映画『いつくしみふかき』は2020年6月19日(金)よりテアトル新宿にて、その後もテアトル梅田ほか全国順次ロードショー!
大山晃一郎監督初の長編監督作『いつくしみふかき』。「悪魔」と呼ばれた父と「悪い血」に苦悩し続けてきた子の再会と対峙を描き、劇場公開前からも国内外の多数の映画祭にて高い評価を獲得している作品です。
このたび本作の劇場公開を記念して、大山晃一郎監督にインタビューを敢行。
映画『いつくしみふかき』の制作経緯をはじめ、「親と子」というテーマに対する大山監督の思いや作劇の過程、映画という表現の魅力や醍醐味など、貴重なお話を伺いました。
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ある手紙から映画は始まった
──映画『いつくしみふかき』の制作経緯について、改めてお聞かせください。
大山晃一郎監督(以下、大山):本作で主演を務めた遠山雄に誘われ「五年以内に“一公演で三千人動員”を達成できなかったら辞める」という条件で劇団チキンハートを旗揚げしたんですが、四年目の第六回公演でそれを達成し、劇団として一つの節目を迎えることができました。そして「自分たちが三十歳を超えたら、長編映画で勝負に出る」という新たな目標が生まれた時に、遠山が本作のモデルとなった親子について話してくれたんです。
遠山にとってその親子は家族ぐるみで付き合っていたほど近い知人だったんですが、皆からとても嫌われていた父親が亡くなった葬儀は、誰もやりたがらないこともあり、引きこもり生活を送っていた息子さんが喪主をすることになったんです。彼は元々人前で話せるタイプではなかったんですが、喪主の挨拶をした際に「皆に嫌われている父ですが、自分にとっては大切な人になりました」と謝罪しながらも自分の父親のことをかばったんだそうです。そして当時の遠山はその姿に衝撃を受け、息子さんに「挨拶の手紙をコピーさせてくれ」と頼み込み、それを保管していたんです。
やがて劇団を旗揚げすることになったタイミングで、遠山から「実はこういう手紙がある」「この手紙と親子をめぐって、何かを作れないだろうか」と相談された。それが6年ほど前だったのですが「なら、親子が住んでいた長野県・飯田市に行って見よう」ということになり、二人で飯田市を訪ねました。そこから本作が始まったんです。
美化だけはしたくなかった理由
──大山監督は初監督作である短編『ほるもん』(2011)でも、「親と子」を大きなテーマとして描かれていますね。そのテーマに対する個人的な思いはあるのでしょうか。
大山:僕自身の家庭も父親が中々にメチャクチャな人で、結果としては自分が小学生の時に両親は離婚しているんです。本作はあくまで遠山の持っていた手紙がきっかけだったんですが、その手紙を紹介された際には初めての長編監督作のテーマが「親と子」、それも「父と息子」という自分にとって一番重いテーマとなることに、ためらいも多少ありました。ですが一方で「一番重たいからこそやってみたい」「本作を機会に、自分が目を逸らしてきた父親に対する思いをもう一度振り返ってみよう」と考え、「一度やってみて、ダメだったらやめよう」という心持ちで臨んだ結果、いつの間にか本作は完成していました。
──本作では「親と子」の関係性を描くにあたって「血」が度々言及されていますが、登場人物たちは「血」を否定せず、或いは清めず、あくまで「血」との対峙を試み続けていました。
大山:「“映画”なのだから、劇中だけでも“父親”という存在を改心させたい」と変に美化をすることは絶対にしたくなかったんです。それだけは僕の中で確固たる思いがありました。やはり人間は簡単に変わらないと思っているので、それで簡単に「自分の息子と再会し、何か思うことがあって物事が良い方向に向かっていく」というご都合主義には向かわせたくなかったんです。
そもそも本作は、父親の罪や業を許す・許さないという映画ではないんです。主人公の進一がひどい父親である広志に対し「あいつが俺の父親だ」と認めることが、本作にとっての、そして自分自身にとっての決着点であり、通過点なんです。
また本作では村社会や宗教の意味、一方でそれらが生み出す「息苦しさ」など、様々な価値観や生き方を善悪では判断せずできる限り「公平」に描きたいと考えていました。それは親子の関係性も同じであり、僕の中では公平に進一と広志を描いているつもりです。
「一匹の獣」がカッコ悪くなるまで
──劇中における広志は「改心」からほど遠い振る舞いをしていましたが、それでも彼の中には「“何か”を遺す」という特別な思いが生まれていた姿が描かれていますね。
大山:これは本作のクランクイン前にも広志役の渡辺いっけいさんと話したことなんですが、映画の序盤で人々に羽交い締めにされた場面でも吠え続けていたように、「自分さえ助かればどうでもいい」と周囲を傷つけ続けてきた一匹の獣が、ある瞬間に死を意識して心の底から「生きたい」と言った。そう言った顔はとても情けなくて、カッコ悪いんですが、広志が初めて「自分以外」を意識した顔でもあるんです。
自身でもよくは分からないけれど、進一という形式上では「息子」と言われている人間のことを初めて「他人」と意識できたことで、いわゆる人間らしさを見せるようになる。それは孤独な獣として生き抜いてきた広志にとっての「カッコ悪さ」として現れるのだろうと考え、いっけいさんにも「獣の顔」と「カッコ悪い人間の顔」の差を描きたいと伝えました。広志という人物を描くにあたってのゴールは、そこにありました。
──広志が何故「悪魔」と呼ばれるような生き方をするようになったのか。それを劇中で敢えて説明されなかったのも、彼が「獣」という過去を必要としない存在だったからなのでしょうか。
大山:そうですね。そもそも広志は「極悪人」ではなく「小悪党」なんです。計画的や論理的ではなくとても行き当たりばったりで、村を追放される原因となった盗みも短絡的な発想の結果でしかない。感覚や本能に基づいて彼は生きていて、後半の進一への提案もその場で出た誤魔化しに過ぎません。そういうところが、僕の父にソックリなんです。
ただそういう存在だったからこそ、いっけいさんは広志を演じるにあたってとても悩まれていました。彼は一流の表現者ですから、やはり自分の意見を持った上で作品や役を解釈されるんですが、「大山監督、今回ばかりは俺、迷子になっちゃってる」と広志の場面ごとでのセリフや行動の解釈に苦戦されていました。それに対し僕は「僕にも分からない」「けれど広志ソックリの僕の父は、そういう場面の時にはそう言っているんだ」と答え、「じゃあ、何故言うのか」といっけいさんと一緒に広志という人物について探っていきました。
長野県・飯田市なくして撮れなかった作品
──「子」である進一を演じられ、大山監督にとって長年の盟友でもある遠山雄さんの本作での演技はいかがでしたか。
大山:本作のクランクインに四年近くの歳月を費やした中で、僕と遠山は本当に後がない状況にありました。遠山はこの映画に自分自身の人生を賭けて向き合っていたため、「彼が芝居で見せるものが彼の答えであり、本作にとっての答えなのだろう」と捉えていました。そして現場での僕はそんな彼の姿を目撃し続ける立場だったわけですが、本番中に「え、芝居してるの?」と思わず疑ってしまうほどに、撮影中の遠山はカメラが止まっている間もずっと「進一」の状態で過ごしていました。
──また長野県・飯田市の撮影にあたっては、地元の方々からの信頼を得るため、遠山さんが中心となって地道な努力を重ねられたとお聞きしました。
大山:劇団員が交代で住み込みをしながら、お祭りの準備を一緒に行ったり、地元の製茶工場が忙しい時期にはバイトとしてお手伝いをするなど、様々な形で信頼作りを続けました。
本作は一千万円というインディーズ作品では比較的多い予算の中で制作していたものの、かなり大規模な撮影を予定していたため、クランクインの一年前には「一週間で撮影を終えないとその時点で赤字になってしまう」ということが明白になっていました。かといって、お金を更に誰かから借りることはできない状態でもありました。そこで、すでに撮影を予定していた飯田市でケーブルテレビや新聞を通じて、「この場所で映画を撮りたいので、使ってない布団や家財道具、車、家の離れといった建物など、どんなものでもいいので撮影に活用できる何かをお借りしたり、譲っていただけないでしょうか?」と呼びかけたんです。またその説明会を開いた際には、いっけいさんにも会に参加してもらいました。
すると本当に多くのもの、特にお米や野菜といった食べ物をいただけただけでなく、地元の婦人会の方々が集まった食材を使って食事を作ってくれたんです。そのおかげで撮影のネックにもなっていたロケ弁の費用を解決することができましたし、そういった皆さんのご協力や優しさが重なったことで、当初は一週間での終了を予定していたにも関わらず、三週間かけて撮影を行うことが実現できたんです。撮影場所が飯田市ではなかったら、本当にこの映画は撮れなかったかもしれません。
ただ飯田市での撮影を決めた当初から、本作をいわゆる「ご当地映画」にはしたくないという思いはずっと抱いていました。地元の方々に呼びかけを行った際にも「飯田という場所を宣伝するつもりはありません」「作中の描写によって観客が“飯田市”という場所に強く関心を抱ける映画、作品の広がりを通して飯田市が世界へとつながり得る映画にしたいんです」と伝え、その思いを理解してくれた方々が本作に協力してくださったんです。
観客とともに映画を完成させる
──初の長編監督作が劇場公開を迎える今、大山監督にとっての映画の魅力とは何でしょう。
大山:僕はテレビドラマや舞台作品など様々な現場に携わってきましたが、映画にはうまく言葉で表すことができない感覚を表現できる力があると感じています。言葉では説明しづらいのに、どうしようもなく鮮明に覚えている記憶や感情を伝えられる。『いつくしみふかき』に関してもそういったものを伝えられたらと考えていましたし、それが一体どのようなものとして伝わるのかは、本作をご覧になった方それぞれに違うのだと感じています。
──「どのようなものとして伝わるのか」という点でいえば、本作のラストはまさに観客の皆さんへその意味や解釈を託したものでした。
大山:実はあの場面は、台本上では進一のセリフが三行ほどあったんです。ですが撮影当日、僕はそれらを全てカットしました。あのラストについて僕の中では明確な答えがあったものの、監督である自分自身と作品とを切り離すためにそうしました。
僕の師匠にあたる方がかつて語ってくれた言葉で「映画は“飛躍”と“省略”の芸術だ」というものがあります。当時はよく理解できなかったんですが、本作の撮影や編集を通じて改めてその意味を強く意識させられました。実際に完成した『いつくしみふかき』にも「飛躍」や「省略」が多々あります。そうすることで生まれた余白を観客の皆さんが自分自身の想像力で埋めてくれる。映画はやはりそこに面白さがあると思いますし、「映画は作って終わりじゃない」「人が観ることで初めて完成する」というやはり師匠が語ってくれた言葉を実感しました。
ですから、これから本作を観てくださる方にも、余白を埋めるという行為によって映画を完成させる担い手として、僕らと一緒に映画を作ってほしいと感じています。それこそが映画の醍醐味なんだと思います。
インタビュー/河合のび
大山晃一郎監督プロフィール
18歳の頃に大阪芸大中退後、上京しフリーの助監督として活動を始める。『リング』の中田秀夫監督や『沈まぬ太陽』の若松節朗監督のもと、助監督として数多くの映画の製作現場で活躍。
2011年に初監督した短編映画『ほるもん』は2011年のショートショートフィルムフェスティバル「NEOJAPAN」部門に選出され、同団体が運営する「日本人若手監督育成プログラム」にも選ばれている。
助監督として参加した作品には、他に映画『溺れるナイフ』『怪談』『夜明けの街で』、テレビドラマ『ROOKIES』『刑事7人』『BG』『警視庁捜査一課長』『遺留捜査』など。また劇団チキンハート、大山劇団の作家・演出家として年2回ペースでの演劇公演も行っている。
映画『いつくしみふかき』は大山監督にとって初の長編監督作となる。
映画『いつくしみふかき』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督】
大山晃一郎
【キャスト】
渡辺いっけい、遠山雄、平栗あつみ、榎本桜、小林英樹、こいけけいこ、のーでぃ、黒田勇樹、三浦浩一、眞島秀和、塚本高史、金田明夫
【作品概要】
劇団チキンハートを主宰する遠山雄の知人とその父親をめぐる実話をもとに生み出された作品。実際に知人が住んでいた長野県飯田市を舞台に物語が展開する。
中田秀夫、若松節郎等の助監督として数多くの映画に携わってきた大山晃一郎の長編映画監督デビュー作。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」で、観客賞である「ゆうばりファンタ部門作品賞」を受賞し、カナダの「ファンタジア国際映画祭2019」ではファーストフューチャーコンペティションに入選を果たすなど、国内外の映画祭で高い評価を得た。
映画『いつくしみふかき』のあらすじ
30年前。母・加代子(平栗あつみ)が進一(遠山雄)を出産中に、あろうことか母の実家に盗みに入った父・広志(渡辺いっけい)。「最初から騙すつもりだったんだろ?」と銃を構える叔父を、牧師・源一郎(金田明夫)が止め、父・広志は“悪魔”として村から追い出されます。進一は、自分が母が知らないものを持っているだけで、母が「取ったの?この悪い血が!」と狂うのを見て、父親は“触れてはいけない存在”として育ちます。
30年後、進一は、自分を甘やかす母親が見つけてくる仕事も続かない、一人では何もできない男になっていました。その頃父・広志は、舎弟を連れて、人を騙してはお金を巻き上げていました。
ある日、村で連続空き巣事件が発生し、進一は母を始めとする村人たちに、「悪魔の子である進一の犯行にちがいない。警察に突き出す前に出ていけ」と言われ、牧師のいる離れた教会に駆け込見ます。「そっちに行く」という母親に「来たら進一は変わらない」と諭す牧師。
一方、父・広志は、また事件を起こし、「俺にかっこつけさせてください」という舎弟・浩二 (榎本桜)に、「待っているからな」と言っても、実際には会いに行かない相変わらずの男で、ある日、牧師に金を借りに来ます。「しばらくうちに来たらどうだ?」と提案する牧師。牧師は進一のことを「金持ちの息子」だと嘘を吹き込み、進一と広志は、お互い実の親子だとは知らないまま、二人の共同生活が始まり……。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。