「夫婦とはお茶漬の味のようなものだ」
小津安二郎の1952年の作品『お茶漬の味』(1952)は、1951年の『麦秋』と1953年の『東京物語』の間の作品で、脚本の野田高梧とともに、小津の円熟味が増したころの作品です。
現代にも通じる夫婦間の心のずれが、佐分利信と木暮実千代というベテラン俳優によって巧みに表現されています。
映画『お茶漬の味』の作品情報
【公開】
1952年公開(日本映画)
【監督】
小津安二郎
【脚本】
野田高梧、小津安二郎
【キャスト】
佐分利信、木暮実千代、鶴田浩二、笠智衆、淡島千景、津田恵子、三宅邦子
【作品概要】
小津安二郎監督による1952年の作品。脚本は名コンビの野田高梧が務めた。
撮影の厚田雄春も小津組の名カメラマン。地方出身の素朴で物静かな夫と上流階級出身の社交的な妻の心のすれ違いと和解が描かれる。佐分利信、木暮実千代というベテラン俳優と並び、若き日の鶴田浩二が爽やかな役柄で出演している。
映画『お茶漬の味』あらすじとネタバレ
佐竹茂吉は丸の内にある東亜物産機械に勤務するエリート社員です。見合い結婚した妻・妙子はブルジョワ出身で社交的ですが、茂吉自身は読書が好きな物静かな男で、2人の性格は正反対でした。
2人の間には子どもがなく、妙子は暇を持て余し、夫のことを物足りなく思っては「鈍感さん」と呼んで、学生時代からの友人の雨宮アヤや、姪っ子の山内節子らと遊び歩いていました。
ある日、妙子は、アヤと一緒に修善寺に旅行しようと盛り上がります。茂吉には違う用事で出かけると伝え、友人4人で出かけた妙子はたっぷり旅行を満喫します。旅館の庭の池の鯉が茂吉に似ているとアヤが言い出し、妙子は鯉に「鈍感さん」と呼びかけるのでした。
そんな中、姪の節子が、親に見合いを強制されたと助けを求めてやって来ました。妙子は節子に見合いをすすめ、叔母が助けになってくれるだろうと思っていた節子は、妙子の結婚生活に関して疑問を投げかけてきました。
妙子は大磯に住む節子の母を訪ねて行きました。節子の母によれば、見合い相手は慶応出身の夫の後輩にあたる人だということでした。次の日曜に歌舞伎座で見合いすることが決まっていて、妙子も同席することになりました。
ところが、節子が歌舞伎座の見合いの席から逃げ出してしまいます。家に戻った妙子が事の顛末を報告しますが、茂吉は関心のなさそうな返事をするばかり。
姪の縁談に熱心な妙子に対し、「どうせ僕らのような夫婦がまた一組できるだけじゃないか」と茂吉が呟くと、妙子は激怒し、以来、茂吉とは口をきかなくなります。怒りのおさまらない妙子は、茂吉に置き手紙を残して神戸の友人のもとへ出かけてしまいました。
そんな折、茂吉は社長から、ウルグアイ行きを告げられます。出発は明後日という急な話でした。家に帰り置き手紙を見た茂吉は神戸に電報を打ちました。
羽田空港には節子やアヤ、茂吉の友人、会社の人々が見送りに集まっていました。節子たちは妙子の姿が見えないので心配しますが、結局、最後まで妙子は現れませんでした。
夜になってようやく妙子は家に戻ってきました。アヤと節子が心配して待っていましたが、言い訳ばかりする妙子に2人は愛想をつかして帰っていきました。
妙子は茂吉の部屋に行き、夫の机の前で黙って立ちつくしていました。強がってはみたものの、本当は彼女も動揺していたのです。
映画『お茶漬の味』の感想と評価
木暮実千代が演じる妙子はかなり贅沢な暮らしをしているように見えますが、佐分利信が演じる夫・茂吉に不満を持っていて、心が満たされていません。
佐分利信は1958年の作品『彼岸花』では、頑固親父という役柄だったように、小津映画での彼は作品によって違った性格を与えられています。『お茶漬の味』では知的で物静かな夫を演じています。
ただ、物静かすぎて、優しさが伝わらないのです。木暮のつんとした表情や、物言いからすると、彼女の我儘さだけに注目が集まりそうなのですが、木暮は愛の証が欲しいだけなのです。しかしそのようなものを日本男性が簡単に表すわけがありません。2人の心のすれ違いの原因はまったくそこにあるのです。
お見合いをドタキャンした津島をどうして許してしまったのか、と詰め寄る木暮に「僕らみたいな夫婦がもう一組できてしまうだけじゃないか」と佐分利は言います。観客にとっては笑いどころなのですが、これは言ってはいけない台詞でした。
木暮の不満はピークに達しますが、それは愛の欠如の寂しさが原因なのです。しかし、それがまったくわからない佐分利。こうした夫婦間の、男女間のすれ違いが絶妙なタッチで描かれています。
この作品もまた、多くの小津映画と同じく「夫婦」「結婚」を主題としています。小津映画を観ていると、「結婚」に憧れを持つ人が減るのではないか?と案じるくらい、「結婚」というものにシビアな視点を向けている作品が多いように感じられます。本作も妻の小暮の孤独感が伝わってくるものとなっています。
物語はこれ以上ないというほど気まずい別れ方をしてしまった夫婦への救済を描いて終わります。トラブルで飛行機が引き返し、佐分利が家に戻ってくるのです。二人は女中を起こすのは可愛そうだからと一緒に台所にはいって、慣れない食事の用意をすることで、すれ違った心を取り戻していきます。
結局のところ、根本的な事柄は特に何も解決されていないのですが、ほんのちょっとした事柄で人間は絶望したり、幸福になれたりするものだという、感情の機微が丁寧に描かれています。秀逸な「夫婦映画」といえるでしょう。
まとめ
『お茶漬けの味』はもともと、戦時中に脚本が書かれており、夫は戦争へ行くという話だったそうです。しかし検閲が入り、企画は流れてしまいました。戦地に向かう夫の話のまま映画化されていれば、随分趣の変わった作品になっていたことでしょう。
修善寺の旅館の部屋から撮った、すだれの向こうに見える山のショットと、外から切り返した旅館の外装のショットは二度ほど反復されますが、どちらも何気ないショットにも関わらず、非常に味わい深いものとなっています
歌舞伎の会場でパンしていくカメラはキョロキョロして落ち着きのない木暮らを映すだけで、歌舞伎の演目を一切映さなかったり、とんかつを食べに行くといって、「カロリー軒」という看板だけを見せてもう既に食べ終わっている場面につなげたりという大胆な省略も小津映画ならではのもので、その旨さが光ります。
それにしても本作の笠智衆の台詞は、小津映画によく出てくる彼の決まり文句に終始していて笑えるくらいです。唯一自身が営んでいるパチンコについて「こんなもんが流行っている間は世の中はあかんです」という台詞が例外といえるでしょうか。