2018年、第31回東京国際映画祭の「日本映画スプラッシュ」部門で監督賞、そして東京ジェムストーン賞を村上虹郎が受賞した映画『銃』。
さらに本作は、2019年3月2日〜8日までエジプトで開催された、第3回シャルム・エル・シェイクアジアン映画祭(SAFF)の長編コンペティション部門にて最優秀脚本賞を受賞。日本映画としては初の快挙となりました。
この映画の原作は芥川賞作家中村文則。『土の中の子供』や『教団X』など今をときめく人気ミステリー作家のデビュー作で、『銃』をとても大切な作品と位置付けており、その小説に魅了され映画化に強いこだわりを抱いたのが、『ソナチネ』など数々のアクション映画を輩出したプロデューサーの奥山和由。
奥山が監督として白羽の矢を立てたのが、かつて多くの現場を共にした武正晴監督でした。
『百円の恋』で知られる武正晴監督が、どのような思いで『銃』の映画化に臨んだのか。
また日本映画の映像作家としての流儀と、監督の映画体験の原点に触れる単独インタビューをご紹介します。
CONTENTS
「音」に込めた主人公トオル内面
──本作品『銃』を鑑賞した際に真っ先に感じたのは、「音」の効果の素晴らしさでした。武監督の「音」に対してのこだわり、録音担当の臼井勝さんとの挑戦的な仕事はどのようなものでしたか。
武正晴監督(以下、武):この作品は、ひとりの主人公をずっと追っていく話で、主人公の聞こえるもの全部を観客に聴かせてやろうじゃないかという、以前から挑戦したかったことなんです。
主人公と同じ感覚をわずか一時間半の中でどれ位お客さんに伝えられるのか。そういう意味では音の使い方も含めて、彼が聞いたものがそのまま劇場で聴こえるようなサウンド設計をやりたいと思っていました。
そこで録音の臼井さんに相談して、普段だったら後で録るオンリー(状況音)も全部現場録音にしました。エキストラにもワイヤレスを付けてもらいました。
エキストラもキャスティングとしてセリフを喋らせる、台本を用意するっていう。ガヤ(メイン出演者の周囲の人)にも全部シナリオを付けて、セリフをあらかじめ差し込みで作って、喋らせる。今回、難しいところはありましたけど、これを試してうまくいったんじゃないかなと思っています。
武監督のノワールとしてのモノローグ
──映画は武監督のフィルム・ノワールだという印象を受けました。村上虹郎さん演じるトオルの発する通常の声と、内面の叫びの声が入り混じるモノローグが非常におもしろいなと感じました。
武:そうですね。登場人物の外見とは異なる内面の感情を、全部ボイスオーバーでモノローグだけでやってしまう手法は、映画がこの世に登場して以来この100年間、観客はずっと観ているわけです。だからちょっと違った切り口はないかと思っていた時に、口の動きとは違うことを喋ったら面白いのではないかと思ったんです。
そのことを原作者の中村さんに提案したら、すごくおもしろそうなので是非やってみてくださいと言われました。
──久々に日本の音響師に魅せられて、斬新でした。
武:世界の中でも、日本は素晴らしい音響の技術を持っているんです。世界中から日本のスタジオでやりたいって言われています。
しかし日本の映画の今一番しんどいところは音なのではないかと思っています。その部分を大切にしたかったんです。
──もうひとつ音のことでお伺いしたいのは、日南響子さんが出てくる時に必ず音が鳴りますね。トオルとすれ違う時に風鈴が鳴ったり、ベッドのシーンで彼女の時だけ照明器具の音だったり…。
武:あれは台本の中に音のイメージが先にあるのではなく、撮影の時に、風鈴やライトなど、全部後で音が仕掛けられるような美術装置を要求しているんです。それによって後で音をつけることができる。僕は玉暖簾をよく使うのもその理由からです。
現場では、これらの美術装置が映画館ではどう聴こえるのかを想像します。そこが一番おもしろいですね。
中村文学の映画化にあたる武監督の流儀
純文学としての『銃』
──『銃』はとても文学的で、同じく一人称の語りが印象的な梶井基次郎の『檸檬』をイメージさせる、そんな豊かさがありますね。
武:檸檬を爆弾に見立てて破壊させたいという、『檸檬』の主人公とあれから100年近く経った今と若者って実はそんなに変わらないんです。何か道具を手にしたい、世界を変えてみたいとか、馬鹿なことを考えるんですよね、若い頃っていうのはね。変わるわけでもないのにね。
──でも今回は、もっと若い、のめり込んだ青春映画を表現しようとした部分がありましたね。
武:『銃』という皆が読んでるマスターピースをどう映画で表現するか、真剣に考えていました。この作品のファンの人たちに怒られないようにするにはどうしたらいいんだろうと考えると苦しかったんです。
そんな時、中村さんに「何でこの小説を書いたんですか?」と聞いたことがありました。そしたら「青春ですよね。懐かしいな『銃』って。僕どんなことを書いていますか?」と他人事のように言うわけです。作家になった中村さんが、作家になる前の自分を思い出している。
その時、僕も同じような心境になったらいいのではないかと思ったんです。僕は30年前東京に出てきたばかりのことを思い出したんです。
そうしたら意外と主人公トオルに近いものがあるなと思いました。村上虹郎君も言っていましたが、最初は理解できなかったトオルのことを、徐々に理解できるようになった時に、ふと自分自身を疑ってしまう感覚になってくる。
「大丈夫なのか、俺」って思ったんです。その瞬間に、これはいけると思いました。あの時の中村さんの発言はすごく大きかったです。
実は中村さんと僕の故郷がとても近いんです。自分が小学校の時に歩いていた周辺に彼が住んでいたんです。今回、撮影に先立ち30年ぶりに故郷に行ってきました。
運命的に同郷の原作者と映画監督
──武監督のご出身は?
武:愛知県東海市です。中村さんが通っていた小学校は遠目に見たことはありました。ちょうどバス停一つ分、距離にして100メートル。当時はそのわずか100メートル先に行ったことがなかったんです。
それで30年ぶりに足を運びました。納得しました。ここに居たらああいうものを書くだろうなという風景があったんです。
──その時に、実際に雨が降ってきて、何かを感じたそうですね。
武:その日は曇天で雨は降ったり止んだり。バスでたどり着いて暫くしたら、急にザーッとものすごい雨が降ってきました。これどうやって帰ったらいいんだろう。バスも来ないし。ポツンと一人でなんか寂しい所でね。
その時に「ここが中村文則の世界だ」と感じました。僕はそれを確認して帰って来ました。そんなクランクイン前でしたね。
武監督の撮影現場で苦闘と悦楽
故郷で得たイマジネーションを活かす
──今回の映画『銃』にも冒頭や喫茶店のシーンなど、雨がありました。
武:原作には喫茶店のくだりに雨はありませんが、あの場面をドラマチックにするにはどうしたらいいかと考えて、雨が降ってきたらおもしろいと思ったんです。
──刑事役のリリーさんが喫茶店に傘持って登場した時に、用心深さとか彼の人物像を表現されていましたね。
武:撮影の日、リリーさんがたまたま足を怪我されて包帯を巻いていました。傘を持ってもらったら、「ちょうど一石二鳥ですね」と言って、傘を杖代わりに芝居を始めたんです。
撮影の時に、傘を持って頂いて正解でした。おもしろかったですね。
──武監督は昭和を描ける最後の世代かなって。その辺はどうですか?
武:確かにそうですが、実際は時代に乗っていけなかった。気がついたら周りが全く変わっていた。僕はスマホもパソコンもやらずに、ずっと映画の現場と映画館で映画を観ているだけの人生を送っていました。
ある時電車内を眺めていたら、ふと皆が下向いていることに気づきました。スマホをやっているんです。仕事でもしているのかと思ったら、皆ゲームをやっていた。サラリーマンが。
僕は、スマホとか一切持たないのでわからないんです。皆は何を聴いているのかな?街を歩いてる時何を見てるいるのかな?って。電車の中でもし今、銃を出したら一体誰が気づくのだろう。
皆こうやって下向いてるでしょ。だから電車のエキストラには同じようにスマホを持ってもらいました。耳もふさいでるから、銃声が鳴っても聞こえない。血が流れても気づかない人がいると思う。
少し前だったら、「キャー!」とか「イヤー!」とか悲鳴があがる。でも今は皆が気づかない時代がやってきてる。嫌な時代がね。だから逆にやりがいがある。
地下鉄サリン事件の時にそれを思いました。人が倒れてるのに、足ばやに会社に向かう人々を見て、僕は茫然としました。これだけの人が倒れてるのに、会社に行かなきゃいけないって携帯電話で話をしている人を見た時に、ああこれが日本かと思いました。これが日本人の今の姿なんだ、これを決して忘れてはいけない。いつかきちんと描かなきゃいけないと思ったんです。『銃』のラストシーンはその気持ちが反映されたものなのです。
今の日本で電車の中で誰かが拳銃を発砲した時に、きっと誰も気づかないと思います。それが今の日本人の精神構造になってしまっているのではないでしょうか。先進国の人の精神構造かもしれない。それはちょっとわからないんだけども。
もう一つは銃社会の人たちが観た時にどんな印象を持つだろう。中村さんの作品を映像化した時に、特に銃社会の人たちはどんなリアクションをして、日本に対しどう思うのか、いろいろ聞いてみたいです。
『銃』の名シーンである「電車内」撮影の秘話
──電車内のシーンは、松田優作と室田日出男の共演した『野獣死すべし』以来の名場面ですね。
武:電車のシーンは大変でした。当然『野獣死すべし』の時の撮影には敵わないですが、頑張りました。
かつての日本の映画界は、電車を丸ごとセットで作れましたが、残念ながら今はもうそんな映画人はいません。
今回最初にAV用の電車のセットを用意されたんです。頭を抱えましたね。本当にここで撮っていいのだろうかって。ちょうど幸運なことに、電車一両貸してくれる会社が名乗りをあげてくれました。電車の中で人撃たれて死ぬ話を撮るのに、車両を貸してくれるといって頂けた。俄然、気合が入りました。
電車にこだわれたのは、原作があったからです。これがもしオリジナルだったら、皆怠けて、これあのどっか野っぱらかなんかでいいんじゃないですかとか、映画館の中でいいんじゃないですかって、妙なアイデアを出しかねない。
だけど原作があるから、必然的に原作通りやろうという気持ちに向かう。今回は、原作という他人(ヒト)のふんどしで仕事をしていて、中村さんが宝にしている作品に誠実でなければならない。ラストシーンはスタッフ全員が歯をくいしばって、ありとあらゆるパートの力を振り絞って作り上げてくれました。
──電車内シーンは色々な意味で「父親超え」の形になっている。
武:あれはやっぱり必要でした。よくぞ村上淳さんが引き受けてくださったと思っています。虹郎君もそれを受け入れてくれました。この二人が居るのだから、絶対にうまくいく。
絶対何としても撮ってやると思いました。僕も含めてスタッフの気合が違いました。とにかく素晴らしい現場でした。
映画と両親から受けた影響
──武監督の映画を観ていると、いつも弱者の主人公が普通では見られないものを、努力して、何かをやった者だけが見られる風景があると感じています。今回も当然そうなるだろうなと期待して見ていました。その傾向についてはどうですか?
武:たまたま幼い頃に自分がそういう映画を見てきたことが影響しているように思います。
例えば『タクシードライバー』の影響は大きいです。子どもたちの映画なら『がんばれ!ベアーズ』。世の中うまくいかないんだぞってことを教えてくれる映画でした。自分たちが大人になる前に、良いものを見せていただいたという気持ちです。
お前らこれから苦労するぞとか、でもな、そんなことあってもこうやって頑張るやつがいるんだぜとか、世の中ってそんな甘くないぞ、こんなにひどい奴らがいるんだぞとか。
他にも井筒和幸監督の『ガキ帝国』を観た時に、気を付けろよ、こんな大人が待ってるぞ、という井筒さんのメッセージが、僕ら中学生にビシビシ伝わってきました。
『タクシードライバー』も国の言いなりになるなよ、うんうんうんうん頷いてたらこんな目に遭っちまうぞ、というような…。
そういう映画がたまたま僕らの世代の成長期にあったのは幸せですね。また、その映画を観るように勧めてくれた両親の存在に感謝したい。
──両親がそれらの映画を?
武:もちろん。それらの映画に導いてくれた両親も、やっぱり映画をたくさん観てきた世代です。今思い起こすと映画を作るにあたって良い作品に導いてもらえたと思います。
もしその時違うものを観てたら違う方向に行っていたかもしれない。子どもの時に何を観るかは大きいと思います。
──『銃』は、若い世代の人に是非見てもらいたいですね。
武:若い人が観ないとダメでしょう!特に、中学生に観てもらいたい。村上虹郎かっこいいなって思って欲しいです。
僕は小学生くらいの時に、『タクシードライバー』のデ・ニーロを見た時に、なんという男がいるんだと思いました。なんかダメだけれど、凄いと思いました。そういう映画の力を十代の子たちに届けたい。
『百円の恋』も同じです。若い女の子や男の子たちに観てもらって、自分の何かを阻止する奴をぶん殴ってでも生きて行って欲しいという気持ちを、映画は描くことができる。一瞬でも夢を見させてくれる。その後どうするかはあなたたち次第だよと。
──『百円の恋』と同じように、『銃』も生きてる実感を一貫して描いてますね。
武:そうですね。今回は『百円の恋』の時とは違う結末ですけれど。
あの虹郎君が演じた、刑事を観る顔は彼が現場でやった顔なんです。さすが映画俳優ですね。あの表情を撮れたのは価値がある。
トオル役を虹郎君がずっと演じて付き合っていくときに、あそこにリリー・フランキーさん演じる刑事にやっぱり来てくれたかって顔をする。俺やっちゃったよ、みたいな顔をする。なんで、お前は俺の言ったことを守らなかったんだよって言い合っている父子間みたいな。
父と子の関係性のようなものが一瞬垣間見える表情を彼が演じた。いや、演じたというよりも彼が見せてくれた。この俳優はすごい表現力だ。あれはラス日(クランクアップ最終日)のことでした。
ああ、本当にいいもの撮れた。じゃあ今度はこれを、お客さんにどう届けようかと。
雑誌の鼎談記事で述べられた『銃』の続編はあるか⁈
──『銃』の続編を撮る話についてはいかがですか。
武:もうやるって奥山さん(奥山和由プロデューサー)が言ってますが。女(日南響子)が銃拾ったらどうなるんだって。
──ぜひ、奥山さんと武監督のコンビで、今度は女性版ノワール作品を観たいと思っています。
武:そうですね、女最強ですからね。本当は女性のアクションものを撮りたいです。実はいっぱいあるんです。『百円の恋』の前に作ったシナリオね、5、6本あるんですけど…。
以前、ある女が、刑務所から出てきて町一個潰すという話を脚本家の足立紳さんが書いたんです。面白いんだけどな…。誰か演じてくれないかな。
──今回の日南響子さんは、名前がないけども凄い役どころで。奥山さんの『いつかギラギラする日』の荻野目慶子さんのようでした。
武:オーディションに来た女優陣が皆、この役に尻込みしたんです。あのシナリオを読んで、皆が断ったんですよ。だけど一人だけ手を上げてくれたのが彼女でした。
『百円の恋』の安藤サクラさん時と同じこと思いました。当時あの「一子」って役を皆が尻込みしました。それを安藤サクラさんだけが、ちゃんとやるって言って乗り込んできました。
『銃』で日南響子さんはトライしたんだから、それはその分、宝が返ってきますよ。(笑)
まとめ
武正晴監督の映画を拝見する時、いつも共感を受けるのは“昭和の匂い”だ。それは同世代として時代を生きてきたノスタルジックなどでは決してない。
主人公である弱者が何かをつかもうとしている姿に魅せられ、彼らが一般的な価値観の“勝敗”に関係なく、挑戦した者だけが見ることができる、“何かとっておきの風景”を見た一瞬の恍惚にシビれるのだ。
例えば、『百円の恋』や『リングサイド・ストーリー』の主人公が、たった一人で臨んだ四角いリングの上で、結果として敗者であっても、それ以外の価値を得ていることからも理解できる。
最新作の『銃』の主人公トオルの場合は、“勝敗”どころか、正義や倫理をも超えて、“彼にしか見ることのできない風景”を見る作品だ。
武監督がインタビューで語った、電車の車内で俯きながら内向的に指でスマホを動かす人間の姿には、実際のところ誰もが異様さを感じたことがあるのではないだろうか。
だが、ネット社会が一般となった今、外部とのコンタクトをそのようにとることは避けがたい事でもある。
本作の主人公トオルの場合は、銃に魅せられ、愛おしみ、自分のスマホを地面に投げ捨てていく。
スマホはネットを介して他人を中傷し傷つけることも可能で、それが今や稀なことではない現在。トオルが銃を握った指先とスマホに滑らせる指は同じではないだろうか。
武監督の最新作『銃』は、そんなところからも社会性から遠い荒唐無稽な映画だとは言いにくい。
今回の“昭和の匂い”とは、武正晴監督がいつか観た『タクシードライバー』のような危険な香りに満ちた、どこにでもいる弱者が主人公が醸し出すものだろう。
武正晴監督のプロフィール
1967年生まれ、愛知県出身、その後、明治大学文学部を卒業。在学中は映画研究会に所属して自主映画を製作。
工藤栄一や崔洋一、また井筒和幸などの助監督をつとめ、2007年に『ボーイ・ミーツ・プサン』で長編映画デビュー。
主な作品は『カフェ代官山~Sweet Boys~』(2008)、『カフェ代官山 II ~夢の続き~』(2008)、『花婿は18歳』(2009)、『カフェ・ソウル』(2009)、『EDEN』(2012)、『モンゴル野球青春記』(2013)、『イン・ザ・ヒーロー』(2014)、『百円の恋』(2014)、『リングサイド・ストーリー』(2017)、『嘘八百』(2018)などの監督を務めています。
『百円の恋』では、日本アカデミー賞をはじめ、多くの映画賞を受賞し話題を集め、第88回アカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品としてもエントリーされました。また2018年公開の『銃』では第31回東京国際映画祭「日本映画スカラシップ部門」で2度目の監督賞を受賞。2019年には『きばいやんせ!私』は公開予定。
*注:本インタビューは、映画『銃』の全国公開前に行ったものです。
インタビュー/出町光識
写真/苅米亜希