世界を魅了する美しい音色は、いかにして生み出されるのか?
パリ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、LA、ベルリン、東京、京都と、世界が熱狂したワールドツアーでの演奏、フジコの素顔と知られざるヒストリーを美しい映像で綴ります。
“魂のピアニスト”と呼ばれたフジコの感動のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』を紹介します。
映画『フジコ・ヘミングの時間』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【原題】
『フジコ・ヘミングの時間』
【脚本・監督】
小松莊一良
【キャスト】
フジコ・ヘミング、大月エルフ(フジコの弟)、三浦透子(ナレーション)
【作品概要】
60代後半でデビューし、80代になった今でもワールドツワーを続けるフジコ・ヘミング。情感溢れるダイナミックな演奏は、世界の人々の心をとらえ、“魂のピアニスト”と呼ばれており、世界を巡るフジコを2年に渡り撮影した初のドキュメンタリー映画。
お気に入りのアンティークと猫たちに囲まれて暮らすパリの自宅での情景、宮大工がリフォームした古民家で過ごす京都の休日、留学時代の思い出の地ベルリン郊外への旅など、初公開のフジコの素顔を解き明かします。
世界中の人々を魅了して止まないフジコ・ヘミングの音楽は、どんな人生・ライフスタイルから生まれてくるのでしょうか。
映画『フジコ・ヘミングの時間』のあらすじとネタバレ
ピアノを弾くフジコの指先。夜、パリのアパルトマンの自宅でフジコ・ヘミングは、ドビュッシーの『月の光』を弾いています。
「月の光」の旋律の中、フジコの14歳に書いた日記が開かれ、ナレーションも始まります。
「パリは素晴らしいでしよ。どこを見ても綺麗で自由で、芸術に溢れてる。ここに住みたかったの」。
傍らに数匹の猫、特にチョンチョンが長年の相棒で、フジコの側にいてくれています。
彼女は、ヒトラーが政権を握る前のドイツ・ベルリンで生まれました。
父はロシア系スウェーデン人の画家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミング。
母は大阪の裕福な家庭で生まれベルリンに留学していたピアニスト大月投網子。
父は新進気鋭のデザイナーとして、大手映画会社の広告を手がけ、一家は日本に暮らします。
フジコの絵日記が開かれ、母のピアノの教える様子が書かれてあり、フジコが話し始めます。
「叱られてばかりだった。間違える度にアホアホって大阪弁で言われて、本当に私はアホなんだと思ってたわ。母はスパルタもスパルタ…」。
当時、日本は外国人排斥の傾向が強く、フジコが幼い頃に父はスウェーデンに帰国、音沙汰も無くなりました、「母は、ピアノの教師をして私と弟を育てたのよ」。
アメリカ・ニューヨーク、シカゴでのツアーの様子が映し出されます。
ーショパンの『夜想曲』の演奏、ピアノが聴こえます。
日本人離れした容姿を持つフジコを心配し、母は私学の初等部に入学させました。
当時の事をフジコが振り返り、「外国人がバレないように必死だったわ。よく待ち伏せされていて怖かった」。
高等部17歳の時に恩師クロイツァーの助力で、初リサイタルを開催します。
その後東京藝術大学へ進学、多くのコンクールで受賞し海外の進出を夢見るが、経済的な理由で断念します。
リストの『ため息』フジコの演奏。レストランのピアノ弾きをしながら、何とか留学資金の目途がついたフジコでしたが、新たな問題が発覚します。
一度も父の母国に入国していないことで、フジコは無国籍でした。
難民パスポートを発行してもらいやっとベルリンの留学を果たしました。
既にフジコは20代を終えようとしていました。「伴侶ですね。人間の伴侶が欲しかったけど、恋した人はみんなろくな人じゃなくてね。猫の方が信じられます」。
フジコが自宅で猫と静かに過ごしています。
「子どもを育てようと手続きに行ったら、駄目だった。1人はダメ、相手が要るってね。それで猫になったの。猫が死ぬまで一緒に居てくれるでしよ」。
南米ツアーに行くフジコ。ホールで1人リハーサルをしていますが、何度も弾いて演奏が止まり、「家で使うグランドピアノ。響かないし固いし、何回もピアノを借りて交換してほしいって言ったんだけど」。
当日素晴らしい演奏で、満席の観客にスタンディングオベーションされ、「手が真っ黒になったわ。誰も弾いていないってことでしよ」。
ツアーは、いろんなピアノに会えると伝えるフジコ。
自宅でフジコが、ガーシュインの『サマータイム』を叙情たっぷりに弾いています。
ベルリンの音楽学校では、生活がぎりぎりで孤独な日々を過ごすフジコでしたが、ベルリン・フィルハーモニーとの演奏会が心の支えでした。
優秀な成績で卒業し、世界的なピアニストチェルカスキー、指揮者のマデルナ等の支持を得ました。
30代半ば世界の指揮者バーンスタインに見出され、ウィーンデビューの直前のことでした。
風邪の薬の副作用で、フジコは左耳の聴覚を失います。フジコは失意のどん底に落ちました。
映画『フジコ・ヘミングの時間』の感想と評価
なぜフジコ・ヘミングは夢を追い続けることができたのか。
幼い頃から大きな困難が次々とフジコに襲ってきます。
スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、差別といじめにあいながらも、懸命にピアノに向かう日々を絵日記に綴っています。
母の教え方は2時間の練習を一日に何度も繰り返すというスパルタ。大阪弁で何度も叱られ、褒められたことがないと弟ウルフと話している表情に余裕があります。
母は投網子(とあこ)は、フジコの才能をいち早く気づき、フジコも母のそれが愛情だと受け止めています。
そして父のベルリンへの失踪。
当時外国人が日本で生活するということが父ジョスタにとって、差別とたたかい、苦しかった時代だったのでしょう。
父のことを多く語らないフジコですが、絵日記のイラストが本当に美しい色で繊細に描かれてあり、画家の父を意識しているようにさえ感じられます。
映画の最後に、父のポスターを見たフジコの視線は、キャッチコピーに優しく向けられていました。
”around the world”
女手ひとつでフジコと弟を育てる母を見ながら、留学の資金を必死にアルバイトで貯めてピアノを弾き続けます。
戦中戦後の少女時代モノのない時代を過ごしたにもかかわらず、そんな時代にピアノを聴き引き続けるのは、メロディそのものやそれを飾る装飾音のひとつひとつまでが、フジコの心に沁みて夢に駆り立てたような日々だったのでしょう。
ピアノの演奏が映画の随所に見られますが、フジコの独特のきらめきのある音色は、その心の純粋さやひたむきさから生まれてくるもののように感じます。
さらに追い打ちをかけるように聴力を失います。
現在も病院に通いながら体調によって聴こえない日もあり、手首の腱鞘炎の湿布を貼る姿から、日々の演奏に満身創痍で臨んでいることが分かります。
常に夢の原点に戻り、ピアノを研鑽し、その繰り返しが彼女を純粋な心と音色に向かわせてくれています。
まとめ
映画最後の演奏『ラ・カンパネラ』会場に向かう時にフジコがこう言い放ちます。
「精神では誰にも負けない」
フジコが少女の頃、日比谷公会堂でナチスに追われていた世界的ピアニスト・クロイツァーの弾いていたのがこの曲でした。
それ以来彼女の”弾く人の日常の行いが表れる”曲になりました。
80歳を超え、なおも夢に向かって弾き続けるフジコ。
自分自身の奏でるモノが、自分の人生であり、夢に向かっていけるキラキラしたエネルギーです。
ぜひ、今もフジコのひたむきな夢に向かう力を感じにいきませんか。