました。
しかし監督からはあまり勉強しないでほしいと言われたと、本作撮影の内幕をインタビューで答えています。現場に入ったら準備したものは全て捨てリセットする、監督の指示の下で自分の人生に溜め込んだものを出して演じたと語る伊澤恵美子。
彼女は未熟なまま母親になり、現実を受け入れ切れないまま子育てに励み、そしていつの間にかそれを放棄した女を演じました。この母親失格の烙印を押された女の姿は、以上のような監督の意図と彼女のアプローチによって生み出されたものです。
本作をご覧になって心をかき乱された方は、この主人公の姿がどのように生み出されたのか、ご理解頂けたでしょうか。
まとめ
多くの人々が新たな「胸糞映画」、そして「鬱映画」として注目している、そして同時に育児放棄や児童虐待といった「人権学習映画」としても観客と関心を集めている『子宮に沈める』。
決して残酷描写、暴力描写であなたを傷付ける作品ではありません。静かに観客に提示され、あなたの心を逆なでにしてくる映画です。心に突き刺さるメッセージを受け取り、それを生んだ伊澤恵美子、子役・土屋希乃の演技を確認して下さい。
本作を不快に感じた方も、何かを考えさせられるきっかけとなる映画であった、その事実だけは認めざるを得ない作品です。
この記事を執筆している現在、『飢えたライオン』に次ぐ新作を、5年ぶりに撮影しようと準備中の緒方貴臣監督。
この映画もまた、見る者の心の平穏を揺るがす作品になるでしょう。どうか覚悟してお待ち下さい。
『子宮に沈める』を見て、本当に心に大きなダメージを受けた方は…、どうぞ『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~!恋する汁なしタンタンメンの巻』を見て下さい。
もっとも数多くの「名(迷)作」を手掛ける名脚本家、浦沢義雄の脚本を狂気に満ちた感覚で実写映像化した『ロボコン』。これは人によっては、別の意味での大きなダメージを受けるかもしれません。
そして…本作を見た方は今後、中島哲也監督の『来る』(2018)で歌われる「オムライスの歌」が、今後は洒落にならない程に、せつない物として聞こえると警告しておきましょう…。
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)