閉塞感の溢れる島を舞台に「明日を生きる為の希望」を得る、人々の群像劇。
日本のどこかに存在する架空の島を舞台に、壮絶な過去を背負った兄妹と、その周囲の人達の人間ドラマを描いた映画『はるヲうるひと』。
人気俳優の佐藤二朗が主宰する演劇ユニット「ちからわざ」で上演され、高い評価を受けた舞台作品を、佐藤二朗自らが脚本と監督を務め、約5年の歳月を掛けて完成させました。
山田孝之や仲里依紗など、日本屈指の実力派俳優が集結し、過酷な環境の中にある、僅かな希望を描いた、本作の魅力をご紹介します。
映画『はるヲうるひと』の作品情報
【公開】
2021年公開(日本映画)
【監督・脚本・原作】
佐藤二朗
【脚本協力】
城定秀夫
【キャスト】
山田孝之、仲里依紗、佐藤二朗、今藤洋子、笹野鈴々音、駒林怜、太田善也、向井理、坂井真紀、大高洋夫、兎本有紀
【作品概要】
俳優の佐藤二朗が、2008年の『memo』に続き監督した人間ドラマ。
主人公の得太を、数々の映像作品で活躍する、『ステップ』(2020)の山田孝之が演じる他、『モテキ』(2011)の仲里依紗、坂井真紀、向井理など、実力派俳優が集結。
今藤洋子、笹野鈴々音、太田善也など、舞台版と同じキャストも、引き続き映画版に出演しています。
映画『はるヲうるひと』のあらすじとネタバレ
本土から離れた場所に位置する、ある島。
本土から、日に2度連絡船が出ているだけの、隔離されたこの島は、男は建設業、女は芸者や遊女を抱えている家「置屋」で働くしかないという、明日に希望を持てない毎日を送っていました。
また、この島では、新たに原発を建設する計画が立てられており、住民は補償金を目当てにした、抗議活動に力を入れています。
置屋「かげろう」で、呼び込みや遊女たちの世話をしている真柴得太。
教養が無く、純粋で短気な得太は、島の人からバカにされる対象になっていますが「かげろう」の遊女には、信頼され可愛がられています。
「かげろう」には、古株の遊女で姉御肌の桜井峯、勝気な性格のムードメーカー柘植純子、小柄で元気な癒し系の村松りりの3人がいますが、そこへ新たに、内気な性格の近藤さつみが加わります。
さつみは、「かげろう」で働くようになって以降、自身の唇が急激に腫れてしまった事で「性病ではないか?」と悩み、何度も薬を買いに薬局へ行っていました。
ですが、遊女である事を恥ずかしくて言えず、さつみは何も買わずに帰っていました。
「かげろう」には、得太の妹いぶきも住んでいますが、病気が原因で、身も心も何も感じなくなっており、精神的に荒んでいます。
いぶきは「かげろう」の遊女に酷い言葉を平気で発する為、遊女たちには嫌われています。
ですが得太だけは、たった1人の妹であるいぶきに寄り添っていました。
ある時、買い物に行った得太が「かげろう」に戻って来ると、現在の「かげろう」を取り仕切っている、真柴哲雄が来ていました。
哲雄は、得太といぶきの兄になりますが、粗暴な性格で、得太といぶきを目の敵にし、遊女たちを暴力と恐怖で支配しています。
その日、得太が1人も「かげろう」に客を連れて来ていなかったことを知った哲雄は、得太の両手を火鉢の中に突っ込みます。
「かげろう」から立ち去る哲雄を、得太は恐怖に満ちた目で見ていました。
映画『はるヲうるひと』感想と評価
架空の島を舞台に、そこで生きる腹違いの兄妹と、置屋「かげろう」の遊女など、周囲の人々の人間ドラマを描いた、映画『はるヲうるひと』。
近年コメディーのイメージが定着した、佐藤二朗が原作と脚本、監督を務めた本作ですが、かなりシリアスな内容となっており、作品からは何とも言えない、閉塞感が溢れています。
まず、舞台となっている島ですが、本土から日に2回の連絡船が来るだけという、閉ざされた印象のある場所となっています。
この島では、男は建設業で働き、女は置屋で遊女になるしかないという、将来の選択の余地が無い場所でもあります。
さらに、遊女同士の会話は、さまざまな方言が飛び交っており、独特の雰囲気を生み出しています。
この島が日本の何処にあるのか?すら分かりません。
得太といぶきが本土を眺めながら「島が、どんどん本土から離れている気がする」という台詞から、同じ日本でありながら島の住人からすると、本土は遠い場所で、別世界に感じている事が分かります。
しかし、島に原発の建設計画が立ち上がるあたり、この島は「日本の負の部分」を押し付けられた印象もあります。
この閉塞感のある島で生きる、3人の兄妹の物語が本作の主軸になるのですが、特徴的なのは、3人ともどこか壊れてしまっているということです。
まず、本作の主役である得太は、純粋で喧嘩っ早い性格ながら、泣き虫という、言わば憎めない奴なのですが、腹違いの兄である哲雄に、身も心も支配されています。
それでも、実の妹のいぶきには、心配をさせないように優しく寄り添う辺りなど、本当に優しい男です。
得太の妹いぶきは、病気で何も感じない体になってしまったうえに、お酒に溺れてしまっています。
いぶきは「かげろう」の遊女に「あなたたちは、お金を稼ぐための道具」と平気で言い放つなど、心も壊れてしまった印象です。
そして、得太といぶきの腹違いの兄である哲雄。
得太といぶき、そして「かげろう」の遊女たちを暴力で支配している哲雄は、得太たちを「中身が空っぽの虚ろ」と罵り、目の敵にしている男です。
哲雄は、自らを「真っ当な人間」と語り、マイホームを建て、幸せな家族を作り上げています。
哲雄が得太に「真っ当な生活」を見せつける為に、マイホームに招待する場面があるのですが、この場面が作品全体を通すと、かなり不自然な印象を受けます。
「真っ当な生活」を作り出す為、哲雄は反対運動を先導し「かげろう」の遊女たちを支配しているという、汚れ仕事も平気で行っており、本作の登場人物の中で、一番真っ当から程遠い存在が哲雄です。
前述した、哲雄のマイホームも幸せな家族も、真っ当に固執している哲雄の「幻想のようなもの」なのです。
本作のクライマックスで、得太に両親の死の真相を聞かされたことにより、哲雄はそれまで大事に守って来た、真っ当が崩れ去ります。
そして、その後の、ユウとりりの結婚式が描かれた場面では、全員が生きる事に前向きになっており、哲雄が否定していた「変化」が訪れています。
この結婚式の場面では、哲雄が出てきませんが、峯と純子の「あの人は脂が抜け落ちた」という会話から、哲雄から以前のように、暴力による支配を受けていないことが分かります。
「真っ当」という幻想が崩れた哲雄は、無気力になったのか?優しくなったのか?定かではありませんが、確実に変化があったという事です。
ユウとりりの結婚式で、穏やかな表情を浮かべて笑い合う、得太といぶきからも、哲雄の変化は読み取れます。
閉塞感の漂う島で、壊れた兄妹たちの人間ドラマというと、救いの無い物語のように感じるかもしれませんが、本作で描かれているのは「ほんの少しの希望」です。
「ほんの少しの希望」とは、大きな障害は残ったままなのですが「それでも明日も生きてみよう」と思える希望で、佐藤二朗は「そこにドラマを感じる」とインタビューで語っています。
職業選択の自由すら無い、希望が見えない島でも、いくらでも人は変われるし、そこに希望を見出すことができるのです。
逆に「真っ当な人生」という幻想に捉われた哲雄こそが、一番弱く、何も変えられないまま生きてきたのです。
自分の弱さを受け入れることが、変化の始まりで、大事なのは今の自分を受け入れること。
そのメッセージを観客に伝える役割を担っているのが、新人遊女のさつみです。
本作のラストシーンでは、それまで遊女であることに恥を感じていたさつみが、自らの現状を受け入れ、笑顔になります。
『はるヲうるひと』という本作のタイトルは、このラストシーンに直結するのですが、映画の締めくくり方も含め、鑑賞後は、なんとなく清々しい気持ちになる作品でした。
まとめ
コメディーのイメージが強い、佐藤二朗が脚本と監督を務めた本作は、イメージとは真逆のシリアスな作品でした。
佐藤二朗は本作で、哲雄を演じているのですが、哲雄が登場する場面は全て緊張感に溢れており「怖い佐藤二朗」を堪能できる作品でもあります。
本作では佐藤二朗だけでなく、他の出演者も、これまでのイメージとは違うキャラクターを演じています。
主人公の得太を演じる山田孝之も「喧嘩っ早い泣き虫」という、これまでとは違う演技を見せていますし、仲里依紗も、心が壊れてしまった、いぶきというキャラクターを、独特の雰囲気で表現しています。
また、姉御肌の遊女、峯を演じる坂井真紀は、峯の内面の弱さを繊細に演じていますし、ムードメーカーの純子を演じた今藤洋子や、癒し系のりりを演じた笹野鈴々音は、舞台版でも同じ役を演じており、当て書きのようです。
佐藤二朗の「俳優のいい芝居が観たい」という想いも込められている『はるヲうるひと』は、登場人物全員が個性的で、魅力的な群像劇でもあります。
かなり過激な描写もある作品ですが、最後は希望を感じて清々しい気持ちになれますので、日本屈指の俳優が集結した本作で、監督佐藤二朗の、恐ろしさすら感じる「鬼才」ぶりを堪能してみてはいかがでしょうか?