第32回東京国際映画祭・コンペティション部門上映作品『湖上のリンゴ』
1960年のトルコで実際に起きた干ばつを背景に、「アシュク」と呼ばれる伝統音楽の奏者を目指す少年の淡い恋、そして伝統文化と信仰の意味を描いた寓話的作品『湖上のリンゴ』。監督は、『沈黙の夜』で2012年の第25回東京国際映画祭にて最優秀アジア映画賞を受賞した経験を持つレイス・チェリッキです。
2019年に開催された第32回東京国際映画祭のコンペティション部門にて上映された本作。それに際し日本へと来日されたチェリッキ監督に、当編集部では本作に関するインタビューを行いました。
本作を通じて描こうとした「語り」と「物語」の意味、自身も「語り手」の一人であるというチェリッキ監督が映画という表現を続ける理由、恩師との約束など貴重なお話を伺いました。
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湖からはじまる終わりのない物語
──冒頭でも描かれていた湖という空間には、レイス監督はどのような思いを込めているのでしょうか。
レイス・チェリッキ監督(以下、チェリッキ):私たちが住むこの世界は自然の上に成り立っているものですが、実際のところ、私たちが一体どこの上を歩いているのかなんてことは誰にもわかりません。あらゆる時間、あらゆる場所に物語、そして人が存在し、人々は生き続けている。ですが、人々が生き続けているそこは、結局は空虚なるものの中に過ぎない。空虚なるものの中で人々は全てを投じながらも生き、やがて死が訪れる。そうしたのちに唯一残るのが物語なのです。
また死が訪れた者たちはやがて塵となり、雲となり、雨粒となるかもしれない。もしかしたら既に人々は雨粒として大地へと降り、別の何かになっているかもしれないし、また雨粒となっているかもしれない。その見えざる大いなる流れもまた一つの物語であり、それらに終わりがないということを、湖という象徴を通じて示したかったのです。
──作中で描かれる湖は物語の「終わり」と「はじまり」の場所であり、同時に「物語」という人々の記憶が遺される媒体であるとも感じられました。
チェリッキ:それは大切な捉え方ですね。湖とは様々な物質が溜まることで構成されているものであり、人々はそこから動植物をはじめ何かを選びとり、浮かび上がらせようとする。それはある意味では遺された記憶を思い出そうとすることと似ているのかもしれません。
「何かを遺す存在」という人間の姿
──作中、主人公・ムスタファにアシュクとしての指導を行っていた親方が亡くなる場面がありますが、親方の長靴が彼の家の玄関先に置かれた瞬間、そこに「伝承」の一側面としての「終わり」への哀しみを感じられました。
チェリッキ:人の最も根底に存在する特性、人を人たらしめる特性とは、言葉、ひいては対話にあると私は感じています。
亡くなった者の靴や衣服を玄関先に置くというあの行為は、アルメニアにおける伝統的な慣習であり、「持ち主がいなくなってしまった物たちを生者へと譲り渡し、新たな持ち主のもとで使い続けてもらう」という意が込められています。親方は確かにこの世を去ってしまったものの、彼が長年愛用してきた長靴は別の人間と譲り渡され、新たな道を歩み続ける。そこには「自身が去った後にも何かを遺すことができる存在」という人間の本当の姿がある。それを成り立たせるのが言葉であり、それを通じて生まれる対話なのです。
「語り手」を表現できる映画
──作中ではアシュクたちが継承してきた「語り」の技術が描かれていますが、彼らと同様に「語り手」の一人であるチェリッキ監督が自身の「語り」の手段として「映画」を選ばれたのは何故でしょうか。
チェリッキ:語り手とは、いわゆる言語のみならず様々な「言葉」をもって自らが学び感じたものを他者に伝え、導くことで物事の出発点を作れる存在です。そして仰る通り、私は自身のことを語り手の一人だと思っています。
映画制作を始めるまで、私は様々な言葉をもって「語り」に続けてきました。かつてトルコ国内の音楽学校で音楽と演技を学んだことからはじまり、15年近くジャーナリストとして活動を展開し、時には紛争地域への取材と報道に携わったほか、写真の展覧会を催したこともありました。
ただその中で映画という言葉へと行き着いたのは、それがあらゆる言葉を一堂に会することができるものだと感じられたからなのです。あらゆる要素、あらゆる言葉を拾い集め、一つの形へと形成することができる。そうすることで、「語り手」の様々な姿を表現できると思えたのです。ありとあらゆるものを、一堂に会して表現できる領域。それが私にとっての映画なのです。
「言葉」が失われてゆく現実
──チェリッキ監督にとって、アシュクとはどのような存在なのでしょうか。
チェリッキ:アシュクとは「歌」という言葉を用いた語りの行為そのものであり、その語りは社会の物事を批判を交えながらも多く反映しています。ですが楽団のような「歌」或いは「音楽」としての娯楽性を求められていったことで、アシュクの存在価値は大きく変化していった。それがアシュクにおける時代の移り代わりと言えます。
ですが「歌」という言葉を用いた語りの表現そのものは、アシュクとは異なる形として現在も生き続けています。それはラップです。ラップの起源には南アフリカのグリオと呼ばれる口頭伝承者たちの歌唱法が深く関わっているほか、「時事に対する批判を伝える」というプロテスト(抗議)の側面が現在まで続いてきています。それはアシュクという語りが担ってきた役割そのものなのです。
──伝統的な詩人であり歌手のアシュクから楽団(オーケストラ)へという時代の移り変わりに、チェリッキ監督ご自身は違和感や疑問を抱いたからこそ本作で描かれたのでしょうか。
チェリッキ:いえ、あくまでそうではありません。あらゆるものは変わらざるを得ないもの、少なからず変わっていくものであり、何かの終わりとともに新たなはじまりが現れるのと同様に必然のことだと思っています。それがあるからこそ、人々はこれまで多くの文化や異なった概念を生み出すことができたのです。
ですが作中で描かれているような一つの「語り」の終わりに対し、我々が焦らなくてはならないのもまた事実です。現実の世界における「語り」の終わりとは、同時に「言葉」の終わりでもあります。言葉が減り続けていく中で、人々の対話そのものも減少の一途を辿っている。そして言葉と対話が失われた時、そこには「戦争」という状況が始まる。恋も愛も、人間的な何もかもが失われる状況が始まるのです。
人間には言葉をもって何かを語り、あらゆる時間に通ずる文化と芸術を想像できる力があり、それは人間が他者とともに生きるための力でもあります。その力が失われつつある現実に、我々は目を向けなくてはならないのです。
恩師との約束を果たすために
──本作はチェリッキ監督の恩師であり作家のドゥルスン・アクチャムさんとの約束から生まれた映画だとお聞きしました。最後に、その経緯を改めて詳しくお聞かせください。
チェリッキ:先生と実際に同じ時間を過ごしたのは私の少年期における短い期間ではありましたが、彼もまた多くの物語を生み出した「語り手」の一人でした。文学作品を通じて私は多くの薫陶を受け、彼からたくさんのエネルギーを与えてもらったのです。ですが、1980年にトルコ国内で軍事クーデターが起こり、軍部の台頭し始めたのを機に先生は海外へと亡命されました。長い時間が経て、国内入国の禁止が解除されたことでようやくトルコへと帰国することができましたが、その時にはすでにご病気を患っていました。
ある時、先生がドイツに滞在されると聞いた私は「どうしても会いたい」と思いドイツへと向かい、彼と会いました。そしてその際に先生は、すでに映画制作の活動を始めていた私に「君はなんという映画監督だ」「いつになったら、君は私の作品をもとに映画を作るんだい?」と仰ったのです。
私はその言葉に対し「いつか先生の文学作品から着想を経て、絶対に映画を作ります」と約束しました。今回の『湖上のリンゴ』はまさに先生の作品から着想を得た映画であり、本作の原題も彼の著書のタイトルからいただいているのです。先生と約束してから20年近くもの時間が経ってしまいましたが、一度も忘れることのなかったその約束をようやく果たすことができました。
──主人公である少年・ムスタファは「弟子」であり「教え子」の存在として描かれていました。そこには、在りし日のチェリッキ監督の姿も重ねられているのでしょうか。
チェリッキ:そうですね。立場や環境は違えど、ムスタファはまさに私そのものです。そして彼と同様に幼い頃の私も頑固で、あまり言うことを聞かない教え子でした(笑)。
インタビュー/河合のび
撮影/出町光識
レイス・チェリッキ監督のプロフィール
1961年生まれ、トルコ・東アナトリア地方のアルダハン出身。中学校卒業後にイスタンブールへと移り国立音楽学校で音楽と演技を修了したのち、1982年に報道の世界へと入り、政治経済記者として複数の国内紙で活動を展開。
以後映画監督を志し、2005年に発表した『頑固者たちの物語』は福岡国際映画祭に出品。2012年発表の『沈黙の夜』はTIFFのほかにベルリンの映画祭でも受賞を果たした。
映画『湖上のリンゴ』の作品情報
【上映】
2019年(トルコ映画)
【英題】
Food for a Funeral[Aşık]
【監督】
レイス・チェリッキ
【キャスト】
タクハン・オマロフ、ズィエティン・アリエフ、マリアム・ブトゥリシュヴィリ
【作品概要】
1960年のトルコで実際に起きた干ばつを背景に、「アシュク」と呼ばれる伝統音楽の奏者を目指す少年の淡い恋、そして伝統文化と信仰の意味を描いた寓話的作品。
監督は、2012年に発表した映画『沈黙の夜』で第25回東京国際映画祭にて最優秀アジア映画賞を受賞した経験を持つレイス・チェリッキ。
映画『湖上のリンゴ』のあらすじ
1960年代、アナトリアの北東部。干ばつに苦しむ山村に暮らす少年・ムスタファは、「アシュク」と呼ばれる伝統音楽の奏者となるための修行を続けていた。
母子家庭である一家においてムスタファは立派な稼ぎ頭になることを期待されていたが、親方の修行は非常に厳しく、ムスタファはアシュクとなる意味について悩みながら日々を過ごしていた。
ある時、ムスタファが密かに恋していた村娘に婚礼の話が持ち上がる。やがてムスタファは親方のお供で隣村へと向かうことになり、その際に「赤いリンゴを土産に持ち帰る」と彼女に約束するが……。