今回ご紹介する映画『娘よ』は、日本で初めて公開されるパキスタン映画。
世界の片隅では、今だ起き続ける紛争に巻き込まれた少女や、少年の哀しみをネットでよく見かけます。また昨今は、過激な発言で一部の国民を扇動する指導者の姿も目にしますね。
そのような出来事に一石を投じる作品で、部族の争いに巻き込まれた女性を通して描いています。
2016年9月に、あいち国際女性映画祭にて『Daughter』のタイトルで上映され、パキスタンの大自然の絶景を舞台に、サスペンスに満ちたエンターテイメント映画、今話題の『娘よ』をご紹介します!
映画『娘よ』の作品情報
【公開】
2017年(パキスタン・アメリカ・ノルウェー)
【脚本・監督・制作】
アフィア・ナサニエル
【キャスト】
サミア・ムムターズ、サレア・アーレフ、モヒブ・ミルザ
【作品概要】
監督は、この作品が初監督となるアフィア・ナサニエル。2014年トロント国際映画祭ディスカバリー部門出品、第87回アカデミー外国語映画賞のパキスタン代表作品に選ばれた、サスペンスドラマ。
世界20カ国以上で上映がされ、ソノマ映画祭最優秀国際映画賞、南アジア国際映画祭では、最優秀監督賞と最優秀作品賞をダブル受賞。他にも数多くの映画賞を受賞して、ついに日本公開となりました。
映画『娘よ』のあらすじとネタバレ
世界最大の山岳氷河地域にある、パキスタンとインド、中国との国境付近にそびえるカラコルム山脈。
その麓で、幼い娘ゼイブナは、女友達とあどけない遊びをしながら、将来幸せな結婚を夢見る乙女でした。
一方で、大人たちの世界では、この地域には多数の部族が暮らし、絶え間ない衝突でひしめき合っている現実がありました。
そんな部族の1つに属する美しい母親アッララキの生き甲斐は、10歳になる幼い娘ゼイブナと過ごす一時でした。
ゼイブナは優しく賢い子。文字の書けない母親アッララキに読み書きを教えることもあります。
そんなある日、他の部族との紛争が勃発。お互いの部族の親戚や仲間が報復合戦の連鎖に巻き込まれ、戦いの真っ只中。
アッララキの年の離れた夫ドーラットは部族の長。紛争相手の老部族の長トール・グルに友好関係の回復を申し出ます。
トール・グルは、紛争解決の条件の提示として、ドーラットの幼い娘ザイナブを自分の嫁に欲しいと結婚を要求。
ドーラットは自分の息子たちを紛争で亡くし続けている状況もあって、苦悩するも条件を了承。そのことを妻アッララキにその旨を伝えます。
実は、若くて美しい妻アッララキは、かつて彼女自身も15歳でドーラットに同じように嫁がされてきた過去がありました。
アッララキにとって、最も恐れていたことが現実になろうとしているのです。
このままでは娘ゼイナブの人生も、自分の15歳当時のように何もかも終わってしまうと考えます。
両部族の間で、婚姻の儀式の準備が着々と進められると、ついに結婚式当日の朝を迎えます。
幼い娘ザイナブを呼びに部屋へと向かった父親で部族長のドーラットは、妻アッララキと娘ザイナブが部屋を抜け出したことを知ります。
娘ザイナブの身の上を思った母親アッララキが連れ出して部族からの逃走をはかり部族を離脱。
部族間での締結された結婚の約束を破棄にすることは、絶対にありえない厳しい鉄の掟を破り。計り知れない不名誉を家族のみならず、親戚縁者にも与えてしまうのです。
相手部族の家族や一族の誇りに、汚名として傷を付け、掟に背く者には死が待つのみ。
対面と誇りを傷つけられた、トール・グルの部族とドーラットの部族は共同の連合となり、母親アッララキと娘ザイナブを探し出す追っ手を送り出します。
例え何十年掛かろうと、どこの場所に逃げ隠れしようと、己の命を持って償わなければ解決をしない鉄の掟なのです…。
映画『娘よ』の感想と評価
アフィア・ナサニエル監督は、初監督でありながら、構想から10年の歳月をかけてこの作品を完成させました。
アフガニスタンの国境に近いパキスタンのクエッタで、1974年8月28日生まれの女性監督。
彼女は、40人もの男性スタッフを率いて、映画製作のための多くの困難を乗り越えたのです。
イスラム法の厳しい条件下での撮影、パキスタンという他民族の危険地域のロケ、氷点下などの厳しい自然環境のロケ、フィクション映画を作ったことがないスタッフ、資金源確保の困難さ(結果的にはノルウェーのSORFUNDが助成)。
これらの事を丹念にスタッフと解決しながら、1級品のサスペンス映画として、実際にパキスタンで起こった実話をもとに、マイノリティである女性問題を”緊迫感に満ちた母と娘の逃避行”通して見つめていきます。
映画『娘よ』の見どころは、これまでに多くの人たちが目にしたことのない、パキスタンの雄大な自然の中で大ロケーションを敢行した美しい山岳地帯の映像です。
自然のスケール感に劣らない人間賛歌の愛情は、ヒューマンドラマとして観客の心に強く問い掛けてきます。
なぜ、それほど観客に印象深いのか?いくつかのシーンを並べてみると見えてくることがありました。
まとめ
壮大な自然の美しさに目は行きがちですが、印象的だった場面には、“登場人物たちが会話(話し合いをする)場面”です。
作品冒頭から始まると、直ぐに幼い娘ザイナフと女友達の会話、抗争し合う部族の長老が融和策持ち出す話し合い、娘ザイナフが母親と言語の学び合いをするシーンなど、通常の映画よりも深い思慮を感じました。
他の映画では感じない、“場の空気感”のようなものにアフィア・ナサニエル監督の意志を感じたのです。
相手とコミュニケーションが争いに満ちたものではなく、互いに理解し合いながら、“話し合う”という念(祈り)と言えば良いでしょうか。
それが最も色濃く出ていたシーンは、モヒブ・ミルザーが演じたソハイルが、サミア・ムムターズの演じたアッララキを誘い出して、インダス河の言い伝えの物語を優しく語る場面。
アフィア監督は、オーディションを行なった際に、慎重かつ計画的にモヒブにソハイル役が演じられるか、この場面を演じさせて決めたとそうです。
モヒブは素晴らしい演技を見せて、その場で直ぐにアフィフ監督はキャスティングを即決。それだけ、あの場面はこの作品の重要ポイントなのです。
監督の書き下ろしたメッセージの中で、ソハイルの役柄の意味を述べています。
「愛の対象となり、かつ葛藤を生むとても重要な存在です。報われない愛、禁断の愛。愛は、パキスタンの詩や言い伝えの中でも語られています。愛と喪失は常に隣り合わせです。」
許されない恋心を抱き始めたことに気が付いた時、それが話し合い、互いを認め合う理解なのではないでしょうか。
また、アフィア監督は、書き下ろしのメッセージの中で、女性について重要な問題を提起を述べています。
家父長制が根付く社会で、日常的に女性が虐げられ苦労するのを見てきました。女性不在の世帯は、社会においてだけでなく、地域住民からも非難の対象になります。女性は男性なくして存在することが許されないからです(中略)実際に娘を持つ母親となり、幼い少女の結婚問題に目を背けることが出来なくなりました。毎年1400万人の少女が強制的に結婚させられているという事実は、大変受け入れ難いことです(中略)現代社会における伝統やしきたりを考えた時、自由、尊厳、愛のために、一体どれだけの犠牲を支払わなければならないのか」
現在アフィア監督は、ニューヨークに拠点をおき、コロンビア大学でシナリオライティングの教鞭を取り、アメリカとパキスタンで映画監督を志望する学生の指導を行っているそうです。
この作品の中で、母親アッララキに言語を教えていた娘ザイナフ。争いに終止符を打つのは、その地域の言語学び、“話し合う”ことで他者理解を行っていく、アフィア・ナサニエル監督の姿勢なのでしょう。
映画『娘よ』は、2017年3月25日(土)〜4月28日(金)まで、東京の岩波ホールにて上映開始。順次全国公開予定。
ぜひ、劇場でご覧ください!美しいパキスタンの壮大な自然を舞台に母と娘の愛情は、必見です!