大統領暗殺の裏で画策される陰謀を描く『ダラスの熱い日』
多くの謎に満ちたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件にメスを入れ、当時のドキュメンタリー・フィルムを挿入しながら真実を探る作品『ダラスの熱い日』。
監督は『ニューマンという男』のデイヴィッド・ミラー。マーク・レーンとドナルド・フリード共著の原作を『ジョニーは戦場へ行った』のダルトン・トランボが脚本化しました。
JFK暗殺の裏を操る諜報機関の不正。保守派の政治家と強欲な資本家の共謀。平和と自由を謳う60年代の闇を描きだします。
事件からわずか10年で作られた本作は、綿密な交渉のもとに作られており、JFK暗殺をフィクションで取り扱った最初期の作品です。
映画『ダラスの熱い日』の作品情報
【公開】
1973年(アメリカ映画)
【原題】
Executive Action
【監督】
デイヴィッド・ミラー
【キャスト】
バート・ランカスター、ロバート・ライアン、ギルバート・グリーン、ウィル・ギア、ジョン・アンダーソン、エド・ローター、コルビー・チェスター、ウォルター・ブルック、ジェームズ・マッコ―ル、オスカー・オンシディ
【作品概要】
1963年10月に起きたケネディ大統領暗殺に至るまでのおよそ半年間を描いたフィクション。デイヴィッド・ミラー監督の代表作であり、事件当時の実録映像を駆使し、徹底した考証に基づいて製作されました。
JFK暗殺事件の陰謀論者マーク・レーンの著書『Rush to Judgement』をもとに、脚本を手掛けたのは『ジョニーは戦場へ行った』(1971)の監督・脚本で知られるダルトン・トランボ。赤狩りによる迫害から逃れるため、別名義で手掛けた『ローマの休日』(1953)の脚本家としても知られています。
原題の『Executive Action』は大統領による措置、行政執行を意味しています。
映画『ダラスの熱い日』のあらすじとネタバレ
1970年5月2日。合衆国前大統領リンドン・B・ジョンソンとケネディ暗殺の検証をするために設置されたウォーレン委員会との3時間にわたるテレビ対談が放送されました。
しかしその放送の中で、本人の強い要望により、一部消去された箇所がありました。消去された部分でジョンソンはオズワルド単独犯説に疑惑を述べ、ケネディ暗殺に共同謀議があった事を示唆していました。
遡ること1963年6月3日。鉛陰謀家ロバート・フォスターの豪華な家に石油産業、政治家、アメリカ諜報機関の人物が集まり、一族による権力独占をはじめとしたケネディ政権に対する不満を共有していました。
ロバートたちは、ケネディ暗殺の協力を強力な石油王ハロルド・ファーガソンを求めます。
暗殺計画のスペシャリストである共謀者のジェームズ・ファリントンは、これを「Executive Action(行政措置)」と名付けました。
彼は「ヨーロッパでは君主は反逆者に、アメリカでは君主は狂信者に殺される」と説明しました。
そしてリンカーン、ガーフィールド、マッキンリーの暗殺、および1933年のフランクリンルーズベルトの暗殺を引き合いに、これまで行われてきた「行政措置」の成功と失敗の例を参照します。
これらの計画は命知らずの狂信者によって行われたと付け加え、「措置」は車のパレード中に行うのが最適だと提案しました。
後のシーンは、リー・ハーヴェイ・オズワルドが現在の陰謀でその役割を正確に果たすため無意識のうちに受けたグルーミングプロセスを示しています。
ファリントンは狙撃手を3人1組の2班に分け組織することを提案。狙撃手は、モハーベ砂漠にて、中距離から長距離で移動するターゲットを撃つ予行練習を重ねていました。
スナイパーの1人は、時速25キロ未満で移動するターゲットに向けて発砲した場合にのみ、作戦の成功を保証できると述べました。
1963年6月10日。アメリカ大学卒業式スピーチで、ケネディ大統領はフルシチョフ、マクミランとモスクワ首脳会談の席で核実験停止協定の早期締結を討議する旨を述べました。
ニュースを見たファーガソンは、ケネディのますます自由な方向性、公民権に関する行動、核軍縮に懸念を抱きました。
決定的な瞬間は、南ベトナムの悪化する状況に関する反ケネディニュースレポートにあります。
1963年6月19日のケネディの発表(国家安全保障行動覚書263号)にて、公民権運動への支持を明らかにし、ベトナムからのアメリカ軍引き上げの考えも明かしました。
これを受けてファリントンたちは計画を実行に移す手はずを整えます。
コンピュータで算出した結果、単独犯に仕立て上げる生贄として抜擢されたのはリー・ハーヴェイ・オズワルド。海兵隊に入隊。航空技術とロシア語を学び、親共的になったのち、母親の介護の為除隊。その後ソ連で就職。
FBIかCIAの二重スパイの疑いもある彼を犯人に仕立てるのに、フォスターは懐疑的でした。ファリントンは信頼にたる人物ではないが利用するだけだとしてオズワルドを実行犯に仕立て上げる準備を進めました。
会合の後、フォスターとファリントンは、ケネディ政権下の国の将来についての彼らの暗くて妄想的な恐れと、世界中の支配階級の白人の安全(彼らの言うところの“国益”)について話し合っていました。
彼ら2人は、民間人であるファーガソンの知らない、CIAに知られている計画に精通しているようです。フォスターは2000年の世界人口は70億人にのぼると予測しており、そのほとんどは非白人であると考えられます。
彼は、ベトナムでの勝利は発展途上国を支配し、人口を5億5000万人に減らす機会になると見ていました。さらに彼は「同じ方法が我々の望まないグループ(アジア人、黒人、ラテン系アメリカ人、貧しい白人など)にも適用できる」と付け加えました。
1963年8月28日。後に言うワシントン大行進の日。リンカーンの奴隷解放宣言からちょうど百年目にあたるこの年に、キング牧師は人種差別撤廃を訴えるため、ワシントンに黒人を集め、有名な「私には夢がある」の演説を行いました。
ファーガソンは演説の様子を伝えるニュース映像を不安げに見ていました。
1963年8月29日。核実験停止協定を支持するケネディに対し、“水爆の父”として知られる理論物理学者エドワード・テラーは「協定は平和ではなく戦争への一歩に繋がる」と述べました。
フォスターはファリントンに、現在のオズワルドの様子について尋ねます。オズワルドは動機を裏付けるアリバイ工作のために架空のキューバ支援委員会で活動していました。
1963年9月25日。ケネディ大統領を乗せた車がワイオミング州はララミーを凱旋していました。実行犯たちは周囲の建物からその様子を撮影。命中できる範囲を特定していました。
フォスター、ファリントンらはパレード当日のルートを確認。人の多い通りを狙い、狙撃ポイントをエルム、ヒューストンの角に位置するとテキサス教科書倉庫とレコード・ビルに設置します。
その頃、にせのオズワルドは事件発生の際にオズワルドの足どりを周囲に認知させるため、中古車ディーラーや射撃場でわざとトラブルを起こし、「オズワルド」の名を覚えさせていました。
ニュースでは同年6月にサイゴンで起こったティック・クアン・ドック焼身自殺を取り上げ、ベトナム戦争に対するケネディの意向を報道していました。
1965年末までに米軍をベトナムから完全撤退するとのニュースを見たファーガソンは、無勝利政策によるベトナム共産化を心配し、フォスターに作戦実行の意思を伝えました。
ファリントンたちはオズワルドが射撃大会で優勝したコラージュ画像を作成し、後の新聞で取り上げられるネタを用意していました。
1963年11月12日。ステモンズフリーウェイを見渡せる周辺ビルの下見を行う実働班。
オズワルドの働くテキサス教科書倉庫を訪れ、窓から見える通りの様子を確認。もう1班は芝生の丘グラシー・ノールの頂にある木製杭のフェンスから射程圏内の通りを確認していました。
1963年11月22日。ダラスでは新聞広告の指名手配欄にケネディの写真とともに「反逆罪で手配中」とあり地元での不人気を窺わせるものがありました。
実働班は朝、銃をコートに仕舞い込み、ホテルを後にしました。テキサス教科書倉庫にひとり、ダラス郡レコード・ビルにひとり銃を抱えて入っていきます。
その頃ケネディ大統領と夫人を乗せた車が大勢の見物客に見送られながら、空港を後にしました。
グラシー・ノールの木製杭フェンス横へ車を停め、ライフルをコートに隠した男が木陰に身を潜めます。
テキサス教科書倉庫、レコード・ビルでも同様にライフルの準備をしていました。
映画『ダラスの熱い日』の感想と評価
時代に抗う支配者階級の抵抗
本作は1963年6月から事件当日11月に渡ってアメリカ内外で起こった実際の事件と並行する形で、闇の政府の暗躍を淡々と描いています。
映画としては非常にユニークな作りになっており、端的に言えば再現ドラマのような作風であると言えます。
通常サスペンスや陰謀を取り扱った映画とは、謎を追う調査員、つまり一般人側の視点から語られることが多いです。
同じ題材を扱った大作映画『JFK』(1991)にてケビン・コスナーが演じた主人公ジム・ギャリソンも、独自に調査を行った地方検事でした。
陰謀を暴く映画が一般人の視点を介するのは、支配者階級が自分たちの都合に合わせて、社会や世論をコントロールしてるのではないかという不安に基づくものだからでしょう。
しかし本作は興味深いことに、支配者階級の側にも反転した恐怖、つまり自分たちがコントロールを越えた人民の力、見えざる時代の流れに従わされ、情勢はより混乱を極めるのではないかという不安を抱えていることを指し示しています。
本作冒頭から保守派政治家、石油産業資産家などの口からケネディ政権に対する不満が語られ、政府内部の犯行を裏付ける十分な動機が描かれていました。
それは公民権運動などの人種差別撤廃により”白人の国アメリカ”を失う不安。ベトナム戦争からのアメリカ撤退によるアジア諸国の容共化、ソ連との核戦争を目前にした非核化運動といった既存のアメリカ、競争に勝ち続けてきた自分たちのアメリカを失う恐怖でした。
ケネディ暗殺の黒幕にはFBIやCIA、政府関係者の影があったという説を裏打ちするのに十分な論拠になるでしょう。
エンターテインメントとしての陰謀論
70年代アメリカ映画界では、陰謀論を取り扱った映画が一種のブームとなっていました。
『パララックスビュー』(1974)『コールガール』(1971)『カプリコン・1』(1977)など史実、フィクション問わず陰謀が取り上げられたのは、1972年に起こったウォーターゲート事件の影響が考えられます。
現実の政府が盗聴、侵入、司法妨害、証拠隠滅を行っていたことが明るみに出たことで、陰謀論に対する信ぴょう性がアメリカ国内で高まってしまったこと、外敵を前にした国家としての団結に信頼が無くなってしまったこと。それがフィクション性の高い映画という娯楽が提示した”分かり易い真実”が受容される結果につながったのでしょう。
JFK暗殺やアポロ月面着陸捏造説は都市伝説のジャンルにおいて今でも人気が高く、『ウォッチメン』(2009)などの架空歴史モノにおいても20世紀を象徴するような壮大な陰謀として取り上げられています。
これらは現実に起こった事件の中でも不明瞭な点が多く、フィクションのジャンルにおいて「実は~が関わっていた」というファンタジーと絡めやすいからで、現実事件の不明瞭さがかえってフィクションのリアリティを補強する機能を担っています。
まとめ
何度も強調するようですが、本作はフィクションです。実在の人物と映像を使用した高度な絵空事です。
ラストに映し出される18人の顔写真と氏名、そして死因。最初に映し出された死因に”カラテチョップ”とわざとらしく書かれているのは、壮大に展開していった陰謀論から観客の目を覚ますために機能しているのでしょう。
しかしながら事件当時をリアルタイムで知らない人々にとっては、本作がフィクションながら事件の概要を知る入門としてとっつき易く、尺も90分と観やすい作品かと思われます。
犯行を計画した首謀者側の視点から、JFK暗殺に至る流れと顛末を知ったうえで、事件を調査する側を描いた超大作『JFK』を鑑賞することで、実際の事件の不可解さと両作品の映画的脚色に対する理解を深められます。