映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(4K完全無修正版)』は、2021年5月29日(土)にリバイバル公開。
セルジュ・ゲーンズブール没後30年を記念して公開された『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(4K完全無修正版)』を紹介します。
1969年に発表され物議を醸したゲーンズブールの楽曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』。
性行為を連想させるこの曲をモチーフに1975年に作られた本作は、当時日本で公開されるまで8年を有し、性描写のシーンは修正され英語版で公開されました。
映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』の作品情報
【公開】
1983年(フランス映画)
【監督・脚本・音楽】
セルジュ・ゲーンズブール
【キャスト】
ジェーン・バーキン、ジョー・ダレッサンドロ、ユーグ・ケステル、ルネ・コルデホフ、ジェラール・ドパルデュー、ミシェル・ブラン、ジミー・デイビスほか
【作品概要】
セルジュ・ゲーンズブールとジェーン・バーキンのデュエット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」
「愛してる。あなたは?」と問うその歌詞の世界観を映画化した本作。濃厚で官能的な愛の物語かと思いきや、寂ばくとした風景の中でゲイのカップルと中性的なカフェの女性店員がたどる刹那的なラブストーリーが展開されます。
当時、すでに名実ともにスター女優だったジェーン・バーキンが髪を短くカットし、場末のカフェやゴミ捨て場で愛を求めるその姿に多くの人が衝撃を受けたそうです。
映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のあらすじとネタバレ
イタリア人のパドヴェンとポーランド人のクラスター(通称クラス)はゲイのカップル。黄色いトラックの荷台にゴミを載せ、山の中にあるゴミ捨て場に運ぶ仕事をしています。
戻る途中、車が故障して立ち往生していた若い男たちを載せたふたりでしたが、たまたま見かけた白馬にまたがる男をひとりが「オカマ」とからかったことに腹を立てトラックから下ろしてしまいます。
古びたカフェに立ち寄ったふたり。トラックの荷台にしがみついていた男にパドヴェンが悪態をついて追い払います。
カフェの中には少年かと見まごうような短髪の女とブタのようにブサイクな犬が一匹いました。肉感的とは言いがたい彼女は、ジョニーという男のような名前で、高圧的な店主ボリスにこき使われていました。
グラスを割ってしまったジョニーはボリスに罵声を浴びせられながらも、土曜日に行われるダンスパーティにクラスを誘うのでした。
翌日、クラスは拾ったブタのぬいぐるみをジョニーに渡します。トラックに載せてもらい買物にやってきたジョニーは、そこでクラスに鼻メガネを買ってもらい大喜びです。それを見ていたパドヴェンはプイッと通りかかったバスに乗って帰ってしまいました。
店に戻ったジョニーはボリスに「オカマとつき合うな」と殴られます。彼らがゲイカップルだと見抜けなかったジョニーを、ボリスは罵倒します。
一方クラスは、すねてしまったパドヴェンに「小娘がお好みか?」と文句を言われていました。
ダンスパーティの日。ガレージ内につくられた会場には多くの男女が集まっていました。ボリスの発声でなぜか突然素人女性によるストリップが始まり、男たちは固唾をのんでその様子を見つめています。
お世辞にも美しいとはいえない女たちが次々に服を脱ぎ、その服をもって舞台袖にさがっていきます。目を見開く男、股間に手を伸ばす男…反応はさまざま。
そんな中、ジョニーとクラスは体をぴったりとつけてダンスを踊り始めます。次第にふたりはキスを交わすようになり、その姿をあとからやってきたパドヴェンが見てしまいます。
するとそのとき、以前トラックから下ろされた男たちがパドヴェンを外に連れ出し暴行を加えます。殴られ、蹴られ、倒れ込んだパドヴェンの顔を最後に蹴ったのはあのカフェで追い払われた男でした。
「クラス!」
パドヴェンの叫び声を聞いてゆっくりとクラスが現れます。ひとりの男がナイフを取り出しますが、全く動じないクラスの迫力に気おされ男たちは去っていきます。
クラスはパドヴェンを助け起こすと手当てするため帰ってしまいます。クラスとの逢瀬を期待していたジョニーは離れていくトラックに向かって「くたばっちまえ!」と叫びました。
そしてその夜、ジョニーはカフェの奥にある自室でぬいぐるみを抱えながら自分で自分をなぐさめるのでした。
映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 』の感想と評価
「ボリス・ヴィアンに捧げる」とクレジットされた本作。監督・脚本・音楽を担当したセルジュ・ゲーンズブールは、小説家でありながらプロ並みなジャズトランペット奏者として活躍するヴィアンのライブに感銘を受け、作曲活動を始めたと言われています。
そして楽曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が作られたのですが、もともとこれは当時不倫関係にあったブリジット・バルドーのために書かれた曲でした。バルドーが夫の怒りを恐れてこの曲のリリースを拒んだことからふたりは破局。
その後、イギリスからフランスに拠点を移したジェーン・バーキンと知り合ったゲーンズブールは彼女と事実婚の関係になり、件の曲をリリースします。
ヨーロッパ中で放送禁止になったり、ローマ法王に非難されたり、と物議を醸したその楽曲をモチーフに今度は映画をつくったゲーンズブール。
官能的な愛の作品になるかと思いきや、どこの場所が舞台かもわからない寓話的なディストピア映画でした。よその土地からやってきたゲイの男たちや、苛酷な状況で働くしかない若者など、殺伐とした場所で暮らすマイノリティが愛を求める様が描かれています。
いまでこそLGBTQ映画はあたりまえのようにたくさん作られていますが、当時はまだ一般的ではなかったでしょう。ゲイの描写、ストリップ、暴力などさまざまな理由でこの作品は制限されたようです。
この映画は徹底的に美しいものを排除し、古くて汚いもの、醜いものを取り上げています。
ゴミ、ゴミ捨て場、ハエ、カラス、茶色い海、横行する暴力、醜悪なストリップ、管理者である“警察”を恐れる人々等々。
そしてどこかにゴミを排出する豊かな“都会”があり、その外側でこの物語は進んでいきます。どんな世界観なのかは全くわからないし、それを語る必要もない。見えている世界の中で登場人物たちは愛を求め、私たちはそれを見守るだけなのです。
あのダンスパーティでのストリップのシーン。なぜそれが行われるのか不明ですが、このコミュニティでは店主のボリスが支配者で、女たちは望む望まないに関わらずそれをしなければならないのです。
男たちもその様子を見るという権利を与えられているだけで、やはりボリスに管理されているという感が否めません。
そんな中、白馬に乗ったオカマ(ジェラール・ドパルデュー!)だけがちょっと枠をはみ出した存在のように見えます。
皆が車(文明)で行動しているのに彼だけは馬。その行動は無邪気な愚者のようでもあり、達観した賢者のようでもある。この映画でただひとり自由に生きています。
報われない愛にすがるより、孤高の存在として生きている彼の方が幸せだとゲーンズブールは言いたかったのでしょうか。
まとめ
時代を先取りしたゲーンズブール作品。ヌーベル・ヴァーグを代表する映画監督フランソワ・トリュフォーが絶賛した本作は、間違いなくジェーン・バーキンありきの映画です。
「はきだめに鶴」とはまさに彼女のこと。ファッションアイコンであり女性たちのカリスマ的存在だったジェーンの髪を切り、タンクトップにジーンズだけでその美しさを際立たせてしまう。ゲーンズブールの愛の力に脱帽です。
アンディ・ウォーホルに見いだされたというクラス役のジョー・ダレッサンドロも憂いをおびた表情がセクシーで素敵ですが、やはりジェーン・バーキンの輝きの前には他のすべてがかすんでしまいます。
今回の公開に際しバーキン自身が「劇場でお会いしましょう」とコメントを出しています。ぜひ彼女の美しさを劇場で堪能してください。