個性的な出演者たちがつむぎ出す、おかしな家族を描いた佳作!
日本映画学校の卒業制作として、監督・脚本を務めた『グッバイ・マーザー』がゆうばり国際ファンタスティック映画祭、下北沢映画祭などで入選したふくだももこ。
映画監督だけでなく小説家としても活躍、2016年に書いた小説「えん」は、すばる文学賞佳作を受賞しています。
若手映画作家育成プロジェクトに選出されるなど、マルチに活躍する彼女の待望の最新作『おいしい家族』。
離島を舞台に普通や常識にとらわれない、心穏やかになれる世界をおいしく、たのしく、カラフルに描き出した映画が誕生しました。
CONTENTS
映画『おいしい家族』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【監督・脚本】
ふくだももこ
【キャスト】
松本穂香、笠松将、モトーラ世理奈、三河悠冴、柳俊太郎、浜野謙太、板尾創路
【作品概要】
都会の生活に疲れ、故郷の島に帰ってきた主人公。彼女がそこで”家族”と出会う姿を温かくコミカルに描いた、ヒューマンドラマ。
今後の活躍が期待される監督のふくだももこは、15人の女性若手映画監督による、オムニバス映画『21世紀の女の子』にも短編映画を提供しています。
主演はテレビドラマ版「この世界の片隅に」に主演し、CMなどで注目を集める松本穂香。
彼女の父役を板尾創路、そのパートナー役には、バンド”在日ファンク”でボーカル兼リーダーを務める浜野謙太。他にも多くの個性的な面々が出演し、映画の世界観をつむぎ出しています。
映画『おいしい家族』のあらすじとネタバレ
銀座のコスメショップで働く橙花(松本穂香)。華やかな職場で働く彼女ですが、現在は夫と別居中。勤務の後久々に夫と食事を共にしても、すれ違いを感じるばかりです。
彼女は母の3回忌を迎え、久々に故郷の島に帰ります。フェリーで島に到着した彼女を、弟の翠(笠松将)が出迎えます。
弟の運転する軽トラックで実家に向かう橙花。一方島の教会には、1人で祈る女子高生のダリア(モトーラ世理奈)がいました。
教会を出て歩いていたダリアは、制服のまま入江に浮かんでいた同級生の瀧(三河悠冴)を見かけます。ダリアも服のまま海に入り、言葉を交わしキスをする2人。
古びた和風の一軒家である、懐かしい実家に到着した橙花。彼女が郷愁に浸る間もなく、スリランカ出身の翠の妻、サムザナが迎えます。身重の彼女は橙花に会う事を、心待ちにしていました。
そしてお帰りと、声をかけたのは父の清治(板尾創路)。ところが父は、なぜか亡くなった母のものであるワンピースを身に付けていました。
その姿を見て言葉を失う橙花に、清治は父さん結婚するんだ、と告白します。
事態が呑み込めぬまま、橙花は家族と食卓ですき焼きを囲みます。しかしそこには、橙花が見知らぬ顔が2つありました。それは女子高生のダリアと、中年男の和生(浜野謙太)でした。
全く事情が理解出来ない橙花に、和生が自分の結婚相手だと父は紹介します。そしてダリアは自分の娘であると、橙花に説明する和生。
かしこまった和生からは、お父さんを僕に下さいと申し込まれます。さらに清治からは、父さん、母さんになろうと思う、と告げられて橙花は言葉を失います。
彼女を置いたまま、トントン拍子に話が進むありさまに、やっとの思いで私は絶対に認めないと叫んだ橙花は、家族を置いて家を飛び出します。
スナックのカウンターで飲んでいた橙花に、イセエビをふるまう客がありました。それは今は漁師をしている、翠の元同級生の海老沢、通称エビオ(柳俊太郎)でした。
かつて橙花に憧れ、何度も家に出入りしていたエビオですが、彼女は全く覚えていませんでした。2人で飲み明かした後、すっかり酔った橙花は飛び出した実家へと戻ります。
目覚めた二日酔いの橙花が見たのは、和生の弁当を用意する清治の姿でした。その光景に彼女は頭を抱え込みます。
母の遺した服を身に付け出勤する清治。父の後を付けた橙花は、校門で登校する生徒たちに挨拶する、父の姿を目にします。清治は島の高校の校長をしていました。
何事もないかのように挨拶を交わす清治と生徒たち。ダリアもこの学校の生徒でした。瀧も郵便局員の父と共に登校しますが、清治の顔を見ると走り去ってしまします。
清治も瀧の父も、母を失って間もない瀧の心の傷を心配していました。
入江にいた瀧に橙花は声をかけます。清治の姿を嫌って飛び出した瀧を、自分と同じ”普通”の反応を示した人物と思った橙花。彼女には清治を受け入れている島の人々が不思議でなりません。
瀧は島を出て自立した橙花に、なぜメイクの仕事に就いたかを訊ねます。彼女は幼い頃、母にメイクをしてもらった自分の姿を、魔法のおかげだと感じた思い出を語ります。橙花は島から出たいと願う瀧と意気投合します。
入江で水浸しとなった2人を、和生が見かけ軽トラックに乗せます。瀧を送ると橙花に野菜の収穫を手伝わせる和生。
その後島の小さなスーパーで働いた和生は、教会の庭を橙花と共に掃除し、教会の2階にある部屋に彼女を案内します。
かつて福島の漁師だった和生は、色々あってダリアと共に、この島にやって来たと話します。島に住みつき便利屋を始めた和生ですが、貧しく食事にも事欠く生活をしていました。
そんな2人に声をかけたのがダリアの高校の校長、清治でした。清治の自宅に招かれ、彼の用意した食事をふるまわれます。
清治の用意したおはぎを食べ、何故か懐かしい思いを味わった2人。幸せそうな2人の姿を見た清治は、家に住むよう申し出ます。こうして共同生活が始まったのでした。
和生とダリアが清治を利用しているのでは、と疑っていた橙花ですが、和生は笑って否定します。清治は母になりたい、とだけ語ったと話します。
その日は翠の妻、サムザナの誕生日でした。彼女の為に清治が用意したスリランカの料理を、皆で習慣に従って手づかみで食べます。サムザナは”家族”からの歓迎に、心から感謝します。
食事の後、サムザナの歌で盛り上がる一同。しかしその中に橙花の姿はありません。彼女はスナックでエビオと飲んでいました。調子にのって迫るエビオと別れ、1人家に帰ります。
母の写真を飾った仏壇の前で1人横になり、思わず供えられたおはぎを食べる橙花。
供えられたおはぎが、一つ無くなった事に気付いた清治。彼は、母さんお帰り、とつぶやきます。
翌日が母の3回忌でした。清治も学校を休み、法事の準備を行います。その手伝いで納屋に入った橙花は、派手な衣装がしまってある事に気付きます。
やがて親族や縁のある人々が家に集まり、法事が開かれます。清治は母の喪服を身に付け現れますが、誰も何も言いません。
登校したダリアは、朝礼に現れた瀧が金髪に染め、口元に怪我をしている事に気付きます。パパと喧嘩したの、と訊ねるダリアに、早く大人になりたいとだけ答えた瀧。
瀧の頬にそっと手をそえたダリア。2人は互いの個性を褒め、メイクし合い、カラフルな衣装を身に付けて楽しみます。
一方法事が無事終わり、食事を始めた一同。誰も清治を批判する者はいません。橙花は母方の叔母に、父の振る舞いをどう思っているか尋ねますが、気にしている様子はありません。
自分が孤立していると感じた橙花は、宴席を離れ一人で飲んでいました。
そこに現れた翠に、なぜ結婚に反対しないのか尋ねる橙花。人それぞれだからと答えた弟を、彼女は寛容ぶらないで、と責めます。
母さんに何て言えばいいの、と言う橙花。彼女の心には割り切れないものが残っていました。
家を出て1人夜道を歩く橙花。ところが彼女は、入江で海に向かうゴムボートを目撃します。
映画『おいしい家族』の感想と評価
寛容に生きる姿を示す
人の生き方の多様性が認められる様になった現代。とはいえ偏見は根強いもの。あるべき姿、あるべき生き方に囚われた主人公、橙花を通してこの映画は語られます。
常識人の橙花にとって故郷の島の人々は実に大らか。そのギャップがコミカルに描かれますが、映画は単純に、マイノリティーの楽園を描いたものではありません。
橙花が結婚する父に抱いた反発は、父が女になるからではありません。母が消え、父もまた消えてしまう事への抵抗が、彼女の心を頑なにしました。亡くなった母への想いこそ、彼女を一番束縛した”常識”だったのです。
妻を失った清治と、福島で多くを失った和生とダリアの親子が、失った者より今を生きる者への愛、そして支え合う人々の集まりである”家族”の尊さを説きます。
この映画は癒しの映画ではありません。人生を束縛する”常識”とは何か、そして人が”家族”である意味を問いかけ、見る者の心を解きほぐす映画です。
自身の短編映画を長編化
この映画はふくだももこが監督した短編映画、『父の結婚』を長編映画化した作品です。
参考映像:『父の結婚 (2016)』予告編(「若手映画作家育成プロジェクト2015」予告編)
主人公の女性をソニン、男と結婚する事になったその父を、本作と同じく板尾創路が演じた『父の結婚』。その設定だけで笑いが取れる作品です。
この映画の長編化を後押ししてくれたのは板尾創路であったと、ふくだ監督は語っています。その言葉に対し板尾創路は、短編映画で見せられなかった部分を、もっと描いて欲しかったと述べています。
小説家でもある監督は、様々なエピソードを盛り込んだ脚本で登場人物、特に板尾創路演じる父をより深みのある存在にしました。
ふくだ監督について、最初の作品に勢いがあって、また作品から自然ににじみ出るものを大事にして欲しい、と語っている板尾創路。またふくだ組の作品に出たいとも話しています。
このコンビの次回作を、大きに期待したいものです。
カラフルな映像と古き良き邦画のコラボレーション
橙花の職場はコスメショップ。映画は色鮮やかに、テンポ良く始まります。個性的な高校生ダリアと瀧の世界もカラフルに描かれます。
同時に映画的な構図を持つ映像に拘っている作品です。ドラマ的に描かれた東京のシーンが終わり、故郷の島に帰る橙花の姿を、船室の窓から見える海と共にとらえた映像。いきなり画面に映画的な緊張感が現れます。
舞台が島に移ると、和風な家である彼女の実家をとらえた映像には、アングルやシンメトリーを意識した、小津安二郎の映画が持つ”小津調”に拘ったものが散見できます。
映画のメインテーマも、”娘を嫁に送り出す父”ならぬ、”父を嫁に送り出す娘”。小津映画のパロディと言えますし、板尾創路の演技も、どこか笠智衆を意識したものです。
繰り返し登場する食事シーンやスナックのシーンも、小津映画と重ねる事もできますが、生々しい食べる行為の描写、そして現代的なテーマへの挑戦は、伊丹十三の映画を強く感じさせます。
『おいしい家族』の音楽は、『マルサの女』以降の伊丹十三作品の音楽を手がけた本多俊之。映画全体の雰囲気を、伊丹作品に近いものにしています。
決してパロディとして強調することなく、オマージュ的に名作邦画をかんじさせるこの作品。ふくだ監督は熱心に邦画を研究された人物か、もしくは相当の邦画オタクであると見ましたが、どうでしょうか?
まとめ
決して致し系映画や、マイノリティー映画の枠に収まらない意欲作である『おいしい家族』。
撮影期間は東京では1日だけ、あとは新島でのロケというスケジュールで行われました。様々な映画的挑戦は、新島でスタッフと俳優陣が生み出したものです。
鑑賞する方には深いテーマと、映画的な拘りを味わって頂きたいですが、実はその様に構えて見るのは、正しい鑑賞方法ではありません。
板尾創路を初めとする、ちょっとズレた人や、天然ボケな人が相当多数いる島で、ただ1人”常識人”である松本穂香が体を張ってツっこみ倒す、お笑い映画でもあります。
これはふくだ監督が、大阪出身ゆえに生まれたスタイルでしょうか。ともかく松本穂香の奮闘と、硬軟使い分けた演技がキーとなる作品です。難しく考えず、笑える場面は気持ちよく笑う、それが正しい楽しみ方の映画です。
この映画、海外の映画祭で上映したら爆笑の渦だと思います。笑うべき場面で笑うのは、映画の鑑賞マナーには反しませんよね。