映画『許された子どもたち』は2020年6月1日(月)より渋谷・ユーロスペース、テアトル梅田他にて全国順次ロードショー!
『先生を流産させる会』(2011)『ミスミソウ』(2017)などで知られる内藤瑛亮監督が、複数の少年事件をモチーフに、構想に8年の歳月をかけて映画『許された子どもたち』を完成させました。
同級生を殺してしまったにも関わらず罪に問われなかった少年はその後、どの様に生きていくのか。加害者家族、被害者家族、同級生など、少年の周囲の人々も多角的に捉えながら、SNSによる暴力にも踏み込んだ衝撃の作品です。
本作の公開を記念して内藤瑛亮監督にインタビューを敢行。『許された子どもたち』を制作するにいたった経緯や、作品に込められた思いなど、たっぷりとお話を伺いました。
CONTENTS
実際の少年事件で感じた疑問
──山形マット死事件、大津市中2いじめ自殺事件など、いじめによる子供の死亡事件に着想を得たということですが、それを撮りたいと内藤監督を突き動かしたものは何だったのでしょうか。
内藤瑛亮監督(以下、内藤): 根幹にあるのは1993年に起きた山形マット死事件です。事件当時の僕は小学校四年生で「自分と近い年齢の子どもが起こした事件」としてとてもショックを受けたのですが、一番ひっかかったのが、最初は自供していた彼らが否認に転じて、家庭裁判所で無罪に相当する不処分という決定が下されたことでした。
そのニュースを見て「これで罪が許されてしまうというのはおかしいのでは」と子どもながらに疑問を感じました。その後、高等裁判所では加害少年たちが被害者の死に関わったことが認定され、損害賠償の訴訟にも被害者家族が勝訴したのですが、賠償金は支払われませんでした。「罪を犯した子どもが法的に許されてしまったら、その後どう生きていくのか」とずっと引っかかっていました。
「フィクションという形であれば疑問を展開していくことができるのでは」というところからスタートして、脚本を作るにあたって子どものいじめによる事件をいろいろと調べ、気になるポイントを取り入れていきました。
──本作を「自主映画」として制作するに至った経緯を教えていただけますか。
内藤:『先生を流産させる会』(2011)が公開されてから少しずつ映画関係者から声をかけてもらえるようになってきたこともあり、『許された子どもたち』の企画も後々実現するだろうという期待しながら進めていました。ですが、なかなか企画は通らず、興味を持ってくださった場合でも「もっとエンターティンメント要素を増やしたらどうか」「20歳を過ぎたアイドルや若手俳優を主演にすれば行けるかもしれない」と言われました。ただそれは、自分の望む形ではありませんでした。
やがて2015年に川崎市中1男子生徒殺害事件が起きて、この事件の根にあるものが『許された子どもたち』のテーマにつながると感じました。現代的な問題が顕在化した事件でもあり「今こそ撮りたい」「観客にこの作品を観てもらいたい」という想いが高まり、自主制作の形で映画を制作することにしました。
実年齢に近い子どもたちをキャスティング
──実年齢に近い子どもたちが演じたことで、20歳を過ぎた俳優では出せない生々しい感触が伝わってきました。彼らとはどのように対峙して撮影を進められたのでしょうか。
内藤:実年齢の子が持つ肉体の生々しさや説得力が必要でしたし、作品のテーマに従って配役は慎重に選ばないといけないと判断し、ワークショップという形でじっくりと作っていくことを選びました。
「いじめを題材にした映画に出演を希望してくださる方々のためのワークショップ」というふれ込みだったので、いじめ問題に意識のある子たちが集まってくれました。またワークショップを行った理由には、大人の視点だけでなく、子供の視点からはいじめという問題がどのように映っているのかを尋ねたいという想いもありました。理解を深めていく中で、子どもたちから出たアイデアや意見を脚本に反映していった箇所も多々あります。
例えば、加害少年が被害者家族の前で土下座しようとしたら、被害者の妹が彼を立たせるシーンがあるのですが、妹を演じた野呈安見さんはワークショップの中でいじめの被害者と加害者が対峙するという即興演劇をした際に、土下座した子を立たせたんですね。紹介した少年事件の事例の中で「加害少年が土下座をしたときに被害者家族はその少年が自分に酔っていると感じ許しがたかった」という言葉が記述されており、彼女はそれを読み自分なりに考えてそうしたのです。それをそのまま採用させてもらいました。
──主演を務めた上村侑さんにはどのような印象を持たれましたか。
内藤:彼はたくましく見えるんですが、少し前までは小柄で、中学に入ってから急に背が伸びたらしいんです。彼自身、その急激な変化に少々戸惑いを覚えたこともあったそうです。強そうに見える見た目と繊細でナイーブな両面を持ち合わせているところが絆星にあっていると思い、本作にキャスティングしました。
演技経験は決して多くないので、現場で悩んでいることも多かったです。そんな時は、答えを出すというよりはこちらから考える道筋を示すように心がけました。その中で彼なりに答えを探しながら演じてくれました。ただ、いじめの加害者役で、周りから常に糾弾される立場だったので精神的にはしんどかったと思います。カウンセラーの方にリハーサルから入ってもらうなどして、ケアしながら演じてもらいました。
「中学生」という記憶に立ち返る
──『先生を流産させる会』も『ミスミソウ』も中学生を描いた作品でした。内藤監督にとって中学生とはどのような存在なのでしょうか。或いは内藤監督が中学生だった頃の記憶、当時の風景や雰囲気が投影されている部分はあるのでしょうか。
内藤:僕が中学生だった時は、結構暗い生活を送っていて、友達も少なかったんです。また中学二年生の時には酒鬼薔薇聖斗の神戸児童連続殺傷事件が起こり、同学年ということもあって、ある種の恐ろしい妄想だったものが現実と化してしまったような恐怖を感じました。だからこそ中学生という年齢を映画で描く際には、鬱屈とした思春期と向き合うといいますか、そこへ戻ってきてしまうという面がありますね。
ちなみに僕は愛知県の田舎出身なので、その風景が原風景として記憶に残っています。広がる田園の中を、東名高速道路が通っている。だだっ広い平面と奥行き、巨大な建築物があるというのが画的にもはまっているなと思い、『先生を流産させる会』や本作にもその風景を描いています。
ぶつかってくれる大人の不在
──『先生を流産させる会』では、サワコ先生は女子生徒たちと最後まで向き合おうと努めます。そこにある種の救いを感じたのですが、本作では少年たちに本気でぶつかってくれる大人はひとりも登場しません。
内藤:『先生を流産させる会』はサワコ先生に僕の理想や希望を込めた面がありました。ですが作品を観た方の中には「あんな風には出来ない」「幻想を抱き過ぎじゃないか」という意見もありました。『許された子どもたち』ではむしろ幻想を剥いでいき、ひどいありさまである現実を突きつけていく方向で作品を描くことにしました。
その根底には、やはり山形マット死事件があります。関わった大人たちは自供していた子どもたちに「私たちが守るから」と言って否認させているんです。子どもを守ろうとした行為なのかもしれませんが、「守る」という行為が「罪を償う」という行為に結びつくことはなく、結果として真実を覆い隠すことに進んでしまった。そういう問題が現実としてあることを受け止めて、作品の制作を進めていきました。
白か黒か判別しにくい「グレー」を描く
──被害者家族、加害者家族など、それぞれの立場が描かれていく中、SNSによるひどい暴力も描写されています。
内藤:ああいう集団心理自体は昔からありましたが、SNSによってより顕在化し、見えやすくなりました。そもそもSNS上での発信においては、白黒はっきりつける極論が好まれるんですね。ですが、どんな問題でも冷静につきつめれば白と黒と判定できないグレーな面が出てきます。ただグレーな状態は心をもやもやさせるものですし、白黒つけた極論の方が気持ちがいいし、何も考えずに済む。だからこそ極論に甘えてしまうという人間の心理があると思うんです。
一方で映画というものは白と黒の間のグレーなものだと思っていて、一見真っ黒に見える主人公の絆星にしても、かつてはいじめの被害者だったという背景があります。彼なりの罪悪感や贖罪の意識も少なからず持ってはいるんです。そうしたグレーなものを描きたいと思いました。
──「グレー」といえば、絆星という少年は彼の母親にとって「とてもいい息子」ですよね。映画の冒頭、絆星が傷ついた姿で母親に抱きしめられながら、指をしゃぶっている姿は印象的でした。
内藤:指をくわえる姿がそのままアイスをくわえる姿に繋がり、次に煙草を吸う姿にという具合に、この少年は成長していないんです。
今現在、反抗期がなかったり、友達のように親子が仲がよかったりするという親子関係がある一方で、「家族さえよければいいんだ」という共依存に陥って自閉化してしまう親子関係がかなり多く生じていると思います。僕は以前、特別支援学校で教員として勤めていた経験があるのですが、子どもが問題行動を起こした際に自分の子どもが加害者であることを受け止められない保護者もいらっしゃいます。自分の子どもが被害者である場合は比較的受け入れやすいのですが、加害者の場合はなかなか受け入れがたいものがある。
もう一つの問題として、日本における教育や躾は「母親がするもの」という意識が未だに根強く、本作でも途中で父親がいなくなってしまうように、父親の方が問題を直視できないケースが多い。それゆえに母親がより追い詰められていく背景があるのではないかと考え、黒岩よしさんが演じる母親像を作っていきました。
映画館で映画を観るということ
──構想に8年をかけた作品がコロナ禍により一度延期となりつつも、ついに劇場での公開を迎えることとなりました。今のお気持ちを改めてお聞かせください。
内藤:僕自身、「こんなに映画館に行かないのはいつ以来だろう?」という状況の中で、動画配信やソフトで映画を観続けてはいましたが、映画館で観るのとは決定的に違うとやはり感じています。「この作品も配信で公開するのはどうですか?」というお話もあったのですが、全ての映画がそうであるように、本作は映画館でこそ効果的な映像と音を追求して作っているんです。
スクリーンで観るから気付くささやかな目の動きや、映画館でしか聞こえない低音、現場でも仕上げでもそうしたものを意識して映画をつくっています。そのため、映画館の上映を諦めてしまうと作品の全てを伝えることが出来なくなってしまう。そういうこともあり、この作品は映画館で目撃していただけると嬉しいです。
中学生時代に友達がいなかった時、ひとりで映画館に行ってすごく好きな作品に出会った際に「映画館という空間で、他にもこの作品が好きな人がいるんだ」と考えると、不思議と孤独感がなくなっていった経験があります。映画館で作品に出会うことが人を救っていくことになるんじゃないかなとも思っています。
インタビュー/西川ちょり
内藤瑛亮監督プロフィール
1982年生まれ。愛知県出身。映画美学校フィクションコース11期修了。
特別支援学校(旧養護学校)に教員として勤務しながら、自主映画を制作。短篇『牛乳王子』(2008)が国内外の映画祭に招待され好評を博す。初長編『先生を流産させる会』(2011)はインパクトのあるタイトルと内容から論争を巻き起こした。
教員を退職後は、『ライチ☆光クラブ』(2016)、『ミスミソウ』(2018)など罪を犯した少年少女をテーマにした作品を多く手掛ける。2020年、約8年振りとなる自主映画『許された子どもたち』を制作。
映画『許された子どもたち』の作品情報
【日本公開】
2020年(日本映画)
【監督】
内藤瑛亮
【キャスト】
上村侑、黒岩よし、名倉雪乃、阿部匠晟、池田朱那、大嶋康太、清水凌、住川龍珠、津田茜、西川ゆず、野呈安見、春名柊夜、美輪ひまり、茂木拓也、矢口凜華、山崎汐南、門田麻衣子、三原哲郎、相馬絵美、地曵豪
【作品概要】
『先生を流産させる会』(2011)、『ライチ☆光クラブ』(2015)『ミスミソウ』(2017)の内藤瑛亮監督が、構想に8年をかけ、自主映画制作として世に放つ待望の新作。実際の少年事件に着想を得たオリジナル作品。
映画『許された子どもたち』のあらすじ
ある地方都市。中学一年生の市川絆星(キラ)は、仲間と共に同級生の倉持樹を日常的にいじめていました。ある日、樹を河原に呼び出した絆星は、樹に持って越させた手作りのボーガンで樹を撃ち、殺してしまいます。
警察に犯行を自供した絆星でしたが、母親と弁護士に説得され否認に転じ、少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定。世間では激しいバッシングが巻き起こり、ネット上で名前や住所が公開され、絆星の家にはマスコミや野次馬が殺到します。
樹の家族は民事訴訟裁判を起こし、絆星の母親は抗議活動を行いますが、かえって火に油を注ぐこととなり、一家は引っ越しを余儀なくされました。
転校先でも素性が明らかになり、絆星は授業中にクラスメイトから吊し上げられます。クラスでいじめれていた一人の女子生徒だけは絆星を慕い、ふたりは心を通わせますが……。