リアル・アクション映画『TRAVERSE トラバース』2019年12月21日(土)より大阪・シアターセブン、12月27日(金)より京都みなみ会館で公開!
愛知県豊橋市を拠点に活動する空手道豊空会創始者・田部井淳が主演した映画『TRAVERSE-トラバース』は、長年日本では作られてこなかった本格的武道空手アクション映画。
愛知県豊川市の劇場では、公開第二週目の週末に、同時公開されていた他の作品を抑えて、観客動員で堂々の第1位を記録しました。
そんな映画『TRAVERSE トラバース』は、2019年12月21日(土)より大阪・シアターセブン、12月27日(金)より京都みなみ会館での公開が始まります。
本作の演出を務めた岡田有甲監督は、20代始めに松竹大船撮影所契約助監督になり、以来映画一筋のベテラン監督。現在は大阪・羽曳野市を拠点として活動されています。
地元での上映を前に、これまでの映画人生や映画『TRAVERSE トラバース』についてたっぷりお話を伺いました。
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巨匠の下で学んだ助監督時代
──監督は映画界で長いキャリアをお持ちですが、映画の道に進もうと思われたきっかけはなんだったのでしょうか。
岡田有甲監督(以下、岡田):ちょうど二十歳の時に、たまたま聴いた深夜ラジオで今村昌平監督が横浜で横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学。黎明期の“今村学校”であり、後に「日本映画学校」へ改称)を開校されるというのを知りまして、なぜだかこれしかないと思ったんです。両親には大反対されました。父は最終的には頑張ってこいよと声をかけてくれたのですが母は最後まで反対でした。まっとうな仕事についてほしかったようです。
ATG映画『新・人間失格』(1978)に助監督として参加したのが一番最初の現場です。23歳ぐらいの時です。そこで松竹に来ないかと誘われて、大船撮影所の契約助監督になりました。助監督の仕事はきつくて、血反吐を吐いて入院したこともあるほどでしたが、一度もやめたいとは思わなかったです。途中、CMの現場に回されたこともあったのですが楽しくなくて、また映画の現場に戻ってきました。やっぱり映画の現場が好きなんです。
加藤泰監督の『ざ・鬼太鼓座』の助監督を務めたり、神代辰巳監督がその頃よく撮られていたテレビドラマ「火曜サスペンス劇場」や「土曜ワイド劇場」などの2時間ドラマの現場に入ったりしました。
──その時の想い出などはありますか?
岡田:『ざ・鬼太鼓座』は撮影期間が長かったんですよ。その間に加藤泰監督とプロデューサーの大人の喧嘩を目の当たりにしたのが印象に残っています。
監督が、プロデューサーと対峙していた時、鞄からカセットレコーダーを取り出して録音ボタンを押して「じゃぁ、お互いに責任のある言葉でお話しましょう」と始められたんです。制作費が足りなくなった問題の話し合いだったんですが、その様子を見て自分が酒飲んで喧嘩しているのが恥ずかしくなりました。
岡田:それが終わってから飲みに行きましょうという話になって皆で出かけて、翌日、鹿児島でのロケ撮影だったんですけど僕だけうっかり寝過ごして飛行機に間に合わなかったんです。急遽次の便を用意してもらって鹿児島に飛んだんですが、「昨日は楽しかったね」って加藤監督が言ってくれて、「寝過ごしてすみません」って謝ったことを覚えています。監督さんって結構優しい人が多いんですよ。神代監督も「なにやってるんだ」って怒りながらいつも顔は笑ってましたからね。
ドキュメンタリー映画と活弁ライブ
──そんな助監督時代を経て1989年には前田陽一監督、脚本家の永原秀一さんが代表を務める「株式会社ラグス」に参加されていますが、ここではどのような作品を作られたのですか?
岡田:何も作ってなかった(笑)、企画会議と称しては、酒呑んで皆で博打のようなことばかりしていました(笑)。テレビ班だけが働いている状態で。でもその時にいろいろな映画人と知り合えたのが大きかったですね。
その後、Vシネマの監督なども経験しましたが、ドキュメンタリーに興味を持つようになったんです。ビクターの企画で中国55の少数民族の民間伝統芸能を網羅追跡するというのがありまして、それに誘われて4年ほどずっと中国の辺境地ばかりを廻っていました。そのほかにも、日本テレビの追跡やテレビ大阪が東京に発注して全国で放送していた町おこし、村おこしという“旅もの”も撮っていました。これは結構自由にやらせてもらいました。
大阪に帰ってきてからは『スマイル~男の子になりたい女の子』、『ミニバンライダー 車椅子で駆けてきた人生』という2本のドキュメンタリー映画を、どちらも5年ほど密着して製作しました。本当に魅力のあるものは追いかけたくなるんですよね。
──ずっと東京で活動されていて、大阪に戻って来られたのはいつごろですか?
岡田:2012年です。父が母が他界してからずっと一人暮らしをしていてその介護のために帰って来ました。5年くらい介護しましたね。その間に、地元の羽曳野で、弁士と楽団を呼んでチャンバラ映画の活弁ライブを始めたんです。羽曳野にはかつて極東キネマという撮影所があってチャンバラ映画が作られていたんです。
ところが最初は全然お客さんが入らなくて動員にはいろいろ苦労しました。今年で8回目(1年お休み)を迎えて、徐々に楽しみにしてくれている方も増えてきました。活弁ライブは意地でも続けていきたいと思ってやっています。
古くからの仲間が集結
──そのような活動を続けられる中、『TRAVERSE トラバース』を監督されることになった経緯はどのようなものだったのでしょうか?
岡田:撮影監督をしている猪本雅三から監督をしませんかと連絡があったんです。助手時代にジャッキー・チェン主演の『香港発活劇エクスプレス 大福星』(監督:サモ・ハン・キンポー)の日本側スタッフとして一緒に参加してずっとやってきた間柄なんですね。
原作があったんですが、予算の関係で手直しする必要がありました。空手家の田部井淳師範を主役にするのは初めて会った時には決まっていました。彼は豊橋で毎年“カラテSUPERライブ”というのをやっているんですけど、それを見に行ったんです。演武や空手を間近で見た時、これ撮ってみたいなと強く思えて、そこで決心しました。帰りの新幹線で猪本に、「おい、やろうぜ」と言っていましたね。
昔の仲間に声をかけたらみんな手を挙げてくれて、メインスタッフは還暦に近いような連中ばかりが集まりました。ヒロインの恋(れん)だけはオーディションで選びましたが、他の俳優たちも、ほぼ皆知り合いです。
──主役の田部井さんは一時アクション俳優を目指されていた時期もあったそうですが、その後は空手一筋でやってこられた方で、またヒロインの恋さんは、演技経験がなかったそうですが、どのように演技指導をされたのですか?
岡田:豊橋に行っては大阪に帰ってくる繰り返しで7ヶ月演技指導にあたりました。クランクイン前にはある程度のところまでは仕上げておきたかった。
途中、結構セリフも削っていったんですよ。最初の頃は恋のセリフ回しの間にいらついたこともあったんです。でもその間も考えてのことだったんですよ。その間が彼女の持ち味だということに気づいてヒロインのキャラクターが出来上がっていったところもあります。
修正もたくさんしました。もう撮らないという話をしたこともあります。僕が大阪に帰っている間に2人で稽古していたらしく、それの繰り返しで、これでいけるなと合格を出したときは大喜びでしたね。クランクインの時には、2人の芝居で現場が止まることはないだろうというところまでは持っていけました。
チャンバラ映画の様式美を空手で再現
──もともとアクション映画を撮りたいと思われていたのでしょうか?
岡田:ブルース・リーや、ジャッキー・チェンの初期の頃のような生身のぶつかり合いを撮りたいというのはありました。今どきのワイヤーやCGを使ったアクションは好きじゃないんですよ。肉体同士の激突は好きですね。ボクシング、ラグビーなんかもね。
アクション監督は絶対必要だと思ったので、あちこち打診したのですが、ことごとく断られてしまいました。そんな時出演者のひとりの草薙仁さんが白善哲(はくぜんさとし)さんを紹介してくれて、彼がやりますと言ってくれたんです。何をしたらいいですか、と尋ねられた時に、まずチャンバラ映画を観まくってくれと言ったんです。
日本のチャンバラ映画の様式美を空手で再現してほしいと伝えたんですね。自分のやりたいのはそういうことだと。間合いとか決めとかやりすぎくらいやってくれと。「よっ!」って思わず声をかけたくなるようなそういうアクションを撮りたかったんです。白善さんがそうしたアクションを考えてくれて、田部井師範と稽古を重ねてくれました。
一度だめになった人間が乗り越えていく姿を描きたい
──“TRAVERSE”というタイトルは、“乗り越える”という意味で監督がつけられたそうですね。登場人物たちが様々なことを乗り越えていく姿が描かれていますが、監督ご自身も“乗り越える”ということに強い想いなどはあったのでしょうか?
岡田:乗り越えたいという気持ちはありますね。一番最初に書いたシナリオが「踏破」っていうタイトルだったのですが、それを浦山桐郎監督に読んでくださいと渡したことがあるんです。そのまま返ってきませんでしたけれど(笑)。その時は乗り越えるっていうことを考えていたと思うんですよ。人生を前向きに生きようと。その後は随分ちゃらんぽらんに生きてきたんですけど、ここに来てこの「踏破」というタイトルがふと思い出されたんです。
他にないかと辞書を調べていたら、登山用語で“TRAVERSE”というのがあって、皆に提案したらそれで行こうと反応がよかったんですよ。いいねって言われたら引きたくなってお前ら他にあるやろって言ったりもしたんですけど、結局“TRAVERSE”に決まりました。
主人公をスーパーヒーローにはしたくなかったんですね。人間はそんなに強くないんだっていう部分をもっと描きたかったんですが、一度だめになった男が立ち上がっていく、乗り越えていく姿をみせたかったんです。主役の2人も、演技経験のないところから最後までやり切ってくれて、まさに乗り越えてくれました。映画の現場は苦しいんですよ。でも楽しい。ずっとその繰り返しです。
──長年、映画の世界にいらっしゃる監督の眼には今の日本映画界はどのように映っていますか?
岡田:映画というよりは観客ですよね。自分の意志で自分の好きな映画を観たらいいのに、あまりにも流されすぎているように見えます。流行っている映画が悪いというわけではないんです。でも誰もこれ面白くなかったと声をあげないし、みんなで同じ方向を向いている。もっと反骨精神はないの?と思うことがあります。今の社会の流れが映画の環境にも現れているように思います。
──最後に今後の予定を教えて下さい。
岡田:日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を題材にした人形劇を予定しています。羽曳野には日本武尊が白鳥になって飛んできたという白鳥伝説があるんです。羽曳野のご当地映画としてこれを撮りたいんですよ。大阪の人形劇団クラルテさんにも話をしに行って、人形制作のOKももらいました。脚本も出来ています。あとは制作費だけ。これをクリアすればすぐにでも作りたいんですけれどね(笑)。
インタビュー・撮影/西川ちょり
岡田有甲監督のプロフィール
1954年に大阪で生まれる。1977年に今村昌平監督が開校した横浜放送映画専門学院に入学、1期生として卒業。
ATG映画『新・人間失格』(1978)に助監督として参加したのをきっかけに松竹株式会社大船撮影所契約助監督となる。加藤泰、前田陽一、神代辰巳らに師事。
1989年、前田陽一、永原秀一が代表を務める株式会社ラグスに参加。1997年、有限会社レフレックス設立。映画、Vシネマ、ドキュメンタリー、テレビ番組と様々な映像作品に携わる。
故郷の大阪・羽曳野に戻ってからはチャンバラ映画の活弁ライブを定期的に開催する一方、『スマイル~男の子になりたい女の子』、『ミニバンライダー 車椅子で駆けてきた人生』の2本のドキュメンタリー映画を製作。
映画『TRAVERSE トラバース』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【プロデューサー】
近藤和加子
【監督】
岡田有甲
【脚本】
岡田有甲、川久保直貴
【アクション監督】
白善哲
【出演】
田部井淳、恋、津田寛治、桝田幸希、草薙仁、笠原紳司、璃娃、儘下笑美、遊木康剛、たつみげんき、中村 愛利彩、犬塚志乃
【作品概要】
愛知県豊橋市を拠点に活動する空手道豊空会創始者、田部井淳を主役に抜擢。CGやワイヤーなどを一切使用せず、生身のアクションが展開される。
愛知県豊川市や浜名湖で撮影され、愛知県豊川市の劇場では、公開第二週目の週末には、同時公開されていた他の作品を抑えて、観客動員で堂々の第1位を記録した。
映画『TRAVERSE トラバース』のあらすじ
空手道場の師範・高梨淳は、妻でジャーナリストの亜紀と、養子である里菜と共に、地元の祭りを訪れていました。吹き上がる炎、湧き上がる歓声の中、亜紀の姿が見えなくなり、翌朝冷たい遺体となって発見されました。
警察はビルから飛び降りた自殺だと断定します。高梨は亜紀の気持ちに気づけなかった自分を責め、武道をする資格などないと、道場を閉めてしまいます。
大切な人を失った高梨と里菜は義理の親子という溝を埋められず、互いの気持ちが見えないまま、親子になりきれないもどかしさを抱えていました。
そんなある日、友人と遊園地に出かけた里菜が何者かに連れ去られてしまいます。高梨もまた謎の人物たちに襲われますが、武道空手で鍛えた彼は幾人もの男たちをなぎ倒します。
亜紀の死も自殺などではなく、やつらの仕業に違いありません。里菜を救うため、武道空手のすべてを武器に、高梨は一人敵地に乗り込んでいきます。彼を待ち受けていたのは果たして…。
映画『TRAVERSE-トラバース』大阪・京都上映舞台挨拶情報
大阪・シアターセブン(2019年12月21日より一週間限定上映)
12/21(土)12:50~ 上映後 桝田幸希、岡田有甲監督
12/22(日)14:40~ 上映後 岡田有甲監督
12/23(月)18:20~ 上映後 岡田有甲監督
12/24(火)16:25~ 上映後 岡田有甲監督
12/25(水)18:20~ 上映後 田部井淳、津田寛治、璃娃、岡田有甲監督
12/26(木)16:25~ 上映後 田部井淳、璃娃、岡田有甲監督
12/27(金)16:25~ 上映後 田部井淳、璃娃、岡田有甲監督
京都みなみ会館(2019年12月27日より一週間限定上映)
12/27(金) 田部井淳、岡田有甲監督
12/28(土) 田部井淳、岡田有甲監督
12/29(日) 田部井淳、岡田有甲監督
12/30(月) 未定
12/31(火) 未定
1/2(木) 田部井淳、岡田有甲監督
※日程や上映時間・登壇者などの追加情報につきましては、各上映館公式サイトにてご確認ください。
※日程・登壇者は急遽変更になる場合もございます。