明日へぶっ飛ばす!
おばあちゃんを見舞うため、砂田は大嫌いな故郷へいやいや帰ることになるのだが・・・!
夏帆とシム・ウンギョンという日韓を代表する女優が共演した箱田優子初監督作『ブルーアワーにぶっ飛ばす』をご紹介します。
映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の作品情報
【公開】
2019年公開(日本映画)
【監督】
箱田優子
【キャスト】
夏帆、シム・ウンギョン、渡辺大知、里田大輔、上杉美風、小野敦子、嶋田久作、伊藤沙莉、高山のえみ、ユースケ・サンタマリア、でんでん、南果歩
【作品概要】
クリエイターの発掘と支援を目的とした「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2016」で審査員特別賞を受賞した企画を映画化。
CM界にて第一線で活躍する箱田優子の初の長編映画作品。東京でCMディレクターとして働く主人公を夏帆が、その親友をシム・ウンギョンが演じている。
第22回上海国際映画祭 アジア新人部門で最優秀監督賞&優秀作品賞を受賞したほか、第19回 ドイツ「ニッポン・コネクション」ニッポン・ヴィジョンズ審査員スペシャル・メンション受賞など、国境を越え、高い評価を受けている。
映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』あらすじとネタバレ
砂田夕佳は、30歳の自称売れっ子CMディレクターです。
CMの世界は華やかに見えますが、実際のところ仕事に追われ心に余裕もなく、仕事相手に早口でまくしたてて毒づいたり、意識を失うまで酒を飲む毎日。理解ある自立した優しい夫がいるのに、仕事の先輩の富樫と時々関係を持ち、夜中の3時に帰宅するような荒んだ生活を送っていました。
ある日、病気の祖母を見舞うため、砂田はもう長年足を踏み入れていない大嫌いな故郷に帰ることになりました。
ついて来たのは、自由で天真爛漫な友人、“キヨ”こと清浦あさ美です。彼女が中古で買ったという車に乗り込んで、砂田は故郷である茨城県のとある町へといやいや向かうのでした。
大雨の中、家にたどりついたふたりは、農作業から戻ってきた母親に迎えられました。
母は昔のまま、常に何かを喋り続けていて、父はいつの間にか骨董マニアになっていました。キヨに日本刀を見せ、殺陣まで披露する父をハンディカムのカメラで撮影しながらキヨはぽつんと「銃刀法違反」とつぶやきました。
引きこもりがちだった兄は、地元の学校で教師をしているのだとか。久しぶりにあった兄はあいかわらず掴みどころがなく、どう接していいかわからない砂田は昔と同じように激しい苛立ちを覚えるのでした。
でもキヨはそんな中でも楽しげで、砂田が子供の頃書いた漫画を見つけては楽しそうに笑うのでした。
母は、もう晩ごはんを自分で作るのをやめていて、冷蔵庫の中にはコンビニで買ったおにぎりがぎっしり詰め込まれていました。
ビール一本もなく、砂田はキヨを連れて近場のスナックに行きました。そこでは常連客が下ネタ爆発のトークを繰り広げていました。
“キヨ”は常連客のひとりに誘われ、中森明菜の歌を熱唱していましたが、砂田は作り笑いをママに指摘されてしまいます。
カッとなって思わずスマホを床になげつけますが、周りが驚くとそそくさとその場を取り繕うのでした。
翌朝、母は3時には仕事が終わるからそれから一緒にばあちゃんを見舞いに行こうと言って、慌ただしく出かけていきました。父は、仕事もせず、ごろごろと寝転がっています。
3時になり、母と砂田とキヨの3人は病院にやってきました。キヨは廊下で待っているというので、2人で病室へと向かいました。
祖母は弱々しくベッドに横になっていましたが、砂田のこともよく覚えていて、優しい微笑みを浮かべていました。
祖母の爪を切ってやる砂田。この前まで介護4だったそうですが、祖母は懸命に生きていました。
映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の感想と評価
夏帆が演じる主人公の砂田は、恐らく自分の夢を邪魔するような要素しかない故郷で、閉塞感に包まれ、どうしようもなく絶望し、故郷を、家族を恥とするほどの卑屈な思いを持ちながら、逃げるように東京へやってきたのでしょう。
久しぶりの帰郷も、いやいやながらのもので、彼女は東京に戻ることばかり考えています。
早口で、とりとめもなく喋り続ける南果歩演じる母親と、のっそりと、粘っこい存在感をみせつけるでんでん扮する父親、嘘か真かよくわからない話で煙にまく黒田大輔の兄といった家族の面々を描写するだけで、砂田が持つ違和感と孤立感を映画は巧に浮き上がらせます。
映画には何度か“ブルーアワー”の瞬間が描かれます。
ブルー・アワーとは”一日の始まりと終わりの間に一瞬だけ訪れて、空が青色に染まる静寂の時間”をさします。
幼い頃の砂田らしき少女が青色に染まりながら、1人で草原の中をかけていく姿は主人公・砂田の原風景といえるものでしょう。
生き生きと大地を走り、立ち止まることなく全力疾走でかけていく少女の姿は、冒頭とラストでは撮り方が違っています。
誰かが「待ってよー」と後を追ってきているような、カメラがその追っ手の視点となっているような冒頭に対して、ラストでは追っ手はいなくなって、1人の少女だけがダイナミックに風景を駆け抜けています。
冒頭、彼女を追っていたのは一体誰だったのでしょうか?
大人になった砂田が記憶にとどめている最も古い、幼かった無邪気な頃の自分を振り向かせようとしていたのではなかったでしょうか。
誰もが持っていながら、通常は心の奥深くで眠ってしまっている原風景というものをこの作品は思い出させます。
また、大人になれば、親に何度かさようならを告げ、自分の住処へと戻っていく機会も増えていきます。
その時の、見送っている親の姿がどんどん小さくなっていく様子に、なんともいえない寂しさと泣き笑いのような思いを経験したことが有る方もいることでしょう。
映画の中で南果歩が娘とその友人を見送る姿にまたしても自身の眠っていた記憶を目覚めさせられてしまうのです。
都会で懸命に働き、傷つきながら生存競争に身を委ねている人間が、大嫌いだったはずの故郷を、親を、ともに過ごした時間を思い出しとらわれる様を、本作はあるトリッキーな方法で提示しています。
些細で、私的な、でも誰にでも通じる繊細な感情をこれほど鮮やかに表現できる新しい作り手が出てきたことを大いに歓びたい気持ちでいっぱいです。
まとめ
夫に対しても、愛人に対しても、本気で心を許していないように見える砂田が、キヨといる時だけは、のびのびとし、彼女を愛おしむように優しい表情を見せています。
キヨは素直で、前向きで、好奇心が強く、ふざけて奇声を上げるなど愉快な性格で、人懐こく、協調性も持ち合わせています。
彼女たちの間に流れるいささかふざけた奇妙なやり取りは、グレタ・ガーウィグ主演の『フランシス・ハ』(2012)を思い出させます。
『フランシス・ハ』では、親友との間では当たり前になっていた彼女たちの“ノリ”が、親友がいなくなってしまうと、他の誰とも通じないことで、主人公の孤立を浮かび上がらせていました。
ソウルメイトだけに通じる意味のない楽しい“ノリ”の世界が、砂田とキヨの間にも流れていて、夏帆とシム・ウンギョンが息のあったところを見せています。
本作では、これまで見せたことがない殺伐とした表情をみせる夏帆がとても新鮮なのですが、『サニー 永遠の仲間たち』、『怪しい彼女』、『ときめきプリンセス婚活記』などの演技を思い出させるシム・ウンギョンの天性のコメディエンヌぶりが、また素晴らしいのです
本作はそんな二人の関係性を描くシスターフッド的な作品かと思いきや、思いがけない展開が待っています。
理想の自分。成りたかった自分。こんな自分ならこの家族ともうまくやれただろうに。
家族とうまくいかなかったのは自分にも問題があると知っている罪悪感。砂田の心の中は思った以上に複雑なのです。
1人の人間の心の変遷と成長を描き、爽やかで力強い印象を残しています。