連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」第39回
「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」の第39回で紹介するのは、大人の心を翻弄する、恐るべき子供を描いたホラー映画『ストレイ 悲しみの化身』。
世界各地の伝わる精霊や怪物たちの物語。それぞれの土地の文化に根差した存在として、語り継がれてきました。ロシアも魔女など、キリスト教圏ならではの怪物が伝承されています。
その一方で、自然や大地に根差し古くから伝わる怪物たちは、不思議と日本の妖怪に近い存在として姿を現します。そんなロシアには、人を惑わせ操る怪物も存在しています。
そんな伝統的な怪物像に、現代的な設定を与えたホラー映画が、また一つ生まれました。
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CONTENTS
映画『ストレイ 悲しみの化身』の作品情報
【日本公開】
2020年(ロシア映画)
【原題】
Тvar / STRAY
【監督・脚本】
オルガ・ゴルデツカヤ
【キャスト】
エレナ・リャードフ、ウラディーミル・ウドヴィチェンコフ、セバスチャン・ブガーエフ、イェン・ラノフ、エフゲニー・ツィガノフ、ローザ・カイルリーナ
【作品概要】
悲しみに沈む心の隙間に忍び込む怪しげな子供。果たしてその正体は…見る者の感情を揺さぶるエミーショナルなホラー映画です。テレビや映像業界で活躍し、フォックス・インターナショナル・プロダクションのロシア事務所で、様々な作品の企画・製作を行ってきた、女性監督オルガ・ゴルデツカヤの、初の長編映画となる作品です。
海外でも高い評価を受けた、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督のロシア映画『裁かれるは善人のみ』(2014)で共演した、実生活でも夫婦であるエレナ・リャードフとウラディーミル・ウドヴィチェンコフが、夫婦役として主演している作品です。
映画『ストレイ 悲しみの化身』のあらすじとネタバレ
息子のヴァーニャ(イェン・ラノフ)が生まれ、成長する姿に夫婦は幸せを感じていました。しかし今イゴール(ウラディーミル・ウドヴィチェンコフ)は、警察の死体安置所に向かっています。
彼は激しく傷んだ子供の遺体を見せられます。警察は発見した遺体がヴァーニャでないかと、確認を求めますが彼は認めません。一致する特徴を指摘されても、頑なに否定するイゴール。
3年後。イゴールは妻のポリーナ(エレナ・リャードフ)と共に、荒れ果てた建物の孤児院を訪れました。ポリーナはなぜか、修復中の廃墟のような建物に目を奪われます。
その建物の半地下室の鉄格子の付いた窓から、何かがポリーナを見ているようでした。
多くの乳幼児がいる部屋に案内された夫婦。彼らは養子を迎えようと考えていました。イゴールは積極的に子供を抱きますが、ポリーナは関心の無い表情で見つめています。
その場に耐えられなくなった彼女は、建物の外に飛び出します。すると子供の声が聞こえたのでしょうか。その声に引かれるように、最初に見つめた建物へ向かうポリーナ。
ポリーナが鉄格子の付いた窓から、半地下の部屋をのぞき込むと、暗闇の中で何かが動いたようです。彼女はその建物の地下へと降りていきます。
地下の部屋で1人の男が銃の傍らで、血を流し倒れていました。ポリーナはそれに構わず、物音がした隣の部屋を覗きますが何も見えません。
彼女はその部屋に入ります。暗がりの中に、何かがいるようですが正体を現しません。ポリーナは闇に近づきますが、倒れていた男がせき込みました。彼女が男の様子を見たとき、赤い衣服を付けた何かが部屋から外へ出ていきます。
孤児院に警察が現れました。彼女が見つけた男は孤児院の管理人で、自殺を図ったものと判断されます。刑事は発見者となった夫婦と、孤児院を監督する修道女に事情を聞きました。
警備員が子供と暮らしていたようだ、と聞かれても修道女は何も知らないと答えます。変わったことは無いかと訊ねられ、子供たちは墓場から死者が甦ると噂していると答えた修道女。
子供たちの声の方へ向かうポリーナ。見ると数人の子供たちが1人の子を囲み、悪魔よあっちへ行けとはやし立てていました。子供たちの輪の中に、汚れた赤い服を身に付け唸り声をあげる、不気味な男の子(セバスチャン・ブガーエフ)がいます。
騒ぐ子供たちを制止し、輪の中に入ったポリーナは、四つん這いになって唸る男の子に、優しく声をかけます。その子は獣のように飛んで彼女に抱きつきました。
ポリーナに抱かれ大人しくなる男の子。その姿を老いた修道女インドラ(ローザ・カイルリーナ)が、黙って見つめています。
警察はその身元の判らない男の子を保護しましたが、獣のように暴れ、手がつけられません。規則ではモスクワの養護施設に送られることになりますが、その子はトラウマを持ち心身にも問題がありそうで、通常の施設の手に負えないだろうと語る孤児院の責任者。
その話を聞いたポリーナは私は教師であり、夫は医師で問題のある子を世話するのに相応しいと、その子を引き取るとを申し出ました。
それは無理な提案で、警察は規則通りモスクワに送ると答えます。しかしポリーナは引き下がらず、私が見たモスクワの施設は子供に相応しくないと、夫にも説得を願います。
ポリーナの姿勢に複雑な表情を見せるイゴールに、修道女のインドラはあの子を連れて行ってはいけない、必ず手に負えなくなると呟きます。
警官に抱きかかえられた男の子は激しく暴れますが、パトカーに乗せられます。ポリーナが見つめると、その子も彼女を見つめ返します。
警察は管理人の遺体を車に積むと、引き上げようとします。しかしパトカーの中から、あの子供は姿を消しました。
イゴール夫妻も孤児院を後にします。物憂げな顔のポリーナは、追ってきた子供に気付きます。夫に車を止めさせると外に出て子供を抱き、どうしても連れ帰ると訴えるポリーナ。
夫婦は子供を孤児院に近い、別荘に連れて行きます。イゴールは妻に、一時的に預かっているだけだから、子供に執着するなと言い聞かせます。ポリーナはこのまま我が子にしたいと望みますが、夫はそれは違法行為だと言い聞かせます。
子供は現れた飼い猫を威嚇します。イゴールに子供は手のかかる存在に思えました。その子に保管してた、失踪した息子ヴァーニャのおもちゃを見せると、虎のぬいぐるみに関心を示します。
そのぬいぐるみは、ヴァーニャのお気に入りだと喜ぶポリーナ。彼女はベットに入った子供に、おやすみ、ヴァーニャと呼びかけます。妻が子供を息子の名で呼んだことに、イゴールは違和感を覚えていました。
次の日。物音に気付きイゴールがキッチンに向かうと、冷蔵庫が開いています。見るとあの子供が生肉を奪い、咥えていました。イゴールが生肉を取り上げようとすると、唸り声をあげその腕に噛みつく子供。
イゴールが手を上げると、子供はソファーの下に身を隠します。手の付けられない凶暴な振る舞いですが、現れたポリーナは優しく声をかけます。
森の中の夫婦の別荘に、イゴールと旧知の刑事ヴィクトールが現れ、捜査の進展を話してくれました。子供の身元の手がかりはなく、自殺した管理人が密かに育てていたと思われました。
自殺した男はバーシャという元消防士で、20年前にその職を辞めて孤児院の管理人になりました。その経緯は不明だと刑事は語ります。
刑事は夫婦が息子を失った経緯と、ポリーナが身元不明の子供に固執している事情を理解していました。当分は子供を夫婦にゆだねるよう手配してくれた刑事に、礼を告げるイゴール。
夫婦の元を友人の医師ワシリー(エフゲニー・ツィガノフ)が訪れます。彼の診立てでは、子供は6歳程度の体に見えるが、ビタミン不足で発育が遅れた結果であり、動物に育てられた野生児のように、精神的発達が遅れた状態だと判断します。
健康状態を病院で精密検査して、子供は専門家に委ねるべき、というのが彼の意見でしたが、ポリーナの自分で育てる意志は変わりません。
その夜、ポリーナは我が子ヴァーニャに呼ばれる夢を見ます。夢の中でヴァーニャは、何か恐ろしいものに変貌します。彼女が目覚めると、足元に子供が寝ていました。
朝、イゴールは姿の見えない猫を探していました。そんな夫に構わず、掛かりっきりで子供に食事を与えるポリーナ。
夫婦は子供と共に車で外出します。笑顔を見せるようになった子供は、失踪した息子ヴァーニャに似てきました。子供と妻が触れ合う姿に、イゴールの顔にも笑みがこぼれます。イゴールはひざにその子を乗せ、2人でハンドルを握り車を運転します。
イゴールは子供を抱え、妻と共に帰宅します。家の側には飼い猫の、無惨な死骸が転がっていることに気付きませんでした。
夫婦の関係も改善し、その夜ポリーナは夫を求めますが、その姿を子供が見つめています。
翌日ポリーナが家事をしていると、子供が姿を消し彼女はヴァーニャと呼んで探します。黒ずくめの女が子供を連れ出したようですが、ポリーナが駆け付けた時には、女は姿はありません。
警察を訪れ、刑事に女が子供を連れ去ろうとした、とイゴールは訴えます。女の正体が子供の母親なのかは判りません。彼はヴィクトール刑事に、ポリーナがあの子供を養子にして、モスクワの自宅に連れ帰ることを望んでいると伝えます。
ヴィクトールはイゴールに、自分は歌手でアルコール中毒だった母に棄てられ、孤児院で育ったと語ります。彼は母の写真を今も大切にしていました。イゴールのために子供の調査と、養子縁組の手続きの協力すると約束するヴィクトール刑事。
こうして夫婦は養子にした子供に、最愛の息子と同じヴァーニャと名付け、モスクワのマンションの自宅に連れ帰ります。しかしヴァーニャを見た近隣の住人ペーチャとターニャ夫妻は、恐ろしい者を見たような顔をします。
ヴァーニャは1人で食事が出来るようになり、イゴールも我が子のように愛情を注ぎます。親子3人の幸せな生活が始まりましたが、夫婦が仲睦まじい姿を見せると、それを伺うような目つきで見つめるヴァーニャ。
イゴールは手を引いてヴァーニャを公園に連れていきます。彼はヴァーニャに公園にいた子供たちと遊ぶように促します。するとターニャが現れ、イゴールに声をかけました。彼女はポリーナの身を心配しているようです。
子供たちは反応を見せず喋らないヴァーニャを、やがて馬鹿にし始めます。するとヴァーニャは形相を変え、飛びかかって子供を襲いました。血しぶきが飛び散り、慌ててイゴールが駆け付けます。その光景をターニャとペーチャ夫妻は見ていました。
自宅を警察と児童保護局の職員が訪れましたが、イゴールが1人で対応します。相手の子に15針縫う怪我をさせたと告げ、ヴァーニャを学校に通わせるよう求めた相手に、賄賂を握らせて引き取らせるイゴール。
ヴァーニャは1人浴室にこもると、自分の頭を打ち付け血を流します。興奮する息子に落ち着くように、イゴールは必死に言い聞かせました。
額を傷つけ大人しくなった息子を、ポリーナが優しく寝かしつけます。イゴールは養子のヴァーニャの描いた絵が、姿を消した息子の描いた絵と同じだと気付きます。
前の息子の額にも、傷痕があったことをイゴールは思い出します。ポリーナには鏡に映るヴァーニャの顔が、前の息子と同じ顔に見えました。
ポリーナは前の息子ヴァーニャの誕生日を、新たに迎えた養子のヴァーニャの誕生日として祝います。ケーキが運ばれてきますが、ロウソクの炎を見たヴァーニャは何かを思い出したのか、激しく暴れ出します。
ヴァーニャを抱きしめたポリーナは、この子は私たちの本当の息子で、私たちを思い出し、戻ってきたのだと夫に告げます。友人の医師ワシリーの話ではこの子の実年齢は9歳くらい、失踪した息子と同じ年だから、間違いないと言い張ります。
それはあり得ない話だと、イゴールは妻に言い聞かせます。しかし固く信じ、否定した夫を責めるポリーナ。
イゴールはヴァーニャを、ワシリー医師の元に連れて行きました。彼はワシリーに妻が養子のヴァーニャを、実の子と思い込んでいると訴えますが、医師は子を失った母親の感情の、正常な反応だと説明しました。
それ以外にもヴァーニャの行動に、奇妙な点があると訴え、前の息子と同じ絵を描いたと示すイゴール。そこで医師は頭を傷付けたヴァーニャを、念のためMRI検査にかけることにします。
MRIの装置に入る際に、ヴァーニャが叫ぶと停電が起き、機械は不可解な故障で停止します。子供の過去を調べた方が良いと言われ、1人孤児院に向かうイゴール。
イゴールは孤児院の修道女インドラに、自殺した管理人のパーシャについて訊ねます。彼は犯罪者でも暴力的でも無かったが、彼は哀れにも魂を失ったと彼女は告げました。
管理人の部屋は封鎖されたと言われますが、イゴールはその部屋に忍び込みます。まだ血痕が残る部屋の机の脚の下に、彼は何かあると気付きます。
それは火災現場での消防士の勇敢な行動を報じた、20年前の古い新聞記事でした。するとイゴールの前にインドラが現れ、ここに答えは無いと告げます。
警察を訪れたイゴールは、20年前に火災についてヴィクトール刑事に訊ねます。消防士だったパーシャは、その火災現場で子供を助けていましたが、その子の身元は分からず、その後行方をくらまします。
愛するアルコール依存症の母に棄てられ、孤児院で育ったヴィクトール。その経験からか協力的な彼は、イゴールに事件を調べると約束します。
自宅に戻ったイゴールを、ポリーナは笑顔で迎えます。妻から妊娠を報告され共に喜ぶイゴール。
抱き合う両親の姿を、ヴァーニャは黙って見つめていました…。
映画『ストレイ 悲しみの化身』の感想と評価
ロシアの伝統に根差した怪異を女性監督が描く
森や湖や川、自然に根差した伝説が生まれたロシア。古来よりスラブ民族の間で語られたきた精霊や怪物、妖怪の類いの物語は、今も人々の心に生き続けています。
「未体験ゾーンの映画たち2019」では、そんな存在である水の精霊、“ルサールカ”を題材にしたホラー映画『黒人魚』が公開されています。
ロシアには様々な形で生者の前に現れる、死者についての伝承が数多く残されています。そんな物語に着想を得て作られたのが、『ストレイ 悲しみの化身』です。
モデルとなる特定の怪物がいる訳ではないですが、人の悲しみにつけ入るという悪魔的存在を、より現代的な姿で描き、見事に観客の心に響くモダンホラーになりました。
本作はアメリカの映画・映像作品を扱う環境で、長らく製作関係の仕事をしてきたオルガ・ゴルデツカヤの初監督長編映画ですが、女性監督ならではの視点が、愛に関する悲しい物語をより奥深いものにしています。
実はこれ、ホラー映画版『惑星ソラリス』?
参考映像:『惑星ソラリス』(1972)
本作には数々の印象的な映像が登場します。木々の立ち並ぶ森、廃墟と化した建物、そして繰り返し登場する、水面に反転して映りこんだ風景…。
これらは未知の惑星を舞台にしたSFでありながら、人間の内面とロシアの大地への思慕を描いた映画、旧ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』を思わせます。
『惑星ソラリス』のストーリーの骨子は、ソラリスの環境が人間の記憶を読み取り、自殺した主人公の妻を実体化させ、彼の前に現れること。もうお判りですね。死者への思いや記憶を扱うという点でも、本作の『惑星ソラリス』からの大きな影響が読み解けます。
本作はハリウッド的ホラー映画のフォーマットで作られ、芸術性の高い演出や、タルコフスキー監督の特徴である長回しシーンなどはありません。
しかしラストシーンの、タルコフスキー映画的に作り込まれた画面には驚かされました。ゴルデツカヤ監督の並々ならぬ、巨匠の作品へのこだわりを感じました。
興味を持った方にはぜひ、かつて『2001年宇宙の旅』(1968)と並び評された、SF映画の名作『惑星ソラリス』を振り返ってはいかがでしょうか。
まとめ
伝統的な設定をモダンホラーに作り替え、映像にこだわりを持つ映画『ストレイ 悲しみの化身』。心を揺さぶる、エモーショナルな作品が好きな方におすすめです。
ところで映画に出て来るお母さん、強引に養子を取ったのに、自分の子が出来たらポイかよ、ともっともな感想を持つ人が多いようです。
あれは当初母親の悲しみにつけ入っていた”怪物”が、母の愛情が薄れるや父親の心に忍び込み、父の望む姿の息子になった結果です。同じ姿の息子でも、母からすればどんどん異質な存在になる訳で、互いに攻撃的な関係になる訳です。
というのはホラー映画としての解釈。現実にある養子や連れ子に対する、親の感情の変遷を寓話的に描いたと受け取れば、最初の自然な感想も間違いありません。ゴルデツカヤ監督ならではの、深い洞察を元にした描写でしょう。
同時にこの映画、死別であれ別れた恋人であれ、女性より男性の方が後々まで引きずるものですよ、という物語でもあります。そうです、大抵の場合、男の方がおセンチなんです。
オルガ・ゴルデツカヤ監督、男というものを、本当によくお判りですね…。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」は…
次回の第40回は戦場でタイムループに陥った特殊部隊を描くホラー映画『ドント・ゴー・ダウン』を紹介いたします。お楽しみに。
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