映画『人肉村』は2021年8月20日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
郊外の一本道で孤立し、狂った地元農場主から獲物として狙われる恐怖を描いた映画『人肉村』。
スラッシャーホラーの先駆けである『悪魔のいけにえ』(1973)や『サランドラ』(1977)の精神を受け継ぐカナダ映画です。
ジャンル映画らしいビジュアルショックと駆け引きする余地のない圧倒的な暴力が生むサスペンスとのバランスは往年のサブジャンル映画らしく、どこか懐かしさを感じさせます。
今回は、定番スラッシャーホラーの新作映画『人肉村』をご紹介します。
映画『人肉村』の作品情報
【公開】
2021年日本公開(カナダ映画)
【原題】
Butchers
【監督】
エイドリアン・ラングレー
【キャスト】
サイモン・フィリップス、マイケル・スワットン、ジュリー・メインヴィル、アン=キャロライン・ビネット、ジェームズ・ヒックス、ニック・アラン、フレデリック・ストーム、サマンサ・デ・ベネデブレーク・キャニング、ジョナサン・ラージー
【作品概要】
注目の鬼才が放つ、悪夢のバイオレンスショッカー。『UFO 侵略』(2012)『レベル 15』(2014)など、イギリスのインディーズ・エンタテインメントで活躍する個性派名優サイモン・フィリップスが、狂気の食人一家の長男を怪演するのをはじめ、『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』(2019)『ミッドウェイ』(2020)のジェームズ・ヒックスなど、アメリカ、イギリス、カナダの若手俳優たちが、血まみれの絶叫演技を競い合いました。
製作、監督、脚本、撮影、編集を一手に手掛けるのは、カナダのテレビ界で注目の若手演出家兼カメラマンとして活躍し、これが初のホラー作品となる鬼才エイドリアン・ラングレー。
デヴィッド・フィンチャー監督や三池崇史監督を尊敬し、『セブン』(1995)のタッチを狙ったという本作その悪夢のような映像と鋭利な演出が、イギリスのフライトフェスタはじめ世界各国のファンタステック映画祭で大絶賛されました。
テルライド・ホラー映画祭2020正式出品、モリンス・デ・レイ・ホラー映画祭2020 TRUE SURVIVOR 部門正式出品、ポップコーン・フライツ映画祭正式出品など、数多くのホラー映画祭に出品され、2020年のフェニックス・フィアーコンでは、監督賞を受賞した作品です。
映画『人肉村』のあらすじ
緑に囲まれた郊外の一本道。
ドライブ旅行を楽しんでいた男女4人の若者たちが、車の故障で孤立してしまいました。
彼らが助けを求めたのは、近くの村に住む怪しげなワトソン一家。
一家は、道に迷った者たちを拉致、捕獲した男は食料にし、女は繁殖のための道具として利用していました。
やがて、一家の襲撃が始まり、若者たちは次々と捕らえられ、監禁されていきます。
果たして彼らはこの地獄から逃げ出すことができるのでしょうか!?
映画『人肉村』の感想と評価
王道スラッシャー映画
人通りの少ない田舎道でエンストしてしまい、助けを求めることが出来ない農場で、得体の知れない狂人に襲われる映画といえば、その代表作である『悪魔のいけにえ』(1974)が思い浮かぶでしょう。
画面一面に広がる汚らしさ、熱のこもった暑苦しさ、ざらざらしていて、暴力的な空気が全編にわたり横たわっていた同作は、ホラー映画の傑作として、21世紀を迎えてもなお、続編や前日譚、リメイクが数多く制作された作品です。
『悪魔のいけにえ』(1973)はレイティングがありながらも、直接的に殺害描写を描いてはいない稀有なホラー映画でした。
チェーンソーやミートフックが身体に食い込む生々しい音や、巧みなサディスティック的間接表現が、観客に映画で描かれているもの以上の恐怖を想起させたからです。
監督トビー・フーパーの演出に影響を受けた「いけにえフォロワー」作品は数え切れないほどで、『クライモリ』(2003)『スローター・ハウス/13日の仏滅三隣亡』(1987)など枚挙にいとまがありません。
本作『人肉村』も、定番のプロット、ジャンル映画らしい美意識、演出の妙からまごうことなき「いけにえフォロワー」作品であると言えます。
それは必ずしも、悪い二番煎じ映画であることを意味するわけではありません。
善悪の概念が、こちら側と全く異なる「話の通じない相手」が向こうの理屈で生活しているという恐怖。
その土地では当たり前とされていることと常識との乖離性に気味の悪さを感じます。
キャラクターがしっかりした農場の狂人と生活感を感じさせる汚らしい小屋や手斧、家畜用のトラップなど嫌らしい小道具の数々が、そこで繰り返されているおぞましい日常を想起させます。
直接的な描写を一切見せず、予算のかかる残酷描写をオフカメラで済ませてしまうのは、低予算スラッシャーホラーにありがちな「逃げ」ですが、本作『人肉村』は、痛々しい暴力描写とそれを目の当たりにした第三者の反応を用いたリアルで生々しい描写をきちんと描いており、ジャンル映画に求められる期待に応えようとするその見世物根性には感服してしまいました。
宙吊りの物語
旅の途中に狂人に出くわすホラー映画は、当然旅行者側の視点で恐怖を描いています。
本作も、殴られた旅行者が気を失う場面に合わせて画面がブラックアウトする描写からも分かる通り、獲らえられ人質にされる側からその恐怖を描いていました。
しかし、前述したスラッシャーホラー映画の先駆け『悪魔のいけにえ』(1973)は不思議なことに、観ているうちにだんだんと狂人側にも感情移入が出来るようになってしまうのです。
それは人質というかたちで彼らの家へ招かれた旅行者が、彼らの生活習慣やそこでの常識に触れるからでしょう。
人質側の視点で鑑賞している観客も、「向こうはこういう理屈で生活している」という共感出来ない共感を心の内に落とし込んでしまいます。
一度でも、彼らなりの理屈に共感してしまえば、人質だけの視点ではなく、もう少し達観したホラー映画の見立てが出来るようになります。
それはもはやホラー映画を純粋に怖がって楽しむという「正しい見立て」ではないのかも知れませんが、殺人鬼目線のホラー映画は別段珍しいものではありません。
獲物として狙われた旅行者が助かるか助からないかのサスペンスは、本筋として明確な結末もあり、楽しむことが出来ます。
王道でベタとも言えるプロットにも、とある時制にまつわるトリックがあり、物語の結末は、ある意味冒頭から暗示されていたことがわかるようになっていました。
フックに吊るされたままの人質のように、この助かるか助からないかのサスペンスが宙吊りのままであっても、狂人側の見立てを獲得した観客に対して、本作は別軸のカタルシスを与えてくれるのです。
まとめ
映画『人肉村』は、スラッシャーホラーの新作として、サブジャンルの魅力を再発見させてくれる一作でした。
犠牲者側に寄り添わずフラットな視点で描かれるサスペンスは、冷笑的であったり無常な作り手の意識と捉えることも出来ます。
しかしながら、決して褒められるような善人ではない犠牲者の振舞いをジャッジしない作り手の視線は、襲う側も、襲われる側にも裁きを下すことのない、あいまいな善悪を描く豊かさにも見え、非常に映画らしいと感じさせるポイントでもあります。
『人肉村』というタイトルからしてキャッチーな本作は、『悪魔のいけにえ』(1973)をはじめとしたスラッシャーホラージャンルの原点回帰でもあり、ホラーのサブジャンルにおける新たな見立てを気付かせてくれる作品でした。
映画『人肉村』は2021年8月20日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー