高さ975m断崖絶壁。ロープ無し、素手で登りきる。
保護具や安全装置を一切使用せず、その身一つで挑むクライミングスタイル『フリーソロ』。
「フリーソロの奇才」と評される稀代のクライマー、アレックス・オノルドの前人未踏の挑戦を追ったドキュメンタリー映画『フリーソロ』の感想、考察をご紹介します。
映画『フリーソロ』作品情報
【公開】
2019年(アメリカ映画)
【原題】
FREE SOLO
【監督】
エリザベス・チャイ・ヴァサヘルヘリィ、ジミー・チン
【キャスト】
アレックス・オノルド、トミー・コールドウェル、ジミー・チン、チェーン・ランぺ、マイキー・シェイファー、サンニ・マッカンドレス、ディアドラ・ウォロウニック、ピーター・クロフト
【作品概要】
その危険性から、全クライマーの1%しか挑戦しないと言われるフリーソロ。
アレックス・オノルドは2017年6月3日にエル・キャピタンをフリーソロで登頂し、史上初の偉業を成し遂げました。
その偉業達成までを『MERU/メル』で知られる、エリザベス・チャイ・ヴァサヘルヘリィ、ジミー・チンが一年以上に渡り追った本作は2019年アカデミー賞 長編ドキュメンタリー部門を始め、英国アカデミー賞他多数のタイトルを獲得しています。
映画『フリーソロ』解説
アレックス・オノルドのプロフィール
1985年8月17日 アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント出身 10歳でクライミングを始め、熱中していったアレックスはカリフォルニア大学バークレー校に入学しますが、19歳の時に中退しバンで各地を巡りクライミングをする放浪生活を送ります。
そんなアレックスは2008年にユタ州ザイオン国立公園にあるムーンライト・バットレスとヨセミテ国立公園のハーフドームのフリーソロを立て続けに成功したことで一躍有名になり、以降も様々な場所でフリーソロに挑戦し「フリーソロの奇才」の異名で知られています。
エル・キャピタン
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ヨセミテ国立公園にある花崗岩の巨岩で、一枚岩としては世界最大の大きさを誇ります。
エル・キャピタンはスペイン語で「岩の族長」を意味します。
1985年、ウォレン・ハーディングらが初登頂して以来、現在まで70以上のクライミングルートが開拓され、クライマーの聖地とされています。
本作でアレックスが挑んだルート、「フリーライダー」はエル・キャピタンの主要ルートであり、ロープを使用し登頂したとしてもニュースになるほどの高難易度ルートです。
映画『フリーソロ』感想と評価
アレックスについて
冒頭、マスコミのインタビューに「なぜフリーソロをするのか?」という問いに関して「『死』を身近に感じる事で『生』を実感できる。」という一見、矛盾している回答をしています。
しかし、アレックスは、スリルを味わうことに快感を覚えたり、ギャンブルのような不確実性を楽しんでいるわけではありませんでした。
アレックスが目標を達成するまでに何度も実際のルートを登り、一年以上の期間をかけ、徹底的に準備しています。
それを証明するように、二度目の挑戦が近づいてきたある日にどのようにして上るのか、手順、つかむ岩の形状や特徴、注意点をすらすらと言う場面がありました。
そのことから、アレックスが繰り返し壁に登り、頭の中で何百、何千、何万回とシミュレーションしてきたのかがわかります。
その理由を「死にたくないから」と語るアレックスは「『生』を実感」するために無事、登頂する事を重視していることが分かりました。
また、アレックスの集中力、そして精神力の強さにも目を見張るものがありました。
フリーソロは一つのミスが命取りであることは言うに及ばず、一瞬の判断の遅れすらも後々のミスを生み出す原因になります。
アレックスはエル・キャピタンを登り切るのに3時間56分掛かりました。
当然ながら、この時間、全体重を手足だけで支えなければならない訳で、肉体的疲労は相当なものになります。
判断の遅れによる停滞や、オーバーなアクションにより無駄に体力を消耗することは、『死』に直結しています。
そのため、アレックスは頭に思い描いた最短最適なムーブ(クライミング中の次につなげる動作)を行っていたわけです。(アレックス曰く「自動操縦」)
しかし、人ならば恐怖心に思考が停止し、体も思うように動かなくなるはずですが、アレックスはその強靭な精神力で恐怖心を抑え込み、驚異的な集中力で「自動操縦」をやり切った訳ですから、「フリーソロの奇才」の異名が伊達ではないことを証明しています。
また、アレックスが対面したエル・キャピタンは一見ただの壁ではないかと思うような絶壁に見えますが、カメラがアップになると指が掛けられる幅が1センチにも満たないようなわずかな突起が連続するような箇所がいくつもありました。
そんなところを軽々と登っていくアレックスの見事なクライミング技術の高さは言うまでもなく、しなやかな体から繰り出される無駄のないムーブは美しくも感じました。
アレックスを巡る人間関係
本作でアレックスがエル・キャピタンのフリーソロを成し遂げた裏ではアレックスの交友関係も一つの要因になっていました。
特にその大きさを感じたのは恋人のサンニ・マッカンドレスです。
サンニの存在は、アレックスの挑戦の支えになるとともに、彼の人生観そのものにも大きく影響を与えていました。
作中のインタビューでアレックスは「恋人よりも挑戦を優先する。」と語っています。
アレックスの生き方が恋愛に大きな障害を与えているのは言うまでもありません。
しかしながら、サンニはアレックスの生き方を尊重していました。
その反面、サンニは「幸福な人生」を望んでおり、一見、アレックスには理解しがたい想いに見えますが、アレックスは一定の理解を示していました。
アレックスのパートナーであるトミー・コールドウェルは作中で二人の関係を「本当に素晴らしい」と言いながらも「フリーソロへの挑戦に悪影響を与える。両立はできない。」と語っています。
それを証明するかのように、2016年秋にアレックスはエル・キャピタンのフリーソロに挑戦しますが途中で断念しています。
何が起きたのかは本人にしかわかりませんが、驚異的な集中力を要するフリーソロではサンニへの想いも雑念になり、挑戦に影響を及ぼしていたのは想像に難くありません。
しかしながら、この失敗のあと、アレックスは長年のバン暮らしに別れを告げ、サンニと共に家を購入します。
アレックスは「折り合いをつける」と語っていますが、それだけアレックスの心の中でサンニの存在が大きい事がわかります。
また、アレックスの心境の変化はその行動や言動からも垣間見ることができました。
フリーソロに挑戦するときはあまり人に話さないと言うアレックスは1度目の挑戦の際、サンニに決行する日を積極的に告げようとせず、曖昧にはぐらかそうとしていました。
しかし、2回目の挑戦では決行期日を伝え、出発する早朝にサンニと別れを交わしています。
また、アレックスは自分の想いを口にすることが苦手であると明かしており、サンニへ「愛してる」を伝えないと言っていました。
ですが、エル・キャピタンのフリーソロ成功後、山頂でサンニと電話で無事を伝える際、しっかりと「愛してる」と口にしていました。
アレックスの挑戦を語るうえで、監督・撮影監督のジミー・チン率いる撮影チームとの関係性も欠かすことは出来ません。
ジミーとアレックスは9年来の親交があり、アレックスはジミーや撮影チームを「親友」と語るほど親しみを感じていました。
フリーソロを挑戦するうえで「親友たちの前で失敗することが怖い」と語っていたアレックスが1度目の挑戦を断念する理由にジミーたちの存在を意識していたこともあったのかもしれません。
また、ジミーたちも自分たちの存在がアレックスの挑戦に影響を及ぼしているのではないかと苦悩する姿や、アレックスの挑戦を目にしながら心配する姿は被写体と撮影者というよりも一つのチームのように感じました。
製作・監督を務めたエリザベス・チャイ・ヴァサヘルヘリィはCinemarchのインタビューの中でこの作品を作ること自体が挑戦であり大きな葛藤を伴ったと語っています。
アレックスが果たした偉業と共に、ジミーたちが苦悩しながらもその軌跡を追ったこの作品も同様に『偉業』であると感じます。
まとめ
本作で描かれたエル・キャピタンのフリーソロをアレックスのパートナー、ジミーは「フリーソロ界の月面着陸」と評しています。
本作の字幕監修を務め、日本クライミング界のカリスマとされるプロクライマー 平山ユージはアレックスやジミーと親交があり、本作で描かれた偉業を「発想や考え、生き方が特別なアレックスだから出来た事」と語っています。
また、撮影中、ジミーから撮影を続けるべきか相談を受けたという平山はカメラの存在が自身の能力が発揮できた経験から「アレックスが望むなら『プロの仕事』で答えるべき」と助言したそうです。
本作の最後で次の挑戦はまだ決まっていないと語ったアレックスですが、約一年後の2018年6月6日、トミーと共に同じくエル・キャピタンのザ・ノースと呼ばれるルートを1時間58分7秒で完登し最速記録を更新した上、史上初の同ルート2時間切りを達成しています。
また一つ、歴史を塗り替えたアレックスですがきっと彼にはそこはゴールではなく、さらなる『生』の実感を求め、飽くなき挑戦をこれからも続けていくでしょう。
そんなアレックスの生き様とさらなる活躍に期待します。