映画『ディナー・イン・アメリカ』は、2021年9月24日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国順次公開!
過保護な家庭に育った孤独な少女と、パンクバンドの覆面ボーカリストとして活躍する破天荒な男とのラブストーリーを描いた、映画『ディナー・イン・アメリカ』が、アメリカに先駆け日本で公開されます。
本作はラブストーリーでありながら、監督自身が「90年代のパンクシーンに捧げるラブレター」と語る、非常に反骨精神に溢れた作品となっています。
パティとサイモンの恋愛を軸に、偏見に満ちた「世間」や「常識」に疑問を投げかける本作。
タイトルの『ディナー・イン・アメリカ』には、どんな意味が込められているのでしょうか?
世界中の映画祭で高い評価を得た本作の、純粋で熱いメッセージ性を持った魅力をご紹介します。
映画『ディナー・イン・アメリカ』の作品情報
【日本公開】
2021年公開(アメリカ映画)
【原題】
Dinner in America
【監督・脚本】
アダム・レーマイヤー
【製作】
ベン・スティラー、ニコラス・ワインストック、ロス・プットマン、デビッド・ハンター、ジョン・コバート、サム・スレイター
【キャスト】
エミリー・スケッグズ、カイル・ガルナー、グリフィン・グラック、パット・ヒーリー、メアリー・リン・ライスカブ、ハンナ・マークス、リー・トンプソン、デビッド・ヨウ、ニック・チンランド
【作品概要】
パンクロック好きの孤独な少女パティと、パンクバンド「サイオプス」で、覆面ボーカリストとして活躍するサイモン。
本来なら出会うはずのない2人が、社会の偏見との戦いの中で、お互いが惹かれ合うようになるラブストーリー。
内気な少女パティを、ミュージカル『ファン・ホーム』で高い評価を受け、本作が長編映画での初主演作となるエミリー・スケッグスが演じます。
破天荒なパンクロックのボーカリストであるサイモンを『エルム街の悪夢』(2010)『アメリカン・スナイパー』(2014)に出演している、カイル・ガルナーが演じる他、日本でも大ヒットしたテレビシーズ「24」のクロエ役で知られる、メアリー・リン・ライスカブが過保護な母親役で出演しています。
また、『ズーランダー』(2001)『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(2008)などの作品で知られる、俳優ベン・スティラーが、本作のプロデューサーを務めています。
映画『ディナー・イン・アメリカ』のあらすじ
過保護な家庭で育った少女パティ。
パティは臆病な性格から、自己主張ができず、周囲から馬鹿にされています。
そんなパティが、唯一自分を解放できるのは、パンクバンド「サイオプス」の音楽を聴きながら、自分の部屋で踊り狂っている時だけでした。
「サイオプス」のリーダーでボーカルであるジョンQは、覆面を被り音楽活動をする謎の存在です。
パティはジョンQを「心の恋人」と呼んでおり、何通もラブレターを送っています。
ある日、パティがバイト先のペットショップで休憩をしていると、警察に追われている不審な男、サイモンと出会います。
パティはサイモンと短大時代に面識があった為、警察に嘘をついてサイモンを助けます。
さらにサイモンに「1週間、隠れることができる場所を探している」伝えられたパティは、自宅でサイモンを匿うことにします。
警察に追われているサイモンは、実は「サイオプス」のリーダーである、ジョンQでした。
「サイオプス」は今後の方向性をめぐり、メンバー同士が対立しており、とにかく活動資金が必要な状況です。
パティが「サイオプス」のファンであることを知ったサイモンは、素性を隠しながら、活動資金を手に入れる為に街に出ますが、そこから騒動が巻き起こります。
本来なら出会うことのなかったパティとサイモン。
2人は、あることがキッカケで、お互いに惹かれ合うようになりますが……。
映画『ディナー・イン・アメリカ』感想と評価
パンクロックを愛する孤独な少女パティが、パンクロックのボーカリストであるサイモンと出会ったことで、お互いが惹かれ合い、成長していく姿を描いたラブストーリー『ディナー・イン・アメリカ』。
偶然匿ったサイモンは、実はパティが「心の恋人」と憧れを抱く覆面ボーカリスト、ジョンQだったという部分だけを聞けば、非常に素敵なラブストーリーのように感じるかもしれません。
ですが、本作は「世間」や「常識」という概念に、それこそ中指を立てるような、非常に攻撃的なラブストーリーです。
本作の冒頭は、薬の治験のバイトをしているサイモンが、施設で食事をする場面から始まります。
サイモンは薬の副作用で、遠い目をしたまま、よだれを垂らしているのですが、この場面だけで、本作がラブストーリーとして異色であることが分かります。
その後サイモンは、初対面の女性の家で家族と食事をし、その家の母親に手を出し、放火をして逃げ出すという、めちゃくちゃな行動を取ります。
この時点で「サイモンが何者なのか?」は、観客に全く説明が無いので、この一連のサイモンの行動に、共感する人は少ないでしょう。
間違いなく、サイモンは世間でいう「厄介者」なのです。
逆にパティは、気弱な性格が災いし、周囲の人達に馬鹿にされている少女です。
『ディナー・イン・アメリカ』の舞台は、アメリカの田舎町なのですが、パティは性欲が異常に溜まっている男子学生にちょっかいを出されたり、バイト先のペットショップの店長に「最低基本給が上がった」という理由だけで、一方的に解雇されるなど、閉鎖的な地域だからこその、かなり酷い扱いを受けています。
パティは、ここまで馬鹿にされて、何故反撃をしないのでしょうか?
パティが弱気で臆病になった理由、それは異常なほど過保護な、パティの両親にあります。
父親はアルコールと煙草のアレルギーで、劇中でサイモンに「よく生きていけるな」と言われる人物です。
母親はパティのことを異常に心配しており、親がいない時は台所の火をパティに使わせなかったり、音楽ライブに行きたがるパティに「照明が及ぼす体への害」を心配し許可しないなど、とにかく、度が過ぎて過保護なのです。
パティは抵抗や反抗することすら諦めているように見える、世間でいう「負け犬」です。
「厄介者」のサイモンと「負け犬」のパティ。
この2人が出会い惹かれ合うラブストーリなのですから、普通な訳がありません。
真逆に見える2人を結びつけるのは、パンクロックです。
パティは、普段のストレスを発散するように、お気に入りのパンクバンド「サイオプス」を聞いて踊り狂うのが日課になっています。
パティは「サイオプス」の覆面ボーカリスト、ジョンQへラブレターを何通も送っています。
その、パティの憧れの存在であるジョンQの正体は、実はサイモンでした。
サイモンはパティに正体を隠し「サイオプス」の活動を続けますが、今後の方向性によりメンバーとの確執が生まれています。
世間を口汚く罵るサイモンは、世の中への怒りが蓄積しており、結果的に誰も信じる相手がいない、孤独な人間なのです。
孤独同士であるパティとサイモンは惹かれ合い、やがて世の中への反撃を開始します。
嘘と建て前が満ち溢れている世の中への、パティとサイモンの反逆はどこに向かうのでしょうか?
そして、警察に追われる「厄介者」サイモンの運命は?
パティはサイモンと触れ合うことで「負け犬」から脱却できるのでしょうか?
2人の運命を、本作に込められた、熱く純粋なメッセージと共に見届けて下さい。
まとめ
世間体や常識への、パティとサイモンの反逆を描いたラブストーリー『ディナー・イン・アメリカ』。
本作で印象的なのは、家庭での食事シーンが多く登場することで、計4回あります。
そして、この食事シーンでの会話が、毎回嘘や世間体、偏見に溢れており、とうてい家族同士が心からの会話を楽しんでいるようには見えません。
特に、パティとサイモンが、サイモンの家族と食事をする場面。
家族からも厄介者扱いされているサイモンは、何度も口汚い言葉を使い、その度に家族から「子供の前だぞ」と注意されます。
ですが、サイモンの家族はパティに対して「優しそうだけど馬鹿そう」「薬漬けで頭がおかしくなったのね、可哀そうに」というように、偏見に満ちた暴言を浴びせており、そっちの方が、よっぽど子供の教育に悪いだろうという会話を繰り広げます。
これこそ、世の中に満ち溢れている矛盾であり、自称「常識人」「善良な一般市民」が無自覚に持っている悪意です。
本作の家庭での食事シーンは、非常に不快になるのですが、それは意図的な演出です。
サイモンがクライマックスで歌う曲「ディナー・イン・アメリカ」に、そんな矛盾と偏見に満ちた、世の中への怒りが込められているので、歌詞にも注目してください。
本作は、理屈ではなく、感覚で楽しむ作品です。
嘘と世間体に溢れている世界で、純粋な愛を貫くパティとサイモンの姿は、真の幸せを考えるキッカケを与えてくれるかもしれません。
『ディナー・イン・アメリカ』は、はぐれモノ同志の恋愛や、独特の食事シーンという点で、1998に公開され、今も根強いファンを持つ映画『バッファロー’66』に近い印象を受けました。
パティとサイモンは、世間からすると「はぐれモノ」ですが、共感する人も多いはずです。
『ディナー・イン・アメリカ』も、今後根強いファンを持つ作品となるかもしれませんね。
映画『ディナー・イン・アメリカ』は、2021年9月24日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国順次公開!