映画『ハウス・ジャック・ビルト』は2019年6月14日(金)より、新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー!
自身の欲求を満たすために、次々と凄惨な殺人を繰り返すシリアル・キラー。その心理は「理想の家を建てたい」という願いにつながっていた…。
殺人に明け暮れるシリアルキラーが辿った12年の軌跡を描いた『ハウス・ジャック・ビルト』。
本作は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』などを手掛けた鬼才ラース・フォン・トリアーが監督・脚本を務めた最新作であり、2011年以来7年ぶりのカンヌ復帰となるも、極端にその賛否が分かれた超問題作です。
キャストには『クラッシュ』などのマット・ディロンをはじめ、『ヒトラー~最期の12日間~』などのブルーノ・ガンツ、『キル・ビル』シリーズなどのユマ・サーマン、『アメリカン・ハニー』などのライリー・キーオらが出演。
特に、強迫性障害を抱えた狂気のシリアル・キラー役としてマット・ディロンが怪演を披露、映像以上のショックを見るものに与えます。
CONTENTS
映画『ハウス・ジャック・ビルト』の作品情報
【日本公開】
2019年(デンマーク・フランス・ドイツ・スウェーデン合作映画)
【英題】
The House That Jack Built
【脚本・監督】
ラース・フォン・トリアー
【キャスト】
マット・ディロン、ブルーノ・ガンツ、ユマ・サーマン、ライリー・キーオ
【作品概要】
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』などを手掛けたラース・フォン・トリアーが監督を務めた最新スリラー。
殺人に明け暮れる一人のシリアルキラーの12年とその末路を描く。
作品は第71回カンヌ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門に正式出品されましたが、そのあまりの過激さに、米国映画協会(MPAA)の審査にて全米公開時には一部本編がカットされてしまうという事態に。一方、日本での公開においては、完全ノーカット版での上映が実現しました。
映画『ハウス・ジャック・ビルト』のあらすじ
物語は、主人公の男性・ジャック(マット・ディロン)と謎の男・ヴァージ(ブルーノ・ガンツ)との会話、そしてジャックのおぞましい過去の、5つの記憶の場面から展開していきます。
その恐ろしい記憶の「第1の出来事」は、とある冬の雪道でのこと。赤いバンを走らせていたジャックは、道の途中で車が故障し立ち往生していた一人の女性(ユマ・サーマン)と出会います。
女性は、修理のために使用していた自分のジャッキが故障してしまい、修理をお願いしたいとジャックに懇願。困惑するジャックでしたが、我関せずと女性はズケズケとジャックの車に乗り込み、彼の紹介する鍛冶屋へ向かうことを即します。
さらに鍛冶屋で修理を行った後に、女性はジャックに自分の車のもとへ送るよう指示、さらに戻ったはいいがジャッキは再び故障し、再び鍛冶屋のもとへ送れと傲慢に命令する女性に、ジャックはいら立ちを募らせます。
ついには再び鍛冶屋に向かう車の中、女性はジャックに「あなたって殺人鬼かも。この車って、殺人鬼が使用するような車よね」などと無神経な言葉を連発。
業を煮やしたジャックは、女性を途中で降ろそうとします。そんなジャックに女性は「殺人鬼と呼んだことを撤回するわ。あなたは虫も殺せない意気地なしよ」などと一言。
その時突然何かの糸が切れたように、ジャックは壊れたジャッキをつかみ、女性を撲殺。無残にも顔面が血だらけになり息絶えた女性を、ジャックは自身の所有する冷凍倉庫に放り込んだのでした。
「第2の出来事」は、とある山中に住む未亡人の家。ジャックは警察官を装い家に入り込もうとしますが、女性はジャックの言動とバッジを見せようとしない態度を不審に思い、家に入れようとしません。
しかしジャックは、警官だというのは嘘で本当は保険調査員だと語り、年金の増額に関する情報があるという様子を見せ、ようやく女性はジャックを家の中に。
家に入った途端、ジャックは表情を豹変させ女性に襲い掛かります。彼は女性の首を絞めて殺害しようとするものの、女性は一時意識を取り戻します。その彼女にジャックは詫びを入れるそぶりを見せながら、再び首を絞め、女性を殺害します。
そしてジャックが例の冷凍倉庫に女性を運び出そうとしたその時、近所に一台のパトカーが。しかしジャックは機転を利かせ、その女性をたずねてきた知人であるそぶりを見せます。
警官の隙を突いて車で遺体袋を運び終え、まんまと逃走することに成功したジャック。遺体袋を引きずって運んだ跡は路上を血で染め、しっかりとジャックの殺人の痕跡を残していましたが、突然降ってきた豪雨で流されてしまうことに。
こうして、さらにジャックの狂気はエスカレートしていきます。その一方で、その心中に建築家というかつての志を燻らせていた彼は、殺人を続けながらも“人里離れた湖畔のほとりに、理想の家を建てる”という夢へと向かい始めました。
時に子連れの母子を手にかけたり、恋人を襲い、逃げる女性を追いかけているうちに遭遇した警官の前で「俺は人殺しだ。60人殺した」などと叫びながらも、単なるおかしな男だと意に関しない警官の目をよそにまんまと逃げ伏せて殺害を敢行するなど、まさかの危機をするりとすり抜けながら、ジャックは殺人を繰り返していきます。
そして、ついに「第5の出来事」にたどり着きます。冷凍倉庫で人生最大の大量殺人をはかるジャックでしたが、その準備において必要を迫られたことで、これまで開けられることのなかった冷凍倉庫奥の扉を開け、その中に入ることに。
ちょうどそのころ、外ではジャックの犯罪を知った警察が殺人現場に押し寄せていました。逃げ場を失ったジャック。しかしその時、部屋の奥から一人の男性の声が上がります。
部屋の照明をつけると、そこには一人の男性が。男はヴァージと名乗り、静かに椅子にたたずんでいました。果たして彼の正体は?そしてジャックの運命やいかに?
映画『ハウス・ジャック・ビルト』の感想と評価
シリアル・キラーの深層心理に見える、普遍的な思考
本作はその過激な映像で、カンヌでの上映では途中退場者が続出、一方で上映終了後にはスタンディング・オベーションが発生と、極端に賛否が分かれたといわれています。
主人公ジャックの行動を中心に見れば、劇中ではとにかく狂気にまみれた表情と、残虐性あふれる殺人シーンが最も印象的であり、ゴア作品的な印象を強く抱かせます。
しかし劇中で凄惨なシーンと合わせて語られるジャックの会話には、単にスプラッタームービーと片づけてしまうには違和感を覚える部分もあります。それはまさしくジャックの視点、思考を中心に物事が進んでいくことが、大きなポイントにあるようにも思われます。
ホラー映画、スプラッター映画において「怖い」と思わせるポイントとして“得体の知れないものに襲われる”という構図があります。見たこともないような生物、物体、あるいは想像もしない、姿も見えない人物。そういったものに襲われれば、相手に対してなす術を見つけることができず、人は恐怖と絶望の淵に立たされることでしょう。
しかしこの作品では、人々を恐怖に陥れるジャックという存在にポイントが置かれ、その正体を暴露している格好となっています。
ここで表現されるジャックの思考は、見ている人にも“心の中に同じような思いがあるのではないか”と思わせるものがあるように感じられます。それは善悪という絶対的な尺度で測られるものではない、普遍的に人間の奥底に存在するものでもあるようです。
ジャックのキャラクターにはOCD(強迫性障害)、或いはサイコパシー(精神病質)といった理由で精神的に異常をきたしている設定もありますが、それすら端的に考えれば、少なからず“他人にはあまり見せたくない”と思える、かつ誰の胸の内に存在する思考のようにも感じられます。
例えば残虐シーンは数あれど、「第一の出来事」で描かれた、道端で立ち往生していた女性の殺人シーン。“まさか殺すまでは…”と思われた方もいるかもしれませんが、誤解を恐れず言えば、観衆の中にはジャックの憤りに共感すら覚える人も、少なくないかもしれません。
ショッキングなシーンが続く中で、ジャックの思いに共感する部分を感じた時には、さらに大きなショックが見る人に覆いかぶさるでしょう。
心理を表現した画に見える、トリアー作品のセンス
また映像の見どころとしては、ジャックという人物の思考を、一方ではコラージュのように並べ抽象的に表現されたシーン、そしてもう一方では惨殺シーンという具体的な画で表現しているものがあります。
この抽象的なシーンの中には、過去のトリアー作品が引用されている部分もあります。
元々は、トリアー自身がスタンリー・キューブリックやアンドレイ・タルコフスキーの作品などの断片を集めたいと考えていたものの、映像の使用料の高さにあきらめざるを得ず、自身の作品をコラージュしたとのこと。その意味でこの作品はトリアー自身のセンス、頭で思い描いている画が、強く反映されているものであるともいえるでしょう。
その他にもカナダ人ピアニストのグレン・グールドの演奏シーンや、セント・へレンズ山の噴火、デヴィッド・ボウイの「Fame」、殺し屋のリチャード・ククリンスキーの写真といった印象的なシーンが登場します。
さらにボブ・ディランの「Subterranean Homesick Blues」のMVを思わせる、ジャックがテロップを一枚ずつめくっていくシーン、そして挿入歌にはレイ・チャールズの「Hit The Road Jack」と、様々な映像や音楽も要所に挟み込まれ、さらにイマジネーションを掻き立ててくれます。
これらは先述のジャックの思考部分を表現する表現として使用されていますが、バラエティに富んだその要素は、惨殺シーンとは対極的な印象をもたせているようにも見えます。
またそのジャックの心理の変化を、映画のタイトルにもある通り“自分自身の家を建てる”という欲求に見立てて描いているのもユニークなところであり、このような大胆な構成こそが、ラストに描かれるさらに衝撃的なエンディングに結びついていっているようにも見えます。
殺人鬼を客観視する重要な存在
そして、今年2月に逝去したガンツが演じる、この物語の中で最大の謎ともいえるヴァージという存在。この何らかの中立的、客観的なポジションをストーリーの中に設けているのも、この作品の大きな特徴であります。
ヴァージとは、イタリアの詩人・政治家であるダンテ・アリギエーリの代表作『神曲』の中で、ダンテ自身を案内するローマの詩人ウェルギリウスであるといわれています。しかし、劇中では単なる案内人というよりも、何かジャックの思考を判断し、一つのところへ導く向きも見られます。
劇中で発生する殺人劇、そこに副音声のように流れるジャックの心理。その言葉一つ一つにわずかな反応を見せながら、終始彼の話に耳を傾けているヴァージ。あらすじでは語ることのできない、驚愕のラストまでの道のりを考えると、その存在は神、または死神など、自然を超越した存在でもあるようです。
そしてその存在があるからこそ、余計にジャックという一人の男性の思考を、この作品を見ている人が客観的にも受け入れてしまうことに大きく寄与している印象も感じられます。
まとめ
一人の善良な市民を装う姿から、明らかに狂人を思わせる素行と、変化に富んだジャックの姿を見せるディロン、さらにその姿を静かに見つめるヴァージ役のガンツ。
物語ではこの二人の姿が大きくクローズアップされ描かれており、その二人の姿こそがこの作品を見る上での大きなポイントとなることでしょう。
一方で目をそむけたくなるような惨殺シーンの連続、そしてそのインパクトを上回る、一人の殺人鬼の真実。その印象は、スプラッターではないものを描くために、敢えてこのイメージを使用している、そんな印象が感じられるようでもあります。
また、冒頭のエピソードで登場するサーマン演じる傲慢な女性の姿は、まさしく物語のスタートを知らせるにふさわしく、見るものにいら立ちの感情を抱かせてきます。
それに続いてトリアー作品としては『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に続いての出演となるシオバン・ファロン、デンマークを中心に活躍する女優ソフィー・グローベル、『ランナウェイズ』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『アメリカン・ハニー』のライリー・キーオといった名優が、次々とジャックに手を掛けられる犠牲者役に。それぞれディロンと、駆け引きをするような名演で場面を盛り上げています。
人によって賛否は確実に分かれる作品ではありますが、そこには人間が人として無視出来ない摂理が描かれているようでもあり、単なる娯楽作品と片づけられない問題作といえるでしょう。
映画『ハウス・ジャック・ビルト』は2019年6月14日(金)より、新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で公開されます!