映画『猿ノ王国』は、2022年4月2日(土)より新宿K’s cinemaにて劇場公開。
「コロナ・ワクチン特集」のオンエアに関する是非を巡り、さまざまな人間の思惑が入り乱れる映画『猿ノ王国』。
テレビ局を舞台に、利権と信念が衝突する取締役員室と、何者かに編集室に監禁された3人の疑心、最上階と最下層を舞台に、さまざまな人間模様が目まぐるしく交差する「大人の寓話」との呼び声も高いサスペンス映画です。
このたび『猿ノ王国』が2022年4月2日(土)より「K’sシネマ」にて劇場公開されることを記念して本作を手掛けた藤井秀剛監督にインタビューを敢行。
コロナ禍の映画だからこそ描いた「分断」というテーマ、日本社会の劣等性。そして作品の根底にある社会への怒りを語っていただきました。
CONTENTS
社会派復讐劇の模索
映画『猿ノ王国』の撮影現場メイキング写真から
──藤井監督はホラー映画、サスペンス映画要素のある作品を手掛けられていますが、本作においてこだわった演出、やりたかった試みなどありましたか。
藤井秀剛監督(以下、藤井):個人的にジャンル映画しかやりたくないので、その道を貫いてますが、近年は社会的ストレスが多く、作品に社会的要素を投影するようになりました。なのでそんな社会的要素をエンタメという枠内で消化できる作品作りを常に心掛けています。
本作でいうならば、《責任回避問題とタテ社会》という大きなテーマを通して説教するのではなく、観客の感情を揺さぶり、サスペンスを盛り上げるツールになる様にこだわりました。全ては観客の潜在意識化に残る様な作品にするためです。
やりたかった試みでいうと、新しい復讐劇を模索しました。誰もまだ見た事のない様な復讐劇を構築するにあたり、マーク・エセックスという大量殺戮した実在の殺人鬼の言葉を引用しています。
なにが彼を犯罪に駆り立てたのか?映画が終わったころには彼の言葉など観客は忘れているかもしれませんが・・・(笑)
──作品作りにはエンタメと社会的要素のバランスが重要なのですね。
藤井:僕の理想とするのは「100年先にも残す価値のあるシネマ作り」ですが、現実は理想ほど簡単ではありません。特にサスペンスジャンルは、台詞でスジを動かしてしまいがちです。そうなるとなかなか観客の感情を揺さぶるのは難しくなる。
感情で台詞を構築しながら自然な流れで物語を進行させていくのはサスペンスジャンルが最も難しい。それが更に社会派ドラマとの融合ともなると更に難しくなる。だからこそこのジャンルが大好きです。
テーマと表現との向き合い方
──本作にはワクチンを巡る陰謀論のようなタブーにあえて切り込むという意図があったのでしょうか。
藤井:この映画は「ワクチン特集をオンエアしたい派」と「オンエアしたくない派」の構図で、分かり易く語られていますが、実はそこからもう一歩踏み込んだ所に真意が存在します。
今までの社会派な映像作家は、弱者の視点で反体制を描く事が使命とされてきました。しかし今後は、それだけでは、いけないと考えています。
国民はSNSを手に入れ、《少なかれ力》を手に入れました。そしてその力は世の中に影響を及ぼすようになった。つまり《単なる弱者》ではなくなってきたのです。
これからの映像作家は、そんな現代社会とも向き合い、新たな社会論を提示していかなければいけない。そんな観点で表現と向き合った時、「ワクチンネタ」は避けて通れないテーマでした。それは映像作家として、活動屋として向き合わなければいけない物なのです。
現代はタブーに触れるとマシンガンでハチの巣にされます。だから好きな事1つ言うのに躊躇する時代に突入しました。
確かにワクチン問題はタブーかもしれません。しかし我々は、人類史上最高の権利で民主主義の象徴である《言論の自由》を通して、《色々な価値観に触れる事ができる平和のありがたさ》を感じるべきだとも思っています。
監督として映画に出来ること
映画『猿ノ王国』の撮影現場メイキング写真から
──システム化した縦社会や責任逃れなど、日本社会への批評が作品内に込められていると感じました。本作を通してそういったテーマに対する監督の返答を提示されたのでしょうか。
藤井:僕個人の答えはありますが提示はしてません。答えを押し付けるのは映像作家の仕事ではないと考えています。
以前、僕の作品を見た人に「監督の言いたい事が分からない」と言われた事があります。僕は、《監督の言いたい事などクソくらえ》としか思いません。問題提起こそが映画の力で、監督が《答えを押し付ける様な映画》は嫌いです。
僕は元々、ジャーナリストになりたかった夢があり、その影響かもしれませんが、「映像作家がやるべきことは、弱者に対して、強者と戦うための潜在的な武器を与える事」だと言ったケン・ローチの姿勢をリスペクトして止みません。その為には僕自身、もっともっと勉強をしていかなければなりませんが、映像作家のはしくれとして、僕もそんな監督でありたいとは考えています。
「分断」を描くためのコロナ映画
──『見上げた空とマスク』に引き続き本作もコロナ禍を反映させた作品ですが、現実を反映させる以上物語に「コロナ」は必要不可欠と考えますか。
藤井:いいえ。全く必要とも思っていませんが、今後の情勢次第だとは思います。
映像作家として「今」を描く事こそが必要だと思いますが、その「今」が必ずしも「コロナ禍」である必要もないと考えています。
コロナの恐ろしさとはウィルスそのものも然りですが、人々を分断した事が一番悲しいし、恐ろしい事だと痛感しています。もし僕がこの《分断》をテーマに映画を作るなら、コロナ禍の設定では作りません。
コロナよりも大切な事は、《映画を通して“どんな今”を伝えたいか?》です。
日本社会の根底にある病理
──自己主張の出来ない日本人を三猿が象徴していることを加味すると、マスクを脱ぐという行為が相手へのマウンティングのように見えました。
藤井:一対一の会話シーンでは、マスクを脱いだ方が有利な立場、着けた方が不利な立場に置かれていると演出しています。
マスクを使った表現は意味あるものにしたいと考えていました。単なる現実としての描き方なら、マスク無しの話にすればいい。
僕はとにかくタテ社会が嫌いで、こんなもんなきゃどれだけ生きやすいだろうと思う事の連続でした。日本人は年齢ばかり気にしますよね。「同じ年だ」と言えば「いや、2歳くらい上かも」と言い返す。自分に自信がないので、年齢でマウント取るというのが僕の持論です。
日本では、やれハラスメントだ、やれコンプライアンスだ、と世界に10年遅れをとりながら、やっと様々なポリティカルコレクトネスと向き合い始めました。
しかし、実のところ我々にはグローバルスタンダードと向き合う以前に向き合うべき問題があります。それがタテ社会です。この改革なしには日本がグローバル化を進めようとしても、容易にはいかず、かなりの時間ががかると思います。やれ企業のパワハラだ。やれ業界の闇だ。不買運動だ!と唱える以前に我々日本人は、まずは国内事情と向き合うべきです。
── 本作を日本人が鑑賞すれば、監督の怒りを共有することが出来るはずです。
しかし「自己主張が弱く責任を取りたがらない」という日本人のイメージを共有していない海外の観客からすれば
本作は得体の知れない「責任」という怪物をめぐるモンスター映画のように見えると思います。
海外の観客に対して、本作はどのように届いて欲しいとお考えですか
藤井: 日本の恥部を見てほしいです。ただ海外でも責任逃れをしない賢者ばかりなわけでもありません。責任の所在が明確なので逃げられないという点で我が国と大きく異なりますが、いざ失敗すると逃げ腰になるのは同じです。ですので、そこまで《理解のできないモンスター話》にはならないと考えています。
僕は本作を通じて、海外の人に日本の恥部を見て頂き、日本に投資することがいかにリスクある事なのかを理解してもらいたいです。
日本は個別GDPを見ても現在韓国よりも下に位置しています。日本が大きく変わる為には、日本人の国際社会におけるダメさを我々自身が認識する必要があると思っています。そしてその認識から這い上がる国は強いし、我々にはその強さがあると僕は信じています。
見どころは爆発する役者陣の演技
──マスクを使った会話劇では、俳優さんたちによる目の演技が印象的でした。表情の情報量が普段より少ない中で、こだわった演出など、ありましたか。
藤井:まさに目ですね。目しか出せないので。あとは出演者が各々、マスクのずらし具合を通して表現の幅を広げていました。
本作の出演者たちは各々が独立していて、自分にはどんな表現ができるのかを常に模索していました。
概して俳優まがいには、台詞の量と自然に台詞を吐く事、そして、カッコよく見せる事と感情を爆発させる事ばかりを気にする輩が多いのです。
本作の出演者たちは、皆、会話劇での面白さを熟知していて、化学反応を起こす事に力を注いでました。そういう意味で近年、僕が一緒した俳優さんの中でも稀に見ない最高の出演者たちだったと言えます。SNSにも疎いような生粋の俳優さんたちばかりなのであえて言いますが、もっと世の中の人に知られて良い俳優さんたちだと思います。
──世間ではワクチンの3回目接種が進んでいます。公開のタイミングは監督が意図されたものではないと思いますが、偶然とは言え、今この時期に本作が公開される意義について、どうお考えですか。
藤井:このコロナ禍では、世界中みんな大変で「いい時代に生まれた」はずの我々世代は、二度とこの言葉を発することはできません。そんな時代に映画を作れたことは幸運ですし、本作に込められた色々な想いはお伝えさせて頂いた通りです。
絵画などは自身の想いをすぐにキャンパスにぶつけられますが、映像作家はそうはいきません。通常は映画化に数年かかるもので、映像作家の気持ちがそのまま投影される映画は少ない。そういう意味では、本作が創れたことは本当に幸運です。
ただそんなコロナ禍において、こんな時代なのに、必死にエンタメの世界で戦う勇ましい俳優陣の魂の芝居は見ものです。コロナ禍でエンタメから離れる人も多い中、必死に雑草を食らいながら頑張る彼らがいます。その俳優陣の戦いぶりを見られる事こそが、今の時期に公開される意義だとも思います。
そして100年後の人たちが、僕達の映画から学ぶような事になれば最高です。今の人にも映画を通して、色々な事に気づき疑問を感じてもらい、僕も含めて、みんなで一緒に未来を案じて、よりよい世界作りに向かっていける映画になればいいですね。
インタビュー/タキザワレオ
藤井秀剛プロフィール
1974年東京生まれ。中学卒業後、単身渡米。ニューヨーク州スクール・オブ・ビジュアルアーツに入学。その後、1999年にカルフォルニア芸術大学を卒業。10年の米国生活を経て、帰国。
帰国後は2500本の脚本の中から、音楽プロデューサー つんく氏に見出され、2000年に『生地獄』で監督デビュー。人の恐怖と社会風刺を交えたサスペンスを描くジャンル監督。2019年に劇場公開した『超擬態人間』では、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭 アジア部門 グランプリ受賞
映画『猿ノ王国』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【監督・脚本】
藤井秀剛
【製作総指揮】
山口剛
【出演】
坂井貴子、越智貴広、種村江津子、分部和真、足立雲平、納本歩、望月智弥、田中大貴、荒川真衣、神水祐人、安井大貴
【作品概要】
テレビ局の最上階と地下を舞台に、「コロナ・ワクチン特集」の番組内容を巡り、さまざまな人間の思惑が入り乱れるスリラー映画。本作の監督、藤井秀剛は、10年の米国生活を送った後に、つんくに見出されたことで『生地獄』(2000年)で映画監督デビュー。
2017年の監督作『狂覗』は「キネマ旬報」から「年間ベスト」に選出され、2019年には『超擬態人間』で、世界3大ファンタスティック映画祭の1つである「ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭」の「アジア部門グランプリ」を受賞するなど、注目の監督。
映画『猿ノ王国』あらすじ
「コロナ・ワクチン」に関する、ニュース特集のオンエア当日。
テレビ局「P-TV」は、この特集を問題視し再編集を行っており、特集の責任者である新人ディレクターの元川は、テレビ局内最上階の取締役員室に呼び出されます。
元川を待っていたのは、「P-TV」を実質的に牛耳っているキャスターの千葉と、報道担当の上層部。上層部側から一方的にニュース特集の再編集を決定したにも関わらず、その責任だけは元川に背負わせようとしていました。
入念な下調べの末ニュース特集を制作した元川は、上司の卑劣なやり口と「真実を伝える」ジャーナリストの信念が曲げられる現状に不満を爆発させます。
一方でニュース特集を担当したディレクターの佐竹も、「コロナ・ワクチン」のニュース特集が再編集されることに不満を抱えており、自身の知らないところで、勝手に再編集が決まったことに不満を持ち、再編集を止める為、後輩のディレクターである竹野内と共に、地下にある編集室へと向かいます。
そして佐竹は編集を担当していた宮から編集機材を取り上げるも、突然編集室の扉が開かなくなり、外に出ることができなくなります。編集室に閉じ込められた3人は、監禁した犯人捜しに躍起になり、それぞれを疑い始めます。
最上階と最下層で入り乱れる、さまざまな人間の思惑。一連の出来事は、誰が裏で操っているのか。ニュース特集は無事にオンエアされるのでしょうか。