オバマ前大統領が「年間ベストムービー」に選出した話題のドキュメンタリー映画
映画『行き止まりの世界に生まれて』が2020年9月4日(金)より、全国順次公開中です。
『行き止まりの世界に生まれて』は、アメリカ中西部のラストベルト(錆びついた工業地帯)の街、ロックフォードに暮らすスケートボード仲間である若者3人の12年間を見つめたドキュメンタリー映画です。
ビン・リュー監督は、自身も被写体となりながら、アメリカ社会にはびこる、暴力、貧困、失業、親子関係など様々な問題を映し出し、もがきながらも前を向いて生きる若者たちの姿を描いて、第91回アカデミー賞&第71回エミー賞にWノミネートされました。
映画『行き止まりの世界に生まれて』の作品情報
【日本公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
Minding the Gap
【監督】
ビン・リュー
【キャスト】
キアー・ジョンソン、ザック・マリガン、ビン・リュー、ニナ・ボーグレン、ケント・アバナシー、モンユエ・ボーレン
【作品概要】
「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」に位置するイリノイ州ロックフォードを舞台に暴力的な家庭環境で育ち、スケートボードで繋がった若者3人の12年間の生活を描いたドキュメンタリー映画。
第34回サンダンス映画祭ブレイクスルー・フィルムメイキング賞、第84回ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀ドキュメンタリー賞など数々の賞を総なめし、第91回アカデミー賞&第71回エミー賞にWノミネートされた。
映画『行き止まりの世界に生まれて』あらすじとネタバレ
繁栄から取り残された「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」に位置するイリノイ州ロックフォード。キアー、ザック、ビンの3人は、スケートボード仲間です。
スケートボードをしている時だけが、生きている心地がし、彼らは家族も同然の固い絆で結ばれていました。
キアーは大工を営む父親から厳しく育てられました。ときには暴力も振るわれるほどの厳しさにキアーは反発。父は黒人がスケートボードをするとは何事かとスケートボードのことにまで口を出しました。
父は早くに亡くなってしまいます。生前の父に最後に言った言葉は「大嫌い」でした。キアーは今でも、家族とほとんど顔を合わさず、一日自分の部屋で過ごしています。
キアーが、通りがかりの男に胸ぐらを掴まれた時、彼を助けてくれたのがザックです。キアーは年上のザックにたちまち憧れます。
ザックは屋根修理の職人をしています。恋人のニナとの間に子供ができ、エリオットと名付けました。エリオットのために別の職業の選択肢を得ようと、高校卒業認定試験を受けます。しかし、質問の意味すら理解することができませんでした。
ザックとニナは子育ての大変さに直面し、頻繁にけんかをするようになりました。けんかはどんどんエスカレートし、ニナはエリオットを連れて、叔母夫婦の家へと出ていってしまいました。ザックの生活は荒れはじめます。
キアーは皿洗いとして働き始めました。スケートボードでは大技を決め、「父さんが生きていたら褒めてくれていたのに」と思います。兄にためた金を盗まれたときも、「父さんがいれば叱ってくれるのに」と父の不在を悲しむようになっていました。やがてキアーは皿洗いからウエイターに昇格します。
ビンは、ザックがニナに暴力を振るっていることに気が付き、動揺します。ザックにカメラを向けて、暴力について尋ねると、女性には暴力は振るわないと言いながらも、ニナがわめきたてているときは別だと告白するのでした。
映画『行き止まりの世界に生まれて』感想と評価
スケーターたちが車道を滑っていく映像からは得も言われぬ幸福感が伝わってくるものです。例えば、少年、少女が夕日の中、ニューヨークの街中をスケボーで進んでいくラストシーンがいつまでも心に残る『人生は小説よりも奇なり』(2014/アイラ・サックス)や、エル・ファニングがやはりラストに、ニューヨークの街中を滑っていく『アバウト・レイ 16歳の決断』(2015/ゲイビー・デラル)などが思い出されます。
なぜ、スケートボードのシーンはいつも心を打つのか。本作『行き止まりの世界に生まれて』を観ていると、その答えが見えてきます。
スケートは日常生活の苦悩から一時的に彼らを開放し、彼らの魂を救い出してくれるものだからです。
仲間たちと無心に滑っているその瞬間は苦しみから脱出し、きらきら輝く人生を生きることが出来るのです。
『行き止まりの世界に生まれて』では、映画の冒頭に、そうした美しいスケートシーンが登場します。そのあとに出てくるスケートシーンでも彼らは活き活きとしており、笑顔が絶えません。
しかし、その後、スケートシーンは一歩後退し、スケーターである彼らの日常生活にスポットが当てられていきます。
ここはニューヨークではなく、アメリカ中東部のラストベルト(錆びついた工業地帯)にあたる街、ロックフォード。
「アメリカで最も惨めな街」の上位に名を連ね、暴力的な事件が多く、「全米最も危険な地区」ランキングにも名前があがる街。暴力沙汰の1/4は家庭内暴力から派生したものだといいます。
本作は、中国系アメリカ人のビン・リューが、スケート仲間である黒人少年キアーと、少し年上の白人青年ザックにカメラを向け、後に、自分自身にもカメラを向けて、親から受けた暴力という問題を浮き上がらせていきます。
厳しく、時にしつけと称して振るわれる暴力に、子供だった3人はずっと耐えてきました。キアーの父は亡くなり、ビンの継父は今はもう彼のそばにはいませんが、2人の心は今でも傷ついたままで、大きなトラウマとなっています。
ザックが若くして結婚した妻へ暴力を奮っていることがわかり、ビンは動揺します。暴力を受けて育った人が、自分も家族に暴力を奮ってしまうという負の連鎖は深刻な問題です。また、高校中退のザックたちが、少しでも生活水準を上げたいと願っても、彼らがつける仕事は限られてしまっています。
少年たちの私的な日常を描くことで、本作は、アメリカ社会にはびこる、貧困、失業、暴力を伴う親子関係、夫婦関係という数多くの問題を浮かび上がらせます。
被写体へのカメラの近さが、本作の大きな魅力の一つです。互いに信頼しあっているからこそ、カメラを介しても素直な心のやり取りができるのでしょう。スケートボードで共に滑りながら、ずっと映像を撮ってきたビンの実力のほどをキアーもザックも認めている所以です。
最初は、観察者であるかに見えたビンですが、彼もまた、継父の暴力に傷ついており、本当にそのことを知らなかったのかと母にインタビューするシーンは衝撃的です。
これはこの母と息子が越えなければいけない過程だったのでしょう。映画の撮影という体で行われたことがこの話し合いを可能にしたと言ってもいいかもしれません。
カメラを向けられることをどう思うかとビンがキアーに尋ねると、キアーは「無料のセラピーだ」と答えています。
スケートボードが彼らにとってセラピーであるのと同様、映画を撮ることもまた、彼らにとって、セラピーの役割を果たしたことは間違いないでしょう。未来に希望をもたせるラストは清々しさを感じさせます。
まとめ
キアーとザックとビンには黒人、白人、中華系アメリカ人とそれぞれ人種が異なりますが、彼らの間には区別などなく、確かな友情があります。
しかし、キアーは亡くなった父から、「白人の友達がいても自分が黒人であることを忘れるな」と教育されます。黒人であるだけで、他の友人たちとは違い、警官から制止されホールドアップされる危険があるからです。
キアーは、生前、父を嫌い、家を飛び出しましたが、父が亡くなってからは、その父への思いが心の中でどんどん広がっています。父は自分を愛していたからこそ、厳しかったのだと。中流以上の黒人家庭での厳しすぎる親の問題は、トレイ・エドワード・シュルツの『WAVES/ウェイヴス』(2019)などでも描かれている問題です。
キアーの父は息子がスケボーをすることもふさわしくないと嫌っていたといいます。「黒人がスケボーをするなんて」という言葉は、ジョナ・ヒルが監督した『Mid90s ミッドナインティーズ』(2018)に登場する黒人青年にもかけられていた言葉です。
人種や階層に対する差別的な偏見が、いつもスケートボードにはつきまといます。
しかし、スケートは、若い彼らにとって、生きる糧なのです。『Mid90s ミッドナインティーズ』との共通点も多く、合わせて観ることをおすすめします。